古田彰一

八木田杏子 10年02月07日放送

梨木香歩

梨木香歩

怒りにまかせて言葉をぶつけると、
言ってはいけない真実をついてしまう。

それで、すっきりする人がいる。
そこで、後悔する人もいる。

梨木香歩が書く主人公は、
傷つけてしまった人に、こんな風に謝る。


 さっきは少し、自分に酔い、
 勢いをつけなければ誘惑に負けそうだった。

心の揺れをすなおに言葉にできる人は、
傷つけてしまっても、もっと深くつながれる。

2 夏目漱石

夏目漱石

感性のきめが細かい人ほど、
生きることに足がすくむ。

社会の矛盾、人間の本性
気づかなくてもいいことに
気づいてしまうからだ。

そんな人のために、芸術があると、
夏目漱石は考えていた。


 住みにくき世から、
 住みにくき煩いを引き抜いて、
 有難い世界をまのあたりに映すのが詩である、画である。
 あるいは音楽と彫刻である。

簡単に言うとこういうことだ。
芸術は人を幸せにするために存在する。

3 まど・みちお

まど・みちお

不幸をひっくり返して、
幸福にできる人がいる。

詩人まど・みちおは、
苦しみをじっと見つめてから、
それを喜びに変えるための、きっかけを見つける。

妻のアルツハイマーが、重くなっていったとき、
まど・みちおは苦悩する。
毎日欠かさない日記には、
暗い想いが否定的な言葉になって、綴られていく。

それがある日、一変する。
アルツハイマーが、「アルツのハイマくん」に変わるのだ。

そのときから、妻の粗相も自分の失敗も、
すべて笑いのタネになった。
そうして生まれた詩が「トンチンカン夫婦」。


 明日は また どんな
珍しいトンチンカンを
 お恵みいただけるかと
胸ふくらませている

まど・みちおは、
世界をひっくり返すために、言葉を探す。

4 外山滋比古

外山滋比古

記憶力が悪いのはいいことだ。

ベストセラーの「思考の整理学」を書いた
外山滋比古は、忘れるチカラを見直している。

忘却をくぐらせて枯れた知識のみが
あたらしい知見を生み出す。

つまり、忘れることで、閃くらしい。

記憶力が悪くて受験で苦しむ人は、
アイデアが閃きやすい体質だ…と思うと
人生の帳尻が合うような気がする。

5 シューベルト

シューベルト

シューベルトは、
8歳で「野ばら」を書き、
19歳で「魔王」を書いていた。

それでもまだ、
音楽家として認められない彼は、
音楽家として生きる覚悟が揺れていた。

だからといって父親に言われるままに
教員を目指してみても、上手くはいかない。

見かねた親友のシュパウンが、
シューベルトが書いたゲーテ歌曲を、
ゲーテ本人に送ることを思いたつ。
しかし、ゲーテからの返事もない。

それでも、シューベルトは友情に恵まれていた。
部屋も食事も楽譜にかかるお金も
すべて彼の才能を信じた友人たちが援助した。
ゲーテに無視された「魔王」も、
友人たちの頑張りで自費出版できたのだった。

シューベルトの才能を、
ひっぱりだしたのは、友人たちのチカラ。

天才だって、ひとりでは闘えない。

6 岡本太郎

岡本太郎

岡本太郎は、
だれでも岡本太郎になれると思っている。

いや、自分は才能もないし下手だからと言うと、
こんな言葉で返される。

才能なんて、ないほうがいい。
自由に明るく、
その人なりの下手さを押し出せば、逆に生きてくる。

でも、自分は強くは生きられないと答えると、
こう反論される。

弱い人間とか未熟な人間のほうが、
はるかにふくれあがる可能性をもっている。

できない言い訳を、ひとつひとつ潰していくと、
岡本太郎ができあがる。

7 寺田寅彦

寺田寅彦

エッセイを書いた最初の科学者
寺田寅彦は、どんなに締め切りが重なっても、
遅れることがない。

執筆の依頼がきて、書きたいと思ったら、
その日のうちに、書き上げてしまうから。

締め切り前に、胃がキリキリすることもない。

なかなか真似できないけれど、
真似してみたいやり方ではある。

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細田高広  10年01月17日放送

ルソー

コーヒーに魅せられて ジャン=ジャック・ルソー

哲学者ジャン=ジャック・ルソーは、大の珈琲好きだった。

珈琲を切らしたときは窓を開けて
ご近所の家が珈琲豆を煎る香りを楽しんだという。

そんなルソーが、死ぬ間際に残した言葉。


 あぁ、これで珈琲カップを手にすることができなくなった。

珈琲との別れ。それは一番大切な、
考える時間との別れを意味していた。

珈琲は、人間の思考を助ける「思考品」なのだ。

服部良一

コーヒーに魅せられて 服部良一

大のビール党だった作曲家服部良一は、
ある日、大好きなビールを題材に曲をつくることを思い立つ。
タイトルは、「一杯のビールから」。

しかし、できあがった歌詞を手にして、服部は驚いた。
「一杯のコーヒーから」に、変わっていたからだ。
これは、作詞家の藤浦洸が、
ビールを飲まないコーヒー党だったことによる。

