中村直史

かっこいいなマティスって 20110620-4

美術館のなかは写真撮影禁止なので
観たものを、書ける範囲でお伝えしてみます。


          入口近くにあった花

なにがすごかったか①
作品との距離が近かった。

作品の前に
ここから先乗り出しちゃだめ
みたいな線もひいていなかったし、
気になるものは細部までじーっと寄って観ることができる。

監視員さんも
高い作品なんだから汚してくれるな、みたいな
ピリピリした感じがぜんぜん無かった。

全体的に「美術館」というよりは
マティスの「家」みたいな感じ。
(アトリエに置いてあった家具とかも展示されていた。

とにかく、ゆったりのんびり観られる。
その感じがとってもよかったです。

なにがすごかったか②
絵以外の作品がたくさんあった。

もちろんマティス=「画家」なのだけれど、
絵を描く以外のこともいっぱいやってたことがわかった。

たとえばこれ

マティスの描いた「海」なのですが、

これ以外にもシルクスクリーンで同じもの描くことにトライしてたり
布に刺しゅうすること(ハワイアンキルトみたいなこと)もやってみてたり
いろんな領域をかじっていたのが、すごいなあと。

後日、ピカソ美術館にも行く機会があったのだけれどピカソもそうで、
絵筆を持つ日もあれば、陶芸をする日もある、彫刻をする日もある。

(マティスは晩年、教会をまるまるひとつ
(手がけることまでしていたというからおどろきです。

あたらしいこと覚えるのって大変だし、
実際はじめてみるとおっくうになることもあると思うのですが、
この人たちはそうじゃなかったんだなあ。
エネルギッシュ。
思いついたことはぜんぶやる。

そんな風に見えて、
すごいなあ、かっこいいなあ
でもそういうことできてない自分は
なんかちょっとくやしいなあ
この人たちより若いのになあ
と、思ってしまいました。

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ニースに行くことにした 20110620-3

特別な理由があったわけではありませんが
ニースに行くことにしました。

電車に乗れればそれでいいなあと思ったのと、
モナコにも行けるらしいけれど国境越えるのがこわかったのと、
とはいえほどよく離れているところがよかったので、ニース。

海外慣れのまったくしていない二人なので
切符を買うにもひと苦労。
でも、駅の人にはキホン英語が通じたので
なんとか改札をくぐれました。


           電車がきーたぞー

「国鉄」と聞いていたので
なんというか、もっと、単線みたいなの想像してたんです。
でも二階建て。新幹線みたい。
カンヌは日本でいう「熱海」みたいなとこ、らしいので
これは「スーパービュー踊り子号」みたいなものなのかもなあと
言い聞かせていました。


             ニースの駅


             ニースの駅前

ぶじ到着。
カンヌから30~40分ぐらいかかった・・気がする(体感時間による)

ここからどこを目指すかといえば
マティス美術館!
南仏には美術館がたくさんあるのです。
(シャガール美術館もニースにあるのだとか)

むかし教科書で読んだ気がする情報を、
まさか自分の目で体感できる日がくるとは思わなかった。


        奥の豆粒がわたしたち二人

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ボーゼンと街歩き 20110620-2

所在ないわけです。負けたので。
とはいえ一日の残りはたっぷりあるわけで。
でも、とりあえずおなかはすくわけで。

気になってたカフェに来てみました。
これ、写真ではまったく伝えきれてないのですが
ものすごくかわいいカフェです。
きれいなムラサキ色でいろんな調度品がまとまっていて。


         シャンデリアもあったですよ

でも、注文しようと思ったら衝撃のひと言。
「飲み物は出せるけど、朝ごはんを出していないの。バケットぐらいしかないのよー・・」

なんという凡ミス。
来てみたかった憧れは満たせても
おなかが満たせなきゃイミがないぞ。

でも、フランスってゆるやかで
まわりのお店で買ったものを持ちこんで食べても
ぜんぜん怒られないんです。
なので、となりのお店でサンドウィッチを買ってみました。

長い・・!
これで、300~400円ぐらい。
フランスパンと言うだけあって
やっぱり、フランスはパンおいしいです。

そして、調子に乗ってマカロンも購入。

でかい・・
おばけマカロンです。
甘いものは別腹!と言いますが
さすがに一部、後日に持ちこしました。

血糖値はあがったし、
さすがにちょっと元気になったけど
モヤモヤはとれず・・

二人して口を開いたら、気持ちは一致してました。

「とりあえず、今日はここにはいたくない」

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結果発表 20110620-1

20日AM10:00。 いよいよ


             結果発表ー!

