あなたは、グラウンドに向かいますか。
だれもいない観客席。グラウンドの半分を覆う影。
校名も得点も表示されていないスコアボード。
その時計が、7時半を指している。
いまはまだシャッターの開かない、始発電車を待つ駅のような静かな面持ち。
グラウンドの影が小さくなる頃に、
秋の高校野球県大会の決勝戦が始まる。
管理人は通路の扉を開き、
毎朝そうしているように鍵の束を揺らしながら、
ゆっくりとマウンドに歩み寄っていく。
そのマウンドに今日上るエースは、
歯を磨きながら肩の重さを感じ、
そのエースのボールを受けるキャッチャーは、
風呂場でしこを踏んでいた。
そのふたりを率いるチームの監督は、
いつもの願掛けで梅干を二つ食べ、
その梅干を売ったスーパーマーケットの会長は、
応援団を募る電話をかけていた。
その応援団の団長は、擦り切れた団旗を広げて風に当て、
その風に髪をなびかせた遊撃手の彼女は、
神社に参って柏手を打っていた。
その神社の裏手にあるラブホテルで理科の先生と歴史の先生は、
選手の将来性を語り、
その先生が担任の3年2組の生徒たちは、
グラウンド行きのバスが待つ駅に向かっていた。
その駅の売店で決勝戦の取材に行く若い記者は、
アンパンと牛乳を買い、
その記者の書いた記事に傷ついた県知事は、
高校野球の見所をテレビで見ていた。
そのテレビに出ていたキャスターは、
チームの大先輩として激励の言葉を述べ、
その激励の言葉にマネージャーの女子生徒は、
控えのピッチャーの背中を思い出していた。
その控えの背中は、寝たきりおばばのために
野球中継するラジオ局にチャンネルを合わせ、
そのラジオ局の番組を聴いている手は、
決勝戦の主審を務める夫のために大きなおにぎりを握っていた。
そのおにぎりよりもっと大きなおにぎりは、
四番バッターの手の中にすっぽりと収まり、
その手の大きさに魅かれたプロ球団のスカウトは、
新幹線で大きなあくびをしていた。
その新幹線の高架下で壁投げをしている小学生は、
その高校で野球をやることを目指し、
その高校を卒業した女優は、
ちょっとエッチなポーズで人気を博していた。
そのちょっとエッチなポーズは、
応援のポーズの手本としてチアガールが取り入れ、
そのチアガールたちは、
グラウンドのそばの公園で最後の練習をしていた。
その練習は、朝の散歩やジョギングをする人たちの足を止め、
足を止めた人たちは、
そのグラウンドで決勝大会があることを知らなかった。
陽はゆっくりと動き、
グラウンドの影から鮮やかな芝の緑が浮かび上がり、
大きなグラウンドが深呼吸を始めたかのように色を帯びていく。
グラウンドは、いつも人を待っている。
その日のために披露されるものを祝福するかのように
最良の状態で待っている。
管理人は、鍵の束から一つずつ丁寧にグランドに通じる扉を開けていく。
あちらこちらから、若きも老いも、男も女も、見る者も見られる者も、
泣いたり笑ったりするために、
大きな声で叫んだり静かに祈ったりするために、
褒めたり貶したりするために、戦うために讃えるために、
グラウンドに集まってくる。
グラウンドは、ばらばらのまま、ひとつのこころになる。
出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/