直川隆久 2012年12月16日

暗い鮨屋 

       ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

黄昏時。営業先のとある町で、迷子になってみた。
おれは、初めての町に行くと、適当に見つけた細い路地に入りこんで、
ささやかな迷子気分を味わうことが好きだ。
ことに、日のあたらないせまい道をうろつくと、
心細いような怖いような、妙な快感がある。
このあたりは明治のころからの下町エリアらしく、
木造の長屋や、場所によってはポンプ式の井戸なども
残っていたりするのが嬉しい。
と、うす暗い路地のどんつきの家に、真新しいのれんがかかっている。
こんなところに店が、と意外に思ってよく見ると

闇すし 日没より営業
   
とある。
…「闇すし」――鮨屋?
奇をてらったとしか思えない屋号だ。しかし、個性的ではある。
興味をひかれ、戸を開けてみる。
中は真っ暗だ。開店前か。
酢飯と、生魚のにおいが鼻をくすぐる。
たまらん。歩き詰めだったから、腹が減っている。
「いらっしゃい。どうぞ」と店の奥から快活な声がした。よく見えない。
「まだ開けてらっしゃらないんじゃ――」
「開けてますよ。どうぞ」
うながされるままにおれは店に入った。
ぴしゃり、と背後で戸がしまり、ほんとうに真っ暗になる。
狼狽するおれの方へ、奥から再び声が投げられてきた。
「ああ。初めての方ですね。…
うちはこうやって真っ暗な中で召し上がっていただくんです」
ええ?いくらなんでもそれは…
こんな真っ暗な中で鮨なんぞ食えるものか。
「どうぞ、こみあっておそれいりますが。こちらに一席ございます」
 …先客がいるのか?
 たしかに、耳をそばだてると、
すしを咀嚼する音がカウンターらしき場所から聞こえてくる。
この店、意外にはやっているのか。

ほかに客がいるとなると、やや安心した。
何事も話の種だ。
店主と一対一でなければ、そう気まずくなることもあるまい。
そう思っておれはカウンター席、であるらしいその椅子に腰をおろした。
店主や隣の客の顔はおろか、自分の指先すら、全く見えない。
「おまかせでよろしいですか」と主人らしき声が訊く。
たしかにこう真っ暗ではネタケースも見えない。それで、と返事をする。
「どうぞ」と店主がおれの目の前に鮨を置いた気配がした。
「なんですか」と訊くと店主は「食べればわかります」と答えた。
おれは手探りでその鮨をつかむ。
ほどよくしめった感触が指につたわり、
持ちあげると、ネタが自分の重みで少したわむのが感じられた。
正体不明のものを口に運ぶのには多少勇気がいったが、
ままよとばかりに放り込む。
ひと噛みしても、わからない。
じっくりと神経を集中させて噛みしめ、香りを鼻にぬいて点検してみると、
どうやらヒラメらしいと思われた。かつ、相当にうまい。
これはたしかにスリリングだ。
ひとつ、またひとつとおっかなびっくりで口に運ぶ。
二つ目はアジ、らしかった。三つ目は、おそらく、カンパチだった。
どれも、たいへんにうまい。ちょっとこの店をなめていたようだ。
それとも、暗闇で食べるという体験が感覚を覚醒させているのだろうか。

そういえば、同様の趣向のレストランが東京にあるときいたことがある。
真っ暗な中で食べると、視覚が遮断されるぶん、より味覚が鋭敏になるという。
なるほど、これは場所ににあわず、
最先端のカルチャーを提供する店かもしれない。
と思うと気持ちも乗ってきた。
 調子にのったおれは、店主がだす鮨を次から次へと口に放り込んだ。
 
最初のうちは、この鮨ネタは何かと見当をつけることを
ゲームとして楽しんでいたが、だんだんそれがどうでもいいことに思えてきた。
生の魚の肌が舌に乗る感触、脂の味、香り…そのことだけに集中し、
そのことだけを堪能するほうが、気持ちよくなってきたのだ。
ひどくうまい。何個でも食べられる。
隣の客達も、ひとことも喋らない。みんな、鮨の味に集中しているのだ。

