中村直史

三島邦彦 12年9月9日放送



自然と人 田中正造(たなかしょうぞう)

その人は今も歴史の教科書の挿絵の中で
警察官に組み伏せられながら何かを訴えている。
名前は、田中正造。

衆議院議員の正造はある日、
栃木県の足尾銅山のふもとにある
村の死亡率が異様に高まっていることを知る。
村を流れる渡良瀬川では魚たちが死に、
森の木は枯れはじめているという。
正造は、これを一生の一大事とした。

十年に渡り議会で鉱毒問題を扱ったが
状況は改善できなかった。
議員活動の限界を感じると、
財産をすべて寄付し、
鉱毒に苦しむ人々の村へと入っていった。
村人の家を転々としながら、
村人の立場で鉱毒問題に取り組んだ。

近代文明の本質にある闇を、正造は鉱毒問題に見ていた。
正造の日記には、こんな言葉が書かれている。

 真の文明は 山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし

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三國菜恵 12年9月9日放送



自然と人  田口ランディ

作家・田口ランディ。
彼女が物書きになろうと思ったのは、
屋久島を訪れたのがきっかけだった。

それは、大自然の力に感動したから
という理由だけではない。
そこに暮らす人々の本当の苦労を知ったからだった。

都会に暮らしてきた田口に対し、
あるとき、現地の人がこんなことばをもらす。

「どうして俺たちだけが縄文人みたいな暮らしを強いられるんだ」

田口は、現地の人はあたりまえに自然を守っているのだと思っていた。
けれども、ちがったのだ。

その日以来、彼女は屋久島の人々の声を、血のにじむような努力の数々を、
メールマガジンにして発信しはじめた。
それは、彼女の物書きとしての第一歩であり、
自然保護のための具体的な一歩でもあった。

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中村直史 12年9月9日放送



自然と人 トゥキノ四世

ニュージーランドの先住民マオリ。
彼らにとって土地とは、
人間が所有するものではなく、
神々の承認によって使うことを許された場所だった。

マオリが大切にした土地の中でも
とくに聖地とあがめられた場所があった。

1887年。マオリのリーダーが、こともあろうか、
その聖なる土地を英国女王に譲り渡してしまう。

首長の名前は
ホロニク・テ・ヘウヘウ・トゥキノ四世。
ただし、と彼は厳しい条件を添えた。
その土地一帯を永久に、そのままの姿で保全すること。

このままでは入植者たちによる乱開発をくいとめることはできない。
神々から約束された場所を守る方法はないものか。
考えた末の決心だった。

土地の名は、トンガリロという。
1990年世界遺産登録。
神々の約束の地は、世界中の自然を愛する人の聖地となった。

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三國菜恵 12年9月9日放送



自然と人 岩谷美苗(いわたに みなえ)

ニュージーランドの先住民マオリ。
彼らにとって土地とは、
人間が所有するものではなく、
神々の承認によって使うことを許された場所だった。

マオリが大切にした土地の中でも
とくに聖地とあがめられた場所があった。

1887年。マオリのリーダーが、こともあろうか、
その聖なる土地を英国女王に譲り渡してしまう。

首長の名前は
ホロニク・テ・ヘウヘウ・トゥキノ四世。
ただし、と彼は厳しい条件を添えた。
その土地一帯を永久に、そのままの姿で保全すること。

このままでは入植者たちによる乱開発をくいとめることはできない。
神々から約束された場所を守る方法はないものか。
考えた末の決心だった。

土地の名は、トンガリロという。
1990年世界遺産登録。
神々の約束の地は、世界中の自然を愛する人の聖地となった。

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三國菜恵 12年9月9日放送


Hiro.Y
自然と人 立松和平(たてまつ わへい)

作家・立松和平(たてまつ わへい)。
彼は晩年、生まれ故郷である栃木県・足尾銅山の森を再生させるために
木を植える活動にいそしんだ。

彼は、仲間達と
こんな言葉をスローガンに活動していたという。

 皆さんの心に木を植えましょう。
 地面に植えた木と、心の中に植えた木は、同じように育っていくんです。

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中村直史 12年9月9日放送



自然と人 ジョン・ミューア

アメリカで「自然保護の父」と呼ばれるジョン・ミューア。
幼いころから自然に魅せられた。
植物のそばに一日中座りこみ、その声を聞こうとした。
石ころたちには、どこからやってきたんだ?と話しかけた。

私は、自らの身体と精神を、自然と符合させたいと願っていた。

ミューアの情熱はやがて
ルーズベルト大統領をも動かし
アメリカに多くの国立公園を生むことになる。

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三國菜恵 12年8月26日放送



夏の終わりに  鎌田敏夫(かまた としお)

関西弁で「そやさかい」というのを、
徳島弁では「ほなけんな」というのだそうだ。

徳島出身のシナリオライター
鎌田敏夫(かまたとしお)は、
こののんびりとした言い回しを聞くと、
故郷の夕なぎの景色を思い出すのだという。

 夏の夕方にそよとも風が吹かなくなる、あの一瞬。
 阿波弁を聞くと、ぼくは、いつも、そのときの空気を
 思い出してしまうのである。



夏の終わりに  青山七恵(あおやま ななえ)

「ひとり日和」などの作品で知られる
小説家・青山七恵(あおやまななえ)。

彼女はある夏、フランスに留学した。
そのときに、旅先から帰国後の自分へ手紙を送る、
というあそびをしてみた。

7月27日。
彼女は、手紙のなかで帰国後の自分にこう問いかけた。

 元気ですか?

