「詩は音楽を嫉妬する」
といった 国文学の先生がいる
「すべての芸術は音楽を嫉妬する」
といった ニーチェのことばもあった
詩は 遠いむかし 音楽と結婚していたらしいが
文字という 独身生活の便利さを手に入れて
別れてしまった その相手を
ときどき 無性に恋しがるのだろう
ことばは 文字となって 音を離れ
音楽と別れて 美しさを 失った
ことばは それ自身で 美しい
ということはない 音楽のように
そんなことはない たとえば
「さくら」ということばは 美しいじゃないか
というひとが いるかもしれない
たしかに そのひびきは 美しくも思えるけれど
それは 「さくら」の花 だからじゃないのか
「あの客 さくらじゃないか」の「さくら」でなく
「つばき」の花も 美しいけれど
「だえき」と同類の「つばき」もある
ちょっと アクセントは違うけれど
「花」ではない 「鼻」の下に それはある
「ことばは それ自身で いいも わるいもない
ただ つづけかたによって 詩になるだけだ」
といいきった むかしのひともいる
日本の古典文学では 神様みたいな 藤原定家だ
「のぞみ」も 「めぐみ」も 美しいことば
だとしたら 「えぐみ」は どうなんだろう
太陽の「めぐみ」 「トマト」はどうか
上から読んでも 下から読んでも
「トマト は トマト」 かわいいひびき
なんて やっぱり いいそうだけど
ほんとうに そうか そのひびきは
「にんじん」や 「しいたけ」より 美しいか
「ごぼう」は どうかな
「だいこん」は どうなんだろう
「トマト」が 大の苦手の 遠藤くんは
そのことばを聞いただけで ぞっとするという
そういうことも あるんだ
ぼくは 「芽キャベツ」が嫌いなんだ