プレス審査のお部屋にみんな集められ、
審査委員長からひとこと。
「君たちは実にすばらしい」
「あの短い時間で?ほんとにアメージングだ!」
「僕たちもとても刺激をもらったよ」
みたいなことをおっしゃっていた(と、思う・・)

そしてすぐさま発表。

BRONZE!

“Donate today to help them find clean, affordable water.”
(すぐに寄付を。彼らがきれいな水を手に入れやすくなるように)
手書きのイラスト風のビジュアルが目をひく。

SILVER!

“If humans are 65% water, Africans are just 35% human. ”
(人間の65%が水であるなら、アフリカ人は35%しか人間たりえていない)
これはコピー勝ち。メッセージに発見がある作品。

GOLD!

“Our pumps make water more than water. ”
(わたしたちの井戸はアフリカに水をもたらすけど、それ以上のものも与えている)
「水(=H2O)から広がるいい影響」を化学式のように描いていくというアイデア。
アフリカの現状のこともちゃんと伝えているし、ビジュアルもきれい。なんともクレバーな印象。

なかったね 日本・・

現在時刻 AM11:00
この残りながい一日を、どうしてくれよう

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三島邦彦 11年8月14日放送



前を向く言葉/森繁久彌

戦争が終わった時、森繁久彌は満州の放送局に勤めていた。
森繁は芦田伸介らと有志を集め、劇団を作った。
当時を振り返りこう語る。

まったく、世紀の劇団であった。
異国のはてに一切の希望を失って毎日を送っている、
   そんな街の人々とともに、
私たちは少しでも、生きる力や勇気や、
喜びや幸福を語り合う時間を持とうとしたのだから。

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三國菜恵 11年8月14日放送



前を向く言葉/仁木ふみ子

1964年。
戦争がおわり、少し落ち着きをとりもどした日本では
教育に対する新しい試みがはじまっていた。

大分県立別府青山高校。
受験を目的とする進学校で、しかも女子校だった。

何もかもが真新しいこの学校に赴任してきたのが、
教員・仁木ふみ子。

スターターメンバーとして
一から学校を「つくる」権利をあたえられた彼女は、
これから入ってくる一期生に向けて、
入学式のしおりに、こんな言葉を添えた。

教えるとは希望を語ること、
学ぶとは誠実を胸にきざむこと

学校の「これから」を
たしかに指し示している言葉だった。

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中村直史 11年8月14日放送



前を向く言葉/ロン・クラーク

世界中の人が差別や仲たがいなんかせず、
認めあって生きていく方法は何だろう。

政治的観点から、経済的観点から、歴史的観点から、
専門家たちが専門的な見解を披露してきた。
もちろん、その多くは示唆に富むけれど、
ときにはちょっと難しくて、ひとりひとりが
具体的にどうしたらいいか、わからない場合もある。

そんなときは、ムズカシイ話をカンタンにしてくれる人に聞いてみよう。

アメリカの小学校教師ロン・クラーク先生の本
「みんなのためのルールブック」

子どもたちのために書かれた
50ある、「あたりまえだけど大切なルール」の
23番目のタイトルには、こう書かれてある。

「だれであれ、なかまはずれにしない。」

 だれかがとなりに座りたがったら、
 座らせてあげよう。
 決まった友だちとしか
 座らないのは、よくないことだ。

ほら、話はカンタン。
大人もこんな気持ちでやってみましょうか。



前を向く言葉/齋藤孝

「声に出して読みたい日本語」を書いた斎藤孝。

教育者である彼は、
子どもたちに向けて、熱く語りかけつづけている。

著書のタイトルから熱い。たとえば、
「ガツンと一発・カッコよく生きてみないか!」

カッコよく生きるとはどういうことか、
わかりやすく、熱っぽく書かれたその本の中に、
ひときわ目立つ一行があった。

 逆風がふいているときこそ、人はカッコよくなれるんだ。

いま、カッコよくなれるチャンスかもしれません。

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三島邦彦 11年8月14日放送



前を向く言葉/小津安二郎

映画監督、小津安二郎。
「東京物語」や「秋刀魚の味」など、
人生の機微を淡々と描く独自の作風で、
世界中の映画監督に大きな影響を与えた。
国内では戦前から若き巨匠としてその名を知られていたが、
33歳で徴兵され、
「ちょっと戦争に行ってきます」という言葉を残して、
2年間を中国で過ごした。

