直川隆久 2012年7月31日

奇 跡  

             ストーリー 直川隆久
                出演 大川泰樹

「おい。どうしてる。飲みに行かないか」
1年の時間を費やした作品が某新人賞選考に漏れ、
腐っていた俺を気遣ってか、
小林が電話をかけてきた。
「お前のおごりならな」
「誘ったんだから、そのつもりだよ」
小林とは大学の文芸サークル以来のつきあいだが、二人の人生は全く違う。
かたや、出す本がことごとく10万部を超え、才能、金、
そればかりか性格のよさまで持ち合わせた人気作家。
かたや、アルバイトと書き飛ばし仕事で糊口をしのぎながら、
小説家(という肩書き)への夢捨てきれず、
もがき書いては落選を繰り返す売文屋。
小林を前にすると嫉妬を初め様々な黒い感情が
脳内に浸み出してくるので、
断ろうとも思ったが、
作品執筆のためアルバイトをやめた反動で財布はからっぽ。
俺はひとまず小林を思いやりのある万札と考え、
黙ってついて行くことにした。

小林に連れられて来たのは銀座のバーだった。
もとより銀座は詳しくないが、この店は、
ある程度銀座に通った人間でも見逃しそうなせまい路地の奥、
そのまた地下にあった。
重い木のドアを開ける。
天井からぶらさがった骨董品めいたランプの光が、
タバコの煙でやわらかくにじんでいる。
カウンターの向こうにいたバーテンの男性は、
いらっしゃいませと言うかわりに軽く頭を下げた。
年は70くらいか。
だが、背筋はまっすぐにのび、整った白髪が美しい。
カウンターは年代もので、手ずれで渋い光沢を放っている。
メニューも、すべて手書き。紙が黄ばんでいるが、
それもまた味わい深い。
小林の野郎、さすがに、いい店で飲んでいやがる。
毎月どれぐらい印税が入るのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
注文したカクテルは、どれも憎たらしいまでにうまかった。
特にブラッディメアリーは、
今まで飲んだものの中では、ダントツだ。
この際、飲めるだけ飲んでやろう。
どうせおごりだ、とメニューをひっくり返して見ていると、
妙なものを見つけた。
リストの一番後ろのメニューが、黒く塗りつぶされている。
これはなんだと尋ねると、小林は、余計なものをみつけたな、
という顔をした。
俺がもう一度尋ねると、ちょっとあたりをうかがって、声をひそめた。
「それか。それは…いわくつきのカクテルでな。販売中止なんだ。
俺も飲んだことない」
「いわく?なんだ、そりゃ」
「いやあ」と小林はさらに声を潜め「このカクテルを、頼んだ人間は、みな…
まあ、妙な話なんだけど」
「なんだよ」
「大成功するらしいんだ」
「大成功?」
「そう。成功して、すごい金が転がりこんでくる。例外なしに」
「おいおい」俺の声は独りでに大きくなった。
「霊感商法の店か、ここは。勘弁しろよ」
「馬鹿。何言って――」
と、そこで小林の携帯が鳴った。
小林はすまんと手でゼスチャーしながら、表に出ていった。
編集者か、女か。どっちにしろ羨ましいことだ。

「そのカクテルですか」
と今まで無言だったバーテンダー氏が、急に声をかけてきた。
意外にしわがれた声をしている。
「ええ。俺の連れがいわくつきなんて事言ってましたが…ほんとですか」
バーテンダー氏は、やれやれといった顔で
「そうなのです。このカクテルを頼まれた方はどうしたものか、
 時を置かずして幸運に見舞われるのです。
 経営なさっている会社が急成長したり、
 長年下積みだった音楽家の方が大ヒットをだされたり…」
バーテンダー氏は、俺も知っている作曲家の名をあげた。
「じゃあ、縁起のいいカクテルじゃありませんか。
 名物にしてもいいのに、なんでやめちまったんですか」
「いえ、やめたわけではないんですが、妙にそれだけが評判になって
 物見高いお客様が増えても…。
 静かに召し上がりたい方のご迷惑になるといけませんので」
だが、無いと言われると、飲んでみたくなるのが人情だ。
俺は、少し食い下がってみた。
「いま、やめたわけではない、とおっしゃいましたね。
 ということは、ださないこともない、と」
「ええ。いや」とバーテンダー氏は目をそらした。気になる。
「どうすれば飲めるんです?」
そのとき、バーテンダー氏の目に今までとは違う光が宿った。
彼は俺にこう訊いた。
「何か、このカクテルが気になられる理由が…おありですか?」
腹の底まで見透かすような目だった。
だが、それと同時に、この人なら俺の気持ちをわかってくれそうな、
そんな優しい目でもあった。カクテルの酔いも手伝ってか、
俺はなんだか胸のもやもやを全部はきだしたい気分になってしまった。
安いギャラへの愚痴。同世代で成功しているやつへの嫉妬。
状況を変えられない自分へのいら立ち。等等等等。
初対面の人間によくそこまでという内容だが、
話しだすと感情が堰を切ったようにあふれ、止まらない。
バーテンダー氏は最後まで聞きおわったあと、
静かにうなずき、こう続けた。
「あなたは、どんな小説をお書きになりたいのです」

