古川裕也 2024年5月19日「彼は彼女を。彼女は彼を。」

彼は彼女を。彼女は彼を。

         ストーリー 古川裕也
            出演 地曳豪

彼女は、今、ジョナサン・スイフト精神病院にいる。
3歳の頃から集めている、飛行機雲のコレクションの展示会を
ジョナサン・スイフト市民ホールで催したいと、
ジョナサン・スイフト市役所に申しこんだためだ。
彼女によれば、飛行機雲が現れ、形が完成した瞬間にライフルで撃ち落とす。
地上に落ちてきた飛行機雲をその場で血抜きして冷凍保存。
これがいちばんきれいに雲をコレクションする方法だという。
そうして集めた飛行機雲は全部で868個。
いちばん古いのが、ハノイで採集された全長50メートルにもおよぶ
あかね色の飛行機雲。
いちばん新しいのが、ナパヴァレーで採集された渦巻き型の飛行機雲だ。

残念ながら、この話を信じた市役所職員はいなかった。
心神喪失かどうかの判断に絶対的基準はない。
ひとつの決定的行為によってではなく、
たいていの場合、絶対ではないが疑わしい行為の積み重ねによって判断される。
狂気のマイレージのようなものだ。
ジョナサン・スイフト市役所職員は職務に忠実なことに、
ジョナサン・スイフト精神病院に通報した。
彼女の場合、これが既に、3度目の入院で、
今回の主治医はミッシェル・フーコー先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテにははっきり、心神喪失と書き込んだ。

彼は彼女を見舞いにやってきた。朝晩欠かさずに。
彼女の夫は、要するにハリソン・フォードのような顔で、
たいていの人に好意を抱かせる種類の人間だった。
その彼に、彼女はひどくつらくあたった。
“あのナブラチロワとかいう女とまだつきあってるのね”とか、
“わたしに無断でなぜポルシェ968を買ったのか”とか、
“歯医者の受付のチャスラフスカとできてるのを知らないとでも思ってるの”とか、
内容は他愛ないのだけれど、
それが、彼の髪の毛を引っ張りながら病院の庭を3周しながらとなると、
良し悪しは別として、確かに人目についた。
言うまでもないことだが、
彼には彼女に対する愛はまったく残っていなかった。
彼は今、全知全能を傾けて膨大な量の浮気をしていた。

去年の夏、彼女は空に向ってライフルを乱射していた。
彼女としては、飛行機雲を撃とうとしているつもりだが、
傍目にはどう見ても、飛行機を撃ち落とそうとしているようにしか見えなかった。
居合わせたジョナサン・スイフト市役所職員の通報により、
すぐジョナサン・スイフト病院に入院した。
それが彼女にとって最初の入院だった。
見舞いに来た夫には、“5年前に一度別れたジークリンデとかいう女と
またつきあいはじめたでしょ”と罵声を浴びせた。
そのときの主治医はロラン・バルト先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテにははっきり、心神喪失と書き込んだ。

今年はじめ。ルキノ・ヴィスコンティ航空でミラノに行くとき、
彼女は、飛行機雲を素手で獲ろうとして
旅客機の窓をハンマーで叩き割っているところを取り押さえられ、
そのままジョナサン・スイフト病院に入院した。
見舞いにやってきた彼に、“あなたが今夢中なブリュンヒルデとかいう女は
そもそも男なのよ”と言い放ってから殴りつけた。
そのときの主治医は、フェリックス・ガタリ先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテには、はっきり、心神喪失と書き込んだ。

この国の行き過ぎた福祉政策のおかげで、
ジョナサン・スイフト精神病院では極めて快適な暮らしを送ることができた。
3食とも明らかに彼女のふだんの食生活よりも豪華かつヘルシーだった。
そこには、無限の時間と完全な自由があった。
そもそも精神病院では、自分がなりたいと思う人間になることができる。
医者に向かって、ファッキンと言いたければ言えばいいし、
セクシーなインターンの前でいきなり裸になってもかまわない。
正常だとここにいられないわけだし。

