中村直史

三島邦彦 14年3月16日放送

140316-03
ilovetypography.com
夢みるおとなたち 草間彌生

美術家にとって夢とは何か。
水玉模様をモチーフにした作品で知られるアーティスト、
草間彌生はこう語る。

 歴史的な仕事をしていきたいです。
 後世、100人見て、たったひとりの人がこれは素晴らしいと
 いってくれるような作品を残していきたいですね。その他は目じゃないです。

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中村直史 14年3月16日放送

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S/L
夢みるおとなたち レスリー・キー

どうして日本に来たのか。
その質問に、
シンガポール出身の写真家レスリー・キーは答えた。

 日本に来てカメラマンになったら、
 大好きなユーミンに会えると思ったんだ!

工場で働いて、日本へ行くお金を貯めた。
学校に入るため、日本語を猛勉強した。
プロになって、写真をとりまくった。

シンガポールを離れて7年。
2001年の5月13日、
その日はやってきた。

自身初の写真集のため、ユーミンを撮影した。
コンセプトは
“Dream of the Lovers”だった。

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中村直史 14年3月16日放送

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夢みるおとなたち アルフレッド・ヴェーゲナー

時は20世紀初頭。
男は、世界地図を広げ、考えた。
南アメリカの東の海岸線と
アフリカの西の海岸線が似ているのは、なぜだ。

それまでも、この疑問に答えを出そうとした科学者はいた。

けれど、気象学者アルフレッド・ヴェーゲナーの結論は、
ひときわ夢想じみたものだった。

「かつて、地球上のすべての大陸は、ひとつの巨大大陸だった」

異端の学説として退けられた、
ヴェーゲナーの大陸移動説。
それが、地球物理の定説となった時、
ヴェーゲナーはもうこの世にいなかった。

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三國菜恵 14年3月16日放送

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keatl  
夢みるおとなたち 手塚治虫

小説家になりたかった。
野球選手になりたかった。
けれど、普通の大人になっていた。

そんなみなさまへ、
漫画家・手塚治虫のこんな言葉を。

夢は2つ以上持ってください

じつは医者になりたかった手塚治虫。
漫画家のかたわら、医師免許獲得のために勉強をつづけていた。

なぜなら夢が1つしかないと
その夢がやぶれたときに挫折してしまうから。

かなった夢と、かなわなかった夢。
2つを交互に磨くことが
自分をかなえるエネルギーになるようです。

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三國菜恵 14年3月16日放送

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Tom.Bricker
夢みるおとなたち ウォルト・ディズニー

夢の国に行ってきます

大人までもがこう口にする。
千葉県・浦安市 東京ディズニーランド。
この地に魔法をかけた張本人、ウォルト・ディズニーは
人間についてこんなまなざしを持っていた。

笑い声は時代を超え、想像力は年を取らない。そして、夢は永遠のものだ。

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三國菜恵 14年3月16日放送

140316-08
Atom Malchick
夢みるおとなたち 中村有志

舞台俳優や、大食い番組のレポーターなど、
幅広い活躍をしている俳優・中村有志(なかむらゆうじ)。

北九州出身の彼は、高校3年のとき上京する決意を固めた。
そして、2つのことを準備する。

ひとつは、ひもじさに慣れること。
東京での貧乏生活はさぞ厳しいだろうから、一年間、大好物の白米を断った。

そしてもうひとつ、圧倒的な暴力に備える準備をした。
新聞やテレビで見る東京には、血の気の多い若者がウヨウヨしていたから、
トレーニングを重ねて、拳を磨いた。

準備は万端。東京へ。
バイトはいくらでもあった。
280円で満腹になれる定食屋も見つけてしまった。

ストリップ劇場の裏で輩にからまれたとき、
「拳を試す時が来た」とばかりに相手を殴ったら
あっけなく病院送りにできてしまった。

「あれ?」中村は首をかしげる。

血湧き肉踊る東京は、どこに行った?
その為に準備したのに!

夢見た街で起こることが全部ドラマチックとは限らない。

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三島邦彦 14年2月8日放送


Brian Sawyer
寒さとあたたかさについて 三國万里子

毛糸を操る編み棒は
たえまなく動き、
ひとつひとつ編み目を重ねていく。
毛糸は手袋になり、マフラーになり、セーターになる。

ほとんどの洋服を機械が作る世の中になっても、
ひとは毛糸の手編みにぬくもりを求める。
そこには、手仕事でしか出せないあたたかさがあるから。

編み物デザイナー、三國万里子は、自らの仕事をこう語る。

春、夏、秋とニットを編みためて、冬になったら短期間のお店を開いてそれを売る。
とてもシンプルな、まるで「かさじぞう」のおじいさんのような仕事。

寒い冬に、ひとをあたためる。
シンプルな仕事は、とても大事な仕事なのだ。

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三島邦彦 14年2月8日放送


Richard Masoner
寒さとあたたかさについて 北大路欣也

映画「八甲田山」。
明治時代の青森で起きた軍隊の遭難事件を描いたこの大作は、
撮影の過酷さに逃げ出す役者が後を絶たなかったという。

そのクライマックス。
棺に入った北大路欣也の遺体に、高倉健が対面するシーン。
高倉健だけを撮る予定だったが、北大路は棺に入ることを希望した。

棺を開いた瞬間、
北大路の存在を知らされていなかった高倉健の目から、
本物の涙があふれた。せりふはもう、いらなかった。

3年に及ぶ過酷な撮影をともにすごした仲間との、
氷点下15度の世界での、あたたかな連帯。
ここに、日本映画史上の名シーンが生まれた。。

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中村直史 14年2月8日放送


the cardinal de la ville
寒さとあたたかさについて ポール・オースターもしくはアメリカ国民

アメリカ国民から集めたストーリーを、
ただ、ラジオで朗読する。

「ナショナルストーリープロジェクト」は、
小説家ポール・オースターの呼びかけで生まれた。

基準は「ウソのような、本当の話」。
アメリカの、ふつうの人々から集まった
4000を超えるストーリーには、
あたたかい話があった。寒々しい話があった。
ウソみたいな、でもたしかに本当の、
かなしみや、怒り、驚き、よろこびがあった。

ラジオから朗読をつづけたオースターは言った。

 アメリカが物語を語るのが私には聞こえた。

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三國菜恵 14年2月8日放送


chesbayprogram
寒さとあたたかさについて 牡蠣船の商人達

いまが旬の食材、牡蠣。
その代表的な食べ方のひとつに
土手鍋というものがある。

鍋のふちに味噌を土手のようにつけて
くつくつと煮込むから「土手鍋」、
なのかと思いきや
そうではないとする説もある。

遠い昔、江戸時代に
広島から大阪へと牡蠣を運んできた商人達が
橋のたもとに船を泊め、
牡蠣料理をふるまった。
その味が評判を呼び、
人々が橋の土手下に集まっては
わいわいと鍋をつつくようになった。

土手鍋の語源は「土手下の鍋」。
人が集まる場所がメニューの名前になった鍋。
牡蠣が美味しい季節もあともう少し。
寒いことをたのしめるのも、もう少し。

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