直川隆久 「川のある村からの使い 2022」

川のある村からの使い

     ストーリー 直川隆久
        出演 大川泰樹

雑居ビルにある事務所のガラス窓を、強い雨がしきりに叩いている。
近頃台風が多く、大雨の日が続く。

信頼していた経理の人間の裏切りのせいで、私の会社は窮地に立たされていた。
先々月次男の浩次郎(こうじろう)が生まれ、
これから踏ん張らねばならないと思っていた矢先だった。
土砂降りの中をずぶぬれになりながら資金繰りに奔走する日が続いた。

万策つきたかと思われたある日、
疲労困憊して事務所のソファに体を沈めていると、
ドアを開けて一人の男が入って来た。
80…いや、90近いだろうか。
ジャケットにループタイというスタイルに、ソフト帽。
ズボンの裾が、濡れて黒い。
男は名を名乗らず、ただ水落村の者だとだけ言った。

水落村? …どこかで聞いたことがある。
「ご存知ありませんかな。あなたのお祖父様、それと…
お父様がお生まれになった村です」
そう言って男は来客用デスクに座り、ジャケットの内ポケットをまさぐった。
分厚い茶封筒を取り出すと「不躾かもしれませんが…」と、こちらへ差し出した。
「もし何か今お困りなのでしたら、この金をお使いください」
「はい?」
「いえ、差し上げるのです。受領書も要りません」
私は呆気にとられた。そんなものをもらういわれがない、と突き返すと男は
「あなたのお祖父様と水落村の約束があるのです。
だから、このお金はあなたのものなのです」と答えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
わたしは父方の祖父について多くを知らない。
わたしがごく幼い頃亡くなったし、
父が生家について話すこともあまりなかったからだ。

父は、青年期まで過ごした水落村を出た後、東京で就職した。
結婚を機に近郊の新興住宅地に家を買い、そこで私と弟の英二が生まれた。
そんな父に、一度故郷のことを尋ねたことがある。
父は、自分の弟を幼い頃なくした記憶があり、
その村のことはあまり思い出したくないのだと語った。
村の話を父としたのは、その一回きりだ。

父は、英二をとても可愛がっていた。
自分の弟を亡くした後悔がそうさせるのか、溺愛と言ってもよかった。
その英二が行方不明になったのは、わたしが小学3年生の頃だった。
ちょうど今年のように台風が全国的に猛威をふるう年だったのを覚えている。
父は半狂乱で町中を駆けまわったが、弟の姿は現れなかった。

その後、どうしたわけか我が家の家電製品がすべて新しくなり、
クルマも新車になった。
ぴかぴかと眩しく輝くモノが家の中に増えるのと相反するように
父はふさぎこみがちになり、数年後、病で亡くなった。
大学進学を機にわたしは家を出たが、父の残してくれた遺産は充分あり、
経済的には分不相応なほど恵まれた学生生活を送った。
その数年後、母は家を処分した。
弟をなくした記憶のしみつく家が消えたことで、
安堵に似た気持ちがわき起こったのを憶えている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いったいどんな約束がうちの祖父とあったのです」
わたしが問うと、男は懐をまさぐってショートピースの箱を取り出した。
マッチでタバコに火をつけ、きつい匂いの煙をゆっくりと吐き出してから話し始めた。
「水落村は、昔から暴れ川に悩まされてまいりました。
開墾以来…何百年でしょうな。ひとたび川の水が溢れますと、
赤くて酸のきつい泥を田畑がかぶってしまい…難渋します。
ですから、手立てを打つ必要があった。川の神を鎮めるために、犠牲を払う必要が」
「犠牲?」
「ええ。誰かがそれをやらなくてはいけないのだが、手を挙げる者はない。
しかしその中で唯一…」
男はタバコに口をつけ、もう一度煙を吐いた。
「唯一あなたのお祖父様が、
末代にまで渡ってその犠牲を払うという約束をしてくださいました。
本当に貴い申し出だった。私はまだその頃小僧でしたが、
あなたのお祖父様のご勇断を家の者から伺い、大変感銘を受けたのを憶えております」
男は、煙をすかして遠い景色を見るような目つきをした。
「ですから我々は、あなたのおうちを代々…村を挙げてお助けする義務があるのです。
取引だなどと言いたてる者もおりましたが、
そういう口さがない連中に限って、何もしないものです」
そう言って、男は茶封筒に手を添えると、こちら側へ押してよこした。
その仕草には何か有無を言わせぬ力があった。
男はタバコをもみ消し「そろそろお暇(いとま)しましょう」と立ち上がった。
「おそらく、伺うのもこれで最後になるでしょう。
 水落村の暴れ川も来年あたりようやく護岸工事が始まりそうでして…
 捧げものの必要も、ようやっとなくなりそうなのです」
男は帽子を取ると深々と一礼した。
「本当に、感謝いたしております」
男が去ったあと、茶色い封筒の横の灰皿から薄く煙が上っていた。

