中村組・三島邦彦

三島邦彦 14年4月20日放送

140420-03
Kennosuke Yamaguchi
先輩! 山口瞳

4月1日。
多くの企業で入社式が開かれるこの日に合わせ、
毎年掲載される新聞広告がある。

「新入社員諸君!」の一文ではじまるこの広告。
1978年の開始からその死の前年である94年まで、
直木賞作家山口瞳が20年近くに渡り筆を執った。

山口は先輩社会人を代表して
新社会人へ言葉を送り続けた。
たとえば、社会人としての酒の飲み方。

まず、酒は愉快に飲めと言いたい。
愉快に飲むためには、他人に迷惑をかけてはいけない。
迷惑をかけないためには、酒を飲んでいるときに、
絶対に他人のことに口を出さないことだ。

来る年も来る年も、
山口の言葉に、新入社員は勇気づけられ、
先輩社会人たちは深くうなずいた。

山口が担当した最後の原稿には、こんな言葉が書かれている。

踏み込め、踏み込め、失敗を恐れるな!

topへ

三島邦彦 14年4月20日放送

140420-04
潜水夫
先輩! 小津安二郎

1927年、
深夜の映画撮影所の食堂で、
カレーライスを待っていた若者が
先輩に順番を抜かされ、もめごとを起こした。

威勢のいい若者がいるという評判は、
彼にデビューのきっかけを与えた。

彼の名前は小津安二郎。
世界中の映画監督が尊敬する昭和の名監督。
小津はこう語る。

何も頭がよかったでもなし、腕をみとめられたわけでもない。
ただただカレーライスのおかげだったのである。

時には、先輩にはむかうことも
必要なのかもしれません。

topへ

三島邦彦 14年4月20日放送

140420-05
Cake6
先輩! 山本昌

球界最年長選手、
中日ドラゴンズ 山本昌投手。
入団時には生まれてもいなかった選手たちに混じり
現役を続ける秘訣をこう語る。

僕は20代より30代、
30代より40代の方がしっかりと練習するようになりました。
じゃないと、体力だけではなく、考え方も落ちてしまう。

プロ31年目。
その大きな背中が、後輩たちを育てている。

topへ

三島邦彦 14年3月16日放送

140316-01

夢みるおとなたち アントニオ・ガウディ

1926年6月7日、
バルセロナで一人の老人が路面電車にはねられその生涯を閉じた。
身元は、行方不明の捜索を願い出てきた
弟子たちによって判明した。

老人の名前はアントニオ・ガウディ。
未完の大聖堂サグラダ・ファミリアの設計者である天才建築家だった。

31歳で大聖堂の設計を任されてから
74歳で天に召されるまで。
ガウディはその人生のすべてを
サグラダ・ファミリアの設計にささげてきた。

教会の設計をするには
キリスト教への強い信仰が必要だと言って、
厳しい断食を自らに課すなど、
その姿勢は鬼気迫るものがあったという。

ガウディがサグラダ・ファミリアですごした死の前日。
仕事を終えたガウディは、弟子たちにこう声を掛けた。

 明日はもっといいものを作ろうじゃないか。

ガウディから明日を託された者たちによって、
その見果てぬ夢は、少しずつ完成へと近づいている。

topへ

三島邦彦 14年3月16日放送

140316-02

夢みるおとなたち トーマス・エジソン

発明王、トーマス・エジソン。
彼が67歳の時、
研究所が大きな火事になった。
燃えさかる研究所を
家族と一緒に見つめながら、
大発明家は平然とこう言ったという。

 自分はまだ67歳でしかない。明日から早速、ゼロからやり直す覚悟だ。

新しい発明にいつも大きな夢を見ていたエジソン。
その後も17年に渡り、斬新なアイデアを生み出し続けた。

topへ

三島邦彦 14年3月16日放送

140316-03
ilovetypography.com
夢みるおとなたち 草間彌生

美術家にとって夢とは何か。
水玉模様をモチーフにした作品で知られるアーティスト、
草間彌生はこう語る。

 歴史的な仕事をしていきたいです。
 後世、100人見て、たったひとりの人がこれは素晴らしいと
 いってくれるような作品を残していきたいですね。その他は目じゃないです。

topへ

三島邦彦 14年2月8日放送


Brian Sawyer
寒さとあたたかさについて 三國万里子

毛糸を操る編み棒は
たえまなく動き、
ひとつひとつ編み目を重ねていく。
毛糸は手袋になり、マフラーになり、セーターになる。

ほとんどの洋服を機械が作る世の中になっても、
ひとは毛糸の手編みにぬくもりを求める。
そこには、手仕事でしか出せないあたたかさがあるから。

編み物デザイナー、三國万里子は、自らの仕事をこう語る。

春、夏、秋とニットを編みためて、冬になったら短期間のお店を開いてそれを売る。
とてもシンプルな、まるで「かさじぞう」のおじいさんのような仕事。

寒い冬に、ひとをあたためる。
シンプルな仕事は、とても大事な仕事なのだ。

topへ

三島邦彦 14年2月8日放送


Richard Masoner
寒さとあたたかさについて 北大路欣也

映画「八甲田山」。
明治時代の青森で起きた軍隊の遭難事件を描いたこの大作は、
撮影の過酷さに逃げ出す役者が後を絶たなかったという。

そのクライマックス。
棺に入った北大路欣也の遺体に、高倉健が対面するシーン。
高倉健だけを撮る予定だったが、北大路は棺に入ることを希望した。

棺を開いた瞬間、
北大路の存在を知らされていなかった高倉健の目から、
本物の涙があふれた。せりふはもう、いらなかった。

3年に及ぶ過酷な撮影をともにすごした仲間との、
氷点下15度の世界での、あたたかな連帯。
ここに、日本映画史上の名シーンが生まれた。。

topへ

三島邦彦 14年1月26日放送


Bradley Wind
はじまりの言葉 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー

江戸川乱歩、黒澤明、手塚治虫、
アインシュタイン、マーラー、
そして村上春樹が愛したもの。

それは、ドストエフスキーの小説。

「罪と罰」「地下室の手記」「悪霊」。
この偉大な19世紀ロシアの作家が残した小説は
今も世界中で読まれ続けている。

そんなドストエフスキーの代表作であり
世界文学における最も重要な作品のひとつ
『カラマーゾフの兄弟』には、
「著者より」という長い序文がある。

その前口上から伝わるのは、
まぎれもない名作を書きあげた著者の興奮と、
これを読者がどう理解するかについての逡巡。
自ら混乱していることを語りながら綴られた序文はこうして終わる。

序文はこれでおしまいである。こんなもの余分だという意見にわたしは大賛成だが、
書いてしまった以上は仕方がない、そのまま残しておくことにしよう。
では、さっそく本文にとりかかる。

ドストエフスキーが自ら戸惑うほどの名作が、ここから始まる。

topへ

三島邦彦 14年1月26日放送



はじまりの言葉 オスカー・ワイルド

『サロメ』や『幸福の王子』で知られる
アイルランドの作家、オスカー・ワイルド。
世界的な作家でありながら、
とてもアクの強い人物だったため、
その葬儀には数名しか集まらなかったという。

『ドリアングレイの肖像』の序文で、彼はこう書いた。

ある芸術作品について意見が分かれるのは、
作品が新しく、複雑で、生きていることの証しである。

友人たちとの関係を保つには、
彼は新しく、複雑すぎたのかもしれない。

topへ


login