茂木彩海 16年7月31日放送
記録のはなし 刈屋富士雄
「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」
体操ニッポンが大活躍を果たした2004年アテネオリンピック。
男子団体、最終演技者の冨田洋之が鉄棒から降りた瞬間の
実況は、いまでも名実況として記録されている。
テレビ放送史に残る実況を行ったのは、
アナウンサーの刈屋富士雄。
実はこの時、刈屋はもともと別の言葉を用意していた。
「体操ニッポン、日はまた昇りました」。
しかし直前で、ローマ大会から実に28年ぶりの金メダル獲得を
過去の栄光と、これからの未来をつなぐ「架け橋」
という言葉で表現することを選んだ。
刈屋は言う。
言葉は不思議で、その瞬間に出たから伝わる。
1分ずれると伝わらない。命があるんですかね。
その瞬間を、言葉で記録する。
その言葉が、観る者の記憶をつないでいく。