 そのとき、携帯が鳴った。
出ると、妻の震える声が耳に切りこんできた。
「こうちゃんがいないの。窓際のベビーベットに寝かせていたら…
 窓が割れてて……こうちゃんが…こうちゃんが…」
窓ガラスをさらに猛烈な雨が叩き始め、
轟音が電話のむこうの妻の声をかき消した。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

 

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直川隆久「ベンチで笑う人」

ベンチで笑うひと

    ストーリー 直川隆久
       出演 遠藤守哉

真っ白に塗られた顔。真っ赤な口紅。口紅と同じ色の、赤い髪。
彼は、国道沿いのファーストフードチェーンの店先におかれたベンチ、
その中央にゆったりと身をくつろげ、背もたれに腕をかけている。
夏も、冬も。
晴れた日も、雨の日も。
彼は、その色褪せたベンチに座って、じっと笑っている。

その人形…いや、彼は、いつからここに座っているんだろうか。
10年前。いや、20年前からか。
「おいでよ。一緒に写真を撮ろう」とさそいかけるように、
こちらに笑顔をむけ続けている。
たしかに、隣に座れば、
彼に肩を抱かれているように見える写真が撮れるのだろう。
だが、彼の両側はいつも空席のままだ。

昔は、そのチェーンのマスコットとして、
コマ―シャルにもでていて、「人気者」というキャラ設定だったそうだ。
正直、それが納得できない。
彼の、ピエロを模した風貌。
はっきり言って…怖すぎないか?
江戸川乱歩の「地獄の道化師」からスティーブン・キングの「IT」まで、
ピエロは現代においてはむしろ恐怖のアイコンのはずだ。

ベンチに座っている「彼」を見ていると…
脚を不意に組み替えるのではないか、
腕を背もたれから離すのじゃないか…
そんな妄想がうかんで、皮膚の下をなにか冷たいものが走る気がする。
そして、そういう目で見ると、その口を真っ赤に濡らしているものは、
口紅でも、ケチャップでもないもののように見えてくるのだ。

きょう、最終バスを逃した。
タクシー乗り場で待ったが、いつまでたってもクルマはこない。
家まで歩けば30分ほどだが—-ひとつ、問題がある。
家に戻るには、あのファストフードの店の前を通らなければいけない。
だがこの時間、店は閉まっており、灯りは消えているはずだ。
つまり、暗闇の中「彼」の前を…微笑む「彼」の前を、通らなくてはならない。
それは、どうにか避けたかった。
だが、クルマはこない。
さらに30分待ったところでわたしはあきらめ、家に向かって歩き出した。

駅前の閑散とした商店街をぬけ、橋をわたって区をまたぎ、国道に出る。
しばらく歩くと、右前方にあの店の看板のシルエットが見える。
近づく。
看板も、店内も、すべての電灯が落とされている。
わたしは、視界の右端にその店を感じながら、なるべく前だけを見て歩く。
店の前を通り過ぎる。
そのとき、わたしの目が反射的に…普段とちがうなにかを感じとって、
店のほうを見やった。
視線の先にはベンチがある。
いつもの、あのベンチだ。
だが…なにかがちがう。
そうだ。
「彼」がいないのだ。
誰も座っていないベンチが、そこにある。

どこへ行ったのだ。
…歩いていったのか?
まさか。
おそらく撤去されたのだ。
長年の雨ざらしで、傷んでいたのだろう。

そのとき…足音がきこえてくる。
店の前の駐車場のほうから、
とっと、とん。
とっと、とん。
…と、軽やかなステップの音。
タップダンスを踏むような。
わたしは、視線を、その足音の方向からそらすことができない。
駐車場に植えられた樹の陰からその音は聞こえてくるようだ。
そして、一本の樹の裏から、にゅ、と、赤い靴が飛び出た。

