中村組・三島邦彦

三島邦彦 14年1月26日放送



三島邦彦 マーク・トウェイン

児童文学の名作『トム・ソーヤーの冒険』。
その8年後、作者のマーク・トウェインは続編となる
『ハックルベリー・フィンの冒険』を書きあげた。
ただし、書き上がったのは児童文学ではなく、
アメリカ文学史に輝く文学作品だった。

もはや子どもむけの物語ではない。
そのことを示すため、
トウェインは物語をこのような警告から始めた。

 警告

 この物語に主題を見出そうとする者は起訴される。
 教訓を見出そうとする者は追放される。
 筋を見出そうとする者は射殺される。

      著者の命により 兵站部長G・G

topへ

三島邦彦 13年12月22日放送



クリスマスに人々は 戦国のメリークリスマス

日本で初めてクリスマスが祝われたのは、室町時代の1552年。
それから14年後の1566年の日本で、クリスマスに小さな奇跡が起こった。

時は戦国。
近畿地方の覇権をめぐって
松永氏と三好氏が戦をしていた時のこと。
両軍の武士には、当時流行していたキリスト教の信者が多かった。
クリスマスイブ。
それぞれの軍のキリスト教徒たちの熱心な申し入れにより、
特別に一日限りの休戦が決まった。
彼らはこう語ったという。

自分たちは敵味方になっているが、デウスをあがめる心は同じである。

休戦を決めた彼らはともにクリスマスを祝おうと、
大急ぎで町の会合所の大広間を飾り付けた。
夜には司祭を迎えてクリスマスのミサを執り行い、
翌日の昼には各自が料理を持参して
キリストや神について語り合い、ともに聖歌を歌った。

そしてクリスマスの日が暮れるとともに
彼らは再び敵味方に分かれ、戦場へと戻って行った。

今から450年ほど前、まだキリスト教が禁止される前の日本で起きた、
戦国のメリークリスマス。

topへ

三島邦彦 13年12月22日放送



クリスマスに人々は トーマス・マン

『ヴェニスに死す』や『魔の山』で知られる
ノーベル賞作家、トーマス・マン。
ナチスドイツからの亡命で、
ドイツの家に残した日記や手紙、資料や家財道具をすべて失ったが、
彼の才能、家族、そしてクリスマスは奪われることはなかった。
1936年12月24日の日記、
家族と過ごしたクリスマスイブについて記したその中に、
トーマス・マンはこう書いてある。

 私の人生と作品を仕上げるのに必要なものは、何ひとつ欠けていないのだ。

topへ

三島邦彦 13年12月22日放送


HAMACHI!
クリスマスに人々は 林真里子

クリスマスイブの夜、
作家の林真里子の家に、多くの女性たちが集うという。

一人一皿料理を持ち寄り、
酔いが回ればみんなで「きよしこの夜」を歌う。
異性と過ごすばかりがクリスマスではない。
若い時には考えもつかなかった、
大人の女性のクリスマス。
恋愛という束縛からの解放を、林真里子はこう語る。

自分で稼いで、一本のワインを気がねなく買うことが出来る。
そして気に入った仕事と気に入った女友だちを何人か持っていれば、
年をとっていくことも捨てたもんではない。
我ながら意外なほど、充実した日が待っている。

topへ

三島邦彦 13年11月16日放送


wwwuppertal
カメラの裏には 畠山直哉

ドイツのルール工業地帯の一角にアーレンという町がある。
産業の中心であった炭鉱が閉鎖して活気を失ったこの町で
炭鉱施設の一部取り壊しが決まった時、
一人の写真家が日本から呼ばれた。

写真家の名前は畠山直哉。

壊されてしまう前の姿を記録しておきたいという願いを受けた畠山。
未来の人々が懐かしむための写真を撮りながら、
彼の頭に一つの考えが浮かんだ。

 いっそ「記録」は過去ではなく、未来に属していると考えたらどうだろう。
 そう考えなければ、シャッターを切る指先に
 いつも希望が込められてしまうことの理由が分からなくなる。

そして私たちは
記録には未来の視点が必要なことに気づくのだ。

topへ

三島邦彦 13年11月16日放送


poppet with a camera
カメラの裏には ロバート・キャパ

伝説の報道写真家、ロバート・キャパ。

23歳の秋にスペイン内戦の戦場で
民間兵が銃撃を受けて倒れる瞬間を撮影した一枚は、
「崩れ落ちる兵士」というタイトルで発表され、
戦争を象徴するイメージとして
ピカソの「ゲルニカ」と並び称された。