そしてしばらくすると、不思議な感覚がうまれてきた。
手足が目に見えない状態が続いたせいだろうか、
そもそも自分に手足があるのかどうかが、あやふやになってきた。
足って…どこにあるんだっけ?そう思って足を動かすと、
そこに足がある感覚は生じる。
しかし、動かすのをやめれば、自分の体がどこまでか、またよくわからなくなる。
わからないわけはないだろう、とおれも最初は思った。
だが、そう…たとえるなら、あなたは、自分の二の腕の裏側が
「存在している」ということを、見ることもさわることもせずして、
確認できるだろうか?
そんなあやふやな感じが、だんだんとおれの全身にひろがってきたのだ。
いや、全身、ということすら…よくわからなくなってきた。
この暗闇の中で、どこまでがおれの全身なのか、
その輪郭がもはや判然としないのだ。
おれがすしを食べているのか、暗闇がすしを食べているのか。
わからなくなってくる。

わからなく…なってくる。
暗闇に溶け込んでいく。
この感覚は嫌いじゃない――怖いような、でも、なにか甘美な快感だ。
そうだ、こんな感覚を味わいたくて、
おれはいままで、暗い路地をうろうろとしていたんだ。

そしておれは気づいたのだ。
闇に溶け出しているのはおれだけじゃない。
ほかの客たちもそうなのだと。
なぜわかったかといえば、鮨をほおばる隣の客の悦びを、
おれがダイレクトに感じ取れたからだ。
おれが鮨をほおばれば、その悦びがほかの客に伝わり、
それがまたおれにも伝わってくる。

「おれたちは、ひとつになっている」

なんという快感。愉悦。
とめどなく――おれは暗闇に流れ出していく。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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直川隆久さんの芝居がはじまる

直川隆久さんはコピーライターでありプランナーですが
同時に「満員劇場御礼座」という劇団の役者でもあります。
さらにいえば、そこで上演される芝居の作者でもあります。
座員25名は全員がは忙しい会社員なのですが
年一回のペースで公演を行っているのが凄いなあと、
滅多にやらないライブにぜ〜ぜ〜いってる私は思います。

さて、その満員劇場御礼座の東京公演が近づいています。
12月6日(木)から9日(日)まで、場所は中目黒のウッディシアター
お時間ありましたら、ぜひ。

詳細はこちら:http://www.mangeki.com/performance2012_mayutsuba/

そうそう、直川隆久さんの芸名は堂島サバ吉です(なかやま)

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直川隆久 2012年11月18日

記念日未遂

       ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

ええ。
その通りです。坂東蟹蔵は、昨日の午後の患者です。
はい。
開業場所ですか?
は…広尾ですね。マンションの一室です。
まあ、電話帳にもだしていませんので、ご存知の方は少ないでしょう。
うちの場合、普通の歯科医とは、患者の層が、多少違いますのでね。

「あれ?あのタレント、急に歯並びがよくなったな」と
思った経験おありじゃありませんかね。
え?ああ、そうそう、あのアイドル歌手の方ね。私の患者です
歯並びというやつは、まあ健康的にやるなら矯正治療がよいわけですが、
時間もかかるし、ブリッジというやつが目立つ。
顔が商売道具の人にはむきません。
大体は、手っとり早く抜歯して、差し歯の処置をします。
もっとドラスティックにやる場合は顎の骨を切って貼り直すか。
この場合は外科手術が必要になりますが、私は口腔外科も扱いますのでね。
要するに、すばやく治療ができ、秘密も守れる歯科医のニーズが、
一定の層の方々にはあるわけです。
まああれだけあからさまに治しておきながら
秘密も何もないという話もありますが。ふっは。

