直川隆久 2019年1月20日「流れでたもの」

流れでたもの

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

その昔、北の方にある国の片隅にある村での話である。
両親と一人娘が暮らしていた。
ある朝、寝床から来た出てきた幼い娘を見て、両親はおどろいた。
娘の眼から青い液体が滴り落ちていたからである。
枕がわりに使っている丸めた麻布も、真っ青に染まっていた。
昨日変わったことがなかったかと尋ねる両親に、
娘は、森の奥の湖で草の舟を浮かべて遊んでいたときに、
ふいに水面がまぶしく点滅するのを見た、と答えた。
光が消えるまでの間なぜか目が離せず、じっと見つめてしまった、と。
そのせいで眼が傷ついたのかもしれない。
そう思って両親は娘を村医者にもとへ連れていった。
しかし、耄碌しはじめの村医者は、なんの異状も発見できなかった
。麻布にしみこんだ青い液体についても、明解な言葉はなにひとつ。

その翌朝。娘は、あざやかな橙色の液体で眼を濡らしながら目覚めた。
寝ている間に痛んだりしなかったのか、両親は娘に尋ねる。
なにもいたくない。娘は答える。ただ…
ただ?と両親が問い返すと、娘は、
きのうは夕焼けの夢を見ていた気もする、
と答えた。
そう言われればたしかに、娘の眼から流れた液体は、
夕焼け空を水に溶かせばかくもという色をしていた。
見た夢をよくおぼえておくように両親は娘に言いつけた。
その夜娘は、森の中を歩く夢を見、
娘の眼からはコケのように鮮やかな緑色の液体が流れ出た。
別の日には、娘は雪だるまをつくる夢を見、
その眼からは山羊の乳のように白い液体が流れ出た。

つまりは、夢が漏れているのだ、眼から。
村医者は、最初からわかっておった、といわんばかりの訳知り顔で解説した。
おそらく、幼いからだろう。幼ければ、夢もよくみる。
苦しくないのであれば、ほっておくがよかろう。
成長すれば、おのずと夢も見なくなる。

ある日、両親と娘の家を、隣村の大地主が訪ねてきた。
高齢のその男の顔の肌は乾燥のあまり粉をふき、
足腰も衰えているとみえ、使用人に脇を抱えられながら親子の家に入ってきた。
地主は、貧しい家の中を眺めまわしてからこう言った。
――あんたの娘の流した「夢」をゆずってほしい。
男は小指の先ほどの大きさの薬瓶を父親に手渡しながら続けた。
これに一杯ためてくれれば、金貨、1枚出そう。

両親は、娘を説き伏せ、夜中、娘の枕元を交代で番をした。
そして、娘の眼から何かが流れはじめると、
すかさず小瓶を娘の眼もとに押し当て、その液体を集めた。
流れ出るものの色は、日によって違う。
濃い紫色のこともあれば、ごく浅い黄色なこともある。
一晩にひとしずく、三晩で三滴、という具合にたまっていく液体は
不思議なことにたがいに混ざらず、
ガラス瓶の中で、虹のような層をつくった。
ひと月の後、地主が再びやってきて、約束どおり金貨を一枚置き、
小瓶をもって帰った。
一体それで何をするのか、という両親の問いかけには、
地主は最後まで答えなかった。

何日か後、娘の母親は、村の井戸の近くで、
介添え人の助けもなく背筋を伸ばして歩く地主の姿を見た。
髪はこころなしか豊かになり、肌艶も別人のよう。
父親が、地主の家の使用人に酒をおごって話を聞きだした。
――旦那は飲んだと見えるね。あんたの娘の眼から流れ出たあれをさ。

