岩崎俊一 ・仁科貴 2008年作品「よっちん」



よっちん

                   
ストーリー  岩崎俊一
出演    仁科 貴

よっちんが東京に逃げたという話は、ヒデオから聞いた。

2日前、よっちんはけんか相手にケガをさせた。
木屋町通りを、恋人の今日子さんと歩いていたよっちんは、顔見知りの
3人連れの男にからまれ、今日子さんの肩に手をかけた男の顔面に思いき
りパンチを入れた。男は倒れ、気を失った。

よっちんは、僕より4つ上の24歳だった。もともとは、僕の大学の同
級生であるヒデオの遊び仲間だった。
京都の街なかで育ち、小さいころから男女のやりとりや、大人の酔態を
見てきたヒデオは、僕よりはるかに世間に通じていたけれど、その何歳も
年上で、高校を中退したあと、いろいろな世界を見てきたよっちんの成熟
度は、僕の想像をはるかに越えていた。
気性は激しいけれど、よっちんはやさしい男だった。インテリであり、
熱かった。義に感じて無茶ばかりやり、そのあげく損ばかりしてきた。高
校をやめたのも、職を転々としたのも、ケンカばかりしてきたのも。
うわべしか見ない人は、たぶん彼をチンピラと呼んでいただろう。でも、
よっちんは、チンピラとはまったく次元が違っていた。
そのよっちんが、
「わし、ほれた女できてん」
と照れながら話してくれたのは、一年前だった。シマちゃんも、シマち
ゃんの店の大将も、明石焼きのおばちゃんも、喫茶店のマスターも、ヒデ
オも、僕も、よっちんのためにとてもよろこんだ。
それからしばらくして、よっちんは仕事に就いた。前からやりたかった
インテリアの会社に入ったのだ。もともと好きなことであった上、頭がよ
くて情熱家のよっちんは、その会社ですぐ頭角をあらわした。恋人のため
に働く男は強いと思った。もう前のように一緒に遊べなくなったヒデオと
僕は、ちょっとさびしい思いもしたけれど。

よっちんが東京に逃げたのには理由がある。
2年前に、彼は、やはりケンカで傷害騒ぎを起こしていた。その時は大
事にならずにすんだのだが「次、あると、まちがいなく実刑だから」と警
察に強く釘をさされていたのだ。
一年間、東京に行く。待っててくれと言うよっちんに、昨夜、今日子さ
んは泣いて怒った。
「なんでケンカなんかするんや。あんたは、ケンカしたらあかんのや。
あんたは人をなぐってるつもりかしらんけど、あんたのそのげんこつはな、
うちをなぐってるんやで」

結局よっちんは、東京に2年いた。京都の会社の社長が紹介してくれた
内装関係の店で働き、一人前の職人として京都に戻り、もとの会社に勤め
た。そして3年後独立した。騒動の元になったけんかは、男のケガも大事
に至ることはなく、事件にならずに終息したらしい。
でも、京都に戻ったよっちんに、今日子さんはいなかった。
よっちんが東京に行った3ヶ月後、今日子さんに新しい恋人ができたと
ヒデオから聞いた。それを聞いて、なぜか僕はとても傷ついた。胸がどき
どきして、そして痛かった。
大人になることは大変だと思った。ただ恋人を失うのではない。腕の中
にあった恋人を失う痛手に、大人は耐えなければならないのだ。

出演者情報:仁科貴 03-3478-3780 MMP

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岩崎俊一 2019年2月17日「夜汽車(2019)」

夜汽車
    ストーリー 岩崎俊一
       出演 地曳豪

二階の部屋でひとりで寝るようになって、二日目の夜だった。
なかなか眠りに入れないまま、何度も寝返りを打つマモルの耳に、
遠くから思いがけない音が届いた。
あまりにもかすかなので、初めは何の音かわからなかった。
カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン。
汽車か。

まちがいなかった。そのしばらくあとに汽笛が聞こえたのだ。
そうか、夜汽車か。この家には夜汽車の音が届くのか。
階下の奥の部屋で年下の兄弟たちと寝ている時には
まったく気づかなかったその音に、
九歳のマモルは、生れて初めて切ない疼きを知り、
その胸は激しくふるえた。

マモルの頭に、ある映像が浮かんだ。
両側を、畑と樹木研究所の森に挟まれた鉄路を進む、
長い長いSL列車。あたりは漆黒の闇である。
うす暗い客室にはまばらな人影があるものの、
室内はシンと静まり返っている。
ある者は静かに目を閉じ、
ある者は何も見えるはずのない窓外に目を凝らし、
話す者さえ囁くように言葉を交わすだけだ。