彼女が、2週間ほどの入院と半年くらいのふつうの生活とを
繰り返していることは、
町中のひとは、もう、おおよそ知っていた。
そろそろだわ、と、彼女は思った。

やっぱり日曜がいい。それも午後2時くらい。
みんなが集まるジョナサン・スイフト広場。
彼女は彼と腕をくんで歩く。まるで、ほんとは仲がいいかのように。
知った顔がたくさんいる。
みんな彼女を見かけると少し不安そうな表情を浮かべた後、会釈を交わす。
今日は大丈夫そうだ、と思いながら。
そのとき、彼女は、“あ。飛行機雲”と叫び、銃を取り出す。
それを空には向けず、そのまま、彼の方へ向ける。
すぐ、撃つ。再び、撃つ。もう一回、撃つ。
まるで、広場にいるみんなに見せるかのように、
なんだか説明的なゆったりとした動きで。
誰が殺し、誰が殺されたか、みんな知っている。
けれど、誰も、その殺人者を捕まえることはできない。
罪に問うことはできない。

心神喪失は、数字だ。
彼女は、2週間ずつ過去3度精神病院に入っていたことがある。
心神喪失は、多数決だ。
ジョナサン・スイフト裁判所が精神鑑定を依頼するのは、
ミッシェル・フーコー医師。ロラン・バルト医師。
フェリックス・ガタリ医師の3人。

彼女は、微笑んだ。銃を持ったまま。
これから、1年くらい、大好きなジョナサン・スイフト病院で暮らせる。
たまった本を読もう。好きなだけ音楽を聴こう。
彼女には、無限の時間がある。何をしてもいい自由がある。
それは、愛する彼と引き換えに、手に入れたものなのだ。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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古川裕也・大川泰樹 2011年作品「彼は彼女を。彼女は彼を。」


彼は彼女を。彼女は彼を。

         ストーリー 古川裕也
            出演 大川泰樹

彼女は、今、ジョナサン・スイフト精神病院にいる。
3歳の頃から集めている、飛行機雲のコレクションの展示会を
ジョナサン・スイフト市民ホールで催したいと、
ジョナサン・スイフト市役所に申しこんだためだ。
彼女によれば、飛行機雲が現れ、形が完成した瞬間にライフルで撃ち落とす。
地上に落ちてきた飛行機雲をその場で血抜きして冷凍保存。
これがいちばんきれいに雲をコレクションする方法だという。
そうして集めた飛行機雲は全部で868個。
いちばん古いのが、ハノイで採集された全長50メートルにもおよぶ
あかね色の飛行機雲。
いちばん新しいのが、ナパヴァレーで採集された渦巻き型の飛行機雲だ。

残念ながら、この話を信じた市役所職員はいなかった。
心神喪失かどうかの判断に絶対的基準はない。
ひとつの決定的行為によってではなく、
たいていの場合、絶対ではないが疑わしい行為の積み重ねによって判断される。
狂気のマイレージのようなものだ。
ジョナサン・スイフト市役所職員は職務に忠実なことに、
ジョナサン・スイフト精神病院に通報した。
彼女の場合、これが既に、3度目の入院で、
今回の主治医はミッシェル・フーコー先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテにははっきり、心神喪失と書き込んだ。

彼は彼女を見舞いにやってきた。朝晩欠かさずに。
彼女の夫は、要するにハリソン・フォードのような顔で、
たいていの人に好意を抱かせる種類の人間だった。
その彼に、彼女はひどくつらくあたった。
“あのナブラチロワとかいう女とまだつきあってるのね”とか、
“わたしに無断でなぜポルシェ968を買ったのか”とか、
“歯医者の受付のチャスラフスカとできてるのを知らないとでも思ってるの”とか、
内容は他愛ないのだけれど、
それが、彼の髪の毛を引っ張りながら病院の庭を3周しながらとなると、
良し悪しは別として、確かに人目についた。
言うまでもないことだが、
彼には彼女に対する愛はまったく残っていなかった。
彼は今、全知全能を傾けて膨大な量の浮気をしていた。

去年の夏、彼女は空に向ってライフルを乱射していた。
彼女としては、飛行機雲を撃とうとしているつもりだが、
傍目にはどう見ても、飛行機を撃ち落とそうとしているようにしか見えなかった。
居合わせたジョナサン・スイフト市役所職員の通報により、
すぐジョナサン・スイフト病院に入院した。
それが彼女にとって最初の入院だった。
見舞いに来た夫には、“5年前に一度別れたジークリンデとかいう女と
またつきあいはじめたでしょ”と罵声を浴びせた。
そのときの主治医はロラン・バルト先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテにははっきり、心神喪失と書き込んだ。

