ストーリー

村山覚 2025年3月30日「ハルさんの替え歌」

「ハルさんの替え歌」

ストーリー:村山覚
出演:遠藤守哉

ぼくが時々顔を出すスナックに、
ハルさんというおじさんがいる。

ハルさんはハルさんのくせに春が嫌いだ。
花粉も、桜も、花見も「いけすかない」と言う。
「梅はどうですか?」と聞いてみたことがある。
「わざわざ見に行ったりはしないけど、
梅干しと梅ねりは好きだな」と彼は言った。
ハルさんは若い頃、ばりばりの営業マンだったらしい。
銀座や六本木での接待も多かったという。
「あの頃は本当にタクシーがつかまらなかった」という話を
何度も聞かされた。「毎回それ言いますよね」と
ぼくが言うと、ハルさんはグラスの中の氷を
カラカラと鳴らした。
ハルさんは歌がうまい。ばりばり時代は先輩や
お客さんから「おい、ハル! なんか歌え!」と
よく言われたらしい。そんなときは
「では、今日もハルソングを」と言い
分厚いソングブックをめくっていたそうだ。
あの分厚いの、ちょっとした鈍器だったな。

春一番  春なのに
春だったね  春よ、来い

ハルさんは、それらの歌を1番はそのまま歌い、
2番からは「春」という歌詞を「悪」に置き換えた。

もうすぐ悪ですね  悪なのにお別れですか?
あゝ あれは悪だったね  悪よ、遠き悪よ

ハルさんは言った。
「ほら、春ってさ、少し悪いやつだろ?」
たしかに春には暖かさの陰に底知れぬ冷たさがある。
出会いと別れ、期待と落胆、満開と散り散り。

ある春の日。けっこう酔っ払っていたぼくは
ハルさんの真似をしてワルソングを歌ってみた。
変な空気になった。ママの「いぇい!」という
合いの手と拍手がさびしく響き、当のハルさんは
にんまりしながら氷を指で回していた。

ぼくはマイク越しに言った。
「おい、ハル! なんか歌え!」

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出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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宗形英作「都会の野原(2025年版)」

都会の野原    

          ストーリー 宗形英作
             出演 大川泰樹

あなたは知っていますか?
あなたが今いるところが、野原だったことを。

あなたは想像できますか?
あなたが今暮らしているところが、野原だったことを。

かつてそこは空と雲と野原しかなかった。
あるいは、月と星と野原しかなかった。

50年前のことなのか、
100年前のことなのか、
300年前なのか、500年前なのか。
あるいは1000年も前のことなのか。
もっともっと前のことなのか。

なだらかで、風通しがよくて、見晴らしのいい、
その野原に一軒の家が建った。
ほんの小さな一軒の家ではあったけれど、
その家から少し離れたところにまた一軒の家が建ち、
それが十軒になり、百軒になり、千軒になり、家々が連なり、
野原は村になり、町になった。

野原の面影を残していた村は、屋根の連なる町になり、
水平に広がっていった町は、縦に縦にと伸び始めた。
高層のビルが立ち、その高さを競うようにビルの隣にビルが立ち、
ビルとビルの間には陽のあたらない場所が出来た。
野原は村になり、町になり、そして都会になった。

ずっと昔々から、
その都会は都会であったかのように佇んでいる。
そこであなたは暮らしている。

都会で暮らすということは、
そこが野原であったことを忘れるということかもしれない。
もはや野原を思い出すこともできないということは
ようやく都会になったということかもしれない。

だからこそ、ほんの少しだけ思い出してみよう。
あなたが今いるところ、そこが野原だったことを。
ほんの少しだけイメージしてみよう。
あなたが今暮らすところ、そこが野原だったことを。

あなたの野原はどんな野原だろう。
あなたの野原はどんな季節の野原だろう。
あなたの野原はどこの野原に似ているのだろう。

陽は東にあるのか西にあるのか。
風は南から吹いているのか北から吹いているのか。
草の高さは足首までか膝上までか。

野原にはいろんなものが潜んでいる。
野原にはいろんなものが混じり合っている。

蝶がいて、トンボがいて、
カマキリがいて、トカゲがいて、
クモがいて、てんとう虫がいて、
赤があって、緑があって、
黄色があって、紫があって、
知っているものがあって、知らないものがあって、
光があって、影があって、
そして、どれもみんな動いている。