昭和14年。日本でコーヒーが曲のタイトルになった、
最初の事例と言われている。


 一杯のコーヒーから、小鳥さえずる春も来る。

さぁ、熱いコーヒーを入れて、春を待ちましょう。

T.S エリオット

コーヒーに魅せられて  T.S エリオット


 わたしは、私の人生を、コーヒースプーンで測ってきた。

人の孤独を描きたかった詩人エリオットは、
単調で鬱屈した日々を、コーヒー豆を掬う動作の繰り返しに喩えた。
ひとりで飲み続けるコーヒーは、
ただ、苦いだけのものかもしれない。

「かもめ食堂」という映画は、私たちに
コーヒーを美味しく飲む秘訣をアドバイスしてくれる。


 コーヒーは、他人に入れてもらった方が美味しいんだ

大切な人にコーヒーをいれてもらう幸福を知っていたら。
コーヒーを愛することが、
人と過ごす時間を愛することだと知っている人なら。
コーヒーは「孤独」の喩えにはなりえない。

コーヒースプーンで測る人生は、幸せだと思う。

ジェームス・マッキントッシュ

コーヒーに魅せられて ジェームス・マッキントッシュ

今日、1月17日はセンター試験。
受験の本番がいよいよ始まりました。

眠い目をこすりながら勉強中の受験生のみなさんに、
『名誉革命史』を書いた
イギリスの下院議員、ジェームス・マッキントッシュ
の言葉を送りたいと思います。


 人間の意思の力は、
 その人が飲んだコーヒーの量に比例する。

努力とコーヒーは、きっと皆さんを裏切りません。

ジム・ラヴェル

珈琲に魅せられて ジム・ラヴェル アポロ13号船長

「ヒューストン、問題が発生した。」

ジム・ラヴェル船長らを乗せたアポロ13号が、
トラブルに気付いたのは、
地球からおよそ321,860km離れた地点。
酸素タンクが突如、破裂したのだ。

少しでも電力を節約するために電気は切られ、
船内の気温は氷点下近くまで下がった。
恐怖と寒さに襲われた乗組員たちを、なんと言って励ますべきか。
ヒューストンは熱を込めて宇宙の仲間たちに伝えた。


 君たちは今、熱いコーヒーへの道を歩いているのだ。

そのメッセージは、カフェインより強く
疲弊した乗組員たちの目を覚ました。

無事に地球に戻ってから、彼らはきっと珈琲を飲んだのだろう。
宇宙一、美味しい珈琲を。

バルザック

コーヒーに魅せられて  バルザック

死ぬまでアイデアが尽きることが無かったという、
文豪バルザック。
彼の創作活動は、珈琲に支えられていた。

夜中に50杯以上の珈琲を飲んでは、
原稿を書き、推敲を繰り返したというのだ。


 コーヒーが腹中に入ると、即座に活気が出てくる。
 ちょうど戦場における軍隊のように
 いきいきとしたアイデアが生まれ、 
 記憶の中に眠っていたものが、
 つぎからつぎへとその姿をあらわしてくる。

