中山佐知子 2014年9月28日

nakayama1409

悪徳業者

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

悪徳業者として歴史に名を残したひとりに
ステファン・ゴールドナーがある。

1845年、ジョン・フランクリンを隊長とする北極探検隊が
イギリス海軍の軍艦2隻で出発した。
船には100人を超える乗組員の3年分の食料が積み込まれ、
図書室には1200冊の本があった。
銀の食器、クリスタルのデキャンタ、暖房完備の居住区。
優雅な船旅が約束されているかに見えた。

探検の目的は北極海の航路発見だった。
謂わば氷に閉ざされた海と地図にない多くの島々の隙間をさがして
船が行き交うことのできる航路を地図に載せることが
探検隊の使命だったのである。
誰もが、どこへ進めば生きて帰れるのかさえわかっていなかったが、
国を挙げてのプロジェクトに間違いはなかった。

それから、ひとつの裏切りが発見された。
3年分の食料のうち、およそ半分が
ステファン・ゴールドナーが納入した特許製法の缶詰だったが、
実は缶の内部のはんだ付けがきわめて雑にされており、
鉛が溶け出して有毒の食料になっていたのだ。
隊員は探検の初期から鉛中毒で精神と肉体を病むことになった。
はじめは貧血や食欲の低下、
それから脳障害、末梢神経障害、痙攣、幻覚。
さらに缶詰8000個のうち1000個の中身は
オガクズや小石、腐った肉だった。

出発から2年、
探検隊はすでに行方不明といってもいい状況だったが
3年分の食料を積み込んでいたという判断で
イギリス海軍は捜索隊の派遣を見送った。

遺体や遺品の発見によって
探検隊の消息が少しづつわかってきたのは
1850年以降だった。
二隻の船は氷に閉じ込められ手動けなくなり、
乗組員らは船を捨てて
徒歩で南へ向かった痕跡があった。

1859年の夏、キングウイリアム島で
探検隊のメモや遺品、そしていくつかの遺体が見つかり
彼らの終焉の場所が判明した。
探検隊の生き残りは氷の海を歩き、
陸地にたどり着いたところで力尽きたらしかった。
一部の遺体は切断され、食べられた痕跡があったが
食料になった遺体からさえも
ステファン・ゴールドナーの特許製法の缶詰から溶け出た鉛が
検出されたようだった。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/ 

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直川隆久 2014年9月21日

naokawa1409

ナムケン

    ストーリー 直川隆久
       出演 地曵豪

ナムケン。
「ナム」は「水」。「ケン」は「固い」。すなわち「固い水」。
「氷」を意味するタイ語である。
マイ・サイ・ナムケン――「氷を入れないでください」。
バンコクの路上の屋台で僕は何度もこの言葉を口にした。
生水を凍らせた氷は飲むと危ない、
という旅慣れた先輩からのアドバイスに忠実に従っていたのだ。
理由はくわしく述べないが、その頃僕はバンコクの安宿に長逗留していた。
が、いわゆる「外こもり」の連中とつるむ気にもならず、
基本的にいつも一人だった。

バンコクは、躁的な興奮に満ちた街だ。
ホームシックになる暇もそうそうないが、
たまに、気のおけない人間と喋りたいという衝動にかられることもある。
ある日。何度か通って顔なじみになった露店でバミーナム(汁そば)と
氷ぬきのコーラを頼んで待っていると、
向かいのプラスチック椅子に、タイ人らしき青年が座った。

日本人ですか、日本語を教えてくれませんか。と話しかけてくる。
怪しいなと思ったが、
いきなり立ち上がってテーブルを変わることもできずうなずくと、
青年は礼儀正しく「トーです」と名乗った。

青年は、日本語文法についてのやけにこまかい質問を浴びせかけてきた。
「わたしはコーラが好きだ」というが、
なぜコーラ「を」ではなくコーラ「が」なのですか、とか。
おそらくかなり本格的に日本語を学んでいるに違いない。
僕のならべる適当な理屈を
(好き、というのは日本語の中で特別な言葉だからだ、とかなんとか)
聴きながら彼が熱心にノートをとるので、
この男に悪意はないと僕は判断した。

ひとしきり話が終わったあと、
トーは、お礼に飲み物をおごらせてくれ、といい、
店員に何かタイ語で注文した。
しばらくすると、氷をいっぱいにいれたグラスを2つと、
缶のコーラが2本運ばれてきた。トーがコーラを開け、グラスに注ぐ。

しまった。氷は入れないことにしてる…と伝える暇がなかった。
トーが、グラスを持って、こちらに差し出してきた。
「チャンゲオ(乾杯)」
グラスを合わせ、トーが飲む。
ここで断っては、日本人の印象も悪くなるかもしれない。
僕は、ままよとそのコーラを口にした。
…うまい。やはり、コーラは冷えていなくては。