今年はじめ。ルキノ・ヴィスコンティ航空でミラノに行くとき、
彼女は、飛行機雲を素手で獲ろうとして
旅客機の窓をハンマーで叩き割っているところを取り押さえられ、
そのままジョナサン・スイフト病院に入院した。
見舞いにやってきた彼に、“あなたが今夢中なブリュンヒルデとかいう女は
そもそも男なのよ”と言い放ってから殴りつけた。
そのときの主治医は、フェリックス・ガタリ先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテには、はっきり、心神喪失と書き込んだ。

この国の行き過ぎた福祉政策のおかげで、
ジョナサン・スイフト精神病院では極めて快適な暮らしを送ることができた。
3食とも明らかに彼女のふだんの食生活よりも豪華かつヘルシーだった。
そこには、無限の時間と完全な自由があった。
そもそも精神病院では、自分がなりたいと思う人間になることができる。
医者に向かって、ファッキンと言いたければ言えばいいし、
セクシーなインターンの前でいきなり裸になってもかまわない。
正常だとここにいられないわけだし。

彼女が、2週間ほどの入院と半年くらいのふつうの生活とを
繰り返していることは、
町中のひとは、もう、おおよそ知っていた。
そろそろだわ、と、彼女は思った。

やっぱり日曜がいい。それも午後2時くらい。
みんなが集まるジョナサン・スイフト広場。
彼女は彼と腕をくんで歩く。まるで、ほんとは仲がいいかのように。
知った顔がたくさんいる。
みんな彼女を見かけると少し不安そうな表情を浮かべた後、会釈を交わす。
今日は大丈夫そうだ、と思いながら。
そのとき、彼女は、“あ。飛行機雲”と叫び、銃を取り出す。
それを空には向けず、そのまま、彼の方へ向ける。
すぐ、撃つ。再び、撃つ。もう一回、撃つ。
まるで、広場にいるみんなに見せるかのように、
なんだか説明的なゆったりとした動きで。
誰が殺し、誰が殺されたか、みんな知っている。
けれど、誰も、その殺人者を捕まえることはできない。
罪に問うことはできない。

心神喪失は、数字だ。
彼女は、2週間ずつ過去3度精神病院に入っていたことがある。
心神喪失は、多数決だ。
ジョナサン・スイフト裁判所が精神鑑定を依頼するのは、
ミッシェル・フーコー医師。ロラン・バルト医師。
フェリックス・ガタリ医師の3人。

彼女は、微笑んだ。銃を持ったまま。
これから、1年くらい、大好きなジョナサン・スイフト病院で暮らせる。
たまった本を読もう。好きなだけ音楽を聴こう。
彼女には、無限の時間がある。何をしてもいい自由がある。
それは、愛する彼と引き換えに、手に入れたものなのだ。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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古川裕也 2015年11月22日

1511furukawa

にほんについて

    ストーリー 古川裕也
       出演 岩本幸子

ポールとマリーは、ラスパーニュ通りを歩いている。
「週末どうしようか」
 「ごめんなさい。来週展示会があるの。今週は休めないのよ。」
ポールは小鼻を少し膨らませる。
「え。日曜も?」
 「そうよ。週末とはたいていの場合、日曜も含むのよ。」
ポールの小鼻はもう少し膨らむ。
 「キリスト教徒として、それは、どうなんだろう。
  だいいち、そんなにたくさん働いて、まるで日本人みたいじゃないか」
マリーは、ポールの顔を見る。小鼻の膨らみに気づく。
  「あら。あなた日本に行ったことあるの?」
 「ない。」
  「じゃあ、わからないじゃないの、日本人がどのくらい働くかなんて。」
ポールは少し目を剝く。
 「だってみんな言ってるじゃないか。」
  「みんなが言ってるからって、それをそのまま信じるという態度は、
   どうなのかしら。」
ポールはもう少し目を剝く。
 「だって、あんなに遠くにあるんだから、しょうがないじゃないか。
  情報を信じるしか。とにかく日本人は僕たちとちがって、
  やたらめったら働くんだよ。」
  「あなた、日本がどこにあるか知ってるの?」
 「もちろん知ってるさ。」
  「じゃあ、地図書いてみて。」

