John Stango
追悼モハメド・アリ
2016年6月3日。
時代に君臨したボクサーが、この世を去った。
モハメド・アリ。
引退したのは35年も前になるが、
それでもなお、彼は世界のどこかに居た。
湾岸戦争ではイラクに渡り、人質解放に力を尽くした。
アトランタオリンピックのときは、
パーキンソン病で手を震わせながら聖火台に立っていた。
そんな彼の言葉だ。
「私は神話をつくり、神話の中で生きる」
男が死んでも、モハメド・アリという神話は、永遠に生き続ける。
John Stango
追悼モハメド・アリ
2016年6月3日。
時代に君臨したボクサーが、この世を去った。
モハメド・アリ。
引退したのは35年も前になるが、
それでもなお、彼は世界のどこかに居た。
湾岸戦争ではイラクに渡り、人質解放に力を尽くした。
アトランタオリンピックのときは、
パーキンソン病で手を震わせながら聖火台に立っていた。
そんな彼の言葉だ。
「私は神話をつくり、神話の中で生きる」
男が死んでも、モハメド・アリという神話は、永遠に生き続ける。
RV1864
追悼モハメド・アリ
モハメド・アリは、ボクシングを始めた12歳のときから
美しく闘いたいと思っていた。
相手のパンチを貰わずに勝つ方法を考え、
誰よりも速いフットワークを手に入れた。
醜いガードで顔を覆いたくないから、
両方の腕はダラリと下げたまま。
世界で最も華麗なボクサーは、
こんな言葉を残した。
「チャンピオンは、ジムで作られるものじゃない。
彼らの奥深くにある〝何か〟で作られるんだ。
たとえば、願望、夢、ビジョン。」
モハメド・アリをつくったもの。
それは、白人に屈してきた黒人たちの歴史かもしれない。
cliff1066™
追悼モハメド・アリ
モハメド・アリが、まだカシアス・クレイと名乗っていたころ。
対戦相手を挑発し、罵り、KOまで予告するので、
ホラ吹きクレイと呼ばれていた。
もちろん、大口を叩くのにも理由があった。
多くの人が注目し、
野次が飛ぶほど人気も上がるからだ。
もちろん、自分の言葉が生んだプレッシャーを力に変える。
それだけの実力は持ち合わせていた。
モハメド・アリは言う。
「リスクを選ぶ勇気がない者は、人生において何も達成することができない」
耳が痛いほど、人生に当てはまる。
RV1864
追悼モハメド・アリ
男は、栄光を捨てる。
ローマ・オリンピックで手にいれた金メダルは、
レストランで人種差別を受けたあと、オハイオ川に放り投げた。
そんな逸話が残っている。
ベトナム戦争で徴兵を拒んだときには、
世界ヘビー級のタイトルだけでなく、
ボクサーとしてのライセンスも捨てる羽目になった。
それまで得た信用も、収入源も失った。
しかし、彼には信仰があった。信念があった。
反戦集会でマイクを握り、
戦争の愚かさと人間の平等を学生たちに説いてまわった。
捨てた栄光の代わりに、違うものを見つけた。
「想像力のない奴に、翼は持てない。」
彼の言葉が、心に刺さる。
jeso.carneiro
追悼モハメド・アリ
もしもボクサーに1年のブランクがあったら、
7割ほどしか実力が戻らないという。
世界最強の男と言われたモハメド・アリさえも
政治的な理由でタイトルを失ったあと、
永遠にも思える空白期間を送った。
3年7ヶ月ぶりのリング。
カムバック戦の会場は、黒人のファンで埋め尽くされた。
そして、白人の選手を簡単に倒した。
「不可能とは、誰かに決めつけられることではない。
不可能とは、可能性だ。
不可能とは、通過点だ。
不可能なんて、ありえない。」
モハメド・アリは、強い。その言葉も。
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