ほどなくして、両親の元には、
金貨を握りしめた老人達がひきもきらず訪ねて来るようになった。
そして、皆が娘の流す「夢」を買いたがった。
値は瞬く間に吊り上がる。両親の手元には、大金が転がり込んだ。
それでも、注文は増える一方。
両親は交代で娘の枕元で夜通し番をし、
眠る娘の眼からで流れでる液体をひとしずくも漏らさず集めた。
が、それでも追いつかない。
ある日父親が言った。そうか、起きている間にも夢を見ればいいのだ。
どうやって?母親が訪ねる。
起きている間に見る夢といえば、良い暮らしをする夢じゃないか。
と父親が言った。
父親は、手元の金貨を、娘の眼の前に積み上げた。
――ほら、思ってごらん。一生金貨にこまらない暮らしを。
――どんないいことがあるの。
毎日、うまい肉が食える。牛の乳でつくったクリームで風呂を満たして、
そこで泳ぐことだってできる。
指にずっしりと食い込むようなでかい宝石の指輪だってはめられる。
縫い糸の一本一本まで絹でできていて、
着ていることすら忘れるような、軽い軽いドレスだって。
そして一番大事なことは…
金を持っている人間は、必ず一目おかれるんだ。
気を使われる。人の道具にならずに済む。
そんな暮らしが、3人でできるんだ。そして、父親は付け加えた。
起きて見る値打ちのある夢は、金の夢だけさ。
――わたしにどうしてほしいの?
――夢を見るのさ、いい暮らしの夢を。
これよりもっともっとたくさんの金貨の夢を。

娘は、じっと父親の指し示す金貨を見つめた。
しばらくののち、娘の目の縁が光り、
そこを濡らしたものが、あふれ出た。
両親はあわてて瓶に集める。
だが、それは、何の色もない液体――つまり、涙であった。

その日一日、娘は言葉を発しなかった。
夜、無言のまま寝床に行き、そのまま眠りに落ちた。
そして、翌朝になっても眼をさまさなかった。
三日たち、ひと月たち、1年たっても、娘は眼を開くことはなく、
両親が口に含ませる砂糖水だけで、生き続けた。
さらに長い年月が過ぎ、両親が老衰で死んだ後になっても、
ついに娘は眼をさますことはなかった。
そしてその間、娘の眼から色鮮やかな液体が流れでることは、
ただの一度もなかったということである。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2018年11月18日「落ち葉長者」

落ち葉長者

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

冬至に近い頃あいのよく晴れた日、
おれはX山の展望台からの下山ルートをたどっていた。
木立のせいで見晴らしもない上に角度が急な斜面を嫌って、
ほとんどのハイキング客はケーブルカーを利用する。のだが、
俺は人気のない登山道を一人で歩くのが好きで、
よくこの道を使うのだ。
山道のとおる斜面はやわらかな光につつまれて、
歩いていて気分が和む。なべて世は事もなし、という気分。
道の両側にはクヌギやコナラが自生し、
茶色いじゅうたんのような落ち葉を斜面にしきつめていた。
調子よく歩いていたときに、
右側の視界の端に妙なものが映った気がした。
振り返って確認すると、
地面の色合いが…
半径3メートルほどの範囲で変わっているところがある。
なに?なんだろう、と近づいてよく見ると、
それは…大量の一万円札だった。
何千万円、いや、何億円分あるだろうか。
まるで廃棄物のように無造作に散乱している。
ぎょっとして足がすくみ、思わず周囲を見渡す。
映画かなにかを撮影していて、そのセットだろうか?
だが、周囲にはスタッフらしき人間も見えない。
一枚を拾い上げて見てみる。
そこには映画の小道具然としたちゃちさは微塵もなく、
どこからどう見ても本物だ。
犯罪?
不安になって耳をそばだて、周囲をうかがう。
そのとき、顔の前をはらりとかすめるものがあって、
思わず、ひゃおうと大きな声がでてしまった。
かさ、と音をたてて地面に落ちたそれを見ると、一万円札。
それが降ってきた方向を見上げて、再度たまげた。
俺の頭上にひろがった樹の枝には、
一万円札がわっさわっさと茂っている。
そして、風がふくたびに、
万札がはらりはらりと冬の陽光に照らされながら散り、
降り積もるのだった。

ガコ、と音がして、頭上をケーブルカーが通り過ぎた。
ケーブルカーは樹高よりは相当高いところを通っており、
地面の万札に気づく乗客はいなさそうだ。
が、あまり同じところにとどまっていれば怪しまれる可能性もでてくる。
俺は慌てて足元の一万円札をかき集め、
ウィンドブレーカーのポケットに詰め込めるだけ詰め込むと、
残りの山道を急ぎ下った。

アパートに戻り、持ち帰った一万円札の一枚を手にとり、
ためつすがめつ眺める。
本物の万札と比べても、寸分違うところはない。
ご丁寧にすかしまで入っている。
しかし…これは、実際に使える金なのかどうか。
実地で確かめるよりない。
ポケットに天然の万札を1枚入れて、街に出た。