腹がへっているのか、トーが僕のバミーをしげしげと眺めている。
一杯おごろうかと言ってもトーは頑なに拒否した。
帰り際、コーラの金を出そうとしたらこれもはげしく拒絶した。
またここで話をしよう、と僕はトーに言い、右手を差し出した。
本当にそう思ったのだ。彼なら、友人になれるのではと。
「ありがとう」とにこやかに手を出しながらトーが「ところで」と言った。
「僕の友人で、エメラルドを安く仕入れるルートを持っている人が
いるんですが、見に行く気はありませんか?」

僕は、絶句した。
「エメラルド」云々は、じつに古典的な詐欺の口上だったからだ。
あまりに一般的すぎて、もはや誰もひっかからないようなこんな手口を、
この知的で紳士的なトーが…

僕は、「いや、興味ないんだ」と答えた。「申し訳ないけど」
トーは、やさしい頬笑みをくずさないまま手を離した。
「わかりました。じゃあ、また明日、ここで会えたらいいですね」
とだけ言って、踵を返し、去って行った。

翌日、僕は激しい腹痛と下痢に見舞われた。
おそらく昨日の氷のせいだ。
夕方、なんとなく落ち着かない腹具合のまま昨日の屋台に顔をだす。
何時間かいたが、結局トーは姿を現さなかった。
その翌日も、そのまた翌日も…二度と彼を見かけることはなかった。

今日もバンコクのどこかで、あの効率の悪い、
優しい詐欺を働いているのだろうか。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/

 

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佐倉康彦 2014年9月14日

sakura1409

お伽

      ストーリー 佐倉康彦
         出演 石橋けい

母が私の胸の裡(うち)に、
今もヒヤリと遺していったものは、
王子様、という存在だった。
いつか私を迎えに来る、それらしきなにか。

幼い頃、
私にとって夜は鍵穴のような存在だった。
穴のむこうに広がる
薄墨(うすずみ)色の寝惚(ねぼ)けた闇のようなものと
その穴から、
こちら側にいる私をのぞき込む誰かの視線。
その眼差しに慄(おののい)いていたのか。
それとも、
別の何かを感じていたのか。
目を固く瞑(つむ)れば瞑るほど、
その鍵穴が
私の中のあちらこちらの隙間に拡がっていく。
そうなると、
母がつくってくれる
ぬるめのホットミルクを
どんなにいっしょうけんめいに
こくこくと飲んでも、
眠ることができなかった。
そう思っていた。

そんな夜に
母が必ず私の枕元で語ってくれた
数え切れないほどのお伽話。
そこには、
いつも最後のほうで王子様が現れた。
どんなに不条理で
辻褄が合わない話の筋でも
必ずそれは登場し、
すべてを丸く収めた。
私を見つめる鍵穴のせいで
固く凍った幼い私の胸の裡も
母の甘い声に乗って登場する
王子様によって
瞬く間に溶けていき、
蕩(とろ)けるように眠りにつけた。
そして、彼が、王子様が、
翌日の光り輝く朝へと
深い眠りと共に私を連れて行ってくれる。
と、思い込んでいた。

朝まで王子様と過ごした私は、
幸せな気分でベッドから抜けだし、
母のいるキッチンへ向かった。
そこで私は、
いつも同じ光景を目にした。
ダイニングテーブルの片隅で
背中を丸めて朝食の支度を調える母は、
幼い私の目にも
明らかに深く憔悴しているように見えた。
今、思えば、
私以上に眠れなかったのは
母のほうだったのではないだろうか。

眠れない私のためのお伽話。
それは、
寝室にいる父の相手をすることが
適(かな)わなかった母の、
偽りの「伽」だったのかもしれない。

いけ好かない
ストレートパートの口髭を生やし、
いつも机に向かって
ペンを走らせていた父のような男。
その指先から生み堕とされた
手袋をはめたネズミで
世界中を魅了してしまった父のよう男。
彼もまた、
王子様の存在とその万能を信じ続けた
裸の王だったのではないか。と、今は思う。

王子様を期待し、
自ら眠れない夜を求め彷徨(さまよ)った幼き日々。
私のベッドと並んであった
お揃いのステンシルで型染めされた
もうひとつのベッドには、
ぐっすりと眠る姉がいた。
いつもは背中を向けて眠る彼女が
眠れない私の方に向きなおりながら、
そっとふわり呟く。
「王子様なんて、
いないんだからね…」
お伽話がはじまる前、
母が私たちの閨(ねや)にやって来る寸でのところで
私を
このあとはじまる母の呪文から解き放つために
あらかじめ用意され、
私の胸の裡にまぶされることば。

ありのままに生きる姉の視線は、
いつも私を自由にしてくれたように思う。
私にまぶされるそのことばと
姉という存在がまさに鍵穴だった。
姉が、ことばが、
幼い私の中に
深く静かに拡がってゆく。
しかも、
それは冷たくなどなかったのだ。
とてもとても温かなものだったのだ。
私の胸の裡を凍らせることなどありえなかったのだ。

