中山佐知子 2009年6月25日



猫が死んでいることに気づいた日は
                
                
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹                   

猫が死んでいることに気づいた日は
音もなく雨が降っていて
窓の外の景色がうす青かった。
それは猫の毛の透けた縞模様を通して見えた。

死んだ猫は躰が透き通ってきて
向こう側の景色がうっすらと見えるようになっていた。
それで私は猫が死んだことを知ったのだ。

猫は死んでも窓際にきちんと正座して
私から目を離そうとはしなかった。
そうやって猫に見つめられていると奇妙な無気力状態におちいり
昼も夜もうつらうつらと
寝ているのか起きているのか区別がつかない何日かがあった。
猫はずっとそばに付き添い
昼も夜も部屋から出て行こうとしない。

あたりが暗くなって車の音が途絶えるころになると
ざわざわと風が吹いた。
猫は風の匂いを嗅ぐように鼻を上に向け
あたりの気配に耳をすました。
風は玄関と窓にかわるがわる吹きつけ
まるで誰かが押し入ろうとしているようにガタガタと音を立てた。
すると猫は、透明な毛を逆立てて威嚇するように唸るのだった。

いっぺん、窓を開けて猫を安心させようとしたのだが
起き上がろうとすると猫はさらに大きな声で
こんどは私に向かって唸った。
こんなことははじめてだった。

それから、降り続いていた雨がとうとう止んで
世界が顔を洗ったように明るくなった朝になると
猫ははじめて私に向かって口をひらいた。

「あれは雨の日だったね。」
それが猫を拾った日か猫が死んだ日かわからないまま
私はそうだと答えた。
「あれからずっと僕は幸せだったし、いまも幸せなんだ。
 きみはそれを信じてくれなきゃいけないよ。」
信じる、と答えるしかなかった。

幸せな猫だけが飼い主を助けることができるんだからね、と
猫は念を押した。
それから、背中を向けてさよならと言うと
締め切った窓を通り抜けて本当に出て行ってしまった。

猫がいなくなった部屋の隅には
出て行ったばかりの猫が、申し訳なさそうに
小さくうずくまって死んでいた。
死んだばかりの猫の躰はちっとも透明でなく、まだぬくもりがあり
縞模様の毛はやわらかく私の涙をはじいた。

私はそれに手を触れながら
死んでいたのは自分だったんだという、いま気づいたばかりの事実を
そっと心の隅にうずめた。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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小松洋支 2009年6月18日



そのひとのこと
                   

ストーリー 小松洋支
出演 坂東工

ぼくがそのひとを初めて見たのは、
10月のよく晴れた日のことだった。

午後まだ早い時間だというのに、
陽の光には斜光のようなセピアがまじっていた。

ぼくはクリーニング屋とコンビニの間の細い路地を抜け、
遅い昼食をとるために、顔なじみの喫茶店に向かっているのだった。

その喫茶店のウインドウの前に、そのひとは立っていた。

何を注文するか、あらかじめ心づもりをしておくんだろうな。
そう考えて、気にもとめなかった。

ちょっと驚いたのは、
食事を終えてぼくが店の裏手から戻ってきたとき、
そのひとがまだそこに立っていたことだ。

さっきと同じ姿勢で身動きひとつせず、
もの想わしげな表情で、ピザやホットケーキやナポリタンが陳列された
ウインドウを見つめている。

やせた小柄なひとで、まっすぐな黒い髪をうしろで束ね、
化粧気のない顔は白いというより青白く、
頬骨のあたりにうすいそばかすがある。
手には少し汚れた布製のバッグを提げていて、
中からなにかのパンフレットがはみだしている。

