中村直史

中村直史 14年4月20日放送

140420-01
emiton
先輩! 北杜夫となだいなだ

精神科医であり、作家であった「北杜夫」。
麻布中学を卒業し、慶応大学の精神科に勤務。
同人誌「文芸首都」からベストセラー作家になった。

まったく同じプロフィールの人がいる。
なだいなだ。
北杜夫の2年後輩にあたる。

2011年に北杜夫が亡くなったとき、
なだいなだは、その追悼文の中で、
自分を北の「二匹目のどじょう」と言った。

北杜夫のおかげで作家として売れることができた。
そして、北杜夫に敵わぬと悟ったことで、
自分らしい道を歩むことができたと。

先輩を2年後ろから追いかけた、なだいなだ。
北への追悼文をかいた2年後、この世を去った。

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中村直史 14年4月20日放送

140420-02

先輩! 遠藤順子と遠藤周作

遠藤順子さんは、
大学で同じ文学部の先輩に恋をした。

恋は実を結んだ。
夫となった先輩は病弱だった。
何度も手術を行い、
生死の境をさまよった。

夫は物議をかもす人でもあった。
社会的論争を起こす本を書いた。
夫は順子さんに言った。

いつか自分のことをわかってくれる人が出てくる。
その人のための「踏み石」になりたい。

夫の名は遠藤周作。
後輩である妻に支えられ、
どっしり強い踏み石になった。

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三島邦彦 14年4月20日放送

140420-03
Kennosuke Yamaguchi
先輩! 山口瞳

4月1日。
多くの企業で入社式が開かれるこの日に合わせ、
毎年掲載される新聞広告がある。

「新入社員諸君!」の一文ではじまるこの広告。
1978年の開始からその死の前年である94年まで、
直木賞作家山口瞳が20年近くに渡り筆を執った。

山口は先輩社会人を代表して
新社会人へ言葉を送り続けた。
たとえば、社会人としての酒の飲み方。

まず、酒は愉快に飲めと言いたい。
愉快に飲むためには、他人に迷惑をかけてはいけない。
迷惑をかけないためには、酒を飲んでいるときに、
絶対に他人のことに口を出さないことだ。

来る年も来る年も、
山口の言葉に、新入社員は勇気づけられ、
先輩社会人たちは深くうなずいた。

山口が担当した最後の原稿には、こんな言葉が書かれている。

踏み込め、踏み込め、失敗を恐れるな!

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三島邦彦 14年4月20日放送

140420-04
潜水夫
先輩! 小津安二郎

1927年、
深夜の映画撮影所の食堂で、
カレーライスを待っていた若者が
先輩に順番を抜かされ、もめごとを起こした。

威勢のいい若者がいるという評判は、
彼にデビューのきっかけを与えた。

彼の名前は小津安二郎。
世界中の映画監督が尊敬する昭和の名監督。
小津はこう語る。

何も頭がよかったでもなし、腕をみとめられたわけでもない。
ただただカレーライスのおかげだったのである。

時には、先輩にはむかうことも
必要なのかもしれません。

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三島邦彦 14年4月20日放送

140420-05
Cake6
先輩! 山本昌

球界最年長選手、
中日ドラゴンズ 山本昌投手。
入団時には生まれてもいなかった選手たちに混じり
現役を続ける秘訣をこう語る。

僕は20代より30代、
30代より40代の方がしっかりと練習するようになりました。
じゃないと、体力だけではなく、考え方も落ちてしまう。

プロ31年目。
その大きな背中が、後輩たちを育てている。

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三國菜恵 14年4月20日放送

140420-06

先輩! 秋元康

作詞家、秋元康。
AKB48のヒットをはじめ、
もうそれ以上稼がなくてもいいのではと
誰もが思いそうだが、彼の手は休まる様子がない。

その理由のひとつに、とある先輩の存在がある。
「にっちもさっちもどうにもブルドック」などの
個性的な歌詞を送りだしたことで知られる作詞家・近田春夫。

お互い、アウトプットは違うけれど
ヒットメーカーなのは同じ。
近田の存在は秋元をいつもどこかで
奮い立たせてくれるというのだ。

どれだけヒット曲を出そうが、
メジャー街道を行こうが、
倒せない人が一人いる感じがする。
自分の中にそういう人がいるってことが大事なんです。

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三國菜恵 14年4月20日放送

140420-07
Karl Baron
先輩 石川さゆり

少女はある日歌い手になろうと思った。
小学一年生のとき、島倉千代子のステージを観たときに。

歌手・石川さゆり。
島倉千代子をリスペクトしつづけて歌い手になった。

自分がまだ何者でもなかった頃から
島倉は石川をはげましてくれた。

美空ひばり、島倉千代子、都はるみ、そして、さゆり。
あなたもこの先輩からの流れを自覚して頑張るんだよ。
そう言って、歴代演歌歌手のひとりとして扱ってくれた。

時にきびしく、言葉だけでなく、態度で鼓舞してくれたこともあった。
「先輩より早く仕事場に入ろう」と
石川が2時間前に現場に到着したら、
すっかり支度を済ませた島倉が彼女を待っていた。

いまはもう、島倉千代子という歌手はこの世にいないけれど、
石川の耳には彼女の「さゆり、しっかりしろ」という声が
聞こえるときがあるという。

いくつになっても、どんなかたちになっても、
先輩はすこし高いところから、
後輩を高めつづけてくれる。

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三國菜恵 14年4月20日放送

140420-08

先輩!  岩井俊二

映画監督・岩井俊二。
彼には、尊敬している先輩がいる。
名前はムーンライダーズ。

映画監督ではなく
ニューウェーブという音楽ジャンルを代表するバンドだ。

ヌーベルヴァーグといわれる
フランス映画を題材にした楽曲の数々に、
岩井は映画の風景を夢想し、それを作品へと変えていった。

目指す職業の中だけに、先輩がいるとはかぎらない。

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三島邦彦 14年3月16日放送

140316-01

夢みるおとなたち アントニオ・ガウディ

1926年6月7日、
バルセロナで一人の老人が路面電車にはねられその生涯を閉じた。
身元は、行方不明の捜索を願い出てきた
弟子たちによって判明した。

老人の名前はアントニオ・ガウディ。
未完の大聖堂サグラダ・ファミリアの設計者である天才建築家だった。

31歳で大聖堂の設計を任されてから
74歳で天に召されるまで。
ガウディはその人生のすべてを
サグラダ・ファミリアの設計にささげてきた。

教会の設計をするには
キリスト教への強い信仰が必要だと言って、
厳しい断食を自らに課すなど、
その姿勢は鬼気迫るものがあったという。

ガウディがサグラダ・ファミリアですごした死の前日。
仕事を終えたガウディは、弟子たちにこう声を掛けた。

 明日はもっといいものを作ろうじゃないか。

ガウディから明日を託された者たちによって、
その見果てぬ夢は、少しずつ完成へと近づいている。

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三島邦彦 14年3月16日放送

140316-02

夢みるおとなたち トーマス・エジソン

発明王、トーマス・エジソン。
彼が67歳の時、
研究所が大きな火事になった。
燃えさかる研究所を
家族と一緒に見つめながら、
大発明家は平然とこう言ったという。

 自分はまだ67歳でしかない。明日から早速、ゼロからやり直す覚悟だ。

新しい発明にいつも大きな夢を見ていたエジソン。
その後も17年に渡り、斬新なアイデアを生み出し続けた。

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