ilovetypography.com
夢みるおとなたち 草間彌生
美術家にとって夢とは何か。
水玉模様をモチーフにした作品で知られるアーティスト、
草間彌生はこう語る。
歴史的な仕事をしていきたいです。
後世、100人見て、たったひとりの人がこれは素晴らしいと
いってくれるような作品を残していきたいですね。その他は目じゃないです。
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夢みるおとなたち 草間彌生
美術家にとって夢とは何か。
水玉模様をモチーフにした作品で知られるアーティスト、
草間彌生はこう語る。
歴史的な仕事をしていきたいです。
後世、100人見て、たったひとりの人がこれは素晴らしいと
いってくれるような作品を残していきたいですね。その他は目じゃないです。
S/L
夢みるおとなたち レスリー・キー
どうして日本に来たのか。
その質問に、
シンガポール出身の写真家レスリー・キーは答えた。
日本に来てカメラマンになったら、
大好きなユーミンに会えると思ったんだ!
工場で働いて、日本へ行くお金を貯めた。
学校に入るため、日本語を猛勉強した。
プロになって、写真をとりまくった。
シンガポールを離れて7年。
2001年の5月13日、
その日はやってきた。
自身初の写真集のため、ユーミンを撮影した。
コンセプトは
“Dream of the Lovers”だった。
夢みるおとなたち アルフレッド・ヴェーゲナー
時は20世紀初頭。
男は、世界地図を広げ、考えた。
南アメリカの東の海岸線と
アフリカの西の海岸線が似ているのは、なぜだ。
それまでも、この疑問に答えを出そうとした科学者はいた。
けれど、気象学者アルフレッド・ヴェーゲナーの結論は、
ひときわ夢想じみたものだった。
「かつて、地球上のすべての大陸は、ひとつの巨大大陸だった」
異端の学説として退けられた、
ヴェーゲナーの大陸移動説。
それが、地球物理の定説となった時、
ヴェーゲナーはもうこの世にいなかった。
keatl
夢みるおとなたち 手塚治虫
小説家になりたかった。
野球選手になりたかった。
けれど、普通の大人になっていた。
そんなみなさまへ、
漫画家・手塚治虫のこんな言葉を。
夢は2つ以上持ってください
じつは医者になりたかった手塚治虫。
漫画家のかたわら、医師免許獲得のために勉強をつづけていた。
なぜなら夢が1つしかないと
その夢がやぶれたときに挫折してしまうから。
かなった夢と、かなわなかった夢。
2つを交互に磨くことが
自分をかなえるエネルギーになるようです。
Tom.Bricker
夢みるおとなたち ウォルト・ディズニー
夢の国に行ってきます
大人までもがこう口にする。
千葉県・浦安市 東京ディズニーランド。
この地に魔法をかけた張本人、ウォルト・ディズニーは
人間についてこんなまなざしを持っていた。
笑い声は時代を超え、想像力は年を取らない。そして、夢は永遠のものだ。
Atom Malchick
夢みるおとなたち 中村有志
舞台俳優や、大食い番組のレポーターなど、
幅広い活躍をしている俳優・中村有志(なかむらゆうじ)。
北九州出身の彼は、高校3年のとき上京する決意を固めた。
そして、2つのことを準備する。
ひとつは、ひもじさに慣れること。
東京での貧乏生活はさぞ厳しいだろうから、一年間、大好物の白米を断った。
そしてもうひとつ、圧倒的な暴力に備える準備をした。
新聞やテレビで見る東京には、血の気の多い若者がウヨウヨしていたから、
トレーニングを重ねて、拳を磨いた。
準備は万端。東京へ。
バイトはいくらでもあった。
280円で満腹になれる定食屋も見つけてしまった。
ストリップ劇場の裏で輩にからまれたとき、
「拳を試す時が来た」とばかりに相手を殴ったら
あっけなく病院送りにできてしまった。
「あれ?」中村は首をかしげる。
血湧き肉踊る東京は、どこに行った?
その為に準備したのに!
夢見た街で起こることが全部ドラマチックとは限らない。
Brian Sawyer
寒さとあたたかさについて 三國万里子
毛糸を操る編み棒は
たえまなく動き、
ひとつひとつ編み目を重ねていく。
毛糸は手袋になり、マフラーになり、セーターになる。
ほとんどの洋服を機械が作る世の中になっても、
ひとは毛糸の手編みにぬくもりを求める。
そこには、手仕事でしか出せないあたたかさがあるから。
編み物デザイナー、三國万里子は、自らの仕事をこう語る。
春、夏、秋とニットを編みためて、冬になったら短期間のお店を開いてそれを売る。
とてもシンプルな、まるで「かさじぞう」のおじいさんのような仕事。
寒い冬に、ひとをあたためる。
シンプルな仕事は、とても大事な仕事なのだ。
Richard Masoner
寒さとあたたかさについて 北大路欣也
映画「八甲田山」。
明治時代の青森で起きた軍隊の遭難事件を描いたこの大作は、
撮影の過酷さに逃げ出す役者が後を絶たなかったという。
そのクライマックス。
棺に入った北大路欣也の遺体に、高倉健が対面するシーン。
高倉健だけを撮る予定だったが、北大路は棺に入ることを希望した。
棺を開いた瞬間、
北大路の存在を知らされていなかった高倉健の目から、
本物の涙があふれた。せりふはもう、いらなかった。
3年に及ぶ過酷な撮影をともにすごした仲間との、
氷点下15度の世界での、あたたかな連帯。
ここに、日本映画史上の名シーンが生まれた。。
the cardinal de la ville
寒さとあたたかさについて ポール・オースターもしくはアメリカ国民
アメリカ国民から集めたストーリーを、
ただ、ラジオで朗読する。
「ナショナルストーリープロジェクト」は、
小説家ポール・オースターの呼びかけで生まれた。
基準は「ウソのような、本当の話」。
アメリカの、ふつうの人々から集まった
4000を超えるストーリーには、
あたたかい話があった。寒々しい話があった。
ウソみたいな、でもたしかに本当の、
かなしみや、怒り、驚き、よろこびがあった。
ラジオから朗読をつづけたオースターは言った。
アメリカが物語を語るのが私には聞こえた。
chesbayprogram
寒さとあたたかさについて 牡蠣船の商人達
いまが旬の食材、牡蠣。
その代表的な食べ方のひとつに
土手鍋というものがある。
鍋のふちに味噌を土手のようにつけて
くつくつと煮込むから「土手鍋」、
なのかと思いきや
そうではないとする説もある。
遠い昔、江戸時代に
広島から大阪へと牡蠣を運んできた商人達が
橋のたもとに船を泊め、
牡蠣料理をふるまった。
その味が評判を呼び、
人々が橋の土手下に集まっては
わいわいと鍋をつつくようになった。
土手鍋の語源は「土手下の鍋」。
人が集まる場所がメニューの名前になった鍋。
牡蠣が美味しい季節もあともう少し。
寒いことをたのしめるのも、もう少し。
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