この世界には、
珈琲がなければ生まれなかった
アイデアが、きっと山のようにある。

タレーラン

コーヒーに魅せられて  タレーラン

人は何故、珈琲を、
毎日飲んでも飽きないのだろうか。

皇帝ナポレオンに仕えた外交官、
タレーラン・ぺリゴールは、愛する珈琲をこう表現した。


 悪魔のように黒く、地獄のように熱く、
 天使のように純粋で、恋のように甘い。

悪魔と天使と地獄と恋が束になってかかれば
なるほど、飽きることはない。

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八木田杏子 09年12月20日放送

1220_1

冬の音1 ドビュッシー

灰色のアスファルトを、
白く塗りつぶしていく雪に、
うんざりするのが大人。
うれしくなるのが子供。

踊るようにひらひらと舞い降りてくる
雪をみると、幼い心は舞い上がっていく。

子供の目をとりもどした
ドビュッシーが書きあげたピアノ小曲
「雪は踊る」は、大人を子供の世界へといざなう。

1220_2

冬の音2 ヴィヴァルディ

冬の凍てつく寒さでさえ、
ヴィヴァルディには喜びだった。

春の甘さも、夏の清々しさも、秋の贅沢さもない、
冬の喜びを、彼は音楽にした。

冷たい雪と北風に凍える、第一楽章と第三楽章。
その間には、
暖炉のそばで安らかにすごす、第二楽章。

辛いときほど、人のやさしさが身にしみるように。
凍える季節だから味わえる、あたたかさがある。

1220_3

冬の音3 ブラームス

人生にも四季があるとしたら。
ヨハネス・ブラームスは、58歳で冬を迎えた。

自らの衰えを感じ、遺書をつづった。
友人の支えで創作意欲をとりもどしても、
もう二度と、大曲を書くことはなかった。

生涯独身だったブラームスは、
姉のエリーゼを亡くすと、
山間にある小さな町イシュルで、
孤独のなかに沈んでいく。

そんな自分を慰めるように、
日記をつづるように書いていたピアノ小曲。

3つの間奏曲作品117。

楽譜には、ヘルダーの詩集からぬきだした言葉が記されていた。


 眠れ安らかに、わが子よ、眠れ安らかにそして美しく! 
 お前が泣くのを見るにつけ、私は悲しい。

やるせない想いをかかえて眠れない自分自身を
抱きしめるようなこの曲は、大人のための子守唄。

人生の冬に、そっとよりそってくれる。

1220_4

冬の音4 クリスマス・イブ

恋人とすごすクリスマス・イブを、
日本になじませた曲がある。

山下達郎の「クリスマス・イブ」。

会えない切なさをつづった歌詞は、
会いたい人のいる幸せを感じさせる。

クリスマス・イブの甘さも苦さも、
受けとめてくれるから、
その日を特別にしたくなる。

1220_5

冬の音5 赤鼻のトナカイ

シカゴのデパートで
コピーライターをしていたロバート・メイは、
幼い娘の問いかけに、胸をつまらせる。

どうして私のママは、みんなと違うの?

癌におかされた母親の姿を見ていた娘が、
ふと口にした言葉だった。

そのとき、ロバート・メイは
赤鼻のトナカイの話を思いつく。

みんなと同じじゃなくても
しあわせになれる…

娘に即興で語った物語は、
勤めていたデパートの小冊子になり、
やがて歌になり、広まっていく。

たったひとりの娘に、
どうしても伝えたかったメッセージは、
世界中が待っていたものだった。

1220_6

冬の音6 きよしこの夜

オーストリアのある村で
教会のオルガンが壊れてしまったとき、
ギターで演奏できるクリスマスソングがつくられた。

助任司祭モーアの詩に、
オルガン奏者グルーバーがメロディをつけた
「きよしこの夜」

まるで
天から舞い降りたクリスマスプレゼントのような
美しい曲になった。

1220_7

冬の音7 ハッピークリスマス 

自分が幸せなときじゃないと、
誰かの幸せなんて、願えない。

だからジョンレノンは、
みんなが幸せにつつまれるこのときに、
差別と戦争のない世界を願って、歌いかける。

 そう、今日はクリスマス  
 そして何を僕らはした?
  

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細田高広  09年11月8日放送

01-rolli


The Rolling Stones 1

だれもが「まさか」と思った。

2004年、ザ・ローリング・ストーンズの
ミック・ジャガーがナイトの称号を与えられたのだ。
使い切れない大金と最高の名誉を手に入れて、
これ以上何を望めるだろう。

しかし、盟友キース・リチャーズは言う。

 幸せな人生とは言えないな。
 99パーセントの人間は憧れるだろうけど、
 あいつはミック・ジャガーであることに、
 満足していないんだ。

勲章で満たせる程度の渇きなら、
46年もストーンズを続けちゃいない。

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The Rolling Stones 2

バンドなんて、気晴らしさ。

イギリスの名門大学で
経済学を学ぶ息子がロックバンドを始めたとき、
両親はその言葉を信じた。
いずれは一流のビジネスマンになる。そう疑わなかった。

しかし彼は、気晴らしのはずだったバンドを
46年経った今も続けている。

ミック・ジャガー。

彼は経済学の知識を活かして
誰よりも早く印税を計算したし、
マネジャーが不穏な動きを見せようものなら、
帳簿を自ら調べ、横領らしきものは徹底的に洗い出した。

彼は、超一流のビジネスマンとなったのだ。
ロックスター、という名の。

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The Rolling Stones3

ローリングストーンズは、
人気よりも悪名が先行していた。
何よりも世間から反発があったのは、その長い髪。
当時、ストーンズを真似たヘアスタイルを理由に、
少年たちが相次いで停学処分になったほどだ。