中に、若い母子連れがいた。
子どもは、小学生の帽子を被り、小柄で痩せていた。
ふたりはひっそりと身を寄せあい、
人の目から逃げるように顔を伏せている。

マモルを動揺させたのは、その母親だった。
マモルの母にとても似ているのだ。
伏せた顔からはわかりづらいが、その丸くひっつめた髪も、
痩せた肩も、冬になるとひび割れる手も、マモルの母そのものだった。
それが空想だとわかっていても、
マモルの動揺はなかなかおさまらなかった。

マモルの父と母の間では、しばしば諍いが起こった。
何が原因であったか、幼いマモルには知りようがなかったが、
その諍いは、マモルの小さな胸を耐えがたいほど暗くした。
父の喧嘩のやりかたは執拗だった。
母を小突き、時には感情を爆発させ、
時にはねちねちと母の非を言い立て、
あかりをつけない台所に、泣く母を追いつめた。
マモルが母を守ろうとすると、父につきとばされた。
マモルの行為は単に父の感情を煽るだけで、
事態の鎮静に役立ったことは一度もなかった。
子どもなんて何もできない。何の役にも立たない。
マモルは、その時、父を憎むと同時に、自分が子どもであることに絶望した。

夜汽車の中の母は、少年の肩を抱きながら、ピクリとも動かない。
マモルは布団の中で考える。
マモルの母は、この夜汽車の母のように、この家を出て行くのだろうか。
それとも、僕が大人になるまで待てるのだろうか。
夜汽車は果てのない夜を進んで行く。
そのヘッドライトが照らす闇には何もなく、
ただ二本のレールがはるか先まで続いているだけだった。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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岩崎俊一 2013年4月14日

オムライス

          ストーリー 岩崎俊一
             出演 大川泰樹

叔父の奥さんの環さんに連れられて、一郎は環さんの実家に向かった。
向こうに行けばご馳走が待っているのはわかっていたが、
一郎の心は少しも弾まなかった。
電車のシートに頭を凭せかけ、ぼんやりと流れ去る田園風景を見ながら
胸の中でつぶやいた。
「こんどは、いつ家に帰れるんやろ」

一郎の家の向かいの叔父宅は、
広大な田畑を有する地元でも指折りの農家で、
4人姉弟のまっし;末子で、ただ一人の男子である叔父が家を継ぐことは
既定路線であった。
ただ叔父は農業を嫌い、畑仕事に身の入らぬ日々を送っていたため、
「嫁を取らせば落ち着くやろ」という祖父の判断で、
電車で8駅離れた町の農家から、環さんがやって来た。
 
農家の娘とは思えないほど、環さんは色白で、蒲柳の質の人だった。
嫁いでから、環さんが畑仕事に出る日は数えるほどしかなかった。
初めのうちは疲れもあろうと気遣っていた叔父の両親や親戚も、
やれやれ、大変な嫁を貰ったものだという嘆きを漏らし始めたが、
ひとり叔父だけは沈黙していた。
 
ある日幼稚園から戻った一郎が叔父宅に行くと、
薄暗い土間はガランとして誰もいなかった。
いつものように居間に上がりテレビを点けようとすると、
襖のあいた隣室に人の気配がした。
そっと覗くと、叔父夫婦が寝室としている広い和室で、
畳んだ夜具に顔を埋めるように凭れかかって環さんが眠っていた。
薄暗い部屋の中で、スカートから伸びるふくらはぎが一郎の目を射た。
廊下を隔てた窓から届くわずかな光を集め、
そこだけが白く浮かびあがっていた。

叔父をさらに苦しめたのが、環さんの頻繁な里帰りだった。
父の具合が悪い、兄がケガをした、
小さい頃からかかっている医者に行きたいなどと、
さまざまな理由を見つけて実家に戻った。
農家の嫁らしからぬその行動に、叔父の周辺では当然非難の声が挙がる。
だが「房はんは環さんに惚れとるからのう」とからかわれる叔父は、
それを止められなかった。
 
ある時から、その里帰りに一郎がお伴をさせられるようになった。
それは、環さんと叔父の家にとっては世間の目をごまかすための
「小道具」であり、
叔父にとっては、環さんを実家から取り戻すための
「貸し出し証」であったのかもしれない。
 
初めは一郎も進んで行った。
何しろ環さんの実家は、環さんに子どもができないだけでなく、
きりりと男前のお兄さんも未婚で、幼い一郎はすこぶる歓待を受けた。
お菓子が山ほど用意され、食卓には一郎が家では口にできないものが並んだ。
ハンバーグも、シチューも、一郎はこの家で初めて口にした。
 