同業の仲間にはね、この仕事を“金のため”と割り切っている者も多いけれども、
私は違います。歯そのものに、ひどくひかれるんですな。
興奮するといってもいい。
はっきりいって、気持ち悪いですな。口の中の眺めというのは。
ためしにぐっとこう歯をむいて写真をとり、
その目を隠して口元だけ見てごらんなさい。
生々しくケダモノと言う感じがして、実にあさましい。
そこが、まあ…好きなのですね。
歯列というのは、一般には整然と並んでいるものが美しいとされるわけですが、
長年この仕事をしていますとね、ただ「きれい」なだけの歯というのには、
興味がもてません。意外性がない。
むしろ、乱調のものがいい。乱杭の、犬歯と前が完全に重なって
表から見えない歯が裏に隠れているようなのは、
隠匿、という文字が浮かんで、ことに好きです。
――ま、私はやや特殊なほうかもしれませんが。
だから、治ってしまうと、やや残念です。
…とはいえ、私は、腕はわりにあるほうでしてね。
そのおかげでまあ30年、この道でやってこれました。
ふっは。

口コミというやつで、私のところにはいろいろ著名な方が治療にこられます。
そういう患者さんを長年扱っておりますと、だんだん貯まってくるんですな。
なにが?
歯ですよ。歯。処置するために抜いた歯です。
海外でも評価の高い映画監督の第一小臼歯、
売り出し中のグラビアアイドルの第二大臼歯、人気漫才師の前歯。
といった具合に。
記念に持って帰りたいという人にはもちろん、さしあげますがね。
そうでなければ、こちらで持っておくのです。
 
で、思いついたのです。
これで、人間の歯並びをひと揃え作ってみたら面白いんじゃないかと。
ぜんぶ、違う人間の歯でね。
むろん、簡単ではない。
ワンセット歯並びを完成させようと思えば32本の歯が必要です。
だがもし完成すれば、ひとつの口の中に、32人分の有名人の歯がならんでいる。
もちろん、歯の大きさはバラバラですから、きれいな歯列じゃない。
虫食いで汚らしい歯もある。でも、そのがたがたの、ぐしゃぐしゃが、
なんというか、一種おぞましくて、ああいう一見華やかだけれどその実は…
という世界の縮図として、悪くないんじゃないかとね。
 
それを思い立って、全体の8合目あたりまで来るのに、
まあ、10年がところかかりました。
そうそう旨い具合に欲しいポジションの歯はそろわないのです。
特に上の犬歯は頑丈な歯で、そうそう悪くならないので抜きに来る人も少ない。
交通事故を起こしたロックミュージシャンの手術をしたときに、
初めて手に入りました。
そして、残るのは左側の上の親知らずだけになったのですが、
ここからが長かった。3年待ちました。
何度か親知らずの抜歯の患者はきていたのですが、
みんな歯を持ち帰りたがりましてね、手元に残らなかった。
で、ついにきた。それが坂東蟹蔵だったのです。
ひどく親知らずが痛むので、なんとかしてほしいという話でした。
ところが患者が来てみると…
あにはからんや…左側ではなくて、右側だったのです。
これにはがっかりしました。期待が大きかっただけに…
いや、ご存知のとおり、この歌舞伎役者、
若気のいたりで悪さをいろいろとしておりましたからね。
「親知らず」とはなかなかシャレがきいている、
ぜひ欲しいと思っていたのです。
手に入る、と思っていたものがそうならなかった場合、
落胆はより激しいものです。
レントゲンを撮ってみると、右上の親知らずの根っこが、
上顎洞という頭蓋骨の中の空洞につき出て、その内部が化膿しているという状態で、
全身麻酔の手術が必要な状態でした。
で、蟹蔵氏をベッドで寝かし、手術を開始しました。
右側の治療…歯肉と顔の肉の接合部分を切開したのち、
顔の肉をめくりあげまして、そこから頭蓋骨に穴をあけ、
上顎洞の中をがりがりと掃除…ああ、説明はよろしいですか。
ともかく。こちらの治療はつつがなく終えました。
で、そこで終わればよかったのですが…
まあ、やはり、どうしても欲しくなってしまったのですな。
左上の親知らず。
蟹蔵氏は寝ています。