実際に数多くのトラブルを起こしたストーンズ。
弁護士も、相当、手をやいたのであろう。
法廷で苦し紛れにこんな弁護をした。

 皇帝シーザーは、
 長髪であるにも関わらず、
 数々の功績をあげました。

そんなエピソードひとつひとつも、
さらなるバンドの向かい風になる。

 有名になるのはちっとも構わないんだ。
 でも、法廷ではそれが裏目にでる。

キースリチャーズは、実に悔しそうに言った。

04-rollin


The Rolling Stones 4

囚人番号7855。

麻薬所持で服役中のキース・リチャーズは
さすがに落ち込んでいた。

ある日、
刑務所内の作業場へと向かう途中で、キースは
ラジオからストーンズの曲が流れてくるのを耳にする。

その瞬間、刑務所中の囚人の口から
建物を揺るがすような歓声が上がった。

絶望は、勇気に変わった。

05-rollin


The Rolling Stones5

どこで間違って、
あんな薄汚れた奴らが
若者たちのヒーローになったのか。

イギリスを飛び出し、アメリカでも
人気に火のついたローリング・ストーンズを、
良く思わないメディアは多かった。

だいたい、肝心な演奏だって上手いとは
言えたものじゃない。

そんな批判に対して、ミック・ジャガーは言うのだ。

 俺たちは、ノイズを出してるだけだ。
 それを音楽と呼んでくれたら有り難いね。

内面を表現するためなら、楽譜なんて関係ない。
それが、ストーンズの信条。

実際、彼らが汗を流し音を出しさえすれば、
それが上手いか下手かを気にするものなんて、
一人もいなかった。

06-rollin


The Rolling Stones6

就業時間が待ち遠しい。
ロックンローラーだって、
そう思うときはあるらしい。

 ロックンロールが全てなんて馬鹿げてるよ。
 誰だって仕事が全てだなんて思ってないだろう?