コンビニで使うと店員の目にとまるので、
駅の自動券売機にそれを入れてみる。
一番安い切符のボタンを押すと、切符とつり銭がでてきた。
いきなり券売機がピービ―鳴りだし、駆け付けた係員にとっつかまる…
ということもなく、9,870円の現金がおれの手元に残った。
ほっとする、と同時に、しみじみと嬉しさがこみあげてきた。
その金で回転ずしに行き、つい大トロばかり12皿も食ってしまい、
気分が悪くなった。
アパートの帰ったおれは、拾った一万円札を、中国のまじないよろしく、
上下逆さまにして壁にセロハンテープで貼り付けた。金運招来。

持前の用心深い性格が幸いしてか、金は意外に長くもった。
車も乗らないし、ブランドものにも興味がないので、
一息に使う理由がない。
毎日、スーパーで刺身を買って食うようになったくらいだ。
また、使えない事情もあった。
足がつくのを避けるために、使う場所をあちこち変えたのだ。
あちらの駅の券売機で一枚、
そのあとで電車に一時間乗ってパチンコ屋に入り、
一枚を玉に替え、そのまま景品所で現金に再び戻す、というように。
これはなかなか厄介で、そうか、マネーロンダリングというのは、
こういうところにニーズがあるのだなあ、と妙な納得をする。

しかし、あの樹はいったいなんなのか。
突然変異でそんな新種が誕生したのか。
いや、それはいくらなんでも…バイオテクノロジーというやつか。
そうなると、誰かが、目立たないようにあの樹を育てたということなのか。
…答えはでない。面倒くさくなってやめた。

このペースなら当分金はもちそうだったが、ふと不安になった。
季節が春になって、周囲が新緑になったころになると、
あの樹はどうなるだろう。
一本だけ茶色い万札がわっさわっさと茂っていれば、否応なく目立つ。
そうなれば…
俺は、急なあせりをおぼえ、次の日、夜もまだ明けきらぬうち、
リュックを背負ってX山の登山口に向かった。
今日は逆ルートで登り始める。
小雨がぱらついており、ほかのハイキング客も見当たらない。
30分ばかり、ひたすら進む。
確かこのあたり…というところにさしかかって、ぎょっとした。
相当に広い面積…テニスコート一枚分ほどの広さで、
周囲の赤茶けた土がむき出しになっている。
巨大なショベルでこそげとられたかのように樹木の根すら残されておらず、
無残な有様だ。
もちろん、あの「金のなる樹」は跡形もない。
何者かが、土木工事をおこなったのだ。
土の表面はまだ湿っていて、
「伐採」からそう時間はたっていないように見えた。
…それにしても、これだけの規模の伐採と土砂の運搬をしようと思えば、
相当な重機が必要なはずで、
そんなものをどうやってこのせまい登山道しかない山に運び上げたのか。
だれが?
おれは、恐ろしくなってそのまま後ろも振り返らず山道を駆け下りた。
帰りのスーパーで、ハマチの刺身を買った。

同じようなペースの数か月が過ぎ、五月の連休も過ぎた時分。
手元の一万円札は確実に数を減らしていき、残るは最後の一枚となった。
壁に貼った一枚だ。
そうか、これで最後か。この一枚がなくなったら、
もう毎日刺身を食うのは無理なのか。
はたしておれは、一度知った刺身の味を忘れられるだろうか。
などと思いながら重苦しい気分で逆さまの一万円札を見つめていたその時。
きゅー、という聞き慣れない音がして
万札の端っこがまぶしい光を発したかと思うと、
どかんと音がして、煙があがった。
一万円札があった場所からしゅうしゅうと音をたてて炎があがる。
わ。
わ。
わ。
おれは仰天して、コップの水をかける。ぼふ、と音がして、
猛烈な湯気が立ち上る。
だが、しゅうしゅうという炎は一向に収まる気配がない。
鍋に水をくみ、1杯、2杯、3杯、と壁にぶちまけ、ようやく収まった。
焦げ臭い煙でいっぱいになった部屋の中で、おれはがたがた震えていた。
確かに見た。
万札が、火を噴いた。
これが、おれのポケットの中にあったら…?火傷くらいではすまなかったろう。

