ポンヌ関 2024年11月24日「こんな夢を見た」

こんな夢を見た

  ストーリー ポンヌフ関
     出演 遠藤守哉

こんな夢を見た。

腕組みをして枕元に座っていると、
あおむけに寝た猫が、静かな声で
「もう死にます」
と云う。

外は雨。

猫というものは腹をさわられるのを極端に嫌うというが
こやつはいつもさわらせてくれた。
そうして毎日私の口元を何度も何度も舐めた。
ざらざらとした痛いような舌で…。
その暖かなもふもふは
とうてい死にそうには見えない。

そこで
そうかね、もう死ぬのかね。
と、上から覗きこむようにして聞いてみた。

「死にますとも」
と云いながら、猫はぱっちりと目を開けた。
大きな潤いのある目の中は、
ただ一面に真っ黒であった。

その瞳の奥に、
自分の姿が鮮やかに浮かんでいる。
透き通るほど深く見えるこの黒目の色つやを眺めて、
これでも死ぬのかと思った。

それで、ねんごろに枕のそばに口を付けて
死ぬんじゃなかろうね、
大丈夫だろうね、
と、また聞き返した。
すると猫は黒い目を眠そうに見張ったまま、
やっぱり静かな声で、
「でも、死ぬんですから、仕方がないんです」
と云った。

しばらくして、猫がまたこう云った。
「死んだら埋めてください」

「そうして100年、
お墓のそばで待っていてください
きっと逢いに来ますから」

夜が明けて雨が上がって
虹の橋が出来た。
猫は何度も何度も振り返りながら
ゆっくり橋を渡っていった。

何ということだ。
涙が止めどなく流れる。

猫の墓をこしらえた。

これから百年の間
こうして待っているんだなと考えながら
丸い墓石を眺めていた。

そのうちに日が東から出た。
やがて西へ落ちた。

自分は一つ二つと勘定していくうちに
赤い日をいくつ見たかわからない。

勘定しても勘定してもし尽くせないほど
赤い日が頭の上を通り越して行った。

それでも百年がまだ来ない。

しまいには苔の生えた丸い石を眺めて
私は猫にだまされたのではなかろうかと思い出した。

すると石の下から
青い茎が伸びて来た。
と思うと、一輪の蕾が開き
私の口元をペロリと舐めた。

あのざらざらとした痛いような舌で。

「百年はもう来ていたんだな」と
このときはじめて気がついた。

時雨るるや
泥猫眠る経の上

漱石は猫の死後、
毎年弟子たちを集めて命日に法事を営んだという。
彼がどれほどかの猫を愛したのかは誰も知らない。
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出演者情報:遠藤守哉

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蛭田瑞穂 2024年9月22日「渇望」

「渇望」

ストーリー 蛭田瑞穂
  出演 遠藤守哉

漱石の指が、白い原稿用紙の上で痙攣するように震えていた。
締切はとうに過ぎ、新聞社からの催促の電報が
机の上に無造作に置かれていた。
筆は一向に進まず、突如として襲い来る胃の痛みに、
ぐっと声を押し込めた。
「またか、この呪われた痛みめが」。
歯を食いしばり、力なく立ち上がると、
よろめきながら縁側へと歩を進めた。

障子を開けると、空はすでに茜色に染まり、
夕暮れの影が忍び寄っていた。
縁側に腰を下ろし、冷や汗を拭う。
深呼吸をし、痛みをやり過ごそうと試みた。
しかし庭に目をやると、紅葉した木々の鮮やかな赤色が
まるで己の胃の中を流れる血を連想させ、
再び痛みが意識を支配した。
漱石はゆっくりと瞼を閉じる。
苦痛から逃れようと、何か別の思考に没頭しようとした矢先、
不意にひとつの問いが脳裏を掠めた。
「読書をしながら食べるにふさわしい果物は何であろうか」。
なぜそのような問いが浮かんだのか、漱石自身にもわからない。
ともあれ痛みに耐えながら、その取るに足らぬ問いに心を委ねた。

まずは林檎か梨か。
小気味よい歯ごたえと口の中に広がる甘さを想像した。
しかし、ナイフで皮を剥く手間が甘美な想像を無情にも打ち消した。
そもそも読書をしながら食べるという命題にそぐわないではないか。
柿もまた然り。
その上、渋柿に当たる可能性を考えると躊躇は増すばかり。
ならば桃は如何か。
滴り落ちんばかりのみずみずしい果汁に心惹かれる。
しかし、その汁が本に飛散しはしないか。
大切な書物を汚すわけにはいかぬ。

蜜柑か。蜜柑があるではないか。
手で容易に剥け、房に包まれ、果汁が飛び散る心配もない。
その美味は言わずもがなである。
読書に最適な果物は蜜柑であると結論づけようとした刹那、
房に付く白い繊維の存在が彼の心を萎縮させた。
取り除く度に読書は中断される。
その煩わしさは、到底受け入れがたい。