中でも一郎を虜にしたのはオムライスだった。
庭で飼うニワトリの生みたての卵を使って、
環さんのお母さんはとても上手に、ふわふわのオムライスを作った。
初めて食べた日、あまりのおいしさに一郎は飛び上がった。
 
しかし、行く度、環さんが叔父宅に戻るのが予定より遅れるようになった。
1日の約束が2日になり、2日の約束が3日4日となった。
今日は帰れる、と思って目ざめた朝に延期を告げられるのは、
家が恋しい子どもにはつらいことだった。
得体の知れない力が、小さなからだにのしかかるように感じた。
 
今回もそうだった。
朝起きて居間に出ると、環さんのお母さんが待っていた。
「もう1日泊まってお行き」とあたり前のように言われ、
恐れていただけに、やっぱりそうかと一郎は余計にガッカリした。
 
朝食のあと、お兄さんと環さんに連れられ、近くの河原に散歩に出た。
地面は、昨夜降った雨を吸いこみ黒々と濡れていた。
「もうひと雨くるかなあ」とお兄さんが言っていた空には、
重い雲があった。
一郎はとぼとぼと二人のあとを歩いた。
足もとに、ぽっかりと口をあけた穴を見つけ、
中を覗くと底のほうに何匹もの虫が動くのが見えた。
虫の名前を聞こうと顔を上げると、二人は思いのほか先まで歩いていた。
 
二人は手をつないでいた。
心なしか環さんの頭は、お兄さんの肩に凭れているように見えた。
見てはいけないものを見た気がして、
一郎は声をかけられないままじっと立ちつくしていた。

出演者情報:大川泰樹(フリー)http://yasuki.seesaa.net/

 

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岩崎俊一 2012年2月12日

夜汽車
 
         ストーリー 岩崎俊一
            出演 大川泰樹

 二階の部屋でひとりで寝るようになって、二日目の夜だった。
 なかなか眠りに入れないまま、何度も寝返りを打つマモルの耳に、
遠くから思いがけない音が届いた。
あまりにもかすかなので、初めは何の音かわからなかった。
カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン。
 汽車か。
 まちがいなかった。そのしばらくあとに汽笛が聞こえたのだ。
そうか、夜汽車か。この家には夜汽車の音が届くのか。
 階下の奥の部屋で年下の兄弟たちと寝ている時には
まったく気づかなかったその音に、
九歳のマモルは、生れて初めて切ない疼きを知り、
その胸は激しくふるえた。
 マモルの頭に、ある映像が浮かんだ。
 両側を、畑と樹木研究所の森に挟まれた鉄路を進む、
長い長いSL列車。あたりは漆黒の闇である。
うす暗い客室にはまばらな人影があるものの、
室内はシンと静まり返っている。
ある者は静かに目を閉じ、ある者は何も見えるはずのない窓外に目を凝らし、話す者さえ囁くように言葉を交わすだけだ。
 中に、若い母子連れがいた。
子どもは、小学生の帽子を被り、小柄で痩せていた。
ふたりはひっそりと身を寄せあい、
人の目から逃げるように顔を伏せている。
 マモルを動揺させたのは、その母親だった。
マモルの母にとても似ているのだ。
伏せた顔からはわかりづらいが、その丸くひっつめた髪も、
痩せた肩も、冬になるとひび割れる手も、マモルの母そのものだった。
それが空想だとわかっていても、
マモルの動揺はなかなかおさまらなかった。

 マモルの父と母の間では、しばしば諍いが起こった。
何が原因であったか、幼いマモルには知りようがなかったが、
その諍いは、マモルの小さな胸を耐えがたいほど暗くした。
 父の喧嘩のやりかたは執拗だった。
母を小突き、時には感情を爆発させ、
時にはねちねちと母の非を言い立て、
あかりをつけない台所に、泣く母を追いつめた。
マモルが母を守ろうとすると、父につきとばされた。
マモルの行為は単に父の感情を煽るだけで、
事態の鎮静に役立ったことは一度もなかった。
子どもなんて何もできない。何の役にも立たない。
マモルは、その時、父を憎むと同時に、自分が子どもであることに絶望した。
 夜汽車の中の母は、少年の肩を抱きながら、ピクリとも動かない。
マモルは布団の中で考える。
マモルの母は、この夜汽車の母のように、この家を出て行くのだろうか。
それとも、僕が大人になるまで待てるのだろうか。
 夜汽車は果てのない夜を進んで行く。
 そのヘッドライトが照らす闇には何もなく、
ただ二本のレールがはるか先まで続いているだけだった。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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瀬川亮くんは次男らしい(収録記2012.1.21−2)