改めて問われると、一瞬言葉につまったが、それでも俺は、
酔った頭でなんとか弁舌をふるった。
「ぐ、具体的には、わかりません。
 それをずっと探しているともいえますが…
 うん、そう…なにか人間が、かぶっている、
 嘘っぱちの皮をひっぱがしたいというか…
 そういう作品が書きたい。そういう作品でゆ、有名になって
 …世の中を見返してやりたい、というような…」
俺が話し終わると、バーテンダー氏は
「このカクテルは、あなたのような方に、飲んでいただくべきだと思います」
と言った。
「え」
「ご自分の作品で、世の中を見返したい。と、そう心からお思いなら――」

バーテンダー氏は、メニューの、黒く塗りつぶされた所を指差した。
俺は、うなずいた。魅入られたように。
バーテンダー氏は、にこりと微笑んだ。

彼は、冷蔵庫からいくつかの瓶をとりだし、シェーカーを振るった。
カクテルグラスに注がれたそれは、
さっき飲んだブラッディメアリーよりもさらに深く濃い赤だった。
まるで本当の血でつくったような。
「そういえば、そのカクテル。…なんていう名前なんですか」
「ベリート」とバーテンダー氏はゆっくりと口にした。
そのあと、ヘブライ語で“契約”という意味だ、と続けたような気がする。
俺は、それを飲んだ。辛いような、甘いような、不可思議な味。
グラスの中身が空になるとバーテンダー氏が、
小さく、おめでとうございますと言った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

入り口のドアがばたんと開いたかと思うと小林が入ってきた。
「やあ。すまん。『新文芸』の編集者は、話が長くて…」と席についた小林は、
イスを俺のほうへ寄せて「さっきの続き。このカクテルのいわれ」と話し始めた。
今さら聞く必要もない気がしたが、
カクテルを飲んだことを説明するのも面倒なので、
小林が話すに任せる。
「これを頼んだ人はみな成功する。というところまでは話したな」
「ああ」
「ところが、これには続きがあって」
「ふん?」
「気味悪い話だけど、その人達、大体3年以内に、変死するんだ。
 工事現場のクレーンが倒れて下敷きになったり、
 体中に悪性の腫瘍ができたり…
 マスターもああいう人だから、気にしてね。
 これ以上妙な噂がたつのもアレなんで、欠番商品にしたと――」
足元の床がぐにゃりと沈みこんだような感覚をおぼえ、
俺はバーテンダー氏のほうを振り向いた。
できあがったカクテルの味見をしている、その舌の先が、
蛇のそれのように二つに分かれているのが見えた。

…悪魔?

そうか、そういうことか。
俺は、どうやら、“まずい”契約をかわしてしまったらしい。
一体どうなる?頭がパニックを起こしそうになったそのとき――

ある小説の構想が…今まで誰も読んだことがないだろう、
“究極の小説”の構想が、頭の中に稲妻のように立ち現れた。
完全にオリジナルであり、かつ、人類史レベルの普遍性をもつ、
圧倒的な物語のプロットがそこにあった。
そして次の瞬間、プロットは具体的な言葉をまとい、
ストーリーとなった。
ショッキングな冒頭から、読む人すべての心を震わせずにはおかない
ラストの結語にいたるまで、すべての言葉が、
微塵のあいまいさもなく俺の目の前に広がった。
悲しみ、怒り、快楽、苦痛、卑しさ、崇高さ。人間の本質、
そのすべてが描きつくされていた。

すばらしい。すばらしい。
俺はそう繰り返し、涙を流していた。
こんな完璧な作品に、生きてる間に出会えるなんて。
しかもそれを、俺が。この俺が書けるなんて。
こんな小説が書けるのなら、なんだってくれてやる。
そう、魂だって――

バーテンダー氏が、俺のほうを見ているのに気付いた。
その表情からあふれていたものは、まぎれもなく――「慈愛」だった。   

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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直川隆久 2012年6月30日