思考が行き詰まりかけたその時、思い浮かんだのは葡萄だった。
そうだ、葡萄ではないか。
蜜柑の長所を兼ね備えつつ、その短所とは無縁である。
デラウェアなる小粒の新種を、
一粒ずつ口に運べば、決して読書の邪魔にはならぬ。
そう考えると、葡萄がもはや、
ながら喰いのために造形された食物とさえ思えた。
長年の探求がようやく実を結んだかのように、
漱石は満足げにうなずいた。

すると突如として、
その果物を今すぐに手に入れたいという衝動に駆られた。
足早に書斎へと戻り、机の引き出しから財布を取り出す。
財布の中身を見て、葡萄を買える額があることに安堵すると、
玄関へと向かい、草履を履き、勢いよく戸を開けた。

財布を握りしめ、晴れやかな表情で近所の八百屋へ歩いてゆく。
今や漱石の意識から、何もかもが遠い記憶のように薄れていった。
白い原稿用紙も、締切の重圧も、病の苦痛も、
全てが意識の後景へと押しやられていた。
心はただ葡萄への渇望で満ちていた。

出演者情報:遠藤守哉

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佐藤充 2024年9月8日「オットセイがいる」

オットセイがいる

   ストーリー 佐藤充
      出演 遠藤守哉
   
南アフリカのケープタウンに滞在しているときだった。
ここから車で30分くらいの場所に野生のオットセイがたくさんいる。
そう聞いたので同じ宿の人たち4人でレンタカーを走らせることにした。

スマホでオットセイを検索する。
よちよちと移動する姿が可愛らしい。
これから会えるのかと心をおどらせる。

車は海辺のほうへすすむ。
窓をあける。磯の香りがする。
それと嗅いだことのないにおいがしてすぐ窓を閉めた。

車を海の近くの岩場で停める。
ここから歩いて数分のところがオットセイのスポットらしいと
地図など見なくてもわかった。

なぜかと言うと、においだ。
さっきの嗅いだことのないにおいの正体はオットセイだった。
風に乗ってこちらまでくる。

においのほうまで歩く。
遠くから見てもわかるほど大量に黒い塊が岩場にいる。
だんだんにおいも強くなってくる。
そこには数千を超えるオットセイがいた。

この強烈なにおい。
数千のオットセイの糞や尿と腐らせた魚を濃縮したような、
とにかく例えようがない強烈な刺激。臭いを超えて痛いのだ。
鼻を超えて目を刺激してくる。
目の痛みに耐えていると今度は頭が痛くなってくる。
こんな経験は初めてだった。