靴は、はずむような動きで、樹の裏に引っ込んだり、また出てきたりを繰り返す。
そして、不意に「彼」が現れた。
黄色と白のしましまの服。真っ赤な紙。真っ白な顔。真っ赤な唇。
笑っている。
笑っている。
アニメキャラのようなリズミカルさで、上下に体をはずませながら、歩く。
ウキウキ!
ワクワク!
という擬音語の書き文字が横に書いてあるようだ。

声をあげることができない。
彼は、ベンチまですすむと、その真ん中にすとんと腰を下ろす。
そして、ぴょこりと素早い動きで脚を組む。満足そうな笑みを浮かべ、
言葉を発しない手品師がよくやるような、思わせぶりな仕草でわたしに手招きをする。
自分の左側の場所を手でたたく。「ここへお座り」と言っているようだ。
逃げられず…わたしは、彼の隣に腰をおろす。
シャツの中を、冷たい汗が何筋か流れ落ちる。
彼は、手の中の何かを別の手の指で触るような仕草をする。
わたしがスマホを出すと、にやにやと笑いながら、
わたしと、スマホと、自分を交互に指さす。
写真を撮れ、といっているのだ。
彼の顔が、こちらに近づき、その腕が、わたしの肩に回された。
とても冷たい。
スマホをかざし、わたしと彼をフレームに収める。
なぜか、魚のような生臭いにおいが一瞬漂った。

彼は、スマホで撮られた自分とわたしの姿を見ると、声をたてず大笑いをし、
ぴょんとベンチの上に飛び乗った。
その足は陽気な仕草でステップを踏み、その口は何かの唄を唄っているように、
パクパクと音もなく動いた。
そして、ベンチを飛び降りると、踊るような足取りで、駐車場へと向かっていく。
とっと、とん。
とっと、とん。
ととっと、とん、とん。
ぴたりと足がとまる。
彼は振り向いて、こちらに手をふると…
おどけた仕草で木立の中へ消えていった。
わたしは、全身の力が抜け、気が遠くなり―――

翌朝、目をさました私は、ベンチに座っていた。
あのまま気を失って、朝までこうしていたらしい。
不自然な姿勢で長時間いたせいか、体が痛い。
のびをしようとする…が、体が動かない。
自分の体なのに、まったく自分の意志が通じない。
わたしは、自分の体の状態をスキャンした。
どうやら今わたしは…腕をベンチの背もたれにかけ、脚を組んでいる。

ドライブスルーにスピードを緩めて入ってくる一台のクルマが見えた。
そのクルマのフロントガラスに映ったのは、
ベンチに座った、ピエロの顔をした男。
白と黄色のしま模様の服。真っ赤な髪。真っ白な顔。真っ赤な唇。

なんということだ。
わたしは…「彼」になってしまった。

長きにわたってこのベンチという牢獄に捕らえれてきた「彼」は、
夕べ、私という後釜をみつけ…晴れて自由の身となったのだ。かわりに、
わたしを、このベンチに、身動きできない状態で残して。
傍らには、わたしのスマホが残されていた。
だが、それを手にとることは、もうわたしにはできない。

以来、わたしは、このベンチに座り続けている。
雨の日も。晴れた日も。
春も。夏も。秋も。そして冬も。
道行く人にこう、誘いかけ続けているのだ。

さあ、おいでよ。
一緒に写真を撮ろう。
一緒に写真を――



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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直川隆久 「帳尻 2022」


★2022年3月は直川隆久特集です

帳尻

ストーリー 直川隆久
 出演 清水理沙

 こと。
 という音がして、目の前に、豆の入った小皿が置かれた。
 炒った黒豆のようだ。 
 取材で初めて訪れた街のバー。
 70くらいのママが一人でやっている。
 カウンターにはわたし一人だ。
 中途半端な時間に大阪を出ることになって、
町についた頃にはほとんど店が開いてなかった。
とりあえずアルコールが入れられればいいやと開き直って、飛び込んだ店。
 タラモアデューがあることに喜んで、水割りを注文した。
 ママは、豆を置くと、氷を冷蔵庫から取り出した。
黒いセーターにつつまれた体の線はシャープで、
ショートボブの頭には白いものがまじっているが、生えるに任せる、
というその風情がさばさばした印象を与える。
 なかなかいい感じの店じゃないの?
 今回はB級グルメが取材目的だから少しずれるけど、
ここは覚えておいて損はないかもしれない。