幸いに火災報知器は発動せず大ごとにはならなかったが、
隣家の住人には怒鳴り込まれた。
壁に貼った一万円札が爆発したんです、とはいえず、しどろもどろに答える。
いやな動悸がおさまらないまま布団に潜り込む。
寝床で、もしや、とおれは考えた。
これは、現金の形をした兵器なのかもしれない。
あんな目につきやすいところに樹が植わっていたのは、
やはり意図があったのではないか。
わざと、人間に、拾わせる、という意思が。
まずは、人間に、金を拾わせ、気分よく使わせる。
万札は、人から人へ、どこまでも渡っていく。
細分化され、人間社会の網の目の中へ、とめどなく浸透していく。
そして、十分に、時間をおいたある日、
いたるところで突然火を噴き上げる…。
遺伝子操作か何かで、誰かが、そんな兵器をつくったんだろうか。
そして、人知れない山で、栽培した。
だが、何かの事情で証拠隠滅をする必要がでてきた。
それで、山肌をごっそりと削り…
そんなことが地球の科学でできるんだろうか?だとしたら…?
いや、原因はもうどうしたってわからない。問題は、
これから起こることだ。
おれは、金のつもりで時限爆弾をばらまいたのかもしれない。
冷や汗が首筋を流れ、がば、と寝床から飛び出す。
テレビをつける。
通販番組が、ヒザ関節によいサメの軟骨を大盤振る舞いしている。
画面の上に、不審な出火や爆発事故を伝えるニュース速報が
現れるのを待ちながら、おれは動くことができない。

えらいことになった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2018年8月19日

涼しい話

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

ええ、あたくし、こうみえてマゾでございやしてね。
さいきん、夏の辛さが大変ありがたい。
SMバーなんぞ行かずとも自宅で自分を虐めることができやすから。
温暖化万々歳でやすな。

朝目覚めますと8時にはもう熱が部屋にこもってやしてね。
うちの部屋は2階で、真上がトタン屋根ですんで。
部屋の内から天井むけて手をかざせば、焚火かと思う暑さ。
こりゃもう朝から、のたうちまわり日和じゃわいと思って、
わくわく、いそいそ。

で、さっそく取り出しますのがヒートテック。
ヒートテックはね、あぁた、冬に着るもんじゃございませんよ。
夏こそ、ヒートテックです。
これを、ま、2枚。上、下、それぞれ2枚重ねて着ますな。
着終わるともう、その時点でじんわりと汗がでますな。
首筋とか背中の毛穴に塩辛い汗が滲んで、ちくちく痒くなりますわな。
う~ん、不快!

大事なのは首筋でやすな。
敏感なところですからな。たっぷりと、不快な感触を用意いたしやす。
毛のマフラーを巻く。分厚いの。
毛足がちくちくと首の肌を刺します。
ああ!
そしてですな。このマフラーに、はちみつを塗る。
はい?
そう、はちみつでやす。
お、眉をしかめましたね。
これは、まあ、理由は後からわかります。
とりあえずはネトネトのはちみつでマフラーの毛が首筋に貼りついて
もう、鳥肌が立ちますな。

エアコンを32度の暖房に設定しやすな。
ごわーと、吹き出るものすごい熱風を浴びながら
ダウンジャケットとウールのニッカポッカと
スキー手袋と冬山登山用靴下を着こみまして、
ええい、ここは奮発して電気ストーブもスイッチオンにしちまいやしょう。

が、まだこれで終わりではありやせん。
これが肝心。
手錠。
これをですな、手を後ろにまわして、はめるんでやすな。
はめちゃうともう、自分でははずせやせん。
前にも手がまわせやせん。
その状態で、ごろんと寝転がるんですな。
簀巻き状態でやす。

しばらく、も、たたないうちに、頭がぼんやりしてまいりやすな。
苦しい。
うひひひひ。
汗、とまりません。
もう、ダウンジャケットの中はぐじゅぐじゅですな。
動悸が激しくなる。
うひひひ。
あや、すみませんな。思い出すとつい。