野原であなたはきれいに出会い、
野原であなたは不気味に出会い、
野原であなたは心地よいに出会い、
野原であなたは怖いに出会い、
野原であなたは子供のころに出会う。

目は近くも遠くも見つめている。
耳は360度の音に神経を使っている。
皮膚はささいなことにも繊細になっている。
そしてなにより、あなたの動きがゆっくりになっている。

生きるということは急がないということなのだ、
そんなことに改めて気づいたりする。
生きるということはいろんな生きると出会うことなのだ、
そんなことに改めて気づいたりする。

もしもあなたが疲れていたら、
あなたが今いるところが野原だったということを思い出してみよう。
もしもあなたが眠れなかったら、
あなたが今寝ているところが野原だったということを思い出してみよう。

野原はきっとあなたを大切に迎えてくれる。
野原はきっとあなたを大きく包んでくれる。
都会に住むひとにこそ野原は必要なものだから。
そしてなにより野原はあなた自身なのだから。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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中山佐知子「旅をする魔法使いと(2025年版)」

旅をする魔法使いと

   ストーリー 中山佐知子
      出演 遠藤守哉

旅をする魔法使いと出会った。
魔法使いは、若い頃にかけた魔法を「調整」するために
旅をしていると言った。
魔法を調整?
すると魔法使いは、
「例えば水に不自由している国に与えた井戸を枯らすのも調整だ」と答えた。

水のない国に井戸を与える。
すると誰かがその井戸の権利を主張し、
水を汲む人々から代金を取り立てることがある。
「そんな井戸は枯らしてしまうのさ」と魔法使いは言う。
井戸を枯らして、今度は水脈を見つける方法を教える。
みんなで探してみんなで掘った井戸はみんなのものだからな。

魔法使いが若いとき、
悲しみに沈んだ国へ行った。
土地は痩せ、耕しても収穫は少なく
育たずに死ぬ子供も多かった。
情深い王さまはそれを見るに堪えず
この国から悲しみを取り去るよう魔法使いに頼んだ。
それはあっという間だったそうだ。
泣きながら畑で働いていた国民は笑うようになり
子供が飢えて死んでも涙を流す母はいなくなった。
子供たちは世話をしているヤギが死んでも
明るく笑うだけだった。

どうにもまずいことをしたものだと魔法使いは思ったが、
いったんかけた魔法は取り消しができない。
しかも悲しみを与える魔法はあっても
悲しむことを思い出させる魔法はないのだった。

その国の悪い評判を聞くたびに
魔法使いの心はチクチクと痛んだ。
しかし、やっといまになって、と魔法使いは言った。
「やっといまになって思いついた方法がある」
そう言って魔法使いはポケットから小さな瓶を取り出した。

この瓶の中身は酒だ。
酒は何からでもつくれる。
穀物、芋、果物。蜂蜜に水を混ぜても勝手に酒になる。
あの国に酒のつくりかたを教えようと思う。

それを聞いて私は首を傾げた。
酒は悲しいことを忘れるためにあると思っていましたが…
すると魔法使いはニヤッと笑った。

その通りだ。でも考えてもごらん。
忘れるためには思い出さないといけないじゃないか。

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出演者情報:遠藤守哉(フリー)


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宗形英作 「初雪が降ったら(2025年版)」

初雪が降ったら

         ストーリー 宗形英作
            出演 地曵豪

初雪が降ったら、と少年は空を見上げた。
初雪が降ったら、初雪が降ったら、告白をしよう。
少年は空を見上げたまま、憧れの人を想った。

なぜ告白という言葉を使ったのだろう。
なぜ初雪の日を思い浮かべたのだろう。
なぜ初雪という一年に一度の時に、告白を、と思ったのだろう。
少年は、とても初々しい気持ちになっていた。
少年は、初雪と告白、この二つの言葉に相性のよさを感じていた。

水分が結晶となって、そして雪になる。
もとあるものが、形を変える。別のものになる。
液体が固体になる。透明が白色となる。
掴みどころのないものが、
手の中にしっかりと握りしめることができるものになる。
その変化、変容、変幻を望んだのかもしれない、と少年は思う。
告白することによって、明日が変わるかもしれない。
今の自分とは違った自分に会えるかもしれない。
少年は、その思いに満足しながら、再び空を見上げた。