 水割りを待ちながら、豆を噛む。
 あ。
 おいしい。
 なんというか、黒豆の香りが、いい姿勢で立ち上がってくる感じ。
 
「あの、このお豆、おいしいですね」
「あら、そうですか?よかった」
「ふつうのと違うんですか」
「わたしの知人がね、篠山の方で畑をやっていて。
農薬はむろん、肥料も使わない農法で育てた豆を、
時季になると送ってくれるんです」
「へえ」
「お口にあいましたか」
「すごく」

 うん。なかなかの「趣味のよさ」…
しかも、おしつけがましくなく、さらりと言うところが
また上級者という感じだ。
 と。
 と音がして、革製のコースターの上に水割のグラスが置かれる。
 お。
 黒の江戸切子のグラスだ。淡い水色と透明なガラスのパターンが楽しい。
 一口飲む。
 うん。少しだけ濃いめ。好みの感じだ。
 当たりだわ。
 
 と、メールの着信音が鳴った。
 見ると編集部からで、記事広告の修正案を大至急送れという。
タイアップ先のガス会社の担当者が明日から休暇なので、
今日中にOKを貰わないと、というのだ。
 わたしは、心の中で盛大な舌打ちをして、鞄からパソコンを取り出した。
「すみません」とママに一礼してから、急いでワードのファイルと格闘をする。
アルコールが頭に回りきる前でよかった。
 30分ほども使ってしまっただろうか。ようやく形が整ったので、
メールに添付する。
メール本文には「お疲れ様です」の一言を入れず、要件だけ。
あなたに気遣いしている余裕はこちとらありませんよ。
という無言のアピール。
 送信ボタンを押したとき、ママの声が聞こえた。
「氷が融けちゃいましたよ」
 あ、と気づき、すみませんと言いながらグラスに手を伸ばしたその瞬間。
 ママの手がすっとわたしの視界に入ったかと思うと、グラスを取り上げ、
そのまま流しにじゃっと中身をあけてしまった。
 え、ええっ?
 わたしが目を丸くしていると、ママはグラスを洗いながら早口に言う。
「ごめんなさいね。でも、氷で薄まった水割りって、まずいから…」
 いや、そうかもしれないんですが…あの、怒ってません?怒ってますよね。
「つくりなおしますからね」
「あ、いや、でも」
「いいの、サービス」

 そうか。たしかに、サービスなら、いいのかもしれない。
 ん?いい…のか?
 わたしは妙な気分だった。怒ったほうがいいのか、喜んだほうがいいのか。
 これは、人によって反応が違うだろうなと思った。
勝手にグラスの中身を捨てられて激怒する客もいれば、
新しい酒がただで飲めて嬉しいという人もいるだろう。
 確かなことは、わたしが水割を放置したことを、
彼女は「失礼」だと思っている。
 それは確かだ。
でも、そこまでしなくてもいいのではと思っているわたしがいる。

 と、ふと、いつも考えていたこととつながった気がした。
 (わたし含めて)小さい人間は、いつも心の中で「期待」と「見返り」の
帳尻を合わせながら生きている。と思う。
 おはよう、という。これは、相手があとで「おはよう」という返事を
返してくれることを期待している。
で、実際に相手から「おはよう」と返ってくる。
気分がいい。なぜなら、帳尻があうからだ。 
 逆に、ラインでメッセージをだしても、返事がないようなとき。
これは、期待にみあった見返りがない。帳尻があわない。だから怒る。 
 この帳尻合わせを、頻繁にしないと気がすまない人と、
わりと長いスパンの最後の最後に合っていればいいや、という人がいる。
この時間感覚はみんなバラバラで、
かつ、各々が自分の感覚をスタンダードだと思っている。
人間どうしの齟齬とか行き違いって、
ほとんどこれが原因で起こっているんじゃないかと思うくらいだ。
(ついでに言うと、この帳尻をあまり頻繁に考えない人のほうが、幸せそうだ。)