ある日、新聞記者がキャパに「崩れ落ちる兵士」を撮影した時のことを聞くと、
キャパはこう答えた。

 戦争なんて嫌だ。思い出すのも嫌だ。話をするのも嫌だ。

誰よりも戦争を嫌いながら、誰よりも戦場に足を向けたキャパ。
彼が残した写真は今も、彼の代わりに戦争を語り続けている。

topへ

三島邦彦 13年10月19日放送



おいしい料理をつくるひと

滋賀県の比良山(ひらさん)。
京都と若狭をむすぶこの山に、
「比良山荘(ひらさんそう)」という料理宿がある。

名物は「月鍋」。

雪と花の間の時期に食べることから、
雪月花の真ん中の月を取って名付けられたというこの鍋には、
比良山の猟師が仕留めた新鮮な熊の肉がたっぷりと入っている。

比良山荘の主人、伊藤剛治は
熊への思いをこう語る。

 僕自身、熊の味がとてもすきで、
 死ぬときになにを食べたいかいうたら、
 やっぱり熊やと思うんです。

山の精霊である熊を、猟師が命がけで仕留め、伊藤が魂をこめて料理する。
熊も、猟師も、伊藤も、同じ山で生まれ育った仲間たち。
だからこそ、伊藤が作る月鍋には純粋な、山の恵みの滋味がある。

topへ

三島邦彦 13年10月19日放送



おいしい料理をつくるひと

金沢の寿司の名店、小松弥助。
店主の森田一夫が軽妙に寿司を繰り出すその様は
「弥助劇場」と呼ばれ、多くの食通の心をつかんで離さない。

66歳の時、森田は一度店を閉めたことがある。
金沢を離れ、京都での隠遁生活。
余生をゆっくりと過ごすはずだった。
しかし、ふた月も経つとすぐにカラダがうずきはじめた。
森田は言う。

 魚屋の魚が私を呼んでいるように見えました。
 買うて、買うて言いよるんです。

  
寿司を握ることは己の天命。
それを知っているから、
82歳を超えた今日も、森田の「弥助劇場」の幕が開く。

topへ

三島邦彦 13年9月8日放送


University of Salford
変えようとする人たち ムハマド・ユヌス

すべての社会起業家にとっての憧れであり心の支え。
グラミン銀行総裁、ムハマド・ユヌス博士。
27ドルのポケットマネーを42人の農民に貸した彼の行動はやがて、
1000万人に及ぶ人々の希望や未来を支える、世界最大の少額融資事業となった。

無私無欲のビジネス。ユヌス博士はそれをソーシャルビジネスと呼ぶ。
ノーベル平和賞を受賞後、2009年に来日した博士は、日本の若者たちにこう語った。

人間は金を生みだす機械ではありません。
人間は世界を変えることができるのです。

貧困を生まない新しい資本主義を作る。
その遥かな目標に向け、ユヌス博士のソーシャルビジネスは、
世界を少しずつ変えようとしている。

topへ

三島邦彦 13年9月8日放送



変えようとする人たち アンドレアス・ハイネッケ

相手の立場に立つ。
対立をなくすための最もシンプルで、最も難しい方法。

ドイツの哲学博士、アンドレアス・ハイネッケは、
健常者と障がい者の関係を変えるため、
「ダイアログ・インザダーク」というイベントを発明した。

会場は暗闇。わずかな光も存在しない。
1回につき数名に限定された参加者が、
視覚障害を持つナビゲーターに案内されて暗闇を歩く。
恐る恐る足を踏み出しながら前へと進む。
聴覚、触覚、嗅覚、味覚。
視覚が閉ざされることによって、その他の五感が敏感になる。
暗闇の世界に慣れたナビゲーターの確かな足取りが参加者に安心感をくれる。
声を掛け合い、手をつなぐ。
暗闇の中での対話を通して、
ナビゲーターと参加者同士の間に、あたたかな連帯が生まれる。
ハイネッケはこう語る。

そばにいる誰かは、あなたを助けてくれる人なのです。

ダイアログ・インザダーク。
その暗闇の中ではすべての人が平等で、すべての人がやさしい。

topへ


login