果たして、少年が決意してから一か月、雪が降ることはなかった。
少年は、告白の文面を考え、手直しをし、
そのために長くなってしまった文面を削り、
削ったことで言葉足らずになった文面に言葉を足した。
少年は、何度も何度も言葉探しの旅に出かけて行った。
そして、初雪が降った。
しかし、手直しに手直しを重ねるばかりで、告白文は未完成のままだった。
少年は、告白の、最初の機会を失った。

そして、2年目の冬が来た。
明日の朝方には、今年初めての雪が降るでしょう。
少年は、その夜長いこと星のない空を見上げていた。
闇に包まれながらも、空は凛として透明な気配を漂わせていた。
息は白く、頬は張りつめ、手は凍てついて、しかし心は熱かった。
そして翌日、少年は高熱を出し、医者から外出を禁止された。
予報通り、その年の初雪は降り、少年は暖房の効いた部屋の窓から、
ひらひらと舞い落ちる雪を眺めていた。
少年は、またも告白の機会を失った。

そして、3年目の冬が来た。
町から色を奪うように、雪がしんしんと降り注いでいる。
その年の初雪だった。
少年は、憧れの人へ電話をかけた。
すっかり暗記している数字を震える手で押した。
憧れの人をコールする、その音が波打つように揺れていた。
留守録に切り替わることを覚悟したとき、彼女の声が揺れながら届いた。
ごめんなさい、気づかなくて。少年の喉が渇いた。
今日会いたいのだけれど。少年は渇きを鎮めるように喉を鳴らした。
ごめんなさい、今ね。と一度区切ってから、南の島の名が聞こえてきた。
その年の初雪が降った日、憧れの人は日本にはいなかった。
少年は、降り注いでくる雪を見上げながら、電話を切った。
少年は、またしても告白の機会を失い、
その翌年、憧れの人が遠い地へと引越していくのを遠くから見送った。

そしてまた、その季節がやってきた。
少年はもう諦めかけていた。自分には運がないのだと。
冬が来ても、天気予報が寒さを告げても、少年はこころを動かさなかった。
初雪という言葉も告白という言葉も遠くなっていくことを感じた。

そしてその日がやってきた。
目覚めると、そこは一面の雪だった。
一晩で積もるほどの雪が、その年の初雪だった。
少年は、その初雪にこころの奥に
仕舞ったはずの言葉が浮き上がってくるのを感じた。
告白しなければ。
憧れの人を想い、会いたいと思い、伝えたいと思った。
伝えたい、その逸る気持ちを抱えながら、
しかし少年は、数日の間じっとこころの中と向き合っていた。

初雪。
年に一度の機会に賭ける、その愚かさに少年は気付いた。
初雪と告白。
そのふたつを関連づけることで、わざと可能性を小さなものにしてしまった。
少年は、そのことに気が付いた。
勇気のない、臆病な自分を正当化するために、
初雪が降ったら、と自分への言い訳を用意していたのではないか。
告白できない自分のふがいなさを隠そうとしていたのではないか。

少年は、思った。
初雪が降ったら、告白しよう、ではなく、
ただ一言、告白しよう、その一言で十分だと。

少年は、遠い地に暮らす憧れの人を目指して、列車に乗った。
いくつもの駅を過ぎ、いくつかのターミナルで乗り換え、
山を、谷を、川を、町を、村を越えて、そして憧れの人の住む駅に着く。
ゆっくりと列車の扉が開く。風がひんやりと頬を過ぎた。
ホームで待っているから。憧れの人は、遠目にもその人だと分かった。
少年は一度立ち止まってから、
一歩一歩確かめるように憧れの人へと向かった。
こんにちは。こんにちは。
憧れの人がほほ笑んだ。少年の固い口元にも微笑みが浮かんだ。
あ、雪よ。憧れの人が言った。あ、雪だ。少年がつぶやいた。
憧れの人だけを見つめて、少年は雪の気配に気づかなかった。
初雪よ。憧れの人がささやいた。初雪か。少年は心の中でささやいた。

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出演者情報:地曵豪  https://orante-tokyo.com/profile/地曵豪