 脇道が長くなったけど…要するに、このママは帳尻合わせをものすごく
頻繁にしないと気がすまないタイプなのでは、と思ったのだった。
 ケチなわけではない。
 相手への投げかけは、ちゃんとした品質のものを差し出す。手はぬかない。
そこには「これだけの投げかけにはきちんと反応してよ」という高い期待も
込みだ。
 だから、というべきか。その期待が裏切られたかどうかという判断も、
すごく早い。
 ある、理想の店主、という役を演じたからには、客も理想の客であって当然だ。
と考えるタイプの人なのだろう。でも、わたしはそうでなかった。
だから、見切りをつけ、グラスの中身を捨てたのだ。
「恩知らず」と言わんばかりに。
 
 と。
 と音がして、目の前に次のグラスが置かれた。
 これを飲んで帰るべきか。
 それともグラスには口をつけないまま席を立ち、
ママに「貸し」をつくるべきか。
 わたしは、しばし答えを出しあぐねた。
 ママが、カウンターにこぼれた豆の粉を布巾で拭くのが見える。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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直川隆久 2021年2月28日「なでしこの星」

なでしこの星

       ストーリー 直川隆久
          出演 大川泰樹

西暦2139年。
堀内海斗(116歳)は、死の床にあった。
おおむねよい人生だったと思う。
若い頃には、まさか自分が人類最後の男性になろうとは夢にも思わなかった。
はじまりは2022年だった。
健全な卵子にもかかわらず受精をしない――
あたかも卵子が精子を拒絶するかのようにふるまう――
という不妊症例が、ぽつりぽつりと学会で報告されるようになったが、
学会後の懇親会のメニューほどには参加者の興味をひかなかった。
爆発は2023年だった。
全世界的に不妊患者が激増し、各国の出生率は目に見えて落ち込んだ。
何万という医師、研究者が原因究明にあたったが、
手掛かりすら一向につかめない。
2026年。
WHOは、今年、地球上には一人の赤ん坊も誕生しなかった。と発表した。
そして、調査がおよぶ範囲を見る限り、妊娠をしている女性は
現在地球上に存在しない。とも。
そして、その後ほぼ10年にわたってWHOは同じ発表を繰り返すことになった。
人々は、観念した。
それからの世の中の混乱ぶりは、大変なものであった。
希望を託する、といえば聞こえはいいが、
要はもろもろのツケをおしつけられる「次世代」がいなくなってしまったのだ。
絶望が世界を覆った。
その後20年ほどをかけて全人類の数はおよそ3分の2になった
小学校時代、堀内海斗が6年生のとき、5年生のクラスは15人。
4年生は4人。3年生から下はゼロであった。
大学生になっても、社会人になっても状況はかわらない。
ヒトという種の緩慢なる絶滅、
という物語を「用事をいいつけられる後輩がいつまでたっても現れない事態」として
海斗は認識した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
意外なことに、世界の状況は人口の減少とともに好転していった。
まず、消費が減ったことで、地下資源の枯渇、熱帯雨林の減少に歯止めがかかった。
縮小した経済活動は、CO2の排出も少なくした。
なにより、世界を覆ったある種の「あきらめ」のせいか、
過度な競争や抗争がだんだんと「バカらしい」ものと認識されるようになった。
ようやくにして「人類の進歩と調和」が訪れはじめたのであった。
2061年、第2の転換が起こる。
中央アフリカに住むある女性の妊娠のニュースが世界を駆け巡ったのだ。
奇妙なことにその女性は自分に男性経験はないと主張した。
「処女懐胎!か?」の文字がゴシップ紙の見出しを華々しく飾った。
2062年、36年ぶりに人類に子供が生まれた。
女の子であった。
世界が注目する中、女の子のDNA解析がなされ、不可思議な事実が発見された。
この女の子のもつ遺伝子は、すべて母親由来だったのである。
何度検証を重ねても結果は同じであった。
科学者はこう結論した――
この子は、母親由来の卵子が二つ結合して発生した個体としか考えられない。
月に一個排出されるはずの卵子が2個となり、その卵子が結合して、
一個の卵(らん)となる。
卵子の性染色体はXであるので、結合した卵もXX、すなわち女となる。
ヒトという種が単性生殖の生物へと変貌をとげたこの年は、
「人類再生の年」として記憶されることになった。
その後も世界の「男」達は歳をとり続け、徐々に数を減らしていった。
堀内海斗は、友人たちが老衰で一人、二人と死にゆくのを眺めながら、
思いのほか長生きをした。
気がつけば、自分が人類最後の男になっていたのである。
なぜ自分が?堀内海斗には、わからなかった。
なぜあんな男が?堀内海斗以外の人間にもわからなかった。
世間から注目されるという経験を、堀内海斗は100歳を間近に初めて経験した。
だがあまり弁もたたず、性格もどちらかといえば暗い堀内海斗はテレビ受けせず、
取材陣もじきに彼のもとを訪れなくなった。
生存する男が残り2人になった時、片方はフランス人の元俳優で、ハンサムであった。
世間は明らかにそのフランス人に“人類最後の男”になってもらいたげであった。
21世紀初頭からの人類の変化についての科学者の見解は
「“オスという生殖ツールの切り捨て”であった」という解釈で一致している。
戦争や競争といった環境負荷の高い行為を嗜癖するオス。
それを「掃除」することが、遺伝子レベルで決定されたのだと。
現に、女だけの世界は、すこぶる平和であった。
なんだ、男なんて結局いらなかったじゃん。
という気分が世に広がった。
2137年。
特別療養施設で命をつなぎながら堀内海斗は、
件のフランス男の訃報を複雑な思いで聞いた。
看護師の控室に広がる落胆がベッドの上からも感じとれた。
世間は堀内海斗を忘れ、堀内海斗も様々なことを忘却しはじめていた。
2139年の夏。
看護師がエアコンの設定温度を低くしすぎたために、
風邪をこじらせた堀内海斗は、肺炎にかかった。
延命措置はとられたが、彼の体力では耐えられそうにない。
乏しくなった記憶をつなぎ合わせた上で「おおむねよい人生だった」と
堀内海斗はあらためて結論した。まがりなりにも、人類最後の男だ。
世界中の「女」が、堀内海斗の死を知るだろう。
天国へと旅立つときに見える花畑はたぶん、なでしこでいっぱいだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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直川隆久 2021年2月21日「レインボーマン」

