中村直史

三島邦彦 13年9月8日放送


Global X
変えようとする人たち ビル・ドレイトン

ガンジーに憧れる19歳の青年が、
旅行先のインドで目の当たりにしたのは、
貧富の差に苦しむ人々だった。

すぐなんとかしたいと思ったが若くて何もできない。
政府はすぐには動かない。
新しい仕掛けが必要と痛感した。

青年の名前はビル・ドレイトン。
その旅から18年の時を経て、
アショカ財団という組織を作り、
世界中の有望な社会起業家を支援している。

世界を変える人を育てる。
ドレイトンは今、「社会起業家の父」と呼ばれている。

topへ

三島邦彦 13年9月8日放送


overviewasl
変えようとする人たち 大木洵人

インターネットを通じた遠隔手話通訳や
オンライン手話辞典など、
手話とテクノロジーを結びつけることで
手話の世界に革新をもたらしている企業、「シュアール」。
その代表、大木洵人(おおきじゅんと)を突き動かしているものは、
聴覚障害に対する社会的な不平等への嫌悪だという。
彼は語る。

人間はもともと不平等。
だからこそ、すべての人たちにチャンスは
平等に与えられるべきだと思っています。

topへ

三島邦彦 13年8月24日放送


az1172
カムバック! フェリックス・サンチェス

彼の名はフェリックス・サンチェス。
2004年、アテネ五輪陸上男子400メートルハードルで
祖国に初めての金メダルをもたらしたドミニカの英雄。

その英雄に人生最悪の日がやって来たのは、
栄冠から4年後の北京五輪だった。
その日、祖母が亡くなったという連絡を受けたサンチェスは、
失意のままに予選敗退。
その後は怪我も重なり、
サンチェスはもう終わったと言われた。

そして2012年。ロンドン五輪。
サンチェスは、再びオリンピックの舞台に帰って来た。
そこで観衆は34歳という年齢を感じさせない、驚異的な走りを目の当たりにする。

結果は金メダル。記録は47秒63。全盛期と言われたアテネ五輪と同じタイムだった。
4年前の悲しみに思いを馳せ、祖母の写真を胸に抱き、大粒の涙を流した。

  多くの人にそろそろ引退しろと言われた。
  この結果を誰も予想できなかっただろ

レース後にそう語ったサンチェス。
8年ぶりの表彰台で流した涙は、やがて大きな笑顔に変わった。

topへ

三島邦彦 13年8月24日放送


Sam Rae
カムバック! ヴィクトール・E・フランクル

ナチスの強制収容所から帰還した心理学者
ヴィクトール・E・フランクル。

わずかなパンと水のようなスープのみを与えられ、
雪の降る屋外で来る日も来る日も肉体労働を強いられる日々。
心理学者としての客観的な視線と、愛する妻への思いが、
フランクルの心を支えた。

戦争が終わり、故郷に帰った。
しかし、強制収容所で離ればなれになった妻と両親は
もう帰って来ないことを知った。

帰ることができなかった人たちのことを伝えること。
それを帰ることができたものの使命と考えたフランクルは
心理学者としての観察をもとに一冊の体験記を書いた。
その中で彼はこう語る。

 何千もの幸運な偶然によって、
 あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、
 とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。
 わたしたちはためらわずに言うことができる。
 いい人は帰ってこなかった、と。

  
日本では『夜と霧』というタイトルで、
今も強制収容所の真実を伝え続けている。

topへ

三島邦彦 13年8月24日放送


y.caradec
カムバック! クルム伊達公子

彼女が復帰するというニュースに、世界が驚いた。
クルム伊達公子。
1996年に惜しまれつつ引退した彼女は、
2008年に復帰を発表。
12年ぶり、38歳でのツアー復帰。
まさに前代未聞だった。

しかし、復帰後のプレーを見て、世界はさらに驚くことになる。
衰えを見せない運動能力と、豊かな経験から来る巧みな駆け引き。
ブランクは、彼女をさらに魅力的なテニスプレーヤーにしていた。
彼女はこう言う。

 やっぱり私はテニスが好きだったんだと気づくのに、
 十一年半かかってしまいました。でもそれは必要な時間だったのです。

世界ランキングを駆け上がって行った10代の頃のニックネームは、
「ライジングサン」。日はまた昇る。何度でも。

topへ

三島邦彦 13年8月24日放送



カムバック! 長谷川四郎

満州鉄道に勤め、軍人となり、
やがて捕虜となった後、帰国して作家になった。
名前は、長谷川四郎。

ソ連軍の捕虜として、
5年にわたるシベリア抑留から帰ってきた長谷川は、
大陸での体験をもとに小説を書いた。

代表作、「シベリア物語」、「鶴」。
大陸の風物を冷静な観察眼で描いた作品には、
それまでの日本文学の誰にも似ていない新鮮さがあった。

40歳を過ぎてのデビュー。
遅れてきた新人作家としての意気込みを聞かれた長谷川は、
こう答えている。

 かえりみるに、むかしからぼくは、残念ながら、
 自分のなりたかったものになったためしがないのだ。
 こんどだってあやしいものだ。
 かまわない。サイコロをふってみよう。ない目は出ないにきまっている。

topへ

中村直史 13年8月24日放送


Angel_Blue
カムバック! 大塚晶則

2006年第一回
ワールドベースボールクラシック。
優勝の瞬間、マウンドに立っていた大塚晶則。

数々の栄光に輝いた右腕は、
その後五度に渡る手術を繰り返し、
一時は、右投げをあきらめ、
左投げに挑戦さえした。

今年41歳。最後の実戦から6年が経った。
往生際の悪い男は、いま、
日本の独立リーグで復活を果たそうとしている。

topへ

中村直史 13年8月24日放送



カムバック! マーティン・コナー

第二次世界大戦の日本兵の遺品を、
遺族のもとに返還する。
終戦から68年たったいまも、
そんな活動を続ける人がいる。
元アメリカ軍兵士、マーティン・コナー。

活動の支えになっているのは、これまでに受けた
遺族からの感謝の言葉。

 遺品が見つかる限り、活動をやめるわけにはいかない。

87歳のマーティンさんはそう言っている。

topへ

中村直史 13年8月24日放送



カムバック! 山口仙二

2013年7月6日。
山口仙二さんが亡くなった。
享年82歳。

1945年8月9日、長崎で被爆。
重度のやけど、放射線による病気、
さらに差別といった苦難を乗り越え、
生涯を、反戦・反核運動に捧げた。

1955年、国連でのスピーチ。
被爆者を代表し演説した山口さんはこんな言葉で締めくくった。

 ノーモア・ヒロシマ!ノーモア・ナガサキ!
 ノーモア・ウォー!ノーモア・ヒバクシャ!

それは、時代を超えてこだましつづける叫びとなった。

topへ

三島邦彦 13年6月15日放送



その男、チェ・ゲバラ

哲学者のサルトルは彼を「20世紀で最も完璧な人間」と呼び、
ジョン・レノンは「世界で一番かっこいい男」と呼んだ。

革命家チェ・ゲバラ。
アルゼンチンに生まれ、ラテンアメリカを旅し、
キューバに革命をもたらした男。

生涯にわたりラテンアメリカの解放を訴え続け、
各地でゲリラ戦を繰り返し、最後はボリビアで命を落としたその人生。

革命へのあくなき情熱。
その原動力はなんだったのか。
ゲバラは、こう答えた。

滑稽だと思われるかもしれないが、
真の革命家は偉大な愛に導かれていると言わせてもらおう。

topへ


login