坂本和加 2008年1月18日



ソックモンキー ~ 靴下で作ったおさるの話

                  
ストーリー 坂本和加
出演 ぼくもとさきこ

ソックモンキーは、旅をする。
それは持ち主が、変わるということ。
他のおもちゃ仲間に言わせれば、
長く愛されつづける、うらやましいおもちゃ。
おもちゃだけど、プラスチックのおもちゃみたいに
壊れたらおしまいなのとは違う。
ソックモンキーはみんなふかふかで、
だっこするのにここちのいい身体に、長いしっぽと手足。
いでたちは、おさるさん。だけどぼくらは、靴下でつくられる。
だから、ソックスのさる、ソックモンキー。
ぬいぐるみのようだけど、ぬいぐるみとは、呼ばれない。
ぼくらは、ソックモンキーだから。

ぼくが生まれたのは、1977年。
最初の持ち主はヘーゼル色のきれいな目をした
ドイツ系アメリカ人の男の子で、12年をいっしょに過ごした。
旅立ちの日は、とつぜんやってきた。
彼はもうりっぱな青年で、ソックモンキーより
ガールフレンドと遊ぶことを好んだから。
それから、生まれ故郷のミルウォーキーの街を出て、
ぼくはこの30年間で、なんどか旅をした。
持ち主はそのたびに変わって、ぼくは今のところ、6つの名前をもらった。

ぼくらが持ち主に名前をもらうのは、仲間うちではごく普通のことだ。
だけど、たいていのおもちゃはそうじゃない。
ぼくらは、みんな違った顔をしているから、それぞれに名前が必要だし、
顔や姿形が個性的なのは、小さな子供たちの遊び相手として、
大人たちに手作りされるおもちゃだから。

いちばん最初のソックモンキーは、
どこからやってきたのかわからない、
だれが作り始めたのかもわからない。
だけど、子を思う母親たちの間で、人づてに広まって、
今なお、そのスタイルを変えずに愛され、
作り継がれるおもちゃを、ぼくは知らない。
ソックモンキーは、さいしょから深い愛情と愛着につつまれていて、
持ち主が捨てたくないって思うから、世界中を旅する、しあわせなおもちゃだ。

このお話は、ほんとうの物語。
たとえば、アメリカやヨーロッパのある街で、もちろん東京のどこかでも、
旅の途中のソックモンキーたちに、あなたも会えると思う。
ぼくらを見れば、すぐにソックモンキーだって、わかるはず。
かつて靴下だった「赤いかかと」が、口とおしりにあるはずだから。

*出演者情報:ぼくもとさきこ(ペンギンプルプルペイルパイルズ)

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山本高史 2006年10月27日



コーヒーのような別れかた
                     

ストーリー 山本高史
出演 ぼくもとさきこ

「コーヒーのような別れかた」という言葉が英語にある。
米語ではない、英語のほうに、だ。
意味は、それまでのどちらかというと楽しかった出来事も
なかったことにしてしまうような別れかた、転じて、台なしにする、
さらには日本語でいう、後ろ足で砂をかけるのニュアンスすらあるらしい。
文字どうり後味の悪いコーヒーへの中傷である。
もちろんそれは前提として、
英国がコーヒーに非常にネガティブな社会だからなのだが、
たとえばこんな小話がある。

「フランス人っていうやつはほんとうにバカだね。
美食だ大胆だ繊細だと口角泡をとばすくせに、
そのおしまいにあんな苦いものを口に入れたら、
ハト食ったのかネズミ食ったのか忘れちまうだろうに」
そして、その点我が聡明な国民は紅茶を飲む、と続けるところが英国人らしい。
もっともこれを引用してフランス人が
「ならばオマエたちこそコーヒーを飲むべきじゃないのかね」
つまりあんなまずいものを忘れるためにと切り返すくだりがあるのだが、
コーヒーの弁護にはなっていない。

このやりとりが「コーヒーのような別れかた」を如実に表すものならば、
なるほどヤツは一杯のニヒリズムかも知れぬ。
事実、英国人には珍しいコーヒー愛好家のミック・ジャガーは
このニヒリズムをむしろ好意的に認識していたらしく、
メロディーメイカー誌のインタヴューにおいて、
政治腐敗のテーマでこの語句を用いている。
彼が,Paint it Brack を書き上げたのはちょうどその頃だ。
だとさ。

中学生の私にそんな作り話を真顔でする叔父は、
その3日後放浪先のタイで食あたりで亡くなった。
近親者は私への最後の話を知りたがったが、教えなかった。
ただ、コーヒーでも飲めばよかったのにと、死者に意地悪なことを考えた。
But,coffee didn’t Paint it Brack.

*出演者情報  ぼくもとさきこ

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