レインボーマン

          ストーリー 直川隆久
             出演 地曳豪

バイト先の居酒屋が閉店することになり、
従業員同士でお別れ会が開かれることになった。
チェーンのほかの店舗に移るメンバーもいたが、
だいたいの人間は明日からまたバイト先探しを始めなければならない。
そんなどんよりした会が一時間ほど進んだ頃だ。
最後の責任を果たすつもりか、チーフのカミヨシが
「よし、こうなったら、みんなで一発芸でしょ」と
余計な音頭をとった。
半沢直樹ネタとあまちゃんネタで
たいがいのメンバーがお茶をにごしたあと、
順番がタシロに回って来た。

タシロ。
バイト仲間でもいちばん、「体が動かない」と評判のタシロ。
しまった、タシロがいること忘れて出し物披露なんて始めてしまった、
と周囲に罪悪感をいだかせるほどのタシロ。
ホールを2時間でクビになり、
その後半年はひたすら皿を洗っていたタシロ。
会場の舞台にひきずりだされたタシロは、
聞きとりにくい声で、
手品をします。
と言った。
《え?あいつ、手品って言った?》
《タシロが?》
無言の声が一斉に上がる。
そんな周囲の不安をよそに、タシロが右の手のひらを前につきだし、
次にそれをぐっとにぎりしめた。
そして、ぱっとひらくと…
手のひらの上に、緑や赤の光が見える。
…虹?
え?なに?
なにやってんの?
皆がざわつく。
いや、あの、手の上の虹、という手品でして。
とタシロが申し訳なさそうに言う。
ちょっとライトが強いと見にくいんですが。
きょとんとした周囲の反応も意に介さずという感じで、
タシロは席にもどった。
さっきのざわめきはたぶん、
タシロがバイトを始めてから周囲に起こした波風の中で
一番大きかったと思う。
だけど、体育会系のバイトメンバーが
自分のブリーフを引き裂くという芸をやりはじめた瞬間、
もう誰もタシロのしたことを覚えていなかった。

帰る人間がちらほら出ると、
歯抜けになった会場はいくつかのグループに集まっていった。
タシロは、一人ぽつんとアイスクリームか何かを食べている。
わたしは、思い切って近づいてみた。
あの、さっきの虹なんだけど。
と声をかけると、タシロは、あ?という顔でわたしを見る。
あれ、もいっぺん見せてくれない?
タシロは、特にもったいをつけるでもなく、
手のひらをにぎり、ひらいた。
確かに、手のひらの上に、小さい虹がかかっている。
これ、どうやってんの?
わかんない。
わかんない?
わかんないんだ。
わかんないことないでしょ、手品なんだったら。
いや、手品じゃないんだ。
タシロがいうのには、この虹は本物で、
小学校くらいから「でる」ようになったそうだ。
でも、どういう仕組みなのかは本人にもわからないらしい。
ただ、緊張するとでやすいらしい。汗が関係してるんだろうか。