ぼくは気がかりなものを感じて、
何度もふりかえりながらその場をあとにした。

次にぼくがそのひとを見たのは、
1週間ほどたってからのことだった。

ぼくは商店街が川と交差するあたりを歩いていた。
アーケードがそこだけ切れて、空とひくい丘が見えるのが好きだった。

ふと見ると、橋を渡ったところにある古い洋食屋の前に
誰かが立っていた。

喫茶店の前にいたひとだった。

わずかに腰をかがめ、ウインドウを一心にのぞきこんでいる。
右手の人さし指と中指を下くちびるにあてている。

近寄っていってそっと視線をたどってみると、
どうやら目玉焼きののったハンバーグを見つめているらしかった。

ぼくはなんだか胸がくるしくなった。

そのひとはぼくの気配に気づいたのか、
ちらっとこちらを見て、真剣な表情をほんの少しゆるめ、
それからまた目をウインドウに戻した。

「あの、ぼくにできることはありませんか」
そう声をかけたかったけれど、もちろんできない相談だった。

3度目にそのひとを見たとき、
そのひとは区役所のそばの建物に入っていくところだった。
白いシャツを着て、ダンボールの箱を抱えていた。

その建物には看板が出ていた。
でもぼくにはそれが読めなかった。

ずっとあとになって、公園に住んでいる長老の虎猫が
あそこでは人間たちが食品模型というものをこしらえているのだと
教えてくれた。

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2009年6月11日



わたしはネコです。

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

わたしはネコです。

名前は、まだありません。

銀座八丁目、並木通りの裏通りの、

一階がお寿司屋さんで、二階から上に

バーと居酒屋さんが、

十五軒入っているゲンマンビルと

一階がイタリアンレストランで、

二階から上に、クラブと小料理屋さんが、

十一軒入っているアオイビル、そのあいだの、

せまい露地に住んでいます。


わたしは、たぶん、一歳とちょっと。

黒い毛色の女の子です。

どこかで生れて、ここに捨てられたのか、

この近所の露地に生れて、

ふらふらと道に迷って、ここに来たのか、

そのへんのことは、わかりません。

いちばん初めの記憶は、

去年の五月下旬の夜遅く、

ここの露地で、ミーミー、

鳴いていたときのことでした。

「おい、どうした、コネコ」
声をかけてくれたのは、

ゲンマンビル一階の

青葉寿司のタケさんでした。

「まあ、黒ちゃん」

そう、話しかけてくれたのは、

アオイビル三階のクラブ、
スキャンダルのナオコさんでした。

「ハラがへってるのか?
 
 よしよし、魚のホネでも、
 
 持ってきてやるからな」と、タケさん。

「バカだねぇ。こんなコネコに
 
 魚のホネなんて。ちょっとお待ち。
 
 ミルクを持ってきてあげる」
と、ナオコさん。

しばらくして、タケさんが、

マスクメロンの入っていた

空(から)の木箱を、持ってきてくれました。

ナオコさんは、すこし欠けた深めのお皿に
ミルクを持ってきてくれました。


ナオコさんは、タケさんの木箱を見て

いいました。

「バカだねぇ、あんた。
 
 そんな硬い木の箱、

 黒ちゃんが痛いじゃないか。

 ちょっとお待ち」

ナオコさんは、またお店に戻り、

中味のアンコを抜き取った、

古いちいさなクッションを

持ってきました。

それから、タケさんが木箱のなかに

古いクッションをしいて、

腕をのばして、露地の奥に、

その木箱を置きました。すると今度は、

ナオコさんが手をのばし、

ミルク入りのかけたお皿を、

木箱の前に置きました。そしてわたしが、

夢中になって、ミルクを飲み始めました。

そんなわたしを見ながら

ふたりが、話しているのが聞えました。
「ナオコ、今夜は、もう、あがりかい?」

「バカだねぇ、タケは。あったりまえよ」

「六本木でも、ちょっといくか?」

「いいよ。おごってあげるよ」

「ついでに、とめてくんねぇかな」

「バカだねぇ。いいよ、タケシ」

それから、わたしはこの露地に住み、

タケさんとナオコさんに

かわいがられて、とてものんきに

暮らしています。

銀座の夜は、色んなひとがいて、

わたしのことを、色んな名前で

呼んでくれます。でも、わたしは、

タケさんとナオコさんに

コネコとか、黒ちゃんとか、

呼ばれない限り、ぜったいに

返事をしません。わたしは、

ノラネコではありません。

あのおふたりに、飼われているのです。

いつか、お礼をしたいと思っています。

ドブネズミのチュウスケをつかまえて、

青葉寿司のタケさんに

プレゼントしたいと考えています。

きっと、よろこんでくれると思います。

それでは、みなさん、お元気で。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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一倉宏 2009年6月4日