内心はもう帰りたいと思っていたが、
わざわざレンタカーを借りてまで来ている。

同じ宿の人たちにも申し訳ないので、
もう少し見てまわることにした。

そこには親切にオットセイを至近距離で
観察できるように木でできた橋があり、
そこを渡りながら見ることができる。

おうおうおうおう。
数千を超えるオットセイの野太い鳴き声のなかを
歩いていくとなぜか橋の上に1匹のオットセイがいる。

距離は10メートルほど。
地元北海道ではクマに遭遇したら、
静かにゆっくりと背を向けずに後退りをし
逃げるようにと習った。

オットセイはどうしたらいいのだろうと
立ち往生しているときだった。

おうおうおうおう。
鳴きながらオットセイが追いかけてくる。
全力で背を向けて車のほうまで走って逃げる。

帰りの車内も4人しかいないはずなのに
オットセイを何頭か乗車させているのかと思うほどにおいがする。

宿に戻りすぐにシャワーを浴びる。
それでもオットセイのにおいは落ちなかった。
あまりに強烈すぎて脳が混乱しているのかもしれない。

そこで南アフリカ滞在中の毎晩の楽しみで
気を紛らわせることにした。

南アフリカはワインがうまい。
種類も豊富で安い。

毎日近所のスーパーへ行き、
気になるラベルのボトルを数本買って
宿のキッチンで肉を焼いて
いっしょに楽しむのが日課になっていた。

ワインでオットセイを忘れよう。
そう思ってグラスにワインを注ぎ、
ワイングラスをまわす。

ブドウの芳醇な香りを楽しもうと目を閉じて鼻を近づける。

おうおうおうおう。
ワイングラスのなかで昼間のオットセイが鳴いていた。

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出演者情報:遠藤守哉

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佐藤充 2024年7月21日「ハマにて。」

ハマにて。

  ストーリー 佐藤充
     出演 遠藤守哉

まさかシリアの汽車のなかで、
火遁豪火球の術を、
印を結ぶところから真似する日が来るとは思わなかった。

シリアのダマスカスから汽車に乗り、ハマという街についた。
どこに宿泊するか、何をするのかも決めずに無計画に来た。

車内でたまたま日本のアニメのナルトを
スマホで見ている学生がいたので、
そのアニメのなかに出てくる
サスケというキャラの技の真似をして仲良くなった。

その技が火遁豪火球の術である。
芸は身を助けるというのか、日本のコンテンツ力は身を助ける。

いっしょに駅を出ると、タクシードライバーが群がってくる。
アラビア語なのでわからない。

彼がタクシードライバーたちに
「その値段はぼったくりだ」
というニュアンスのことを言っていることはわかる。

その中の1人はおそらく良心的な値段だったのだろう。
彼にすすめられていっしょに乗車することにした。

ドライバーに「どこへ行く?」というアラビア語なのでわからないが、
そんなようなニュアンスのことを聞かれる。

何も決めずに来たので「ゲストハウス」と答える。
きっと何かしらのゲストハウスはあるだろうと思ったのだ。

すると「どこのだ?」というアラビア語なのでわからないが、
そんなようなニュアンスのことを聞かれた気がした。

「イッツアップトゥーユー」と答えてみた。

ドライバーはルームミラー越しに頷き、
車は静かに動きだした。

汽車で出会った学生の彼は途中で降りていった。
急に心細くなり、不安になる。

いったいどこへ連れていかれるのだろう。
そもそも本当に伝わったのだろうか。

ノープランで来てしまった自分の甘さを後悔する。
いくらまでなら取られても大丈夫か頭のなかで計算する。

30分くらい走り、車が止まる。

ドライバーが指をさす。
その方向には「Guest House」と書かれた建物があった。
乗車賃も良心的だった。
少しでも疑ってしまって申し訳ない気持ちになる。

無事にチェックインを済ませて、
街を歩くことにした。

今日はよく晴れている。
ハマは水車が有名ということを
さっきゲストハウスの本棚にあった地球の歩き方を見て知った。
あてもなく川沿いを歩く。

確かにいくつも水車がある。
ただタイミングが悪かったのか、川の水量がなく水車は回っていない。

川の向こう岸のレストランで準備をしている人影が見える。
手を振ってきたので手を振りかえす。

歩いていると子どもたちが後ろをついてきていることに気づく。
振り返ると楽しそうに走って逃げる。
そんなことをして歩いていると丘の上の公園にたどり着いた。

後から知ったことだが、
そこはかつて城塞があった場所で今は公園になっているらしい。

そんなことも知らずに公園に行くと、
アジア人が1人でいることが珍しいのか
たくさんの人が話しかけてくる。

そこでピクニックをしている
自分と同い年くらいの集団に混ざることになった。
言葉はわからないがひまわりの種やひよこ豆のフムスやアイスなど
たくさんの食べ物をご馳走になる。

なぜか肩や足までマッサージしてもらい、
うちわで扇いで涼ませてくれたりもした。

その中のリーダーのような人がバイクに乗って戻ってきた。

バイクの後ろの座るところを叩いて「乗れ」と合図をする。
言われるがままバイクの後ろにまたがる。

行き先もわからないままバイクは走りだす。

丘を降りて、道を進み、露天のような場所に停車する。
そこは彼の知り合いのお店だったようでコーヒーをご馳走になる。
「ハマ イズ グッド?」と彼は聞くので「グッド」と答える。

すると彼は嬉しそうな表情をして、またバイクは走りだす。
次は石でできた不思議な建物のまえで停車する。
なかに入ると彼の友達がいて、いっしょにトランプをして遊んだ。
「ハマ イズ グッド?」と彼は聞くので「ベリーグッド」と答える。

彼はまた嬉しそうな表情をする。そして、バイクは走りだす。
今度は綺麗に手入れをされた公園の中をバイクは走っていく。
バイクで入っちゃいけない場所だったようで、警察に追われる。
彼は警察から逃げながら「ハマ イズ グッド?」と聞くので
「ベリベリグッド」と答える。

そして、そのままゲストハウスまで送り届けてくれた。
お礼を渡そうとすると断られた。
彼は「ハマ イズ グッド?」と笑い、
橙色に染まるハマの街をバイクに乗り走っていった。

心地よい旅の思い出を、夢のなかで思い出す。
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出演者情報:遠藤守哉

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遠藤守哉の雑談 2406

遠藤守哉の雑談です。
前回から10ヶ月目にしてやっと2回めですみません。
今回は子供の頃に後楽園球場へ巨人:阪神戦を見に行ったお話です。
本人は日ハムのファンのはずなのですが…

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梅雨のごあいさつ

ごあいさつ

   遠藤守哉

五月雨を あつめて早し 最上川  松尾芭蕉

紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘  正岡子規

さみだれや 青柴積める 軒の下   芥川龍之介

さみだれや 大河を前に 家二軒   与謝野蕪村

紫陽花の その水色の悲しみの
したたる夕べ カナカナの鳴く    若山牧水

吾が庭の 梅雨の雨間の花どころ
アカザ茂りて アオガエル鳴く   北原白秋

沈黙の 我に見よとぞ百房の
黒き葡萄に 雨ふりそそぐ     斎藤茂吉

6月になりました。
一年の半分が雨の季節で終わります。
もう半分もお元気で。

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