豊作

          ストーリー 直川隆久
             出演 堂島サバ吉

いやあ、
もう、なんでうちの庭があんな気色のわるいことになってしもたのか。
さっぱりわけがわかりまへんがな。
いつものように朝おきまして。
いつものように庭の木ぃに水をやろ、思いまして。
雨戸をがらっ。
と開けましたら。
アンテナが。
へえ。
アンテナだんがな。
高さにしたら、まあ、大きな松茸ぐらいのでんな。
あの、屋根に立ってる、テレビ用のアンテナありまっしゃろ。
あれを、ちいそうしたようなのが。
庭のそこら中に、こう、びっしりと生えとりまんねんがな。
またけったいなこともあるもんやなあ。
ゆんべ雨戸しめたときは、なんにも見当たらなんだが。
どこぞの阿呆が庭にいたずらしていきよったんかいな。
とまあ思いましたようなことで。
しかし、足の踏み場もおまへんから、歩くのも難儀しまっしゃろ。
邪魔なこっちゃと思て、一本ひっこぬきましたところぉが。
ごぼ。
と地面の下から、なんや、妙なものがでてきました。
それが、あんた。
そうでんな、見た目がいっとう近いもんいうたら――
ナマコでんな。
茶色い、ナマコみたいな。
それが、アンテナの下にくっついてまんねんがな。
ぐにゃあとしてまして、なんやらもぞもぞとこう、蠢いとるんだ。
うわあ。気色の悪い。
おもわず、ほうりだしましたがな。
ぼてちん。
いうて地面におちたら、うにゅうにゅうにゅうにゅと、
のたくりよるんだ。
うっひゃあ。
なんじゃいなこれは、と思て、もう一本手づかみにひっこぬいたら
これまた、アンテナの根っこにナマコがうにゅうにゅ。
こらあ、かなわん。
こんだけ生えとるアンテナの下に全部あれがくっついとるんかいな。
と思いますと、もう足の裏がこそばゆうなって、
いてもたってもおられん。
あわてて家の中にもどったようなことで。
いったい全体、どういうこっちゃ。
近頃は、冬のさなかに桜が咲くやの、
春に雪が降るやのして、お天道様の機嫌がさだまらんことが多かった、
そのせいやろかと、
まわらん頭で考えましたんですが、なおわからんのは、あのナマコどもは、
背中からアンテナ生やして、じいと土の中で何をしてるんかしらん。
首ひねりながら、これこれこんなことになっとぉる、
おまはんどない思うと嫁はんにききますと、嫁はんはですな。
アンテナちゅうたら、電波うけるもんやろと。
そうやろな。
と私がこたえますと、嫁はんの言うのには、
木ぃが葉っぱでお日さんを浴びるようにでんな。
あのナマコもアンテナでそこら中にとんでる電波をひろうて、
それを滋養にしとるんちゃうか。
て言いまんねん。
あほぬかせ。そんな味も匂いもあらへんようなもんが滋養になるかいな。
て言いましたら。
お日さんの光かて味も匂いもあらしまへんがな、と。
口と体重だけは、あいつに勝てまへんな。
ほんで嫁はんは、あんなもんが庭に生えとったら、
洗濯もんも干しにくてかなわん。あんさん、ぜんぶ抜いてしもとおくれ。
こない言いよるんだ。
またもあのナマコを触らなあかんか思たら、
首の筋が細るような思いがいたしましたが、しょうがおまへん。
とにかく手当たり次第にぬいてぬいてぬきました。
たっぷり2時間ほどかかりましたが、
ようやっと全部ぬきおわったら、庭の隅っこで、
ナマコがこんな山になってましたわ。
やれやれと思て今ぬいたほうをふりかえると、なんと。
馬鹿にしてるやおまへんか。
これぐらいの、シメジくらいのアンテナが
またポツポツと生えはじめてまんねんがな。
こらあ、えらいことになってしもた。
うちの庭が、得体のしれんナマコアンテナの巣になってもた。
どないしょしらん思て、
まあ、ここは学のある人に話きくよりないと思いまして、
うかがいましたようなことで。
わたしの知り合いで、大学でてはんのはセンセだけですからな。
評判だっせ。冬の風鈴みたいなお人やいうて。
…ぶらぶらしてるのみ、ちゅうことだすけど。
て、いやいや、うおっほん。
うおっほん。
え。
なんです?
あらま。センセのお宅の庭にも生えとりましたか。
ほう。で、どうなさった…。
…なんと。
な。
なんと。
ほんまでっか。
た、食べなはったんか、あれを。
ぶつ切りにして?
ポン酢と醤油で?
…。
センセ。
センセは前から豪気なお人や思てましたが…たいしたお方や。
ぶらぶらさしとくのはもったいない。
しかし、さぞや、まずかったでっしゃろ。
え?
いけた?
ち、中トロの味がする?
ほんまでっかいな。それ。
えええええ。
あないな見栄えのわるいもんが、そんな味がしまんのか。
はああああ。
そら、試してみなわからんことですなあ。
せやけどだっせ。
自分とこの庭で中トロがじゃんじゃかじゃんじゃかとれるねやったら、
こない都合のええことおまへんがな。
こら豪気な。
近頃世間でも景気の悪い話ばっかりで。
いろいろと心配ごとばっかりやったけど、久しぶりにええ話だすな。
ああ、なんや気分がよろし。
はっはっはっは。
え、なんだす?
ひょっとすると…なんだす?
はい。
あのナマコの正体。
へえ。
ひょっとしたら、なんやと言いなさる。
はあ。
ん?
はあ、うちの嫁はんはひょっとすると正しいと。
どういうことでっしゃろ。
かしこうせんと、はちょうのちがう、でんじはで、
ひかりごうせい、をするしんしゅのいきもの?
そのでんじはは、ひょっとしたら、がんません?
センセ。どこの国のお経だんねん。
もうちょっとやさしいに言うとくなはれ。
はあ。そんな生き物がうじゃうじゃでてきたのは…
せしうむかなにか、が、ばくはつてきにふえておる、せいではないか。
よけいわかりまへんがな。
ほんまに、なまじ学のある人は、
むつかしいことをむつかしう言いはるから、かなん。
まあ、なんでもよろし。
だまって座ってたら庭で中トロがとれるんやからな。
めでたいこっちゃ。
私もさっそく家もどりまして、熱燗の二合もつけましてな、
ナマコさばいてみよかな思います。
どうもどうも、おおきに。
失礼いたします。
はっはっは。
いやあ、なんやら、これからはええことばっかりおこるような気が、
してきました。