さあ、ここからがハイライトでございまして。
こそっ、と押し入れの方から音がする。
こそ。
こそっ。
…ネズミですな。
この、首筋のはちみつの匂いにつられるんですな。
見てると、2匹、3匹とこっちへちょろちょろと寄って来る。
爪が畳をひっかいてカリカリいう音が聞こえやすな。
あたしの首筋に取りついて、ふんふん匂いを嗅ぎまわる。
ちっこい爪があたしの首筋に食い込んで、むっひひひ、痛いのなんの。
そのうち、舐めだす。
で、だんだん激しくなってくる。
ときどき
むぢっ!
…とあたしの肉ごと噛みちぎったり。
むっひひひ。
あ~、もう!
思い出すだけで…もう、もう、もう!
あ~…

という具合にまあ、さんざんネズミちゃんにいたぶっていただいた頃合いで、
友人に来てもらことにしてやして。
ええ、もう長年の相棒でやして。
ドアと手錠の鍵を、預けてあるんですな。
脱水症状で意識不明になるぎりぎりのタイミング、
だいたいこれくらいかな、というのをあらかじめ伝えておくんでやすな。

死んじゃあ元も子もござんせんから。
明日も元気に自分を虐めるためには、ね。いいとこでとどまる。
それがこの道のコツというやつで。
まあ、ここまで来るにはだいぶトライアンドエラーがございやしたけどね。
救急病院に運ばれたのも一度や二度じゃござんぜんし、
あるときなんぞ頸動脈を食いちぎられかけて…
ま、その話はまた今度にいたしやしょう。

まあ、こういった具合でございますから、
あたくしぁ、まったく夏が好きでやすな。
たまらんでやす。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2018年7月15日

ひまわり男

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

 廊下のほうから、べたべたという靴音が響いてきて、
いつものベレー帽をかぶった菊池の顔が、
病室入り口からぬっとのぞきよった。
「お、ベーやん。こーこやったんかいな」
 やかましい声をはりあげて入ってくる。
「さがしたでえ。406号室!」
 いつものアロハ。片手にはギターケース。
片手にはなんやしらん、でかいスーパーのレジ袋。
俺は「おお、キィやんか」とだけいうと、
ベッドの脇のパイプ椅子を顎でしゃくった。
菊池は、べたべたと病室の中を横切ってくる。
 相部屋にいるほかの3人の患者たちはみなこちらに背をむけるか、
仕切りのカーテンを閉めるかしてるが、
注意の矢印が空気を突き破ってこちらに向けられてる。
 菊池は、どさりと荷物をおろすと、
 「あ、あらっ。あらっ」
 と、こっちの顔を覗き込みながら、わざとらしく明るい声をあげよる。
「元気そうやんか。元気そうやがな」
「そう見えるか」
「見える見える!」
 そう言うと菊池は、レジ袋の中から、
カップ入りの水ようかんを2つ取り出すと、
ベッド横のキャビネットに置いた。
「好きやろ」
「ああ」
 さらに菊池はガサガサと袋の底をまさぐる。
中からにゅっと取り出したのは、
茎を20センチほど残して切り取られたひまわりの花。
直径30センチもあるやろうか。重そうなその花を菊池は持って
「花瓶あるか?」
と訊いた。
「いや…ない」
というと、菊池は肩をおとした。
公園か小学校かに生えているのを無断で切り取ってきたんやろうか。
ばかでかいそのひまわりは、病室の中でなにやらえらい間抜けな感じがした。
「あれやで。入院する前より、顔色ようなってるんとちゃうか?」
 ほんまに、何をぬかしとんのか。
俺が入院したのは、おまえのせいやないか。と喉まででかけて、こらえた。

父親が倒れて家業のプレス工場をどうしても継がなならんようになった…
というのは事実ではあったけど、
正直おれは菊池とのバンド生活にほとほと嫌気がさしていたので、
工場の件は、半分はいい言い訳でもあった。
2人で行った天満の立ち飲み屋でそれを告げたときは、菊池は意外に素直やった。
 勘定を俺が済ませている横で、
「べーやんが決めたことやったらしゃあない」と何度も言っていた。
 本当は二軒目には行きたなかった。酒乱の菊池のことで、
行けば荒れるのは目に見えていた。しかし、行かんわけにいかなかった。
で、案の定荒れた。俺に馬乗りになり、首を締めあげ、
なめくさっとんのかわれ、と声を上げた。
今まで喧嘩になったことはあっても、俺から手をあげたときは一度もない。
でも、これが最後やと思ったから、俺は菊池の顔面におもいきりパンチをあびせた。
するとあいつがカウンターにあった焼酎のボトルで俺の顔面を殴りやがった。
俺はその日、歯を2本と我慢の理由とを、なくした。

