トラキアの東の風の国
ストーリー 中山佐知子
出演 瀬川亮
トラキアの東の風の国から
久しぶりに西を旅したとき
かわいい人間の女の子に出会った。
僕はひと目で恋に落ちた。
彼女はアテネの王女だったが
僕だって星空を支配する巨人族の父と
暁の女神の母から生まれた神の一族なんだから
彼女は喜んで結婚してくれると思っていた。
ところが、なのだった。
彼女は、いやアテネの王女は
僕の背中に羽根が生えているのが気に食わないとか
若いのに髭なんか生やして年寄りじみているのが嫌いだとか
年寄りじみた格好をしているくせに
口のききかたがアタマ悪そうとか
いろいろ難癖をつけては首を縦に振らない。
おまけに、むかし僕が馬に化けて遊びまくっていたときに
美人の雌馬に片っ端から子供を産ませたことまで調べ上げている。
しかもその子供というのが神でも人でもなく
12頭の子馬だったことまで知っていて
結婚する気もないくせにやたらと怒りまくった。
プツン
僕のなかでなにかがぶち切れた。
下手に出ればどこまでもいい気になって…
僕は彼女がケチをつけた黄金の羽根でトラキアの山の頂から舞い降りて
川のほとりでノーテンキに踊っていた彼女をさらった。
彼女はあんなに泣き叫んでいたくせに
トラキアの東の風の国で僕の子供をころころと4人も産んだ。
子供のうち男の子ふたりには羽根が生えていたけれど
僕の羽根にはあんなにケチをつけたくせに
子供の羽根はむしろ誇りに思っているそぶりを見せた。
やれやれ…と、僕は思った。
やっと落ち着いて暮らせるぞ。
もともと僕は北の風を支配する武闘派の神さまなんだけど
手下の雪や霜や霰に大人しくしてろと言い聞かせ
しばらくは子育てに専念することにした。
確か紀元前492年だったと思う。
アテネから一通の手紙が舞い込んできた。
手紙はおごそかにはじまっていた。
アテネの義理の息子よ
ペルシャから我らを守りたまえ
なんだこれは…
俺はおまえらの息子じゃねえよ!
彼女と結婚するときはあれほど冷たかったアテネの連中に
いまさら用はない。
そう思ったけれど
願いを聞き届けたら神殿を建ててくれると書いてあるのを
彼女が見つけてしまった。
僕は結局ペルシャ戦争に荷担し、
ギリシャに攻め入ったペルシャの船を400隻ほど吹き飛ばして沈めた。
アテネの市民は、約束を守って
彼女がよく遊んでいた川のほとりに神殿を建ててくれたので
僕たちは風の国を出てほとんどそこで暮らすようになった。
トラキアの東の風の国はもうない。
たぶん自分の土地を捨てて人が用意した神殿に住み、
人に手なづけられ
人に都合のいい願いを受け入れるようになって
神々は滅びの道をたどっているのだと思う。
そして神がいなくなったとき
山はただの山になり、水もただの水になり
風も木も星々も
存在する喜びのようなものが消えるんじゃないかなと
僕はぼんやり考えている。
出演者情報:瀬川亮 http://www.weblio.jp/content/瀬川亮