大金とセレブリティの称号を
手に入れたミックジャガーにとって、
音楽はあまりに商売になり過ぎた。

やっつけでこなしたライブやレコードは、
徐々に評価を失っていく。

 ロックンロールに未来はない。

そう語るとき、
ロックンロールとは、
自分のことを意味してた。

07-rollin


The Rolling Stones 7

1989年、事実上の活動休止期間を終え、
ザ・ローリング・ストーンズが
再び始動し始めたとき、
メンバーは40代の半ばを迎えていた。

ミックはしわだらけになり、
キースは広がった額をバンダナで隠した。
それでも威勢だけは、20代のころのままだった。

ローリングストーンズは
長い長い全盛期を、今も確かに続けている。

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The Rolling Stones 8

「もう若くないから」という言葉を
口にしかけたとき、思い出す顔がある。

ザ・ローリング・ストーンズだ。

 俺たちは、間違った考えと闘ってるんだ。
 ロックンロールは、若造のやるものだと
 みんな思ってやがる。

彼にとって歳を重ねることは、失うことではない。
むしろ、全てを手にすることのよう。

長生きの秘訣は何ですか?
という記者の質問には、

 ストーンズのメンバーになることさ。

と答えて笑うキース・リチャーズ。

なるほど。
ヤンチャな顔は20代の頃と全く変わらない。

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八木田杏子 09年10月24日放送

CHANEL 1

「ココ・シャネル」

シャネルの創始者ガブリエル・シャネルは、
お針子をしながら歌手になることを夢みて
キャバレーで歌っていた。

舞台に立っていたときの持ち歌は
「Ko Ko Ri Ko」
それから
「Qui qu’ a vu coco」

そのタイトルにちなんで、ファンは
「ココ!!」と呼んで声援を送った。

歌うことを諦めたあとも、ガブリエルはずっと、
その呼びかけを愛した。

自分の足で立とうとしたときに
拍手と一緒にもらった名前「ココ」
シャネルはそれを一生使いつづけた。

CHANEL2

「シャネル・スタイル」

孤児院で育ったココ・シャネルが
社会へ一歩踏み出したとき
最初に首をかしげたのは
ドレスの長い裾、フリルやリボンなどの過剰な装飾。

本当に必要なのは
着飾るための服ではなく
生活するための服ではないかしら。

そう信じたシャネルは、
当時、下着の素材だったジャージーを使って
大胆なドレスを発表する。

そのドレスは
女性のカラダを動きやすく解放した。
そのドレスには短い髪とシンプルな帽子が似合った。

シャネルのファッションは
女性の生きかたに影響を与えはじめる。

CHANEL 3

「シャネルの解放」

どんなに苦しい時代でも、
女はファッションを諦められない。

戦争がはじまって戸惑う女性を、
シャネルは、ファッションでリードする。

身分のある女性が、負傷兵の看護をするために
品のいい看護服を仕立てあげた。

ドレスの紐をしめるメイドがいなくなったから、
コルセットのいらないドレスをつくった。

自動車や馬車ではなく、自分の足で歩くために、
踵を隠していたスカートも短くした。

誰の手も借りずに服を着て、
颯爽と街を歩くようになったパリジェンヌ。

第一次世界大戦が終わると、
その姿は世界中に知れ渡る。

chanel4

「シャネルの恋」

打算のない恋をするためには、
女は自立しなくてはならない。

ココ・シャネルは、そう信じていた。
恋人の援助で仕事をしていることが、もどかしかった。

「僕をほんとうに愛している?」と彼に聞かれると、
シャネルはこう答えた。


 それは私が独立できたときに答える。
 あなたの援助が必要でなくなったとき、
 私があなたを愛しているかどうかわかると思うから。

恋人と肩をならべて歩くために、
シャネルは仕事に生きる女になる。

彼がほかの女性と結婚したあとも
再び彼女のもとへもどってきたときも
そして、彼がシャネルを残して亡くなってからも…

仕事に支えられたシャネルは、
彼を愛しつづける。

CHANEL5

「シャネルの恋のおわり」

シャネルは女友達にこんなアドバイスをしている。


 愛の物語が幕を閉じたときは、
 そっと爪先だって抜け出すこと。
 相手の男の重荷になるべきではない。

終わりかけた愛情を、友情に変えるために。
シャネルは、きっぱりと言い切る。


 男とはノンと言ってから本当の友達になれるもの。

もしかしたら
彼女は恋のいちばん美しい部分だけを
相手の記憶にとどめたかったのかもしれない。

シャネルのように恋を終わらせるのは度胸が必要だ。
もしかしたら、これが本当の意味で
自分を捧げるということなのかもしれない。

Misia_Sert_by_Renoir

「シャネルの親友」

ココ・シャネルの一生の親友は
パリの社交界の女王、ミシア・セールだった。

惹かれあいながらぶつかりあうふたりの関係を
シャネルは、こう語る。


 わたしたちは二人とも他人の欠点しか
 好きになれないという共通点をもっている。

口当たりがいいだけでは、
一生の友情はつくれない。

chanel7

「シャネルのカムバック」


 退屈しているときの私って、千年も歳をとってるわ。