なんで手品なんて嘘つくの。
いや、どうせ、信じてもらえないし。説明すんの面倒だし。
人に見せるの久しぶりなの?
うん。まあ、こういう日だから。
みんなにも見る権利あるかなって。
タシロとしては「見せてやった」という意識だったらしい。少し驚く。
ねえ、その虹、さわるとどうなんの?
触ってみたら、とタシロは言って、
もう一度手のひらを握って、開いた。
また、虹。
その上に手をおいてみた。
虹は消えた。
かわりに、タシロのじっとりした手の平の感触がぶつかってきた。
思わず手をひっこめてしまう。
ひっこめながら、やばい、と思った。
さすがに、ちょっと悪いことした気がして、
ごめん、と言いかけてタシロの方を見る。
わたしをじっと見て、タシロは一言言った。
なんでもないよ。別に。
タシロは、それ以上なにも言わず、
会費の2500円をテーブルに置くと、
立ち上がり、そのまま出て行った。
わたし以外、誰もタシロが出て行ったことに気づかなかった。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

 

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直川隆久 2021年2月14日「毛の生えた鍵」

毛のはえた鍵

     ストーリー 直川隆久
        出演 清水理沙

毛のはえた鍵を、拾った。
まさか、表参道で毛のはえた鍵を拾うとは思っていなかった。
拾いたいわけではなかったけど、
目があってしまったのだ。
手の中でそれはほのかなぬくみをもっていて
びち、びち、と動く。
気持ち悪いので捨てようとしたが、
鍵は、同じように毛のはえた錠前のところまで持っていけと、強く迫り、
ぎち、ぎち、と神経にさわる高い音をだす。
錠前?
道行く人にきいてみる。
「もしもし、毛の生えた錠前がどこにあるか知りませんか?」
「あなたのご質問はもっともです。
あなたはこう言いたいのでしょう――錠前はどこだ!」
「悪質な冗談はやめてください」
らちがあかないので、近くのカフェに入ってみる。
でも、毛のはえた鍵を持っている客なんて、ほかに誰もいない。
恥ずかしい。
いたたまれなくなって店を出る。
やっぱり鍵を捨てようと思って、
コンビニの前のゴミ箱に、そっと捨てようとしたら、
ランチパックと缶コーヒーを手にレジに並んでいる警官に
ぎろりと睨まれた。
この先ずっとこんなものを持って歩かないといけないのだろうか?
市役所に相談しようか。
おお、そうだ。
市役所のロビーで案内板を見ていると、中年女性に声をかけられた。
「あなた、その鍵にあう錠前さがしてるんでしょ?」
「え、はい」
「ここにあるよ」
中年女性が、ハンドバッグから毛のはえた錠前を取り出した。
鍵を、錠前にはめてみると、
あまり、きちんとはまらない。
鍵が、ぎち、ぎち、と不服そうな音をたてる。
中年女性は「ぜいたく言うんじゃない」と言いながら、
むりやりその鍵を錠前にねじ込み、わたしのほうを見てにこりと笑った。
「月水金しか持ち歩いていないからね。あんた、ついているよ」
「じゃあ、これ、お渡ししちゃっても大丈夫ですか」
「いいけど、ただというわけにはいかないねえ」
わたしは、なけなしの2万円をとられた。
しかし、この先、毛のはえた鍵を連れて生きていかなければならない
面倒さに比べれば、2万円なら安いものだ。
わたしは、せいせいして大通りに出、
喫茶店に入った。
カフェオレを注文して、汗もかいたのですこしメイクをなおそうと
トイレに向かう。
すると、ハンドバッグの中から、
ざりっ。ざりっ。
と、たくさんのねじをかきまわすような音がする。
不審に思ってバッグを開けると――
内側にびっしりと米粒ほどの大きさの毛のはえた鍵が
張り付いているのが見えた。
驚いて落としたバッグがタイルの床にぶつかると、
その鍵たちが一斉にぎちぎちぎちぎちと不平の声をあげはじめた。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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