蟹蔵氏の親知らずは、ほぼ真横に生えていましてね。ペンチでは抜けそうもない。
私は、ドリルを手にとってしまっていました。
ふだんなら、そういうヘマはやらないんですが、
嬉しさのあまり焦っていたんでしょうな。
つい、顎の骨が断裂するほどドリルをあててしまった。
が、さいわい、親知らずは、無傷で取り出せました。
で、まあ、彼が目がさめてからえらく問題になりまして――
このように警察の方がいらっしゃっていると…まあそういうわけです。
 
いやあ、あの歯が滞りなく手に入ったら、いい記念日になっていたのですが。
ふっは。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

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直川隆久 2012年10月7日

風のないグラウンドは

 
         ストーリー 直川隆久
            出演 地曵豪

 風のないグラウンドは、ちょうどあの日みたいに暑い。
 暑すぎる。10月だというのに。
西陽が、じりじりと頬を焼く。
 フェンス脇にはえたセイタカアワダチソウの花が、黄色く光っている。
ほんとに、ちょうどあの日みたいだ。
このグラウンドに来るのは、何年ぶりだろう。15年…20年?
ずっと、来るのが怖かった。
 
彼女が遠い町に転校していくというしらせを、僕は教室できいた。
 担任の佐山先生は、おとうさんのお仕事の関係だそうです、とだけ言った。
 違う。
彼女の転校は、僕のせいだった。
僕のせいなのだ。

あの日、僕の足元にあの石さえなかったら――
そんな身勝手な後悔をどれだけ繰り返したことだろう。
彼女の連絡先を探そうとしたこともあったが、むなしい望みだった。

わたしの左目をつぶしたのは、あいつです。
いつ彼女が周囲にそう告げるか。僕はおびえ続けた。
小学校を卒業し、中学、高校と進んでも、恐怖は薄れなかった。
でも。
僕を捕まえに来る大人はいなかった。

大学受験を期に僕は町を出、それ以来、戻ることはなかった。

 大学を卒業し、就職し、家族もできた。
 変哲もない人生だが、平凡な幸せを味わってもきた。
 
だが――いや、それだからこそ、
罪悪感は治らない傷口から浸みだす体液のように僕を濡らし続けた。
 そして――

僕はたえられなくなった。
出張だ、と妻に嘘をつき、両親もとうに家を引き払い、
親類縁者とてないこの町へむかう列車に乗り込んでしまったのだ。

 暑い。
 風がないグラウンドは、ほんとうに暑い。
あの日のままだ。
 
僕は考える。
いっそ、彼女が僕を断罪してくれたら、どれだけ楽だったろう。
 なぜそうしなかった?
なぜ、誰にも言わなかった?

ふと、ある考えが浮かぶ。
咎めも、しかし赦しもしないことで、
僕をあの日に宙吊りにし続けること。
このグラウンドにしばりつけること。
それこそが彼女の意図だったのではないかと――

そのとき。びゅ、と風がふいた気がした。

ああ…それにしても、あつい。
 はやくかえってつめたいむぎ茶がのみたい。
 
きょうは、宇宙刑事ギャバンの再放送があるから、
それまでにはかえりたいんだ。

 グランドでまってる、なんて手紙を、
 まつながゆきはそうじの時間にぼくに手わたした。
 いやなんだ。まつなががそういうことしてくるの。
そういうの、クラスのみんなに見られると、すごくひやかされるし。
 すぐいっしょにかえろうとかいうし。

 ああ、なんかへんなかんじだな。
 ずっとまえにもこのけしきをみたことがあるような気がする。
 そういうことってよくあるのよ。ってかあさんが言ってた。
 なんていうんだっけ…

あ、やっぱり。
まつながが立ってる。

 きょう、もしなんか言ってきたら、きもいんだよ、って
 石でもなげておどかしてやろう。
 あたらないようになげるさ。コントロールにはじしんがある。
 
 「きてくれたんだね」
 
 うれしそうなこえがした。
 むこうをむいて立ってたのに、ぼくにきづいたみたいだ。
 まつながが、いま、こっちをふりむく――

(終)

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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直川隆久 2012年9月23日

なでしこの星

       ストーリー 直川隆久
          出演  長野里美

西暦2139年。
堀内海斗(116歳)は、死の床にあった。
おおむねよい人生だったと思う。
若い頃には、まさか自分が人類最後の男性になろうとは夢にも思わなかった。