出演者情報:堂島サバ吉 満員劇場御礼座


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直川隆久 2012年5月6日

青い車

      ストーリー 直川隆久
         出演 地曵豪

「ミナが乗ってきたら、そこ替ってもらうよ」
助手席で景色を眺める康平に、運転席からそういうと、
康平は「えー」と大きな声をあげた。
「なんだよ。俺がミナの隣じゃないの」
「ミナは前に座らせてやらなきゃ」
「でも…」と、明らかにふてくされた顔をする。

「何」
「今日の弁当、ぜんぶ俺がつくったんだよ?5時起きで」
「じゃあ康平、運転する?」
はぐしゅ。康平は、返事のかわりに大きなくしゃみをした。花粉症の季節。
「ムリだわ。目がしょぼしょぼで」
 
僕と康平を乗せたフィアットは海沿いの国道を走っていた。
パチンコ屋や大型古本屋が、快適なスピードで遠ざかる。
ボンネットが、雲を映している。空の青さに、クルマまで染められそうだ。

「何つくったの」
「完璧ですよ。ミナの好物ばっかり」
「だから何をさ」
「ぐうぐう寝てるから、わからないんだよ」

嫌味だ。こういうモードになると康平はしつこい。
だからあえて話を続けないようにした。
僕は僕で、ミナへのプレゼントは用意していた。
絵が好きなミナのために、100色のパステル。と花束。とケーキ。
と巨大な犬のぬいぐるみ。多すぎか?いや、そんなことない。
きょうという日は、康平のいうとおり「完璧」でなくちゃならないんだから。

目的地が近づく。
交差点を折れ、100メートルほど行く。
わかば児童養護園はもうすぐそこだ。

ミナは、すっかり着替えて待っていた。
園長先生のスカートをつかんで立っていたが、僕らの顔を見ると、
おずおずと近づいて来た。
 「よろしくお願いします」とぺこりと頭をさげた。
その礼儀正しさぶりが、けなげで、胸がつまる。
 「じゃあ、お別れですね、ミナちゃん」
そう言って先生はミナの背中をぽんとおした。
「パパ達と、仲良くね」
園長先生には、養子縁組の手続きなどで本当に厄介をかけた。
ぼくら二人は、お世話になりました、と言いながら深く頭を下げる。