ココ・シャネルは、仕事のない人生に飽きていた。

大きくなり過ぎた店は
第二次大戦の直前に閉めていた。
シャネル自身も引退したつもりだった。

それなのに
70歳の彼女は、また服を創りはじめた。

15年ぶりのコレクションは、酷評されたけれど
その1年後
酷評された服がアメリカで大ブームになった。

女性の社会的進出がめざましい国で
シャネルは再び受け入れられたのだ。

それから87歳までシャネルはブティックに立ち続け
こんな言葉を残した。


 規格品の幸せを買うような人生を歩んではいけない。

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細田高広  09年10月4日放送

斉藤茂吉


斉藤茂吉と鰻

歌人斉藤茂吉の好物は、うなぎだった。

皆でうなぎを食べる時、
弟子たちは気をつかって、
いちばん大きなものを茂吉の前に置く。

茂吉は真剣な眼差しで鰻の大小を比べ、
「そっちの方が大きい」とダダをこねては
何度も交換した。

鰻はあちこち移動し、結局、最初の並びに戻ったという。

 ゆふぐれし机のまへにひとり居りて、鰻を食ふは楽しかりけり。

食欲の秋は、創作の季節でもある。

梅田晴夫


梅田晴夫 料理と浮気

今、結婚する3組に1組が
離婚に至るという。

結婚の難しい時代と言われるが、
結婚を続けるのはさらに難しいようだ。

生涯に6度の結婚を経験した劇作家、梅田晴夫。
彼は離婚のプロとして、
夫婦円満の秘訣をこう説いている。

 料理のうまい女の亭主は、生涯浮気をしない。

毎日のご馳走が食べられなくなる。
そんなリスクを犯してまで、
他の女に手を出す男はいない。

なんでも美味しく感じる食欲の秋は、
夫婦円満の季節かもしれない。

コレット


コレット 料理は魔法

産地や、調理法や、歴史や。
薀蓄を知り、薀蓄を語り合うことで、
料理は一層味わい深いものになる。
私たちは料理を食べながら、知識を食べている。

その半面、度を過ぎた知ったかぶりや
知識のひけらかしには辟易してしまうもの。

もし、そんな人とレストランで
同席することになったとしたら。

グルメで知られるフランスの女流作家コレットは、
こう言ってたしなめる。

 魔法が使えないのなら、
 料理に余計な口を出すには及びませんよ。

料理は、ひとつの魔法だから。
客は黙って術にかけられればいいのだ。

料理を美味しくする秋。
魔法の季節の、到来です。

幸田露伴


幸田露伴とファストフード

幸田露伴は、生粋の食いしん坊だ。

人に会えば、挨拶代わりに
「なにかうまいものに出くわしたかね」
と聞いた。

牛タンの塩茹でを愛する美食家でありながら、
合理的な面も持っていた露伴は、
明治時代にあって、こんなことを書いている。

 清潔で、迅速で、上品で、少しの虚飾も無く
 単に食事を要領よく出す。
 こういう店を多くつくればいい。

まさに、現代のファストフードの予言である。

05-shimada


島崎藤村

しなびたりんご。
冷たくなった焼き味噌。
寂しい時雨の音を聞きながら飲む酒。

島崎藤村は、料理をまずそうに書く天才だった。

名をなして多額の印税を手に入れ、
ご馳走を食べていた彼が、何故、
まずそうなものをたくさん書いたのか。

料理の味は「いつ、どういう状況で食べるか」
に大きく左右される。
祝いの席で飲む酒はうまいが、
別れの席で飲む酒はわびしい。

藤村は、あえてまずい食を書くことで、
人の孤独や寂しさを書こうとした。

どんなご馳走だって、
ひとり思い悩んで食べたら、美味しくないもの。

さて、食欲の秋。
あなたは、誰と食べたいですか。

北大路魯山人


北大路魯山人と食器

プラスチックのパックをお皿代わりに
お惣菜や、サラダを食べる。
日本の家庭では、もう驚かない風景になりました。

 食器は料理の着物である。

と言ったのは北大路魯山人。
料理の風情を美しくあれと祈る。
それは、美人に良い衣装を着せてみたい心と同じだ、
と魯山人は説きます。

食器と料理を鑑賞するなんて、
他の国には、あまり見られない
食の楽しみ方だから。

たまには食器にも少しこだわって、
見た目から味わってみませんか。

食欲の秋も、芸術の秋も、一皿に。

タレーラン


タレーランの外交術

外交の天才、タレーラン。

40年にわたってフランス外交の中心に君臨した彼は、
今でも
「交渉の場で卓越した存在」
の代名詞になっているという。

そのタレーランが、
外交の秘訣についてこう語っている。

 外交官にとっての最高の助手とは、
 間違いなく彼の料理人である。

食欲の秋は、ビジネスチャンスだ。

サヴァラン


サヴァラン 美味礼賛

19世紀のはじめ、
料理を学問として研究した美食家、ブリア=サヴァラン。

 新しい星を発見するより、
 新しい料理を発見する方が幸せになれる。

そう信じて来る日も、来る日も、
食を考えているうちに、彼はふと気が付いた。

自分が、人間を研究しているということに。

著書、「美味礼賛」の冒頭で彼はこう言っている。

 ふだん何を食べているのか教えてごらん、
 どんな人だか当ててみせよう。

欲張りな人。品のいい人。
見栄っ張りな人。真面目な人。面倒くさがりな人。
食事には、その人の人となりが出てしまう。

食欲の秋。

鏡より、お皿を覗く方が、自分は見える。

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古田組・八木田杏子 09年9月13日放送

