「私の発明」トーベ・ヤンソン
1914年、8月、トーベ・ヤンソンは、
彫刻家の父と画家の母の間に生まれた。
今年で生誕100周年。
初めてのムーミン物語は、
50ページにも満たない小冊子として、
ヘルシンキとストックホルムの駅の
キオスクに並んだ。
とてもさり気ないデビュー。
主人公のムーミントロールは
私の発明。
トーベ・ヤンソンは、胸を張って言う。
他にはいない生き物。
だからこそ、今でも愛される。
「私の発明」トーベ・ヤンソン
1914年、8月、トーベ・ヤンソンは、
彫刻家の父と画家の母の間に生まれた。
今年で生誕100周年。
初めてのムーミン物語は、
50ページにも満たない小冊子として、
ヘルシンキとストックホルムの駅の
キオスクに並んだ。
とてもさり気ないデビュー。
主人公のムーミントロールは
私の発明。
トーベ・ヤンソンは、胸を張って言う。
他にはいない生き物。
だからこそ、今でも愛される。
「ムーミンを生んだ戦争」トーベ・ヤンソン
新椎気鋭の画家だった、若き日のトーベ・ヤンソン。
反戦・反独裁を唱える政治風刺雑誌『ガルム』に連載していた。
いばりちらす権力者をからかい、古くさい社会システムを
笑い飛ばすキャラクターを描いた。
これが、ムーミントロール。
ムーミンを描くようになったきっかけは、
戦争で絵が描けなくなったから。
じつをいうと現実に背を向けて、
つくられた世界にひたるという
一種の逃避でした。
当時のムーミンは小さくて痩せてて、
しょっちゅう怒っていた。
検閲で思うように絵が描けない
ヤンソンの憤りを象徴するかのように。
Mundoo
「悲壮感のない少数派」トーベ・ヤンソン
ムーミンを生み出した作家。トーベ・ヤンソンは、
フィンランドの首都ヘルシンキで生まれた。
しかし父も母も話すのはスェーデン語。
家庭や仲間の共通語もスェーデン語だった。
フィンランドでは言語的少数派。
ムーミンの物語は、その環境を反映している。
わたしが描いたのはスエーデン語系フィンランド人の家族です。
どんな少数派グループにもある
一種の孤立がみてとれるはずです。
ただし悲壮感はありません。
ムーミンたちは互いに一緒にいて
幸せだと思っているし、
自分たちが住んでいる環境や場所に場所に満足しています。
とはいえ、そこにははっきりと
スェーデン語系フィンランド人の特長があると言う。
それは、無謀な権力には屈しない、自由と自立を愛する気質だ。
「嵐」トーベ・ヤンソン
今なお愛される「ムーミン」を発明した作家、
トーベ・ヤンソン。
あまり知られていないことだが、
ムーミン以外の物語も書いている。
「夏について」という短編で
嵐にのために言葉を発明するシーンがある。
嵐が小屋をぐるりと回り、
なかに入って来ようとする。
嵐が吼えた。
嵐をいいあらわす言葉を探してみる。
ムーミンの物語に、
嵐のシーンがいくつも登場する。
ヤンソンは、たくさんの嵐の表現も発明していた。
「ムーミン一家の不在」トーベ・ヤンソン
今年で生誕100周年のトーベ・ヤンソンが描いた
ムーミンの物語は、全部で9巻。
意外と少ない。
その最終巻にはムーミン一家が登場しない。
ミムラ、スナフキン、ヘルムやフィヨリンカたち、
残された者たちがいなくなったムーミン一家を思って、
ほんとうの自分を見つけ出すお話。
この「ムーミン谷の11月」が刊行される数ヶ月前、
トーベの母、シグネが亡くなっている。
母は、自ら望んでいたように逝きました。
麻痺するのでもなく、
長く待つのでもなく、
知性をわずかなりとも失うこともなく。
娘のトーベにとって母は、
すべての意味で「ムーミンママそのもの」だった。
大らかだが気配りができて、
機転はきくがでしゃばらず、
どこまでも楽天的なムーミンママ。
生まれながらの画家であったことが
「ムーミンパパ海へ行く」で明かされている。
トーベは、10冊目のムーミンを待ち望む人たちに、
もう書かない、いや、もう書けないのだときっぱりと言った。
「フリーダ」トーベ・ヤンソン
ムーミンを「もう書けない」と言ったトーベ・ヤンソンは、
けして筆をおいたわけではない。
その後も執筆を続けていた。
彼女が描く物語には、独特な人物が登場する。
たとえば、「事前警告」という短編のフリーダ。
あらゆる事件が自分のせいだという強迫観念に
取りつかれている。
あるとき彼女は、
公道を拓くための爆破でとんできた
花崗岩に頭を直撃される。
包帯でぐるぐる巻きになったフリーダ。
何にも気に病まずにいるなんて
わたしにゃ生まれて初めてなんだよ。
最高にいい気分だね。
大きな不幸に出会って、安心する。
心配性のフィヨリンカのようだ。
o_Ozzzzk
「謎」トーベ・ヤンソン
ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソンが書き綴る短編小説には、
抑制されたパロディ、くすりと笑えるユーモアがある。
そして、冗長な修飾を削って行間を読ませる手法をとる。
私は、35の言葉を使うところを5つですませるべく
文体を切り詰めるマニア
そしてあえて曖昧なままの結末も多い。
謎めいた存在の、ニョロニョロやスナフキンのようだ。
「100年かかる」トーベ・ヤンソン
トーベ・ヤンソンは幼い頃から夏は家族で島に住んでいた。
大人になった彼女が見つけた自分だけの島は「クルーグハル」。
フィンランド湾の沖合に浮かぶ小さな島だ。
電気も水道もない、島を一周するのに数分しかかからない。
太陽が水平線上に昇ると起きだして、机の前に座り、
太陽が波間に沈むと、寝支度をする。
よい芸術家になるには、100年かかるのよ。
島の素朴な暮らしは、
時間とエネルギーのすべてを仕事につぎ込む、
という贅沢を与えてくれた。
いつでも手を動かしていたというトーベ・ヤンソン。
100年を待たずして87歳でなくなった。
でも、よい芸術家にすでになっていた。
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