今、私の王子様は
自らからの冷たさのせいで結晶した
厚い厚い氷の中に閉じ込められたまま、
ピクリとも動きはしない。

母は、
ライトアップされた居丈高なお城の中で、
王子様と共にきっと眠ったままだろう。

姉と私は、
浦安に聳(そび)え立つ
あのお城には、
未だ行ったことがない。

出演者情報:石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース


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井村光明 2014年9月7日

imura1409

「夏一番の働き者」

         ストーリー 井村光明
            出演 遠藤守哉

最近の若者は酒をあまり飲まないのだそうだ。
それどころか、この夏のコンビニでは、
常温の飲み物がブームなのだと聞く。
体には良いのだろうが、精神的にはどうなのだろうか。
来る日も来る日も残業で終電帰り、もちろん休日も返上で、
しかも真夏で蒸し暑い、こんな夜。
家に着いたらキンキンに冷えたビールを
飲みたいとは思わないのだろうか。
オンとオフの切り替え、というやつだ。
コーラやコーヒーで、この疲れが切り替えられるわけがない。
ましてや常温など、どう考えても日常が延長するだけじゃないか。
・・・きっと若い奴らには、オンとオフを切り替える必要など無いのだ。
自分の都合ばかり優先し、仕事は適当、いつもオフなのだから。
その尻拭いが私に回ってきて、
今日もこんな時間まで働くはめになっている。
こっちはビールでも飲まないとやってられないんだよ!
・・・オッサン臭いだろうか。
実際、私は四十を過ぎ、しかも独身だ。
家に帰っても、妻の料理も子どもの笑顔も待ってはいない。
でも、狭いワンルーム、ドアを開ければ、目の前に冷蔵庫。
その中で、冷たいビールが私を待ってくれている。
靴さえ脱げばこっちのものだ。
スマホをいじりながら歩いている、
いかにも常温のお茶を飲みそうなOLを追い越し、
私は家路を急いだ。

なのに、まさか。
私を待っていたのは、常温のビールだった。
キッチンの床に水が広がり、お漏らしをしてしまったボケ老人のように、
冷蔵庫が立ちすくんでいる。
が、その老人から、いつもの低いモーター音が聞こえていないことに、
私は気づいた。
冷蔵庫が、死んでいた。
霜や氷が溶けだし、ビールが完全に常温になっているのを見ると、
死亡推定時刻は数時間前、
あるいは朝出勤の頃にはもう死んでいたのかもしれない。

・・・だったら、早く言えよ!
ビールを買って帰ることもできたじゃないか!
深夜まで働いて、キンキンに冷えたビールを楽しみにしてたのに。
よりによって真夏に死ぬことはないじゃないか!
私のオフをどうしてくれるんだ!!
・・・オフ?
そうだ、スイッチが切れているだけかもしれない。
元気を出して、冷気を出してくれ!
そう思い直し、私はスイッチを探した。
が、無い。
冷気の強弱を調整するつまみ以外は、何も見つからない。
あ、冷蔵庫にスイッチは無いんだった・・・
そうか、冷蔵庫には、オンもオフもないのか・・・
無駄だと思いつつ、私はコンセントを抜き、また差し込んでみた。
冷蔵庫の中が一瞬暗くなり、また明るくなっただけだった。
普段気にも留めていなかった、ブーンという音が無いだけで、
部屋全体が死んでしまったようだった。

上京してすぐ大学の生協で買った一人暮らし用の冷蔵庫。
そのうち結婚でもして買い替えるのだろうと思ううちに、
もう25年使っていたことになる。
思えば、スイッチの無い家電なんて、冷蔵庫くらいのものだろう。
部屋の中、どんな小さな家電にだって、スイッチくらいある。
ベランダの外、夜通し光る街灯も、朝になれば消える。
24時間働いてる信号機ですら、赤と青は交代交代休んでいる。
なのに、こんな身近な冷蔵庫に、休みが無いなんて・・・
いや、無くはないか、引っ越しの時はコンセント抜いたもんな。
とはいえ、引っ越したのは2回だけだが。
25年間に、休みはたったの2日だけ・・・
その日ですら、ビールを冷やそうと、
引っ越して一番にコンセントを差し込んだのは、
やはり冷蔵庫だった気がする。
一度コンセントを差し込んだら、
オフにする術が無いなんて、
片道分の燃料で出撃する特攻隊のようではないか・・・
そして、オンだのオフだの言ってる私たちも、
本当は同じなのかもしれない・・・・・・
(悲しいため息)
いたたまれない、こんな夜は・・・やはり、ビールしかないだろう!
オッサン臭いかもしれないが。

コンビニへ行き、冷たいビールを飲んだ私は、
常温の飲み物を買って帰り、冷蔵庫へ入れてやった。
もう冷やさなくていいから、オフを楽しんでくれよ。
この8月、新しい祝日ができるそうだが、
「冷蔵庫の日」があってもいいのではないか、と私は思った。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

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2014年9月(氷)

ice

井村光明 & 遠藤守哉
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直川隆久 & 地曵豪
中山佐知子 & 大川泰樹

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