今日の空は、地中海的に青く雲が低い。
ポールは、足を止め、上を向く。人差し指を立てて、
それを動かして空に向かって地図を描く。
濃い目のブルーバックに、白い線がくっきり浮かび上がる。
東アジアは島の多い地域だったと思うが、ポールの地図には島がない。
マリーは、空を見る。そして、訊く。
  「この場合、日本はどこになるの?」
ポールは答える。
 「ここだよ。この大きな大陸の右端だ。」
  「あなたの地図によると、中国と日本は陸続きなのね。」
 「そうだ。」
ポールは答える。自信満々に。
「だって、日本と中国はほぼ同じものだろ。顔も区別つかないし。」
マリーは反論する。
 「明らかに違う国だと思うわ。その証拠に年中もめてるもの。
  大昔のイギリスとフランスみたいに。
  だいいち、日本は島国じゃなかったかしら。イギリスとおなじで。」

ポールの小鼻が再び大きくなる。人差し指を使って空に向かって、
新しい地図を描く。
今度は、日本が中国大陸からめでたく切り離された。
けれど、その日本は、腰痛もちの明太子のように、
中央部が曲がった楕円形のかたまりだった。そして、中国より大きかった。
マリーは顔をあげて空を見る。
 「あら。ずいぶん大きいのね、日本て。」

ポールは再び目を剝く。
キングクリムゾンのジャケットのような顔になっている。
今度は、マリーが人差し指を立てて、空に向ける。そして、描く。
とてもていねいに。ゆっくりと。ポールの30倍くらいの時間をかけて。

マリーは人差し指をおろす。
ポールが言う。
「君によると、中国はものすごく大きくて、日本はとてつもなく小さい。
しかも、4つの島に分かれているというのか。」
マリーは答える。
 「そうよ。中国はものすごく大きくて、日本はとてつもなく小さいのよ。
  そうよ。しかも、4つの島に分かれているのよ。
  グレート・ブリテンのように。」

西洋が日本を知らないように、日本も西洋を知らない。

マリーの人差し指が描き出す美しく正確な曲線を見て、 
ポールの顔は、よりキングクリムゾン・ジャケット的になっていた。
 

出演者情報:岩本幸子 劇団イキウメ http://www.ikiume.jp/index.html

 

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古川裕也 2014年4月20日

少女は泣く。少年は微笑む。

      ストーリー 古川裕也
         出演 増田未亜

「愛してる」
言われれば言われるほど不安になる。
やさしくされればされるほど、不安になる。
120%信じているけれど、
信じれば信じるほど不安になる。

そのことは、私をとても愚かな女にする。
「ほんとに愛してる?信じていいのね?」

彼のアウディの中で初めてキスしたとき。
歌舞伎座の幕間で、「僕と結婚してくれないだろうか。」と言われた時。
初めて「ロオジェ」に行って、エンゲージ・リングをもらった時。

私は愚かにも、「ほんとに愛してる?信じていいのね?」を繰り返した。
幸いなことに彼は、うざがることもなく、
「もちろんだよ。どんなことがあっても君を愛し続けるよ。」
とその都度答えた。

私はひたすら、怖かったのだ。
彼と一緒にいる幸福よりも、彼を突然失うことの恐怖のほうが、
はるかにおおきかったのだ。

母は、父が亡くなってから、
護身用の銃をキッチンの上から3番目の引き出しに置くようになっていた。
木のプレートやランチョン・マットがしまってあるところだ。
音が出ないように、木のプレート側ではなく、
一番下と下から2番目のランチョン・マットの間に隠してある。
シシリア島のタオルミナで買った下から2番目のそれには、
5つの大きなひまわりが所狭しと描かれており、
ブエノスアイレスで買った、ブルーの地に深紅の水玉が、
まるで草間彌生のように、どんどんどんと描かれているもうひとつのそれとの間に、
とても地味に退屈そうに、リボルヴァーがひとつ潜んでいる。

それを使ってみようと思ったのは、
それを使うにふさわしい事態になったからでも、
逆に、訳もなく衝動的に使いたくなったからでもない。

その夜は、西麻布の熟成を売り物にしている寿司を食べたあと、
グランド・ハイアットに泊まる予定だった。
婚約と結婚との間の時期だったとはいえ、
娘の女親というのは、寛大というより、むしろ積極的だ。

