12月7日(日)小野田隆雄・山田キヌヲ
12月14日(日)直川隆久・遠藤守哉
12月21日(日)宗形英作・地曵豪
12月28日(日)中山佐知子・地曵豪
2014年12月(峠)
中山佐知子 2014年12月28日
峠
わずか40kmの距離に七つの駅がある。
そのうち3つは盆地にあり
残る4つは吾妻連峰の山中にあった。
山の4つの駅は峠を隔ててふた駅づつに分かれ
それぞれがスイッチバックの駅だった。
列車はその区間を
冬は豪雪と戦いながら
息を切らせてジグザグに登った。
赤岩、板谷、峠、大沢。
大沢、峠、板谷、赤岩。
赤岩には集落があった。
板谷と大沢には宿場があった。
峠には何もない。
峠という駅は、息を切らせた機関車に
石炭と水を補給するだけの駅だった。
近くに人の住む家もなく
列車が止まっても、乗る人も降りる人もいない。
駅の名前すら、単なる「峠」としかつけてもらえなかった。
峠を越える列車はよく止まった。
線路にちょっと雪や落葉がかぶると
車輪が空まわりして動かなくなってしまうのだ。
そのたびに落葉を掃き、砂をまいた。
日本の鉄道最大の難所に、時刻表はないも同然だった。
列車が「峠」の駅に着く。
駅のそばには茶屋ができて、
乗客は茶屋が売る餅を食べ、
ホームの水飲み場で顔を洗った。
その茶屋の女将さんは、線路に雪が積もると
スコップを持って除雪に駆けつけた。
雪はソリに乗せて何度も何度も運び出した。
そんな雪の季節に列車で峠を通過する人は
線路に燃える小さな炎を見ることがあっただろう。
それは、凍った雪で列車が脱線しないように
ブリキの弁当箱で石油を燃やす火だった。
駅員は24時間交代でその火を守った。
駅員の家族も、峠に住むようになり
雪で動けなくなった列車の乗客に炊き出しをした。
峠の駅はいまも存在する。
この駅に止まる列車よりも
通過する新幹線の方が多い無人駅になり
駅員も駅員の家族もいなくなってしまったが
あれだけ苦労して列車を走らせたスイッチバックが
鉄道遺産になって
峠の茶屋も営業をつづけている。
出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/
宗像英作 2014年12月21日
峠に通じる山道は、暗闇林道と呼ばれていた。
遠い古代より鬱蒼と樹木は茂り、日中でも差し込む光はわずかだった。
道は起伏が連なり、小さく登っては下り、下りてはまた登る。
その道幅は、すれ違う時に人の肩が触れあうほど狭く、
足元は日が当たらずにいつもぬかるんでいた。
その道を往くものは、男女を問わず大概ひとりだったが、
時折老いたものを背負う者、あるいは幼子の手をひく者に出会うことがあった。
誰もがゆっくりとした足取りで、地盤の確かさを確かめるように歩いた。
彼らは一様に念仏のようなリズムで言葉を唱えていた。
ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ。
心の中にあるものが沸騰して言葉になる、そんな気配があった。
耳を澄ませば、それらの言葉は不平であり、不満であり、不幸であった。
怒りであり、嘆きであり、さみしさであり、悲しみであった。
愛する人を失った人や職を失った人、あるいは心か体かに傷を負った人たちだった。
心の中に溜めおいてしまうと気分がいつまでも重い雲の中にある、
その雲を追い払うかのように、彼らはぶつぶつと言葉を連ねた。
すれ違う人、つまり下山してくる者たちは、そのぶつぶつに応えるように、
立ち止まって「ご苦労様」と声をかけ、軽い会釈をして見送った。
誰がその習わしを作ったのか、いつから始まったのか、
そのいきさつを知るものはいなかった。
いくつもの起伏を登り下りしているうちに、次第に息が切れ、
一歩一歩意識的に踏み出さないと前に進まない、そんな疲労を感じ始める。
ぬかるんだ道に足をとらわれないようにと視線は足元の少し先を見つめ、
やや腰を折った形で峠を目指した。
彼らは一様に無口になり、滴る汗を拭うことも忘れて峠を目指した。
もはやぶつぶつは聞こえなかった。ただただ荒い息だけが聞こえてきた。