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佐藤充 2025年1月26日「先生の電話番号」

先生の電話番号

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

1月。地元に帰省をして中学時代の友人に会う。
社会人10年目になる。
今でも中学時代の先生の電話番号を覚えている。
そう言うと記憶力を驚かれる。
でも、それには訳がある。

毎日電話かけていたんです。
というか毎朝かけていたんです。

そして、どこからでもかけていました。
自分の家から。親戚の家から。友達の家から。
ときには公衆電話から。

仮にその先生をS先生とします。
S先生は僕のクラスの担任であり、
僕の所属していたサッカー部の顧問であり、
地域の選抜チームの監督でした。

いつも僕の行く場所に必ずS先生がいました。

でもなにをそんなに毎日電話する用件があるのか。

遅刻の電話です。

僕はお腹が弱くて、
よく壊していました。

でも毎日お腹壊したと電話をしていると先生が電話の向こうで
本当は寝坊じゃないのか?と疑っているのを感じます。

自分で言うのもなんですが、
僕はとても寝坊しそうな顔をしています。
眠たそうな顔が理由で怒られたこともあります。
疑われるのもわかります。

だからそんなことをする必要もないのに
「寝坊しました。すみません。遅刻します」
と先生のイメージ通りの自分を演じて電話したりもしました。

そして、
毎日お腹壊してばかりだと学習がないと思われるのではと、
そこから色々な理由をつくる日々が始まりました。

ボーッとしていました。遅刻します。
キシリトールガムの食べ過ぎでお腹を壊しました。遅刻します。
鼻血が止まりません。遅刻します。
37度。微熱です。遅刻します。
雪で家のドアが開きません。遅刻します。
妹に教科書をビリビリに破かれました。遅刻します。
吉野家の牛丼についていた七味が目に入って目が開きません。遅刻します。

理由がなくなってきたら外の公衆電話からもかけました。

木曜日は燃えるゴミの日でカラスに襲われました。遅刻します。
野生のキジに威嚇されていました。遅刻します。
どこかの家から脱走したパグに追いかけられていました。遅刻します。
キツネに追いかけられていました。遅刻します。

様々な理由で遅刻の電話をしていました。
理由を考える時間のせいで遅刻した日もありました。

この遅刻の理由を考える日々が
今の企画を考える仕事につながっている気もする。
そして、お腹が弱いことを正直に打ち明けていたら良かったなとも思う。

先生の電話番号を思い出すたび、
あの日々がよみがえりいつも初心にかえる。

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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

録音:字引康太

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伊藤健一郎 2025年1月19日「コアラによろしく」

「コアラによろしく」

    ストーリー 伊藤健一郎
       出演 地曳豪

「来週の火曜が最終出社日なんだ」とメールが来たのは、
4日前の金曜だった。

入社して15年も勤めた新橋には、思い出の味もあっただろうに、
会社近くのどこにでもあるハンバーガーショップで、
僕らはランチをすることにした。

「来月には、シドニーなんだね」と確認すると、
ポテトをつまむ手を止めて「あんまり実感ないけどね」と彼は答えた。
「そっか」と、その後につづく言葉もないまま
僕はぬるいコーヒーをすすった。

「こどもは元気?」とか。「自転車で転んで手首を捻った」とか。
1時間くらい、たわいもない話をして、
これからのことは話さなかった。

「そろそろ行かなきゃ」と彼が言って、
テーブル脇のレシートをとりながら僕は、
何か言い残したことがないか考えて
「来月には、シドニーなんだね」と、さっきの言葉を繰り返していた。
「そうだよ」と彼は笑って、僕は「いいな」と言った気がする。

店を出ると、冷たいビル風が吹いていた。
「これから会社?」と聞かれて「いや、クライアント直行」と答えた。
咄嗟に出た嘘だった。

「じゃあ、またねだね」と彼が差し出した手を握り返すと
僕の口からは「1月のシドニーは暑いのかな?」と、
最後の最後までどうでもいい言葉が出た。「コアラによろしく」

僕らは40歳間近で、100歳生きる時代とはいえ、
それはもう若くはない。
若くはないけれど、それぞれのスピードで、まずまず必死に、
相変わらず行き先を探している。

クライアントに向かう予定などなく乗り込んでしまった電車の中でも、
それなりに考えちゃったりなんかして。

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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

録音:字引康太

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