帰国後第一作は、「戸田家の兄妹」。
一人の軍人も出てこない、ホームドラマだった。
映画記者の、戦争映画を撮らないのかという質問に、小津はこう答えた。

何?今度の映画かい?戦争ものじゃないよ。だって考えてもみたまえ。
二年間も毎日泥んこの中に足をつっこんで来ているのに、
また映画でそれをすぐやれるかというんだ。

その後も小津は、人々のささやかな生活にひそむドラマを描き続け、
生涯一本も戦争映画を撮らなかった。
小津の戦争から帰国してすぐのインタビューに、こんな言葉がある。

生まれたことを感謝しなくちゃいかんのだよ。
自分がこの世に生きているという事実に対して、自信を持ち、
生き甲斐を感じなくちゃいかんのだね。



前を向く言葉/藤沢周平

小説家、藤沢周平は、18歳で終戦を迎えた。
世の中の価値観が大きく変わりゆく様を目にして、
これまで見知らぬ他者が自分の運命を左右してきたことの恐ろしさに気がついた。
藤沢は、後にこう語る。

いざというそのときに、
自衛隊から借りた銃を持って辺地に行くか、
それとも家の中で降服のための白旗を縫うかは、
今度こそ自分で判断するつもりである。

30歳を過ぎて本格的に作家となった藤沢周平。
「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」などの時代小説にはどれも、
歴史の表舞台には登場しない主人公たちの、
一世一代の決断が描かれている。

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前を向く言葉/タモリ

前を向いて、明るくいこう。
それはとても正しいけれど、
そう思ってもいられないときだって、人間にはある。

誰もが知っている名司会者・タモリも
そう思うところがあったのか、こんな言葉を残している。

前を向いて歩いてたって、つまんないよ。
後ろを振り返ったほうが「あれが楽しかった」って楽しいよ。

要するに、その人らしいことが大事なのかもしれない。



前を向く言葉/チャールズ

ノーベル賞、受賞数学者
ジョン・ナッシュ。
彼の名言にこんな言葉がある。

 数学は正確さにかけては芸術だ

しかし、人を好きになる気持ちは数学とは無縁のものだった。
彼は自分の愛する女性が本当に自分を好きかどうか
確かめるのがこわくて思い悩んだ。

そんな彼に、友人・チャールズは
こんな言葉をかける。

人生に確かなことなんてない、
それだけが確かなことなんだ。

友人のその言葉には
彼が信じるに足りる確からしさがあったらしい。
自分の言葉で彼女の気持ちを確かめた彼は、ぶじ、結婚。

数字はもともと確かなものだが
人を信じることは
自分のなかに確かなものをつくることだと思う。

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薔薇がなくちゃ生きていけない 20110619-2

コンペの提出が全部終わったのは20時半ぐらい。

わたしたち含むのんびり組の人たちの
プリント出力に時間がかかったので、
少し時間がおしました。

事務局のひとたちはとてもやさしく、
最後のメール提出のところまできちんと見守ってくれ、
「たのしくつくれたかい?」「二人とも満足しているかい?」と聞いてくれたので

「イエース!」

ほんとはとってもたいへんだったけど、
二人でひとつのことをやりきったというのは
やっぱりね、気持ちよかったのです。

で!

やっと ごはん!

じゃなくて、

ビール!!

おいしかった・・

お店の人が気をきかせて
「ふつうのビアー?コロナもあるよ」
と言ってくれたのですが、
ものすごくふつうのが飲みたかったのでそっちにしました。
(基本的に、フランスはハイネケンが主流?ぽかったです)

ちなみに、バックをみていただくと
わかると思うのですが明るいんです。
これで夜の・・21時とかそのくらいです。

ごはんもとてもおいしかった。
ユーちゃんがその感想を
「味がいいね」と言っていて、
若者にしてはしぶい言葉を使うなあというのが
とってもツボでした。

さて。
量をこころえた今回は、ちゃんと完食。
そのタイミングをみはからってお店の人が

なんと バラをくれた・・

「来てくれてありがとうマドモワゼルたち」
「カンヌをたのしんでいってね」

ですって・・

フランス・・!

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