そして、最後の登りとなった。立ち止まって見上げれば、
その暗闇となった樹々の先にぽっかりと穴が開き、
そこには陽光に輝く青空があった。それを見て、誰もが安堵し、
すがすがしい微笑みを浮かべ、そして大きめの深呼吸をした。
登りつめた峠の先は、大きく視界が広がって森と湖とが眼下に見えた。
ただただそこに広がる風景に魅了され、いつしかぶつぶつと唱えてきたことを忘れた。
一歩一歩が生きていることであり、その先には開かれたものがある、
登ったり下りたり、その小さな峠を繰り返し越えることで、大きな峠に辿り着く。
暗闇林道は、信仰の場として長いこと人々の心に光を差し込んできた。
今そこには若い声が溢れ、山ガールと言われる人たちが列をなし、
ハイキングの家族連れや吟行の老人たち、
そして平日には遠足の子供たちで溢れている。
人々はそこをパワースポットと呼び、麓には大きな駐車場が出来た。
道には砂利が入れられ、急坂には階段が出来、森は間伐され、
暗闇林道は明るい森林浴道となった。
出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/
直川隆久 2014年12月14日
峠の女
峠の茶店。
おはなが二皿目の団子を平らげても、若旦那は姿を見せない。
昼にはここで落ち会い、山を降り、
汽車での駆け落ちの旅に出るはずであった。
が、陽はすでに西に傾き、樹々の影が長くのびる時刻である。
おはなが腹をさすると、もう一皿、といわんばかりに
小さな足が内から蹴った。
「おはな」
と男の声がした。見上げると、そこには番頭の利吉(りきち)の姿。
「若旦那を待っているのだろう」
「言えねえす」おはなはかぶりを振った。
「若旦那さぁ(わかだんさぁ)との約束ですけえ」
「若旦那は急な病で床に伏せられておって、
今日はおまえと落ち会うことができん。
そのことを伝えておくれと、たってのお頼みでな」
おはなが心配そうな顔をすると番頭はにこりと頬笑み
「心配するな。店の者は、ほかに誰も知らない」と言った。
お前のために若旦那が家を借りてくれている、
身の回りの世話をしてくれる婆さんもいる、
若旦那の体が元の通りになるまでそこで休んでおればよい、と
利吉はおはなを諭し、
峠をくだったところにある炭焼きの老夫婦の家にまでおはなを連れて行った。
一日たち、三日たち、一月たった。利吉は毎日きまった時刻に姿を現した。
「番頭さぁ。わかだんさぁはいつになったらおいでになりますけの」
「もう少しの辛抱だよ」
というやりとりが繰り返された。
そうこうするうち年も暮れ、雪が山を覆う時季に、
おはなは子を産んだ。男の子であった。
夜泣きがひどく、おはなは毎夜、朝まで赤子をかかえて
あやさねばならなかった。
山桜の花が白く開く頃、利吉が若旦那、そして大旦那と共に三人で現れた。
おはなには目もくれず、縁台で昼寝する赤子にちらと目をやった大旦那は
若旦那に向かって
「おまえに似とるな」と忌々しげに言い、軒先に腰を下ろした。
「まったく、どうにもならなくなってから…」
ただうつむくだけで言葉を発しない若旦那に代わり、利吉が口を開いた。
「おはな。大旦那からの申し出だ。
お前のその子どもはお店(たな)で引き取りたい」
「へえ」
「充分なことはさせてもらうよ、と旦那様も仰っておいでだ」
「わしはどうなりますんで」
「お前さんには、よそのくにに移ってもらいたいのだよ」
事情がうまくのみこめないという顔をしているおはなに、利吉は続けた。
「おはな。赤ん坊はお店(たな)の跡取りとして、不自由なく育てられるんだ。
そのかわりおまえは今後うちと関わり合いにならんようにしてもらいたい」
「わかだんさぁ」
おはなにそう呼ばれた男は、ただ地面を見つめるだけである。
「わかだんさぁ、わしとの約束はどうなりますんで」
「約束?」と、大旦那が口をはさんだ。
「この子は、うちが育てる。おまえは、今までのことを忘れる。
それがすべてだ。それ以外の約束はないのだよ」
「そんなこと、わし、合点が」
「勘違いしてはいかんよ、おはな。おまえは何かを考える立場にはないのだ」
そう言って、大旦那は利吉に顎をしゃくって指図した。
