鏡の向こうは誰の顔
誕生日が近づいている。
鏡の向こうで高橋慶彦と瓜二つの私の顔が曇った。
40歳の1年は、とても穏やかにすごすことができた。
元広島東洋カープの高橋慶彦といえば端正な顔をした二枚目。
ここ7、8年で随分増えたカープファンにはもちろん、
そうではない女性からの評判も良かった。
しかし、41歳の顔が誰になるのかは分からない。
ここで、私のことを知らない人のために少し説明しておこうと思う。
私には、私の顔がない。
私の顔は、自分の年齢と同じ背番号のプロ野球選手の顔になる。
つまりは、こういうことだ。
自宅の分厚いアルバムの最初のほうには、
1歳のときの王貞治の顔でハイハイしている写真がある。
ご存知の通り、王貞治の背番号は1だった。
3歳のときの写真は長嶋茂雄の顔を真っ赤にしてナポリタンを食べている。
6歳、小学校の入学式、校門の前で両親にはさまれ立っている私は、
当時の巨人の2番バッター、背番号6の篠塚だった。
15歳、中学を同じく巨人の名捕手山倉和博の顔で卒業し、
18歳、エースナンバー18を背負った桑田真澄の顔で高校を巣立った。
高校の卒業写真を開くと、
セーラー服を着たホクロの多い男が小さな枠に収まっている。
その下には、もちろん私の名前がある。
今の説明でお分りいただけただろうか。
この話をすると、たいていの人が、
子供の頃はいじめられなかったのか心配してくれるが、
そんなことは一度もなかった。
男子のほとんどはプロ野球ファンだったし、
女子のお父さんたちもたいがいそうだったから、
私はどちらかというとスター扱いされた。
さすがに恋愛は難しいだろうと思っていたが、チャンスは何度かあった。
最初は、24歳のとき。
強烈な巨人ファンだった彼が、
当時、高橋由伸の顔をしていた私に惚れ込んだ。しかし。
25歳になると同時に、広島東洋カープで背番号25だった
新井貴浩になった瞬間、彼は「顔がカープの選手の女とは付き合えない」と言った。
27歳、古田敦也の顔のときには、
俺と永遠のバッテリーを組まないかと真顔で迫ってきた男もいたが、
それも長続きはしなかった。
サイン交換がうまくいかなかったとでも言えばいいのだろうか。
私に、彼の女房役は無理だった。
それでも、36歳、元ヤクルトスワローズの池山隆寛の顔だったときに
知り合った男と結婚し、今では二人の子供のお母さんだ。
お産のたびに、生まれてきたばかりの子供の顔を見て、
私たち世代にとって背番号0といえばこの人、バントの名手、
巨人の川相昌弘でないことを確認して夫婦で喜んだ。
プロ野球選手の顔になる遺伝は、私の代で止めることができるようだ。
だが、不安はまだ残る。
上の子はこの春から小学生になるが、
私が子供の頃とは、野球を取り巻く環境がまるで違う。
他の競技に人気を持って行かれた今のプロ野球には、
あの頃ほどの影響力はない。
お母さんの顔がプロ野球選手だということを理由にして、
子供がいじめられることも十分に考えられる。
鏡の向こうで私の高橋慶彦の顔がゆがむ。
来年は、41歳。背番号41といえば、名選手が多い。
現役選手なら、ソフトバンクホークスの千賀滉大投手。
OBなら、巨人の斎藤雅樹投手と西武ライオンズの渡辺久信投手。
どの顔になるかは、誕生日が来ないことには分からない。
誕生日の朝、鏡の向こうの私は、誰になっているのだろうか。
子供のことを思うなら、せめて千賀投手がいい。
現役で、しかも超一流の選手の顔なら、
子供も学校でバカにされにくいのではないだろうか。
出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/