はじまりは2022年だった。
健全な卵子にもかかわらず受精をしない――
あたかも卵子が精子を拒絶するかのようにふるまう――
という不妊症例が、ぽつりぽつりと学会で報告されるようになったが、
学会後の懇親会のメニューほどには参加者の興味をひかなかった。

爆発は2023年だった。
全世界的に不妊患者が激増し、各国の出生率は目に見えて落ち込んだ。
何万という医師、研究者が原因究明にあたったが、
手掛かりすら一向につかめない。

2026年。
WHOは、今年、地球上には一人の赤ん坊も誕生しなかった。と発表した。
そして、調査がおよぶ範囲を見る限り、妊娠をしている女性は
現在地球上に存在しない。とも。

そして、その後ほぼ10年にわたってWHOは同じ発表を繰り返すことになった。
人々は、観念した。

それからの世の中の混乱ぶりは、大変なものであった。
希望を託する、といえば聞こえはいいが、
要はもろもろのツケをおしつけられる「次世代」がいなくなってしまったのだ。
絶望が世界を覆った。

その後20年ほどをかけて全人類の数はおよそ3分の2になった

小学校時代、堀内海斗が6年生のとき、5年生のクラスは15人。
4年生は4人。3年生から下はゼロであった。
大学生になっても、社会人になっても状況はかわらない。

ヒトという種の緩慢なる絶滅、
という物語を「用事をいいつけられる後輩がいつまでたっても現れない事態」として
海斗は認識した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

意外なことに、世界の状況は人口の減少とともに好転していった。
まず、消費が減ったことで、地下資源の枯渇、熱帯雨林の減少に歯止めがかかった。
縮小した経済活動は、CO2の排出も少なくした。
なにより、世界を覆ったある種の「あきらめ」のせいか、
過度な競争や抗争がだんだんと「バカらしい」ものと認識されるようになった。
ようやくにして「人類の進歩と調和」が訪れはじめたのであった。

2061年、第2の転換が起こる。
中央アフリカに住むある女性の妊娠のニュースが世界を駆け巡ったのだ。
奇妙なことにその女性は自分に男性経験はないと主張した。
「処女懐胎!か?」の文字がゴシップ紙の見出しを華々しく飾った。

2062年、36年ぶりに人類に子供が生まれた。
女の子であった。
世界が注目する中、女の子のDNA解析がなされ、不可思議な事実が発見された。

この女の子のもつ遺伝子は、すべて母親由来だったのである。
何度検証を重ねても結果は同じであった。
科学者はこう結論した――
この子は、母親由来の卵子が二つ結合して発生した個体としか考えられない。

月に一個排出されるはずの卵子が2個となり、その卵子が結合して、
一個の卵(らん)となる。
卵子の性染色体はXであるので、結合した卵もXX、すなわち女となる。

ヒトという種が単性生殖の生物へと変貌をとげたこの年は、
「人類再生の年」として記憶されることになった。

その後も世界の「男」達は歳をとり続け、徐々に数を減らしていった。
堀内海斗は、友人たちが老衰で一人、二人と死にゆくのを眺めながら、
思いのほか長生きをした。
気がつけば、自分が人類最後の男になっていたのである。

なぜ自分が?堀内海斗には、わからなかった。
なぜあんな男が?堀内海斗以外の人間にもわからなかった。

世間から注目されるという経験を、堀内海斗は100歳を間近に初めて経験した。
だがあまり弁もたたず、性格もどちらかといえば暗い堀内海斗はテレビ受けせず、
取材陣もじきに彼のもとを訪れなくなった。

生存する男が残り2人になった時、片方はフランス人の元俳優で、ハンサムであった。世間は明らかにそのフランス人に“人類最後の男”になってもらいたげであった。

21世紀初頭からの人類の変化についての科学者の見解は
「“オスという生殖ツールの切り捨て”であった」という解釈で一致している。
戦争や競争といった環境負荷の高い行為を嗜癖するオス。
それを「掃除」することが、遺伝子レベルで決定されたのだと。