ねこ日記 ~「6月」篇

                
ストーリー 一倉宏
出演 沢田由紀子

月曜日 くもりのち晴れ
朝起きて ごはんを食べる そのあと寝る 
昼前からすこし晴れる 日だまりを探して 寝る
昼過ぎにはお日様がいい感じ 外に出て 小川さんちの庭へ
小川さんちの庭のバラが咲いてる その匂いをかぐと
なぜかおしっこがしたくなる そして する
しばらく歩いたり休んだり それから家に帰って 寝る
今夜のごはんはかつお味 食べて寝る

火曜日 晴れ
朝起きて ごはんを食べる いいあくびが出た
きょうのお日様は90点 光も温度もちょうどいいお日かげん
外に出て クルマの上で寝る クルマを降りて
小川さんちから 藤井さん 石岡さんちの庭をひとまわり
その途中で クリーニング屋のチャビに会う
あいかわらず 遠くから挑戦的な目で にらみつけやがる 
にらみかえして チャビが消えるのを確認して
家に帰り ごはんを食べて 寝る
冷蔵庫の上で寝る 今夜も刺身なし 顔を洗って寝る

水曜日 くもりのち雨
そろそろ 憂鬱な季節だ 朝起きて 寝る
ごはんを食べて 寝る お日様は顔を出さず ちょっと肌寒い
そして 雨が降りはじめる 念のため外に出たが やはり雨だ
今夜のごはんもかつお味 今夜も刺身なし 寝る

木曜日 雨
「4月は残酷な月」と 人間の詩人はいったらしいが
6月こそ残酷な月だ ねこにとっては
どんなに寒い冬も コタツという楽園があるのだ ねこ様には
6月にコタツはない この頃はテレビにものれない 薄すぎて
あきらめて寝る あくびがとまらない 食べて寝る

金曜日 雨
きょうも雨 朝起きて 食べて寝る
ブラッシングしてもらう ピンポン玉ほど毛が抜ける
でも 気持ちいい すこし気分もよくなった 出窓で寝る
たわむれに ニセモノのねずみをもてあそぶ すぐ飽きて寝る
今夜のごはんはまぐろ味しらす入り 食べて寝る

土曜日 くもりときどき雨
我慢できずに 外に出てみる 案の定 また降られる
6月は最も残酷な月だ 4月ではなく ねこたちには常識だ
4月といったエリオットという詩人は あのミュージカル
「CATS」の原作者だというではないか どこまでもふざけた野郎だ
それとも 海の向こうは 4月にいちばん雨が降るのか?
コタツはないのか? われわれはぁー コタツを要求するぅー
さもなくば 押し入れを開放せよ! こんどのねこ集会で
呼びかけよう 三多摩地区ねこ組合 団結せよ!

日曜日 晴れ
ひさしぶりのお日様だ 朝起きて 寝る
クルマの上で寝る 塀の上で寝る 小川さんちの庭で用をたして
チャビをシカトして 家のリビングで寝る 冷蔵庫の上で寝る
おまけに 今夜のごはんは ほんもののお刺身!
解凍のぶつぎりでも ほんものはほんもの!
満足して しあわせに寝る きのうのことはとっくに忘れて 寝る

出演者情報:沢田由紀子 ナイロン100℃ http://www.sillywalk.com/nylon/index.html

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2009年6月(猫)

6月4日 一倉宏 & 沢田由紀子
6月11日 小野田隆雄 & 久世星佳
6月18日 小松洋支 & 坂東工
6月25日 中山佐知子 & 大川泰樹

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