僕らとミナは、今日から家族になる。

ミナを助手席にのせ、クルマはもと来た道を走りだす。
バックミラーの中で豆粒みたいな大きさで手をふる園長先生がいた。

僕と康平のようなカップルのもとへ来ることは、
ミナにとっても勇気の要ることだったろう。
それを思うと、ミナにはできるだけのことをしてあげなくてはと思う。
この国の人は、やさしい。基本的には。でも、そんなやさしい人たちが、
ときどき自分たちと“それ以外”の間に、とても冷え冷えとした線をひく。
僕たちのような「両親」に育てられれば、
ミナだってそんな目に合わないとも限らない。
この国と人生を共にするかどうかを――
何かをあきらめることに慣れてしまった僕たちのようにではなく――
自分の勝手な好き嫌いだけで決められるようにしてあげること。
彼女の勇気に返せることといえば、それぐらいだろうか。

ゆうべ僕がそんな話をしたとき、
康平が何も言わずにうなずいてくれたのが嬉しかった。

「陽介」と後ろから康平の声がした。
「せっかくミナが乗ってくれたのにムッツリして。つまんないよなあ、ミナ」
ミナは何もいわず、助手席からこちらにほほ笑んだ。
「そうだった…ごめん。せっかくだから、どっか行きたいとこある?」
「山の上」とミナが答えた。「もっとおおきい空が見たい」
「いいね、方向逆になっちゃうけどさ。
 ドライブウェイの展望台で、ランチにしようよ。
 なにしろおかずはさ」
と康平がはしゃいだ声をあげた。
「ミナの好物の唐揚。と卵焼き。とスパゲティナポリタン。
 と豆ごはんのおにぎりー」
ミナが「わあ」と顔をほころばせた。

「全部、ミナが食べていいんだよ」と康平。
「え。俺のは?」僕が言うと、
「陽介パパは、手伝ってくれなかったから――」
と康平はポットを取り出し、こちらにつきだした。
「ゆうべのおでん!の汁のみ!」
ミナが、今日はじめて、大きな声をだして笑った。
 
クルマは、国道をはずれ、
眺めのいいドライブウェイに向けた道をとった。
――今日だけはどうか、青いままでいてください。
と僕は空に祈った。
ミナにとっても、僕らにとっても、
今日だけは、完璧な一日になるように。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/

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直川隆久 2011年11月6日



寒気(さむけ)

          ストーリー 直川隆久
             出演 森一馬

月灯りの下、森の中を4時間ばかりも歩き詰めに歩いた頃だろうか。
行く手に焚火らしい光を見つけた私は、やれ嬉しや、と
危うく大声をあげるところだった。
「西の森に入るのは昼より前に。狼と夜を迎えたくなければ」
――宿屋の主人の忠告をきかずに、市場で古書を漁ったのが災いし、
目指す城下町へ抜ける前に陽が沈んでしまった。
冬間近い夜の空気に、私の体温は容赦なく奪われていた。

 私が声をかけると、火の傍に座っていた男は、びくりとし、
かなりの時間黙っていたが、しばらくするとうなずくような様子を見せた。
見ると男は頭から毛布――といっても、ぼろぎれをつなぎあわせたようなものだったが――をかぶり、体を小刻みに震わせている。
熱病にでも罹っているのか、と私はひるんだが、
火の温かさの魅力には抗いがたかった。
 私は努めて快活に、同じ旅行者を見つけた喜びを伝えたが、
男の表情は毛布のせいで読み取れない。
一言も口をきかず、ときおり手を炎にかざし、擦り合わせているのみだった。

 男の手の奇妙な質感に目がとまった。
 炎が投げる光の前で男の手が動くと、青白いその手が一瞬黒く染まったかのような
色になり、かと思うとそれが退いていくのだ。小刻みに震える動きとあいまって、
何やら男の手の肌の上を、黒い波が這っているようにも見える。
――…は、本当に堪える。
 男の声で私は、我に帰った。声にまじった、何かひゅうひゅうと
空気が漏れるような音のせいで男の声が聞き取りにくい。
 ――失礼。今、なんとおっしゃいましたか。
 男は、しばらく息を整えている様子だった。
そして、もう一度がくがくと体を震わせた。
――この辺の寒さは、堪える。

 男が言葉の通じる相手だったことへの安心と炎のあたたかさから、
私は急に饒舌になり、夜の道中で望外の焚火を見つけた喜びを語り、
この旅の目的――私が私財を投じて研究している錬金術に関する文献が、
めざす城下町にあるらしいこと――を語ってきかせた。
 すると不意に男が、ではお前は、呪いを使うのか。と私に問うた。
 私は、いや、そうではないと答えた。呪術と、連金術は別のものである。
錬金術は、物質の持つ性質を理解し操作することであり、
その術は精霊や土俗の神といったものによって媒介されるものではないのだ、
とも。
 では、呪いがあることは信じるか、とさらに男は問うた。
 私は、信じない、と答えた。
 