現に、女だけの世界は、すこぶる平和であった。
なんだ、男なんて結局いらなかったじゃん。
という気分が世に広がった。

2137年。
特別療養施設で命をつなぎながら堀内海斗は、
件のフランス男の訃報を複雑な思いで聞いた。
看護師の控室に広がる落胆がベッドの上からも感じとれた。

世間は堀内海斗を忘れ、堀内海斗も様々なことを忘却しはじめていた。

2139年の夏。
看護師がエアコンの設定温度を低くしすぎたために、
風邪をこじらせた堀内海斗は、肺炎にかかった。
延命措置はとられたが、彼の体力では耐えられそうにない。

乏しくなった記憶をつなぎ合わせた上で「おおむねよい人生だった」と
堀内海斗はあらためて結論した。まがりなりにも、人類最後の男だ。
世界中の「女」が、堀内海斗の死を知るだろう。

天国へと旅立つときに見える花畑はたぶん、なでしこでいっぱいだ。

出演者情報:長野里美 株式会社 融合事務所所属:http://www.yougooffice.com/ 


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直川隆久 2012年8月26日

猫の恩返し

            ストーリー 直川隆久
               出演 清水理沙

「卒業制作、すすんでますか」
中央食堂前のベンチでコーヒーを飲みながらぼんやりしていると、
見知らぬおやじが話しかけてきた。
いまどきベレー帽にマフラー。油絵科の教授か?にしては、服がぼろい。
いいかげんな返事をしていると、わたしの隣に腰掛けてきた。
「見覚えありませんか」
おやじが帽子をぬぐと、頭に大きなやけどのあと。
そこだけ髪の毛が生えていない。
「…ない。です。見覚え」
「若い頃、あなたに助けていただいたものです。
 ここの学生にいじめられているところを――」
そう言われて、あ、と思った。
3年ほど前、野良猫のひたいをタバコで焼いている映画学科の学生がいて、 
そいつらとものすごく喧嘩したおぼえがある。 
「現代版世界残酷物語を撮るんだ」とかわけのわからないことを言うバカ達だった。
「はい。その猫です」
ええー。なんだ、ずいぶんふけているな。
「すみませんね、猫は歳とるのがはやくて」
「いえ」
「長年このキャンパス内でうろうろさせてもらいましたが、
 残飯の味が悪くなったんで、河岸を変えようかと思いましてね。
 でもその前に一言あなたにお礼が言いたくて」
 
おどろきはしたが、感激はしなかった。
近頃、恋愛も卒業制作も行き詰っているせいで、
心の余裕がなくなってきたんだろうか。

「最後の機会ですから、何かお願いとか、ないですか」
「お願い?」
「ええ、お礼として…ひとつぐらいならなんとかなるかもしれません」
「今月の家賃とか、なんとかなりますか」
「…う~ん…」
猫おやじはかなり長いあいだ考えていたけれど
「…猫なもんで…」と言った。
「いや、まあ、そりゃそうですよね」
「すみません――ヌードモデルとかは不要ですか。デッサンの」
「特に…」
ああ、とおやじは肩を落とした。
「お役にたてること、なさそうですね」
「いいですよ。気つかわなくて」
「あ、そうだ。せめてちょっとした卒業制作のアドバイスをさしあげましょう」
「なんです」
「――あなたの指導担当の岡崎先生はね、4回生の清本さんとできていますからね。
 彼女とテーマがかぶらないほうがいいですよ。
 このあいだ、3号棟の実習室で二人が乳くりあってるのを窓から見てしまいました」
「へえ」
「かぶると、どうしても自分の女のほうをひいきしますから…なんて、
 すみませんね。こんなことしかもうしあげられなくて。さようなら」
「さよなら」
おやじは礼をして、歩き去った。
たしかに、猫背だった。

さて、わたしも恩返しをしなければならない――岡崎先生にだ。
清本と二股かけてくれてて、ありがとう。
これから、彫刻刀を研いで、岡崎の研究室に向かうことにする。
 

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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