中山佐知子 2010年3月25日



花束は身代わりだ

               
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹  

                  
花束は身代わりだ。
花束は自分の身代わりだ、と思ったのは
あの人がいなくなってからだった。

本当は自分が行くべきなのだ。
死んだ妻をたずねて死者の国へ降りたオルフェウスのように。
オルフェウスは妻を死者の国から連れ出そうとして連れ出すことができず
じわじわと心が死んでいき、それから躯が死んだ。

躯が死んで死者の国へ入ると
逢いたい人をもう一度見ることができるのだろうか。
その答えさえ明瞭にあれば
花束ではなく自分を捧げる幸福な人もいるだろうに
神話も信仰も滅びた世界では
誰もその問いに答えるものはない。
だから僕たちは花束を自分の身代わりにして
死者の墓標で祈るのだ。

けれども、花束は裏切りだ。
花束は死者への裏切りだ、と思ったのは
あの人がいなくなってからだった。

たとえ1000の花を束にしても
根を切られ、命を絶たれたた花々が
地の底に眠る人の行方をさがし当てるすべはなく
空に昇った人に会う道を見つけることもない。
だから僕たちは安心して花束を死者への贈りものにする。

けれども
いつか僕は暗くて長い道をひとりで歩くことになるだろう。
その道はどこまで歩けば終わるのかもわからず
どこまで連れていかれるのかも定かではない。
引き返す方法もない。
そんな道をひとりで歩く日がやってくる。

そのとき
暗くて長い道を歩いている僕に誰かが花束を贈るだろう。
あの人が死んだとき僕がそうしたように
僕がいなくなったことを喜ぶ誰かが
たくさんの花束を僕の墓標に置くだろう。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

小野田隆雄 2010年3月18日


Photo by (c)Tomo.Yun


お千代さんの思い出
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

お千代さんというママが銀座にいました。

バブルがふくらみ始めた、

一九八〇年代半ばのお話です。

「私は十九歳の時、このお仕事を

 始めました。最初のお店は

 五丁目の裏通りにある

 ホームズというカウンターバーでした。

 このお店は、いまもございます。

 近頃では、とても高級なお店に

 なりましたけれど。
 
亡くなる前の太宰(だざい)さんが

 よくお見えになりました。
 
いつもウイスキーを

 ストレートグラスでお飲みでした」
太宰さんとは、太宰(だざい)治(おさむ)のことです。


ところで、あのバブルの頃には、

お千代さんは、ほんとうはもう、

五十代に入っていたと思います。

いつも和服姿でした。

面長(おもなが)の、竹久夢二の描く女性のように、

美しい横顔をしていました。
お店の名前は「まあま」。

並木通りの八丁目にありました。

「まあま」とは中国語で、

お母さんという意味です。
私が「まあま」を知ったのは三十歳の頃。

テレビドラマの脚本を書いていましたが

まだまだ駆け出しでした。

あるテレビ局のディレクターの男性に

食事に誘われ、その帰り道に

「まあま」に寄ったのでした。
正直にお話ししすると、当時の私は

そのディレクターとの、

恋というよりも、ただの不倫な関係を

終りにしようと考えていたのですが、

初めて会ったのにお千代さんは、

すぐに私の悩みを

感じとってくれたのです。

彼女のまなざしが、

「だいじょうぶよ。ご自分を大切にね」

そう、ささやいてくれたと、

思えたのです。


それから私は、「まあま」にひとりで

訪れるようになりました。

そして、気づきました。

いつもカウンターのいちばん奥に、

赤いスイートピーが、十四、五本、

細いガラスの花びんに

活(い)けられていることに。

それは、ある風の冷たい

冬の夕暮れのことでした。

開店したばかりのお店に

お客は私ひとりでした。

そのとき、ドアを静かにおして

上品な黒いスーツを着た、

若き日の石坂浩次のような青年が

赤いスイートピーの花束をもって

入ってきたのです。

彼はニッコリしながら、

花束をお千代さんに渡す。

お千代さんは、その花束を、

ガラスの花びんのスイートピーと

ていねいに入れ替える。

そして、つぶやくように、
青年にたずねる。

「お父さまは、お元気?」

青年がやさしい声で、答える。

「いま、カナダです。来月にもどります」

ハイボールを二杯飲むと、

彼が立ち上がる。

お千代さんが、ドアの外まで送っていく。

「雪になるかしらねぇ」

ドアの外から彼女の声が聞こえてきました。


結局、青年が何者かを知らないままで、

私は、大阪のテレビ局の仕事が
中心になって、
東京を離れました。

五、六年が過ぎて、バブルもはじけた頃、

まだ肌寒い早春に、私は東京に戻りました。

そして、白とピンクの花だけで作った
スイートピーの花束をもって、

お千代さんを尋ねたのです。

二階への階段を昇り、ドアの前に立つ。

けれど、そこには、もう

「まあま」の文字はありませんでした。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

岩崎俊一 2010年3月11日



     ストーリー 岩崎俊一
        出演 清水理沙

やっぱり犬にはかなわない、とヒトミは思った。

朝、学校に行く途中で、うしろ足が一本ない犬に出会った。
道の端を、人に連れられ歩いていた。
歩くたび、からだが上下に揺れる。他の犬に比べれば、
あきらかに歩みは遅く、歩調もなめらかではない。
しかし、犬に卑屈の影は見えない。
自分ののろのろとした歩みに焦れるでもなく、気おくれするでもない。
顔に憂いもなく、目にはおびえもない。
自分ならどうだろう、とヒトミは思った。
とてもあんなふうにはふるまえない。
泣きわめき、物を投げ、親にあたるだろう。
あるいは心を折り、ふさぎこみ、死ぬことも考えるだろう。
だが、犬は悲運を嘆くことはない。
身の不幸を言い募ることも、自暴自棄に陥ることもない。
そうか、とヒトミは思う。
犬は絶望しないのだ。
犬はもともと、「人生に」望外な期待など抱かないのだ。
犬は、ただ生きている。
目の前のものを食べ、与えられた足で歩き、
眠くなれば目を閉じ、一日に二回外の空気を吸い、
うれしければ尾をふり、解き放たれれば走る。
飼ってくれる人を選ばず、
飼ってくれている人が嫌いになって逃げ出すこともない。
あるがままの運命を受け入れ、ただ淡々と生きている。
犬は先生だ、とヒトミは思った。