しばらくの沈黙ののち男は話柄を転じ、ぽつりぽつりと身の上話を語り始めた。
 農村で食い詰め、昨年の冬、宿場街に仕事を求めて出てきたが、ろくな金にはならず、寝床も満足に確保できなかったという。一枚の毛布さえ買う金がなく、
なるべく風の通らない場所を夜毎探して体を丸めていた、
と男は一言一言、ゆっくりと、苦いものを吐き出すように話した。
 私は、ポケットの中に隠し持っていた革袋の葡萄酒を男に勧めた。
だが、男はかぶりを振って断った。
ある晩男は、寒さがどうにも耐えられなくなり、毛布がほしさに、
宿屋の裏庭の納屋を借りて住む貧しい洗濯女の家に忍び込んだのだと語った。
寝床を漁っていたときに、女が帰ってきた。女が騒ぎ出したので、
口を封じるために首に手をかけた。というところまで語ると、
男は、いったん言葉を切った。断末魔で男をにらむ女の口が、異教の神の名前を唱えた、と。そして、歯をむいたその顔が、まるで犬のようだったと、
何やら可笑しそうな口調で言った。
 男は、話しすぎたせいか疲れ切った様子で、しばらく肩を上下させた。
ひゅうひゅうという音が一段と高くなった。
毛布の奥から、男が私の表情をうかがっているのが見えた。
無言の私に、再び男が問うた。呪いというものを信じるか、と。
 男は、不意に、頭の毛布をまくった。あらわになったその顔の肌は、
錐の先で穿ったほどのうつろでびっしりと覆われていた。
その数は、何千、いや何万だろうか。
光の向きの加減ではその穴がすべて漆黒の点となり、男の肌を覆うのだった。
そして、肉を穿った穴の奥まで光が届けば、その底に白い骨と血管が寒々と見えた。
私は、首筋が粟立つのを感じた。女が唱えたのは、神の名ではなかったのだろう。
それはおそらく――

おお、寒い。畜生。体の芯まで冷え切る――
そう言って男は再び毛布の中へ全身をひっこめ、力のない笑い声をあげたが、
その声は、空気の漏れるしゅうという音に飲み込まれた。
 

出演者情報:森一馬 03-5571-0038 大沢事務所

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直川隆久 2011年4月17日




You meet You

      ストーリー 直川隆久
         出演 地曵豪

 
冬の日。
 いっこうに進まない引越しの準備に、僕はうんざりする。
アパートの床に座って、
スマートフォンで「フェイスノート」のサイトをなんとなく開く。
世界最大規模のSNSであるフェイスノートが、
新しいサービスを始めていたのを思い出し、試してみる気になる。
サービス名は「You meet You」。

 
これは要するに、自分と同じ顔の人間を検索してくれる、という
一種シャレのサービスだ。
この世には同じ顔をした人間が自分をふくめ3人いるというが、
利用者30億人のフェイスノートなら、
そのうちの一人は見つかるだろう、というふれこみ。
バイト先の田中店長が、はしゃぎながら報告していたのを思い出す。
「いや、俺、ヨルダンとイエメンにフェイスメイトがみつかっちゃってね。
アラブかよ!?って微妙に動揺したんだけどさ。
ところが、あいつらとやりとりするとね、なんか気があうのよ。
俺思うにさ、顔つきって、そいつの気性によってかわるでしょ。
つまり、顔が同じってことは、性格も近いってことなんだよ。
こんど遊びに行く。イエメンに」



「You meet You」のアイコンをクリックする。
 
時計があらわれ、針がくるくると回る。
30億人の顔の中から、「もう一人の僕」を抽出している。
期待させる間(ま)だ。僕のフェイスメイトは何人(なにじん)だろう。
日本人か。モンゴル人か。それとも…

 
部屋を見渡すと四年間でたまった雑誌やら服やらで
足の踏み場もないほどごちゃごちゃだ。うんざりする。
 
だが、今週中には引越しの荷物をまとめないといけない。
 
来週から、新日本陸軍の寮に入るからだ。

 

就職活動はさんざんだった。
シューカツの基本はSNSで顔を売ることだということを知ったのは
4回生の後半で、さすがにこのときは自分のツメの甘さにあきれた。
とはいえ、それをやってたとしても、結果は同じだったかもしれない。
僕はいわゆるコミュニケーション力というやつ、
あれに全く自信がなかった。今もない。
 