利吉が縁台で眠る赤子を抱き上げたとき――
「そうけぇ」と、おはなが声をあげたかと思うと、
その顔からざわざわと毛が生え始めた。
「人の暮らしに気がひかれるままに居ついてはみたが、潮時じゃろう」
そう言ったおはなの尻のあたりがぐぐ、と盛りあがったかと思うと、
体をつつんでいた着物がはじけ飛んだ。
呆気にとられる三人の前に、
丈が五尺はあろうかという巨大な一頭の猪(しし)が姿を現した。
人の言葉をあやつる猪。その口の中で舌が動くたび湯気が上がる。
「旦那さぁ(だんさぁ)。わかだんなさぁ。
この子は、猪(しし)と人のあいだの子じゃ。それでもひきとりなさるけの」
ざり、と猪が前足で土をにじった。
「さあ」
二人はただ、赤子と猪をかわるがわる見るだけである。
なおも詰め寄る猪。
何も言えない二人の男を見て、利吉は赤子をそっと地面におろした。
「そこまでか。人の男は」
そう言って猪は、赤子の寝巻の首後ろをくわえると、
そのまま踵を返し、
木立の中へと進んで行った。
猪の姿が見えなくなった後は、
ただ落ち葉を踏むばさりばさりという音が聞こえていたが、
それもやがて小さくなり、ついには何も聞こえなくなった。
「おはな。おはな」
と若旦那が声をかけた。
だが返って来たのは、風が木の葉をさらさらと揺らす音のみ。
人の住む地とその外との境界が、未だ曖昧であった頃の話である。
出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/
小野田隆雄 2014年12月7日
朝鮮民族の代表的な民謡に、トラジとアリランがある。
トラジは花の名前で、キキョウのことである。アリラン
という民謡の歌詞には「私を捨ててアリラン峠を越えて
行ってしまうあなたは、きっと足を痛めることでしょう」
という意味の部分がある。この歌詞から朝鮮半島の多く
の峠に、アリランという名前がつけられたとも、言われ
ている。
また、トラジの歌詞では「かわいいトラジの花が咲いてい
る峠の道は、おさななじみの人が越えていった道なので
す」と歌われている。
私はトラジやアリランの歌を聞いていると、ひとつの風景
が眼に浮んでくる。入道雲が出ている峠の道を登っていく
韓国の青年と、彼を見送って動かない、うすむらさき色の
チョゴリを着ている少女の姿である。そしていつも、ひと
つの思い出が甘ずっぱく帰ってくる。
50年以上も昔、中学三年生の夏休みに、栃木県奥日光の金
精峠から群馬県の沼田まで乗合いバスに乗った。
数人の友だちと一緒だったが、バスはガラガラにすいてい
たので、みんなそれぞれ、ふたりがけの席にひとりずつ腰
かけていた。
いくつかのバス停を過ぎて、乗客も多くなり始めた頃に、
坂道のバス停から、白いワンピースの少女が乗ってきた。
少女は私の隣の席に、フンワリと席を取った。
あの頃、まだ舗装されていないガタガタ道だった。おまけ
に、峠からくだっていく道だから曲がりくねっている。そ
のためにバスは揺れ続けた。ときおり右や左に傾く。する
と腰が浮きあがり、体が傾くのだった。
そして体が傾くたびに、私の青い半袖シャツの肩と、少女
の白いワンピースの肩や腕が触れ合った。バスが激しく揺
れて動くと、前の座席の背につかまって、体をささえよう
としても、私と少女の腰から上半身の片側部分は、どうし
ても密着してしまう。
そのうち、私の左半身の肌に、少女のワンピースを通して
体温が伝わってきた。そのほてるような温かさに、私はし
びれるような感覚をおぼえた。少女はバスの揺れに身をま
かせるように、軽く眼を閉じていた。ふと、彼女も自分と
同じ歳ぐらいだと気づいた。
バスが沼田の街並に入ってまもなく、彼女はバスをおりて
行った。まっすぐに前を向いておりて行った。
動き出したバスの窓から、私は振り返った。かげろうがゆ
らゆら揺れ動く道に、白いワンピースの後姿が見えた。
あの夏の日、ひとりの少年は、青年になっていく峠を越え
たのだろう。私は、この思い出を、今はそのように考えて
る。
出演者情報:山田キヌヲ 03-5728-6966 株式会社ノックアウト所属