「一曲やろか」
「なに?」
 菊池は嬉しそうに病室内に愛想を振りまいた。
「みなさん、すんまへん。こいつね、うちのバンドのベースですねん。
ちょっと事故で入院してるんですけど、元気づけてやろうと思いまして…
一曲だけ、すんまへん」
 と言いながらギターケースを開ける。
「おい、やめとけ」と俺は苦い顔をするが、菊池は
「練習してん」
と言いながら、ギターを抱える。
 練習。久々に菊池の口から出た言葉やった。
ピッキングハーモニクスでチューニングを整えると、菊池は演奏を始めた。
聞き覚えのあるコード進行やなと思うと、菊池の唄がかぶさってきた。

♪You are the sunshine of my life..

スティービー・ワンダーの名曲を、アレンジした曲やった。
今までステージではやったことがない。
自分の声の個性を少しおさえた歌い方で、そういうやり方は、
最近菊池が…自分の声の力によりかかって、
そこから一歩踏み出すことを邪魔くさがっていた菊池がやらんかったことやった。
ここから、もう少しあるかもしれない。そう思わせる演奏やった。
なんで今までやらんかったんか、と思った。

最後のコードをストロークで弾いたあと、弦が鳴りやむまで菊池はじっとしていた。
病室の全員がじっとその演奏をきいていたのがわかったが、
最後の音がやんで静寂が訪れた。拍手はおこらんかった。

「どうかな」と菊池が俺のほうを見た。
「よかった。あんたの声におうてる。レパートリーになるで」
俺も指が動いてもうたで、とは言わんでおいた。
菊池の顔が、「は」と笑う顔になった。
おれは続けた。
「けど、俺は、やらんで」
 菊池の顔はそのまま笑い声をあげることなく、硬い表情にかわっていく。
「すまんな」
おれは、水ようかんをパカリと開けて、黙って食べた。
様子をうかがうと、菊池は窓の外を見ている。震えていた。
俺は反射的に、ナースコールのボタンを握りしめた。菊池の様子次第では、
押すつもりやった。
そやけど、菊池は、それ以上何も言わんかった。
ギターケースにギターをしまい、立ち上がって、
「ほな」
とだけ言うと、またべたべたと足音をさせながら、病室を出ていった。
振り向くかな、と思ったが、振り向かなかった。

キャビネットの上で生首みたいに横たわってるひまわりを、
看護師さんに頼んで捨ててもらった



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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直川隆久 2018年6月17日

雨の来た方向

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

ぷつ、ぷつ、と窓をたたく音がするので
外光透過モードに切り替えると、
雨が見えた。窓辺に寄り空を見上げる。
風に軌道を曲げられながら遥かの高みから
きりもなく落ち続ける水滴の運動。
そういえば。地位、価値、評判。
そういったものがより望ましい状態であることを示すために、
地位が「高い」、価値が「高い」という表現をしていた時代があった。
考えてみれば不思議だ。
地面から垂直方向へより離れた状態をさす言葉がなぜ「よい」という意味を?
太古の時代には、雨や太陽の光といった農作物を育てる恵みが
「上」のほうから降ってきたからだろうか。
そこから「上」すなわち「よきもの」という感覚がうまれた、
というのはありそうな話だ。

人間にとって上空というものがとりたてて憧れを呼ぶものでなくなって久しい。
おそらくは、月や火星といった遥か我々の頭上にある場所が、
資源採掘の対象となり、
劣悪な労働環境の象徴とされるようになってからだろう。
現在地球上の人間は一般に「善い」「正しい」という意味をもつ言葉として
「screeny」という言葉を使うが、
その語源は「スクリーンでしばしば見られる、
スクリーン映えする」ということだったようだ。
それも、ある特定の価値観を反映した言葉である以上、
また変わっていくのかもしれない。

雨は、降り続く。おそらく、あと3週間はやまないだろう。
空気の中に湿りが充満していき、
肌との摩擦が少なくなる。自分と外との境界が少しだけ曖昧になる気がする。
これは、好きな気分だ。
とても、screenyだ。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2018年5月20日