10年ほど前なら、「就職浪人」なんて悠長なことが
許されていたらしいけれど、なにせ、今は競争がはげしい。
大企業の枠はあらかた優秀な中国人がもっていってしまう。
さらに、22歳を境に年金の納付額がバカ高くなる。
バイト収入ではとうてい無理な金額だ。
 
そういうわけで、選択肢をなくした大勢の同世代と同じく、
僕も軍に入ることにした。

A国との関係が格段にきな臭くなってきた頃から、
新規募集の処遇が一気によくなったことも大きい。
個室の寮と三食はもとより、年金納付全額免除、
あと大きな声ではいえないが、
新入隊者全員に最新式のNintendo DSが支給される。

 軍でなら僕は「何者か」になれるような、そんな気もしている。
自己PRをうまくできなくてもいい。
「言われたことしかできない」と上から目線で非難されることもない。
命令をきちんと正確にこなす熱意、それがいちばん大事なのだから。
あとは、体をきたえ、銃の扱いを学ぶ勤勉さがあればいい。
シンプル。

窓の外で、爆音がした。
 
窓ガラスの向こう、晴れ渡った空に戦闘機のものらしき飛行機雲が3本、
伸びている。なんだか、焼き鳥の串みたいだな、と思う。
 
時計のアイコンはまだ消えない。
 
テレビをつける。県営カジノのコマーシャルをやっている。

 
ふと、ある考えが頭をよぎる。
 
見つかった「もう一人の僕」が、もし、A国の人間だったら。
−−そして、ひょっとして、「彼」も兵隊として働いていたら−−
僕は、どういう気持ちがするんだろうか。
 
…いや。そんなことはないだろう。
A国と、本格的にどうかなるなんてことは。
お互い核保有国なのだから、下手に戦争なんて始められない、
と大学でも習った。
時計のアイコンは、まだ、まわっている。
 
テレビの中では、コマーシャルがおわり、
タレントが温泉につかって嬉しそうな声を上げている。

(おわり)



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/

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直川隆久 2010年12月12日-(上)

ラーメン.jpg

しあわせの味(上)

ストーリー 直川隆久
出演 水下きよし

津田は、スーツのポケットの中で鍵束をじゃらりと鳴らし、
由貴子の部屋の鍵を手探った。  
一週間ぶりにあの女と顔を合わせる瞬間、どういう態度をとったものか思案する。  
開口一番怒鳴るべきか。だが、日頃大きな声を出し慣れてもいない。
声がうわずって間抜けな調子に見えてしまっては損だという気がする。
まさか刃物まで振り回しはしまいが、逆上して大声でもだされては面倒だ。
やはり強い態度ででるのはやめておこう。  であればにんまりと笑いながら
「あのさ。家に電話かけてきちゃ、だぁめ。ね?」というあたりが
体力的にも経済である。
怒らず。どならず。そうすれば根は素直な由貴子のことだ。
こちらの人間的スケールに感動さえおぼえるかもしれない。  
一石二鳥だ。そうしよう、と津田は心を決める。

5階で停止したエレベーターを降り、右手に曲がる。
由貴子の住むコーポの廊下は宅配便の配送センターに面していて、
トラックの出入りがよく見渡せる。
最近のネット通販には注文日当日届けというサービスまであるらしい。
以前なら、日本中に翌日荷物が届くということだけでも十分に驚異だった。
それが今や「当日」である。
えらいことだ。
世の中のサービス競争がどこまですすむか、それを思うと津田は半ば呆然とする。
果てしなく競争し続けられる人間しかいわゆる勝ち組になれないとしたら、
自分はどうなのだろう?
とはいえ津田はそれ以上考えを深めることもしない。
まあ、面倒なのだ。

津田という人間は簡単に言って、人生における当事者意識というものを欠く男だった。
先週、奥山由貴子が自宅に電話をかけてきたときも、
いつになったら一緒になれるの、とすすり泣く由貴子の相手をするのが
だんだん億劫になり、だまりこんでしまった。
面倒ごとがおこったときは、とりあえず考えることを停止し、
最終的には都合のいい結果を誰かがもたらしてくれるのを待つ。
そんな姿勢で四十数年生きて来た。そしてその戦略は不思議にも
それなりの結果をおさめてきたのだった。
だから今日ここに来たのも、みずから積極的に問題を解決するつもりというよりは、
そろそろ自分の顔を見せれば由貴子も機嫌が治るのではないかという
ある種の楽観からだった。

