18時20分に出た火は
18時20分に出た火は屋根に広がり
19時53分には高さ96メートルの塔の先端が
炎に呑み込まれて崩れ落ちた。
リラの花咲く春のパリでの出来事だ。
火が出たのは800年の歴史を持つ
ノートルダム大聖堂だった。
20時8分、屋根が焼け落ちた。
20時42分、太陽が沈むと
骨格だけになった屋根が炎にライトアップされ
その全貌をさらした。
消火活動は火事の拡大を阻止することと
文化財の保護に限らざるを得なかった。
たとえば空中消火の手段を使って空から何トンもの水を落とすと
建物全体が崩落しかねないからだ。
消防車の他に消防船も出動し、
建物の強さと水圧を計算しながらセーヌ川の水をかけていた。
火事の火は赤く、ときにはオレンジに輝き
またピンクや紫になった。
炎のありとあらゆる色が集まったかのようだった。
それは爆撃のようでもあり、花火のようにも見えた。
集まって火事を見守る市民の中から最初の歌声が聞こえた。
ボーイソプラノだった。
歌詞からアヴェマリアという言葉が聞き取れた。
そうだ、この大聖堂の名前はノートル・ダム。
その意味は我らが貴婦人という
聖母マリアをあらわす言葉だと気づいた。
歌はやがて大勢のコーラスになった。
指揮をする人とともに歌うコーラス隊もあらわれた。
祈っていた人も泣いていた人も
いっとき歌に加わった。
パリはこうして燃え上がる聖母マリアを見守っていた。
火災発生からおよそ9時間経った午前3時半、
火事はほぼおさまったと発表があった。
中心部の屋根は燃えてしまったが
正面の部分と北の塔は残り
文化財のほとんどが無事と報道された。
燃えた屋根の30メートル下で飼育されていた
18万匹のミツバチも
火事のときはうまく退避したらしく
無事に巣箱に戻った。
あのとき市民がうたった歌のなかで
ひとつだけ聞き覚えがある歌があった。
フランスの修道士が作曲した教会音楽で
聖母マリアを祝福する歌だった。
その歌の最後は
「アーメンアーメン、ハレルヤ」と
いつも通り締めくくられている。
火事が消えた朝、夜明け前から鳥が賑やかに鳴いた。
やがてバラ色の夜明けが来ても
放水はまだ続いていた。
出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/