日暮れに

       ストーリー 直川隆久
          出演 地曵豪

バスが、古い工場と団地の並ぶ寒々しいエリアにさしかかり、
角を曲がった。
夕日の赤い光が窓から入り込む。
そのとき、「あの」と、隣に座っていた黒いスーツ姿の乗客が
僕に声をかけた。
男は、50代くらいに見えた。
こちらに体をむけると、首元が緩められた白シャツと、
脂の浮いた黄色い顔が目に入った。
「次が、白鳥団地1丁目ですか」と男は僕に尋ねた。
そうですね、と僕は答える。
男は「ああ…」と声をあげ、両手で顔を覆った。
しばらくそうしていたが、やがてその手の指の間から、声が漏れた。
「今から…今から引き返してはくれないでしょうね」
そして、長々しい溜息を吐いたあとで、顔を覆う手をはずし、
乾いた調子で「君は、高校生?」と訊いてきた。
僕は、そうだと答えた。
「そう…」男は、それだけ言うと、窓の外を見た。
工場を囲む植栽の単調なパターンが窓外を流れていく様子を、
男はしばらく目でなぞっていたが、ふいにまた口を開いた。
「言っておこうと思うんです…
ひょっとすると、君は、ぼくが話す最後の人間になるかもしれないから」
僕は意味がわからず、はあ、としか答えられない。男は続ける。
「ぼくはね、これから、白鳥団地1丁目で降りるんです。
そこで、ある車がぼくを迎えにくる。
ぼくはその車に乗って、また別の場所に連れていかれる。そこでぼくは…」
男は、口の中が乾いたのか、
舌を口蓋にすりつけて唾液をしぼるような仕草をした。
にちゃりと音がする。
「そこで、ぼくはある勝負をするんです。それに勝てば、
 戻ってくることができる。でも負ければ…」
そこまで言うと、男はぼんやりと呆けたような顔で黙ってしまった。

ぼくは、しばらく前からチキチキという音が
間断なく続いているのに気付いた。
見ると…男が、ポケットの中で落ち着きなく手を動かしている。
チキチキ…チキ。
カッターの刃を出したり入れたりする音だ。
チキチキチキ。
出す。
チキチキチキ。
戻す。
それが、繰り返された。
そして、男の声がまた聞こえた。震えている。
「引き返すチャンスは何度もあった。なのに」
男は目から涙を流し、小刻みに体を震わせていた。
嗚咽をこらえきれずに、男はポケットから抜き出した手を口元にあて、
その肉をかみしめた。四角い歯が、肉にめり込んでいく。
そして、急にがくりと体の力が抜けた様子で、
座席に、さらに一段と深く沈み込んだ。
男は、こちらを見、また話しかけてくる。
まっすぐにこちらを見て。だが、その視線は、
僕というより、僕をつきぬけて、
僕の背後に茫漠と広がる空間へ向けられているようだった。

「言っておくよ。森の奥へ入るときには、
 帰り道にかかる時間も計算に入れとかなきゃいけない。
 まだ大丈夫、まだ大丈夫と、引き返すのを先延ばしにしていると、
 もう、日 暮れまでには絶対に戻れないところまで進んでしまう。
 森の中で日が暮れてしまったら…」

そこから先は、男の声は小さくなって、聴き取れなくなった。
動かない視線の下で、口が小刻みに動き続ける。

僕は、男に声をかけた。
あの、もうすぐ白鳥1丁目のバス停ですけど。
男の口元の動きが、とまる。
僕は続ける。ひょっとして、警察とかに知らせたほうが。
だが男は腕を伸ばし〈降車〉のボタンを押した。
〈つぎ、とまります〉の表示が灯る。
「手遅れなんだ」と、
男はゆらりと立ち上がりながら、力なくつぶやいた。
「もう、日は暮れかけてるから」
バスは、ほどなく止まった。運転手がバス停の名前を繰り返した。
男は、乗降口にむかって、歩き出した。
小銭を運賃箱に入れ、ステップを降りる。
薄暗くなりかけたバス停の周囲には、人通りもない。
バスが発車する。
男の姿が小さくなり、やがてバスが角を曲がって完全に見えなくなった。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

 

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