奥から2軒目。鉄のドアの郵便受けに、水道工事屋のチラシがつっこまれている。
鍵をとりだす。
そのとき背後から
「津田さん」
と声がした。
「お。奥山くん。お」
と津田があわてるのを見て、奥山由貴子はふふ、と照れくさそうに笑う。
黒いカーデガンをはおり、サンダル履きの素足が寒々しい。やせたようにも見える。
「でかけてたの」
「うん。これ買いに行ってたんです」
と由貴子が片手はポケットにつっこんだまま、スーパーのレジ袋をがさりと掲げる。
黄色い中華麺の袋がふたつ入っているのが透けてみえた。
「…今日ぐらい、来てくれると思ってた」
そう言いながら、奥山由貴子が体を津田のほうへ押し付けて来た。

その服の奥の、体の柔らかみを感じながら、津田は思い出している。
たしかに、津田と奥山由貴子の関係はラーメンからはじまったのだった。
奥山由貴子は津田の職場の派遣社員だった。
会話の流れからお互いラーメン好きと知れ、
津田が自分のブログを教えた。その翌日由貴子が
「津田さんのラーメンブログ、ステキです~ 
 ラーメンの印象をタレントにたとえるのがオリジナルですね!
 こんど津田サンの生コメントききたいです!」というメールをよこしてきた。
津田は、お、と思った。そういうことか、と。
津田の後ろでコピー機が空くのを待つ由貴子が、
いつも妙に体を近づけてくるな、とは思っていたのだ。
 奥山由貴子がそれほど美人でもないことがやや不満だったが、
逆に「この程度の女なら、それほど男への要求も高くはあるまい」
という自信を得た津田は、由貴子を食べ歩きにさそいだした。
二人は昼休みのラーメン屋探訪を重ねる。
ラーメン屋で、津田は饒舌であった。さしたる投資をせずとも、
誰でもがもっともらしいことを語れるのがラーメンのよいところだ。
津田のラーメン批評に感化されたのか、由貴子がときおり
「食べるって、つまり愛なんですよね」などと芝
居がかったセリフを言うのには鼻白んだが、
脂にぬめった唇を舐める由貴子の様子を眺めると、津田は興奮した。
外出は夜に時間を移し、さらに――と、あとはよくある話だ。
二人は男女の関係になり、二年がすぎる。

しかし――というべきか、やはり、というべきか――津田には妻子がいた。
二人の将来についての津田の考えを由貴子がおずおずと訊いてくるたび、
津田は言葉をにごして時間がすぎるのを待った。
そうしていると、きまって由貴子のほうから、
「ごめんなさい、へんなこと言って。忘れて」と謝ってきた。
由貴子は津田にとってたいへん都合のいい女だった。
由貴子のそんなところが、津田は好きだった。
だが先週、不穏な波風が立った。
由貴子がビーフストロガノフにはじめて挑戦したのだが、
料理好きの彼女のわりにはできが悪く、津田は半分残したのだった。
どうしたのと訊く由貴子に、まずいから、と正直に答えられず、
帰ってから妻のつくる料理を食べなければならないからだ、答えてしまった。
 
不用意な一言が、おさえにおさえてきた感情を決壊させたのか――
津田が自宅に戻ったころを見計らい、由貴子が半狂乱で電話をかけてきた。
 その後の顛末は先ほどの通りである。連絡をとらぬまま一週間をやり過ごし、
ほとぼりがさめた頃とふんだ津田は、今、ふたたび由貴子の家の玄関にいる。

津田がドアを開けると、何かあたたかな料理の匂いが漂って来た。玄関でかがみ、
靴ひもを解く。紐の先がほつれているのに気付く。
妻に言って買っておいてもらわないと―
「何かつくってるの?」と顔をあげて津田が訊く。
「わかります?」
「ラーメンのスープつくってるんです」
「ラーメン?家で?」
「津田さんの一番好きなものを、自分の手でつくりたいって思って、挑戦したの」 
背中をむけたままで由貴子が言う。
「味見してくれます?」
そう言って、少し顔を赤らめて由貴子は靴をぬぎ、あわてて津田の横をすりぬけた。
かわいいことを言うじゃないか。
津田は、テーブルにつき、料理ができるのを待った。
鍋の湯気でほどよくほとびた空気につつまれながら津田は考える。
たしかにおれは、勝ち組じゃない。
でも、平均よりは、ちょっとだけツイてる人生をおくってるのかもしれないな。

出演者情報:水下きよし 花組芝居 http://hanagumi.ne.jp/

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動画制作:庄司輝秋

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