ヒトミはもともと、じっとしていることが平気な、犬という生きものに
敬意を抱いていた。
近所にずっと、庭につながれている柴犬がいる。
通学の行き帰りに顔をあわせれば、「やあ」と声をかける。
犬は寝そべったまま、ピクリと耳を動かし、一瞥をくれる。
朝も、夕方戻ってきた時も、同じ場所、同じ恰好で寝そべっている。
ずっと何時間もそのままなのだろうか。もし私がそうなら、気が狂ってしまう。
なぜ犬は平気なんだろう、といつも考えてしまう。
一度だけ散歩途中の「動く彼」に会って、なんだかほっとしたことを覚えている。

ヒトミは、一年前、犬に死なれた。
自分より少しあとに生まれたサクラというメスの柴は、15歳で亡くなった。
最後の一年は病気勝ちで、もう長くはないと医者に言われた時、
ヒトミは涙がとまらなかった。なんて短い一生だろうと思った。
私と同じ時に生まれ、私が大人になる前に死ぬ。
これっぽっちの時間しか生きられないなんておかしいよ。
そう言って、ヒトミは泣きじゃくった。
その時、父が言った言葉が忘れられない。
「ヒトミ、人間のいのちが長過ぎるんだよ。」
犬のいのちは、人間の目から見れば短いだろうが、
なあに、犬はそのことに不満は感じていない。
これくらいでちょうどいいと思ってるよ、きっと。
バイバイ。さよなら。お先です。かわいそうなのは、あなたたちだよ。
つらい思いばかりして、
私たちの何倍もの長い人生を送らなければならない人間たちだよ。
父の話を聞いて、そう言えば人間も大変だ、と
ヒトミはちょっと泣き笑いになった。

静かに散歩する三本足の犬に出会った日、
ヒトミは学校の帰りに花屋に寄った。
サクラが死んで初めて、居間のサクラの肖像画の前に飾る花を買った。

出演者情報:清水理沙

shoji.jpg
動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


88497111.jpg
Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

一倉宏 2010年3月4日



花言葉に誘われて
                  

ストーリー 一倉宏
出演 松永玲子

ほんとうかどうかはしらないけれど
花屋の店員さんたちは こっそりと 花言葉で話しているらしい
たとえば こんなぐあいだ

「うちの店長って<ヤマブキ>すぎると思わない?
 <アマリリス>があるのはいいんだけど もうちょっと
 <赤いフリージア>だったら <ツユクサ>なんだけどなあ」

これを解読すると こうなる

「うちの店長って<ヤマブキ>=気品が高、すぎると思わない?
 <アマリリス>=誇り、があるのはいいんだけど もうちょっと
 <赤いフリージア>=愛想のよい、だったら 
 <ツユクサ>=尊敬、なんだけどなあ」

ということは
酒屋の店員さんたちは こっそり 酒言葉で話しているだろうか

「うちのおやじさん <シングルモルト>だからね
 それも なんちゅうの かなり<アイレイ>入ってるし
 それにくらべると おかみさんは<チリワイン>だよなあ」

でも これは解読しやすい

「うちのおやじさん <シングルモルト>=生一本、だからね
 かなり<アイレイ>=癖の強さ、入ってる
 おかみさんは<チリワイン>=気さくで庶民的、だよなあ」

魚屋の店員さんたちの話す 魚言葉は どうだろう

「うちの若旦那 <イナダ>でしょ 養殖の
 おやじさんみたいな<マグロ>は もう<トラフグ>でね
 いくら<イクラ>だって <ウニ>だよ」

「若旦那は <イナダ>=出世魚のまだ2番目 養殖のボンボン
 おやじさんは<マグロ>=まっすぐにしか進まないひとで
 もう<トラフグ>=すぐ怒る
 いくら<イクラ>=大事な卵だって <ウニ>=痛い目にあう」

そして 文房具屋の店員さんたちの話す 文房具言葉 

「このあいだ 合コンで会った<三角定規>
 もうかなり<36色の色鉛筆>でさ おまけに<コンパス>
 結局は<消しゴム> しょせんは<カートリッジ>だった」

八百屋の店員さんたちの話す 野菜言葉 

「<ダイコン><ダイコン> そんなに<タマネギ>だって
 <ピーマン>でしょ もっと<長ネギ>で<ナス>」

これも わかる気がする なんとなく

だから やっぱり いちばんむずかしいのは 謎なのは  
花屋の店員さんたちの話すという あの 花言葉だ

どうぞ あなたの<アイリス>が 
<ラッパスイセン>でありますように

出演:松永玲子 03-3359-2561オフィスPSC

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

2010年3月(花束)

3月4日 一倉宏 & 松永令子
3月11日 岩崎俊一 & 清水理沙
3月18日 小野田隆雄 & 久世星佳
3月25日 中山佐知子 & 大川泰樹

Tagged:   |  コメントを書く ページトップへ