セックスをした後だったと、のちに報道されるのは嫌だった。
食事のあと、「少し歩きたい」と言った。
西麻布は、一本裏に入ると、とても上品な静けさを持っている。
大使館、大きな家。ぽつんぽつんと現れる店も、
ひっそりとまるで誰からも気づかれないことを
目的にしてるみたいだ。
素敵な街だ。

とある坂に差し掛かった。降りていく彼を少し先に行かせ、
彼が振り返ったところで、
私は言った。
「ほんとに愛してる?信じていいのね?」
「もちろんだよ。どんなことがあっても、君を愛し続けるよ。」
彼が答える。 

おそらく1000回以上繰り返してきたやり取りだ。
もはや合言葉のようになっている。
私は彼を信じている。99.9999%。
けれど、100%ではない。
何か構造的に。

彼が答えてから、およそ5秒後。
私は、母のリボルヴァーに初めての仕事を与えた。
続けて6回。
恋人たちが、愛をささやきあった距離だ。さすがに当たる。

「愛してる?信じていいのね?」
私は言う。涙が止まらない。
「もちろんだよ。どんなことがあっても、君を愛し続けるよ。」
彼は答える。私が愛した素敵な微笑みを浮かべて。
その微笑みは、仰向けに倒れて、動かなくなるまで続くのだ。

出演者情報:増田未亜


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古川裕也 2013年5月19日

彼らは成長した

       ストーリー 古川裕也
          出演 大川泰樹

出張から帰った木下が、まず気づいたのは、
空気が少し黄色いことだった。
次に、自分に3本目の足が生えていることに気がついた。
場所は、へそのすぐ下。長さは、膝より少し下くらいまである。
おそらく生えたばかりだろう。少し青い。
歩いてみると、当然、股間の前でちょっとした棒が
ぶらぶらすることになるのだが、
歩行のリズムに合わせてぶらぶらするので、別段不都合なこともない。
両手両足の2次元のリズムより今回の3次元のリズムの方が心地よいくらいだ。
モノレールを降りて久しぶりに日本の街を歩いた木下は、
3本目の足をぶらぶらさせて、むしろとても気分がよかった。

翌日、木下と共に出張していた浅尾が帰国した。
出社した彼は顔のまんなかをエレベーターの上枠にぶつけ、
鼻血を出していた。背が伸びたのだ。
本人の申告によれば、6センチほど。彼は47歳である。
帰国する飛行機に乗るときは、気づかなかった。
3時間半ほどのフライトの間に6センチ伸びたことになる。
かっこよくなったかと言えば、残念ながらそうでもない。
伸びたうち、5センチは顔の部分なのだ。
少なくとも日本において、あまり見かけるプロポーションではない。
すれ違う人々は、3秒くらい浅尾の顔を見つめ、
そのあと2秒で全身をさっと見渡した。

その翌日、島田が帰国した。木下、浅尾と同じ出張先だった。
島田は、腰の少し下くらいまで、髪の毛が伸びていた。
とてもきれいに。レゲエ的ではなく、シャンプーのCM的に。
彼は、久しぶりの出社を気持ちいいものにするために、
とっておきの濃紺のアルマーニのスーツを着ていた。
頭部が急激に重くなり、少しだけ歩きにくそうだったけれど。

島田は営業である。当然すぐ床屋に行った。
だが、無駄だった。翌朝目覚めると、
彼の髪は、帰国直後とほぼ同じ長さになっていた。
営業として、島田には試練の日々が続くだろう。

彼ら3人は、出張中、ほぼ同じものを食べていた。
いちばんおいしくて、いちばん印象に残ったのは、
北京ダックだったと、3人とも言う。
日本で食べるのとは全然ちがって、本格的な味だったと口を揃える。

残念ながら、その味の違いは、
高級な材料だったからでも料理の仕方によるのでもなかった。
3人が食べた鶏には、成長ホルモンが注入されていたのだ。
とてもとても強力で、すごくすごく大量のそれが。