村上春樹のギフト


村上春樹のギフト

天才が、才能にめざめる瞬間。

村上春樹のそれは、二十九歳の春に訪れた。

一行も小説を書くことなく、
肉体労働をしていた頃のこと。

神宮球場で野球観戦をしていたとき、
彼は突然、不思議な感覚におそわれた。

空から羽根が降ってくるみたいに、
「書きたい」と強く思った。

それは、天の啓示のような感覚。
常人には理解しがたい感覚。

さらに彼は、こう付け加えている。

そういうのは誰の人生にも、
一回くらいは起こるんじゃないかな。
ただ、人によっては見過ごしちゃうのかもしれない。

微かで儚いひらめきを、日常に埋もれさせなければ、
才能が目覚める瞬間は、きっと、誰にでも来る。

村上春樹の確信


村上春樹の確信

誰もがその才能を認めても、
村上春樹は、自分の作品が気に入らなかった。

はじめて書いた小説「風の歌を聴け」で、
新人賞をとったとき、彼はこんな挨拶をした。

四十歳になるまでには、
まともなものを書けるようになりたい。

小説の書き方がわからずに、
自分が扱える材料で創ったものへの不満。

一二年では、書けないという確信。
十年続ければ、書けるという希望。

小説家であり続けるために、
村上春樹は、人生を設計する。

ゆっくり、しっかり育てた才能は、
三十年間、輝き続けている。

村上春樹の世界


村上春樹の世界

光が届かない世界では、色も形も変わってしまう。

色とりどりの珊瑚礁や魚を通りすぎて、
さらに深く潜っていくと、
赤も黄色も、灰色がかった青になり、
そのうち全てが黒になる。
魚の形も、いびつなものになっていく。

人間の心の奥深くにも、
そんな世界が広がっている。

村上春樹は、そこまで降りていく。

自分の魂の不健全さ、歪んだところ、狂気を孕んだところ。
その「たまり」みたいなところまで、
実際に降りていかないといけない。

鍛えあげた肉体を、頼りに。
家族や友人との絆を、命綱にして。

人が立ち入れない世界に行けるから、
人が見たことのない物語が書けるのだ。

村上春樹の仕事


村上春樹の仕事

村上春樹の仕事は、
小説家ではないのかもしれない。

彼は、こう断言する。

注文を受けては小説を書かない。
ものを書く喜びが、なくなっちゃうから。

では、小説を書きたくないときは、何をしているのか。
彼は、翻訳をしている。

文章の技術を磨きながら、
自分の中の抽出を、満たしていくために。

そのあいだに溜まったものを、
引っ張り出して、長編小説がうまれる。

村上春樹は、小説を書くために、生きている。

だから、生きていくための仕事が、
もうひとつ必要になる。

こころのプロフェッショナル


こころのプロフェッショナル

心理学をやると、
人の心が、わかるようになりますか。

そう聞かれると、河合隼雄は、こう答える。

人の心を、わかったつもりになるのが、アマチュア。
人の心は、わからないと思えるのが、プロフェッショナル。

なるほど。
そう思って、まわりを見渡すと。

あの人は、こうだよね。
と言うときは、わかったつもりで終わらせていた。

あの人は、わからない。
と言うときは、その人のことを知ろうとしていた。

では。
いま、となりにいる人は、どうだろう。

エリザベス1世の誕生


エリザベス1世の誕生

エリザベスがイギリスの女王になったときの絵を見ると
王冠をいただいて戸惑うような表情を浮かべている。

実際に
王室の側近フランシス・ウォルシンガムが
はじめて会ったときのエリザベスは
女王としてはまだ心もとない存在だった。

政略結婚を嫌がって、恋人とのダンスに耽る。
大臣の言いなりになって、戦争に負ける。

そんな女王が、暗殺されそうになったとき、
ウォルシンガムは、命をかけて首謀者を追い詰めた。

そして、彼に守られたエリザベス1世は、
髪を切り、女を捨て、イギリスと結婚をする。

ウォルシンガムが、命をかけて見せつけた覚悟が
ひとりの偉大な女王を育てたのだろうか。

エリザベス1世の帝王学


エリザベス1世の帝王学

エリザベス1世は、
何も持っていない女王だった。

私生児と呼ばれ、幽閉され、
命さえ狙われていた。

だれもが、私を、疑う。
だれもが、私を、一度は裏切ろうとする。

どんなに不安が膨らんでも。
女王は、人を信じつづけた。

自分の弱さを隠す、強がりではなくて。
ひとの弱さを許す、強さを持とうとした。

そんなエリザベス1世だから、
弱小国家だったイギリスを、
世界の強国にできたのだ。

エリザベス1世の親友


エリザベス1世の親友

お世辞だとわかっていても、男は喜ぶ。
お世辞だとわかっているから、女は冷める。

だれもが誤魔化して生きる宮殿で、
エリザベス1世は、自分を誤魔化せない。

だから彼女は、飢えていた。
まっすぐ向かってくる人間に。

その男は、世界をぐるりとまわって、
抱えきれないほどの財宝をもって、現れた。

フランシス・ドレーク。
海賊でもある彼は、女王を恐れない。
小賢しいやりとりは、いらない。

女王と海賊は、
取引ではなく、友情で結ばれていく。

エリザベス1世が追い詰められたとき、
型破りな海の王者は、
スペイン無敵艦隊を焼き尽くした。

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番組制作奮闘記-5


自由が不自由になるとき。(八木田杏子)