それに対して、
8月31日の青山さんが書いたのは、こんなお返事。

 私はたぶん、少しだけ変わりました。
 学生時代からずっと長くしていた髪を切りました。
 少なくとも、髪の毛くらい、変えることはかんたんだと、
 よくわかりました。

夏のはじまりにはなかった気持ちが
夏の終わりには育っている。


きっちん
夏の終わりに 岡野廣美(おかの ひろみ)

東京・根津にある花屋
「花木屋」の店主、岡野廣美(おかのひろみ)。

彼女は職業柄もあってか、
匂いから季節を感じるのが得意なのだという。

十字路で沈丁花の香りに出くわせば、三月。
市場でバラの匂いがすれば、五月。
不忍池で蓮の匂いがあたり一面に漂えば、真夏。

そんな彼女に、都会で秋を感じる匂いを聞いてみた。

 空気が汚れていると、花つきが悪いと言われているキンモクセイも
 秋には香りのよいオレンジ色の花を咲かせます

キンモクセイが香るころは
衣替えも終わっているだろうか。

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三島邦彦 12年8月26日放送


ヤマザキノブアキ
夏の終わりに 安野光雅(あんのみつまさ)

1945年の夏の終わり。
19歳の青年が、靴下いっぱいにつめた米を手に、
軍隊から両親の住む家へと帰ってきた。

出征の時に
両親と別れた峠に再びやって来ると、
ふもとの野原には曼珠沙華が一面に咲いていた。

 わたしは着ていたものをすべて脱いで煮沸し、
 シラミの卵を退治して、やっと兵隊というものから、
 普通の人間に戻ったのだと思っている。

青年はこうして自分の日常を取り戻していった。
焼け跡のぼろぼろになった街を歩きながらも、
安野の目には明るい未来がほのかに見えていた。

 絶望に似た不思議な混沌から、
 何かが芽生えてくる期待だけがあった。

青年の名前は、安野光雅。
豊かな色づかいとやわらかなタッチの水彩画で、
画家として、絵本作家として、
後に海外からも高い評価を受けることになる。

その夏の終わりは
日本中で新しい季節が始まろうとしていた。



夏の終わりに 堅田外司昭(かただ としあき)

1979年の夏の甲子園。
和歌山の箕島高校と
石川の星稜高校の延長戦は
星陵が2度のリードを守れず
最終イニングの18回へ。
両校とも体力は限界に達し、
決着は翌日の再試合に持ち越しかと思われた。

しかし、18回の裏、
星陵の堅田投手が投げた208球目が打たれ、
星陵の夏は突然の終わりを迎える。

その日を振り返り、堅田投手は言う。

 ぼくは泣かなかった。
 眠れずにみんなと話し合っていたことは、
 これで野球からしばらく解放されるということだった。

夏が終わるたび、球児たちは大人になる。
全力を尽くしたものだけが持つ輝きを手に入れて。

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中村直史 12年8月26日放送


あまから
夏の終わりに   井上陽水と玉置浩二

せつなさを感じるのは、
大切にしたい何かをもっている証拠です、と言った人がいた。
大切にしたいと思う時間や、人物や、感情がある。
それらと自分の間に距離を感じてしまうとき、
せつなさを感じてしまうのだと。

8月最後の日曜日。
去りゆく夏を、どんな気持ちで見送ればいいだろう。
もし、せつない気持ちを感じていたら、
それは、何かを大切だと思っている証拠。

「夏の終わりのハーモニー」という歌がある。
井上陽水と玉置浩二、2つの才能が、奇跡的な出会いをしたこの歌も、
せつなさは決してネガティブな感情ではないと教えてくれる。

 真夏の夢 あこがれを
 いつまでも ずっと 忘れずに

忘れられないせつなさを抱きしめた
夏の終わりを感じられますように。

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三島邦彦 12年8月26日放送



夏の終わりに  正岡子規

病の床で正岡子規は、
一年前の夏を思い出していた。
フランクリン大統領の自伝を読むことを日課にしていた夏だった。

 去年はこの日課を読んでしまうと、
 夕顔の白い花に風がそよいで
 初めて人心地がつくのであったが、
 今年は夕顔の花がないので暑苦しくて仕方がない。

晩夏の厳しい日射しの中で、
子規の最後の夏が
ゆっくり終わろうとしていた。

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