早野龍五と科学
原子物理学者・早野龍五(はやのりゅうご)は、
子どもたちに科学の授業をする時に
こんな話をするという。
138億年前の
ビッグバンで生まれた
水素が私たちの身体にも入っている。
身体の中の、138億年前の水素原子。
その存在を意識するだけで、
世界は、すこし違って見えて来る。
早野龍五と科学
原子物理学者・早野龍五(はやのりゅうご)は、
子どもたちに科学の授業をする時に
こんな話をするという。
138億年前の
ビッグバンで生まれた
水素が私たちの身体にも入っている。
身体の中の、138億年前の水素原子。
その存在を意識するだけで、
世界は、すこし違って見えて来る。
Yung Tsai
早川義夫と写真
ロックバンド・ジャックスのボーカルとして知られる、早川義夫。
彼は写真を撮るのが好きで、
中でも愛犬のチャコを撮るのが好きだ。
なぜなら、犬は人間とちがって
よく撮られようなんて思っていないから。
だから彼も素直にカメラを向けることができる。
そんな早川の、写真論。
いい写真は、素直な気持ちと愛情だ。
ぶれていても。粒子が荒れていても。
Marxchivist
大友良英と映画音楽
連続テレビ小説『あまちゃん』の作曲者として知られる、大友良英。
彼の作曲人生におおきな影響を与えた人がいる。
映画『ゴジラ』のテーマを手掛けた作曲家、伊福部昭だ。
今の映画音楽と比べて、はるかにくすんだ録音。
オーケストラの重低音。歪んだ音。
子どもごころにも、それはとてもおっかなかった。
大友は語る。
伊福部さんは僕ら子どもに
怪獣という概念を音楽で植えつけた。
言葉を教えてくれた親みたいなもんです。
雨宮処凛と映画
作家・雨宮処凛(あまみやかりん)。
彼女が大好きな一本の映画がある。
魚喃(なななん)キリコ原作、『ストロベーリーショートケイクス』。
4人の女性の恋愛模様を描いたオムニバス映画だ。
雨宮はこの作品を、
誰かを好きになるたび観返す。
そのたびにいつも同じ想いが胸をよぎる。
恋する者は、みんな惨めだ。
みんなが惨めで、だからこそ、愛おしくてたまらない。
ぜっとん♪
あの人の夏 阿久悠
「怪物」と呼ばれたヒットメーカー、阿久悠。
作詞家としてこれ以上ない多忙を極める中でも、
毎年夏の15日間は特別な仕事のために空けられていた。
その仕事は、夏の甲子園を見て、一日に一篇の詩を書くこと。
大会期間中の阿久は、
一日四試合、片時もテレビの前を動かなかった。
画面から目を離さずに食べられるよう、食事はいつもどんぶり飯。
グラウンドの球児たちにも負けない気迫で一球も目をそらすことなく、
自己流のスコアブックに色鉛筆で結果や印象を綴っていく。
そして感じたドラマに対し、一回戦で敗退したチームにも、
優勝したチームにも、惜しみない称賛を送り続けた。
1979年から2006年まで足かけ27年、
その間に生まれた詩は、360篇を超える。
これは、その中の一節。
甲子園は去る人の闘いで
だから
熱狂の底に感傷がある
大物も去る 普通も去る
敗者も去る 勝者も去る
たとえ 優勝しても
終る人 去る人に変りはない
あの人の夏 いわさきちひろ
淡く幻想的な色彩で
こどもたちの姿を
描き続けた画家、
いわさきちひろ。
1945年8月。
ちひろ26歳の夏。
戦争が終わった翌日からつけはじめた日記が残っている。
青草がそっと足になびいてたまらなくいとしい。
この草草の色、山のあおさ、日本の大空よ!!
青春をまるごと戦争に奪われてしまった女性は、
その五感で、これまでとは違う夏を感じていた。
あの人の夏 中田喜直
夏が来れば思い出す
名曲「夏の思い出」の作曲家、
中田喜直(なかだよしなお)。
その父、中田章(なかだあきら)は、
春の代表曲「早春賦」の作曲家だった。
春の歌に関しては自分は父の『早春賦』にまさる曲を作ることはできない
父への敬意と対抗心。
息子は、夏を代表する歌を生んだ。
あの人の夏 少年アヤ
からだは男の子だけれど、心はどこか女の子。
かわいいものが昔から大好き。
そんな作家・少年アヤの夏は、
ハウスダストに苦しめられた夏だった。
好きが高じて集めたファンシーグッズの数々。
日焼けで傷まないように
大切にしまいこんでいたら、
埃の温床になってしまったのだ。
その光景を見たアヤ。
随分と申し訳ない気持ちになった。
物って、視線を行き届かせていないとたちまち傷む。
「愛してるよ、大切にするよ、宝物だよ」という姿勢が肝心な気がします。
さんざんな夏だったけれど、
モノとの関係を見直せた夏だった。
あの人の夏 天正遣欧使節
海外への旅がほぼ死を意味した
戦国時代のことだった。
弱冠13歳前後の4人の少年が
ヨーロッパを視察するため
長崎の港を旅立った。
伊藤マンショ、千々岩ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ。
2年半にも及ぶ航海の末、
4人は真夏のポルトガルに上陸する。
彼らの経験は想像を絶するものだった。
けれど、彼らの記録は日本から消し去られることになる。
4人が戻った日本は
キリスト教を許さない国になっていた。
あの人の夏 フェリペ2世
1584年夏。ヨーロッパに上陸した
天正遣欧使節団の少年4人は、
絶大な権力を誇ったスペイン国王フェリペ2世に謁見した。
驚いたのは国王のほうだったらしい。
少年らの着物に施された花や鳥の模様。
袴に差した大小の刀。
上から下へと書かれたキリシタン大名からの書状。
フェリペ2世はそのひとつひとつに近寄り
伊東マンショの履いていた草履は、
わざわざ手に取って、まじまじと眺めたという。
4人の少年が
当時のヨーロッパに与えたインパクトは
計り知れず大きかった。
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