過去への探検 イグアノドン
世界で初めて恐竜の化石を発見した、
イギリスの医者ギデオン・マンテル。
1822年、彼は仕事の帰りに珍しい石を見つけた。
専門家に見せると、象の歯だと笑われた。
しかし熱狂的な古生物マニアだった彼は、
それが1億2千年前の爬虫類の歯だと突き止めた。
体長7mを超すその生物に、
彼は「イグアナの歯」を意味する
イグアナドン
という名を授けた。
イグアナドンの完全な化石は現在、
ベルギーの王立自然史博物館に展示されている。
過去への探検 イグアノドン
世界で初めて恐竜の化石を発見した、
イギリスの医者ギデオン・マンテル。
1822年、彼は仕事の帰りに珍しい石を見つけた。
専門家に見せると、象の歯だと笑われた。
しかし熱狂的な古生物マニアだった彼は、
それが1億2千年前の爬虫類の歯だと突き止めた。
体長7mを超すその生物に、
彼は「イグアナの歯」を意味する
イグアナドン
という名を授けた。
イグアナドンの完全な化石は現在、
ベルギーの王立自然史博物館に展示されている。
John Cummings
過去への探検 メガゾストロドン
2億年前に哺乳類が存在した事実は、
約50年前までわからなかった。
1966年、南アフリカ博物館の研究員アイオーン・ラドナーが、
恐竜の化石を発掘中に小さな白い塊を見つけた。
拡大鏡でよく見てみると、歯がついていることがわかった。
それから数ヶ月。
かつて見たことのない小動物の全身の骨が、
細心の注意のもとに掘り出された。
体長10cm、しっぽ4cm。
トガリネズミに似たその生物は、
メガゾストロドン
と名付けられた。
過去への探検 ジャイアントモア
1936年、ニュージーランドの田舎道で、
荷車を引いていた一頭の馬が倒れてこの世を去った。
馬の持ち主のジョーゼフ・ボグデンという農夫が、
亡骸を埋めるために穴を掘ると、
約800羽もの巨大な鳥の骨が見つかった。
古生物学者が調べたところ、
16世紀に絶滅した
ジャイアントモア
の骨だとわかった。
身長4m、体重250kg。
史上最大の鳥類でありながら、
翼がなく飛べなかった悲劇の鳥。
骨は古い泥に埋まっていた。
もしもモアが飛べたら、今も生きていたのだろうか。
過去への探検 最初のアメリカ人
1947年、人類学者ヘルムート・デ・テラが、
メキシコでマンモスの骨を見つけた。
よく見ると、隣には人間の骨も埋まっていた。
彼はマンモスがいた1万1000年前、
アメリカにすでに人類が存在したと考え、その骨を、
テペスパン人
と名付けた。
しかし彼の発見はいい加減な発掘作業によるものだと、
無視されてしまった。
5年後、同じ場所で見つかったマンモスの骨に、
矢が刺さっているのが発見され、
テラの説が正しかったことが証明された。
アメリカ大陸に存在した最初の人間は、
4万年前に移住したアジア人だった。
Ryan Somma
過去への探検 ネアンデルタール人
1856年、ドイツのネアンデル谷で、
石灰岩を掘っていた作業員が一体の骨を見つけた。
地元の理科教師ヨハン・フールロットが、
その骨を組み立ててみると、
猫背で額の出た、二本足の生物だとわかった。
彼はそれが原始人の骨だと確信。発見場所にちなんで、
ネアンデルタール人
と名付けた。
しかし当時、進化論は神への冒涜とみなされており、
彼の発見は怒りと嘲笑で迎えられた。
ネアンデルタール人の存在が受け入れられたのは、
11年後、フールロットが亡くなった年だった。
巴里の灯
1926年、チャールズ・リンドバーグは一つの夢を抱いた。
大西洋を飛行機で横断してみせる。
だが当時5800kmも飛べる飛行機はなかった。
彼は地元の実業家たちから資金を獲得。飛行機の製造を始めた。
灯りも窓も捨て、燃料タンクを目一杯積んだ飛行機は、
スピリット・オブ・セントルイス号
と名付けられた。
1年後、セントルイスの夢をのせた翼は、
ニューヨークからパリに向けて飛び立った。
リンドバーグ、25歳の春だった。
Joe, Jenn and Corrilyn
巴里の灯
1927年5月20日の夜。
チャールズ・リンドバーグは猛烈な睡魔と戦っていた。
世界初の大西洋単独横断を目指し、
ニューヨークを飛び立ってから12時間。
辺りは暗くて何も見えず、下は嵐で荒れ狂う海。
一瞬でも眠れば命はない。だが疲労は容赦がなかった。
彼は眠気覚ましに海の上スレスレに低空飛行し、
夜明けまでの7時間を乗り切った。
翌日、ついにヨーロッパの海岸が見えた。
驚いたことに予定より2時間半も早く着いていた。
Photo by Josh Wilburne
巴里の灯
1927年5月21日の夜。チャールズ・リンドバーグをのせた
スピリット・オブ・セントルイス号はフランス国境を超えた。
人類初、大西洋単独無着陸飛行。
ニューヨークからパリまで33時間かけた
不眠不休の冒険がようやく終わろうとしている。
眠気は冷め、エンジンも快調。あとは着陸するだけ。
しかし肝心の空港が見つからなかった。
滑走路の灯を探してリンドバーグが見たもの。
それはエッフェル塔と彼の栄誉を称えるために集まった自動車の、
何万ものヘッドライトだった。
巴里の灯
1927年5月21日午後10時21分。
チャールズ・リンドバーグをのせた
スピリット・オブ・セントルイス号が、
パリのル・ブルジェ空港に着陸した。
世界初の大西洋単独無着陸飛行。
ニューヨークからの5,810kmを、
33時間29分30秒かけて飛びきった。
パリの上空で を見たとき、
翼よ、あれが巴里の灯だ!
と叫んだというのは作り話。実際に発した言葉は、
英語を話せる人はいませんか?
または
トイレはどこですか?
だったそうだ。どちらにせよ、
パリ市民の大歓声にかきされてしまったことだろう。
巴里の灯
世界で初めて飛行機で大西洋を横断した、
チャールズ・リンドバーグにはもう一つの世界初があった。
それは人工心臓の開発。
彼には心臓弁膜症に苦しむ姉がいた。
機械で全身に血液を送ることができないか
アメリカ初のノーベル賞受賞者アレクシス・カレル博士と協力し、
1935年、「カレル・リンドバーグポンプ」の開発に成功。
残念ながらその前年、姉は帰らぬ人になってしまったが、
彼は心臓病に悩む大勢の人の希望に灯をともした。
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