藤本宗将 14年8月17日放送
torne
山内溥と岩田聡
1949年、東京で大学生活を謳歌していた山内溥は
京都に呼び戻された。祖父が病に倒れたため、
22歳の若さで家業の任天堂を継ぐことになったのだ。
そのとき彼が条件として挙げたのは
「任天堂に山内家の人間はひとりでいい」ということ。
ビジネス経験などない若者による経営改革。
その後も山内は優秀で個性的な人材を
大胆に登用していった。
2002年に社長を退くときも、
かつて社外から見いだした岩田聡を後継者に指名した。
このとき岩田は入社2年目。
常識にとらわれない発想と、
人を見る目があるからこそできることだった。