細田が自由に戸惑っているころ、
私は不自由に戸惑っていました。

「コンビニ」というテーマを発見して、あんなに盛り上がったのに・・・・。
それが、窮屈な制約になってしまったのです。

最初は、地平線まで広がる砂漠のようなキャンパスに、
自由に絵を描いていました。
砂場でしか遊んだことのない子供が、
砂浜で大きな創造物に挑戦するように。
夢中になって、手探りで、砂をかいていました。

それなのに。
「コンビニ」というテーマができた途端、
砂浜が砂場になってしまったのです。

コンビニ商品を題材にして・・・・
コンビニにいる時の気持ちを描いて・・・
棚の前でこんな行動をとったりして・・・

だんだん発想が小さくなって、
どんどん細かい描写に拘るようになりました。

そんな原稿に、
J-waveの久保野さんと厚焼玉子さんから、厳しいひと言。

「商品に縛られ、自由を失っています。」

さらに、優しいひと言。

「最初の原稿のほうが、心を打ちました。」

そして、有り難いひと言。

「かき氷から、アラスカに飛んでもいいんですよ。」

コンビニは発想の起点でしかなく、
そこから世界中に飛べるし、過去や未来に行くこともできる。

自由な砂浜を、不自由な砂場にしていたのは、私自身でした。

そこから抜け出して、どこまで遠くへ行けたのか。
結局、すぐ近くで息絶えたのか。

今日の25時から、それが分かってしまいます。

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番組制作奮闘記-3


今は、Barよりもコンビニ(八木田杏子)

このまえは唐突に、
「CVS MIDNIGHT」の番組紹介をしてしまいました。

いつのまに創ったの?
どうやって創ったの?
なんで古田組?

そんな疑問を持たれた方もいると思います。

日曜日の25時からは「J-wave25」という、
新しい番組にトライできる時間。
今年の3月には、山本高史さんが
ロックの歌詞をコトバで紐解く「言葉ロック」を放送しました。

Visionでラジオ番組に目覚めていた古田組。
そこで何かやらない?と厚焼玉子さんが言ってくれた瞬間、飛びつきました。

そのときはまだ、「コンビニ」というテーマは見えていません。
古田組長が発案した「サウンド・プレイスメント」という考え方で、
広告では描きにくい「商品にまつわる物語」を書き始めました。
細田と八木田が、思い思いに書いた原稿は、1話完結のオムニバス。
全体を貫くテーマや構成が見えないものでした。

さすがに何か、繋がりがほしいよね。
パルプフィクションみたいに、最後に分かるとか?
登場人物を同じにする? 
場所を決める?

J-waveの久保野さん、厚焼玉子さん、古田組で
うんうん唸ること1時間。

架空のBarをつくって、マスターとお客さんを描いてみる?
いや今は、コンビニの店員とお客さんの方が面白いんじゃない?
コンビニって、いろんな人の本性が、透けて見える感じがするよね。
スポンサーも探しやそうですね。

面白いものになりそうな予感。
ビジネスになりそうな安心感。

全員の顔が、ほころびました。
六本木ヒルズから見下ろす景色が、
煌びやかな夜景に変わっていました。

そして、5人揃って西麻布へ。
いい仕事が始まりそうな夜は、お酒がすすみます。
お茶漬けを食べるころには、なぜか、
身体の柔軟性を競うために、みんなで前屈していました。
1位は厚焼玉子さん。べったり手のひらがつきます。

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番組制作奮闘記-2 (番宣)


外灯に集まる虫たちのように(細田高広)

冷気と明かりに誘われて、
深夜のコンビニには
人が吸い込まれるように集まってきます。

仕事帰りの人も。出勤前の人も。
高給取りも。フリーターも。
おじいちゃんも。少年も。
芸能人や、社長さんだって。

普段、交差するはずの無い人も、
コンビにではすれ違う。

無表情の仮面の下に、
どんな感情を隠しているのか。

もし、心の声が聞こえる特殊能力に
目覚めたとしたら、
コンビニは是非行ってみたい場所ではないか。

そんな妄想話から、ラジオ番組の企画が生まれました。

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J-WAVE25 CVS MIDNIGHT 〜熱帯夜の物語〜

8月16日 25時~26時 

ナレーター
大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/
地曳豪 http://www.gojibiki.jp/index.html
三坂知絵子 http://www.studio-2-neo.com/

スタッフ
原案 古田彰一
構成・演出 森田仁人 厚焼玉子
スクリプト 細田高広 八木田杏子
AD 吉田 香(J-WAVE)
CP 久保野永靖(J-WAVE)

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どうぞ、眠りながら聞いてください。

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