水下きよしさんが読んでいる最中になんとなく気配がしたので
終わるやいなやドアを開けたら瀬川亮くんがいた。
録音の最中にドアを開けるとノイズでNGになるので
待っていてくれたのだ。
この気づかいの「待機」方式を最初にはじめたのは大川泰樹くんだが
いまではほぼ全員が待機してくれるようになっている。
ドアチャイムもあるが、いまでは誰も鳴らさない。

さて、瀬川くんが読んだのは岩崎亜矢さんの原稿だ。
主人公は小学生の男の子。
実は岩崎俊一さんの原稿も同じ年頃の男の子が主人公だったので
私は父娘が申し合わせて原稿を書いてくださったのかと思っていた。
そうではないと知ったのは収録後のことだった。
申し合わせて書いてくださったと思ったときも驚いたが
そうでないことを知ったときはもっとびっくりした。
どうしてこんなことが起こるのだろう…

岩崎亜矢さんの原稿は若々しくて谷を流れる水のように
かろやかで新鮮だった。
岩崎俊一さんの原稿は熟成した酒のように重厚で情感が溢れていた。

瀬川くんは亜矢さんの原稿をとても静かに読んで
「僕は次男坊なんでこういうのわかるんですよ」と
ぼそっと言った(なかやま)

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岩崎俊一 2011年7月17日



空の庭
          ストーリー 岩崎俊一
             出演 山田キヌヲ

 ヨステビトみたいだよ、と従姉妹のみっちゃんから聞いた。小学
生になったばかりのモモに、その漢字は書けなかったけれど、初め
てその姿を見た時、なんとなくその意味がわかる気がした。モモ自
身は、外国の絵本に出てくる魔法使いのおばあさんのようだと思っ
た。
 それが、モモの祖母、空(ソラ)さんだった。
 とても小柄で、痩せていた。鼻は、日本人には珍しく、細くて高
く、色は白く、目は窪んでいた。踝まである長いスカートを穿き、
頭から肩までスッポリと隠れるストールを巻いていた。
 空さんの家は、いちばん近い小さな町からも車で一時間くらいか
かる山の中にあった。あの家の庭は、野球場の3倍あるからね、と
父に聞いていたが、空さんに案内されて歩いてみると、それどころ
じゃない気がした。
 空さんを訪ねる人は少ない。
 近隣に住宅は数えるほどしかない上、人づきあいが苦手な空さん
は、自宅に人を呼ぶことも稀で、自分の周辺には、2代目になるビ
ーグル犬と、立派な小屋まで持つ何羽かの鳩がいるばかりであった。
 だがモモは、会って数時間後には、空さんのことが大好きになっ
ていた。魔法使いみたいだと思った顔は、正面からちゃんと見ると、
驚くほどやさしかった。無口で、話す時もつぶやくようだし、声を
立てて笑うことは一度もないけれど、その言葉も、まなざしも、今
まで見たどんな人よりも柔和だった。
 なにより、空さんは、花と話せる人だった。
 空さんの広大な庭には、訪れる人が息をのみ、言葉をなくすほど
のたくさんの花が咲いている。その庭を、空さんは一歩一歩、ほん
とうにゆっくりと歩を進めながら、一輪一輪の花の顔をのぞいて行
く。その時モモは、まばゆい初夏の陽ざしの中で、風に揺れる花
々を見ながら確信した。
 「あ、この花たちは、空さんに声をかけられるのを待っている」
 そう感じた瞬間、モモのからだに電流が走った。
 そうなんだ。
 空さんは、さびしい人でも、世捨人でもなかった。ただ単に、人
とのつきあいが極端に少なかっただけである。私たちは、ともすれ
ばたくさんの人に囲まれて暮らすことが幸せなことだと思っている
けれど、それは偏った見方なのかもしれない。たくさんの人ではな
く、たくさんの生きものであっても、ちっともかまわないのだ。そ
こにだって歓びも、充実も、幸せもあるのだ。そう気づいたモモの
胸には、それまでに感じたことのない新鮮な風が吹き渡っていた。
 空さんの思い出で、モモには忘れられない言葉がある。
 「私も不器用だけど、動けず、話せない花たちも、とても不器用
だと思うの。だから、私と花たちは、不器用な生きもの同士で友だ
ちになれたのね」

 空さんの庭が、主(あるじ)を失って2年目の夏が来ようとしている。
 敷地は村に寄贈され、庭も管理人によって手入れされているらし
いが、あの夏空の下で、空さんが声をかけてくれるのを、今か今か
と待っていた花たちは、いまどんな思いをしているのだろう。ただ
それだけが気がかりなモモなのである。

出演者情報:山田キヌヲ 03-5728-6966 株式会社ノックアウト所属

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