彼ら3人は、今、会社のなかの秘密の部署にいる。
半透明の扉の向こうにデスクを与えられ、
人目に触れずにすむ仕事を黙々とこなしている。

出演者情報:大川泰樹(フリー)http://yasuki.seesaa.net/

  

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古川裕也 2012年4月22日

遺言

       ストーリー 古川裕也
          出演 大川泰樹

最愛の妻ジュスティーヌ。きみのおかげで幸せな人生だった。
「ありがとう」という言葉を君には数え切れないほど言ってきたけれど、
この「ありがとう」が最後の「ありがとう」になると思う。
おそらく、私は、1週間もしないうちに神に召される。
その前に最後の気力と体力を振り絞って、
君に言っておかなくてはならないことがある。
言うべきなのか、言わざるべきなのか。ずいぶん迷った。
そもそも、このことを君は知っているのだろうか。知らないのだろうか。
世の中の人は、まったく知らない。
その証拠に、私はかつて一度たりとも、
スキャンダルに見舞われたこともなければ、
それを公然の秘密として、周りに囁かれたこともない。
ごく一部の男の友人たち、ジャン・ピエール、パトリック、
ジャン・リュイ、フランソワ、ジャン・クロードだけしかしらない。

彼らは私の恋人たちだ。

子供の頃から、自分が女性を愛せないということは気がついていた。
ただ、わたしは必死に隠した。
君も知っての通り、私の家は厳格で
1ミリたりともスキャンダルを許さない家柄だった。
本当の自分を封じこめて暮らしているうちに、
私の中の、どうしても男性を愛したいと言う気持ちが
薄まってきたような気がした。
もしかすると、女性とも生きていけるのではないかという
希望のようなものが生まれた。
その頃、リシャール伯爵が紹介してくれたのが、
ジュスティーヌ、君だった。
わたしは、あの出会いを一目惚れだと思った。けれど、それは、
クラナッハが描く女性像を美しいと思うのと同じことだった。
君は、女性として、人間として素晴らしかった。
君との暮らしは楽しく充実していた。
プッチーニやドニゼッティのオペラへ行き、
タイユヴァンで、牛の腎臓、血のソースや、子羊の脳みそのフライを食べ、
気持ちよく晴れた昼下がり、君はヴァージニア・ウルフを読み、
僕は、フラン・オブライエンを読んだ。
ふたりともセックスには淡白なことを、神に感謝した。

ある日。
橋の上で、コンドームをもらった。

くれたのは、ジャン・ピエールだった。
私の最初の恋人であり、本当の私を呼び起こしてしまった男だ。
もはや隠してもしょうがないので、言っておくと、
私は、男という字を書いただけで、ジャン・ピエールという名前を書くだけで、
性的興奮を覚えてしまう。
ジュスティーヌ、申し訳ない。それが私の本性なのだ。

ジャン・ピエールは、正確に私のことを見抜いていた。
彼の告白とも誘惑ともつかぬ、
“橋の上でいきなりコンドームを渡す”という行為が、
ポピュラーなものなのかどうかはわからない。
ただ、ストレートすぎて、逆にユーモアがあり、
なぜか、ボードレールの“人工楽園”を私に思い出させた。
その後の4人、パトリック、ジャン・ルイ、フランソワ、
ジャン・クロードとの出会いでは、
私が、橋の上でコンドームを渡す側にまわった。
それから、病を得るまで、
私たちは、極くふつうの恋人同士としてつきあってきた。
誰にも知られてはならないという以外、極くふつうの。

楽しかったばかりではない。夜遅く帰って君の寝顔を見るとき、
大好きな“ドン・ジョヴァンニ”のツエルリーナの
アリアを聴いている君の横顔を見るとき、
自ら命を絶つべきではないか、その前に5人の恋人たちを殺してから。
と思ったこともあった。
それにしても、“密室の恋”と“未必の故意”はよく似ている。

やはり、こうして真実を最後に君に伝えてよかったと思う。
ずっと、言えなかった。
ほんとうに、申し訳ない。そして、ほんとうに、ありがとう。

ところで、先週、橋の上で話していた相手はジュリエットだね。
君の新しい恋人だね。
それまでの君の恋人は、時系列で
デルフィーヌ、フランソワーズ、イヴォンヌ、ステファーヌ、
そして、今のジュリエット。
この5人でまちがいないよね。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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