中村直史

三島邦彦 11年6月12日放送



あの人の師/竹本住大夫

伝統芸能、文楽。
物語の語り手を「太夫」と呼ぶ。
人間国宝、七代目竹本住大夫(たけもと すみたゆう)は、
父も人間国宝という文楽の家に育ったが
父の勧めにより進学した。

しかし徴兵され、戦地におもむく送別会で
義太夫を語る住太夫を見て父は言った。

 お前そないに好きやったら、帰ってきて太夫になれ

これはしめた、生きて帰ろう、と
住太夫は決心したそうだ。

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三國菜恵 11年6月12日放送



あの人の師/戸田奈津子

職業のなかにはいくつか、
「どうやったらなれるのかわからないもの」がある。

戸田奈津子(とだ・なつこ)さんも悩んでいた。
映画字幕の翻訳家になりたいけれど、なり方がわからなかった。
そこで彼女は、映画のエンドロールの中に、師匠をさがすことにした。

字幕翻訳家、清水俊二(しみず・しゅんじ)。
生涯で2000本もの映画を翻訳した、重鎮だった。

清水さんは戸田さんに、簡単には仕事をくれなかった。
それどころか、いつもこう聞いた。

まだ、あきらめないの?

そのたびに戸田さんは言った。「あきらめません」。

いま、映画のエンドロールに、彼女の名前を見ない日はない。
それは、師匠が鍛えてくれたねばり強さの証かもしれない。

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三國菜恵 11年5月22日放送



生き物のはなし/いとうせいこう

ベランダで、花を育てている。
けれども、うまくいかず
ときには、枯らしてしまうこともある。

クリエイター・いとうせいこうは
そんな失敗を繰り返すひとり。

けれども彼はその失敗を、とても大事に考えている。

園芸は植物を支配することではないのだ。
むしろそれが出来ないことを教えてくれるのである。



生き物のはなし/高村光太郎

作家としてはもちろん、
彫刻家としても数多くの作品を残した
高村光太郎。

彼は、ある生き物のことが
特別好きだった。

それは、セミ。

彫刻のモチーフとして
すばらしい姿をしている
と考えていたようで、

セミを見つけにいくことを
「モデル漁り」、なんて言い方をしていた。

加えて、やかましく聞こえがちなあの声も
高村にとっては愛らしく聞こえていたらしい。

あの一心不乱な恋のよびかけには
同情せずにいられない。

まっすぐなセミの声は、
まっすぐな心をもつ高村に、心地よく聞こえていたようだ。

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三島邦彦 11年5月22日放送



生き物のはなし/コンラート・ローレンツ

卵からかえったひなは、
最初に見た生き物を母親だと思いこむ。

この、「刷り込み」理論の研究などで、
動物行動学をうちたてたノーベル賞学者、コンラート・ローレンツ。

従来の動物学の主流であった解剖による研究とは一線を画し、
生きた動物とともに暮らし、
徹底的に観察することによって、
その行動に隠された法則を発見した。

幼いころから家に様々な動物を引っ張り込んでは
熱心に観察していた彼。

一緒に暮らす両親や妻の忍耐が、
彼の生き生きとした発見を支えていた。
彼はそんな自らの研究生活への
家族の理解に深く感謝し、こう語った。

 ネズミを家の中で放し飼いにして、そいつが家じゅう勝手に走りまわり、
 敷物からきれいなまるい切れはしをくわえだして巣をつくっても
 我慢してくれ、といえる夫は、私のほかにはいそうもない。



生き物のはなし/ファーブル

「哲学者のように思索し、芸術家のように観察し、
詩人のように感覚し表現する偉大なる学者。」
と称えられた昆虫学者、ファーブル。

彼が人生をかけて何度も追加や修正を繰り返した『昆虫記』は、
単なる観察記録に終わらず、世界への発見に満ちている。

晩年、その『昆虫記』の決定版を完成させるにあたり、彼はこう語った。

 昆虫の世界は実にあらゆる種類の思索の糧に富んでいる。
 もしも私が生まれ変わり、また幾度か長い生涯を再び生き得るものとしても、
 私はその興味を汲みつくすことはないであろう。

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中村直史 11年5月22日放送



生き物のはなし/ルドルフ・シェーンハイマー

「私」という存在は何者なのか。
その難題に答えを出そうとしてきたのは
哲学者だけではない。

科学者もまた、
「私」が何者かを探し続けてきた。

その中でも
1930年代に活躍した生物化学者
ルドルフ・シェーンハイマーの研究は
「私」のとらえかたに大きな変革をもたらすものだった。

シェーンハイマーは体の中にとりこまれた食物が、
どのように体の一部となり、
どれくらいの期間とどまり続けるのかを解明した。

その結果、驚くべきことに、
動物の細胞はほんのわずかの期間に
どんどんいれかわっていることがわかった。

つまり、物質的な意味で言えば、
今日の「私」は、数ヵ月後にはもうまったく違う「私」になっている。
シェーンハイマーはこういった。

 生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが、生命の真の姿である。

私という存在は
言ってみれば、移りゆく粒子のよどみ。
そう聞くと、少し世界が変わってみえませんか。



生き物のはなし/阿部宗明

その魚は、自分につけられた名前に
少しがっかりしているかもしれない。
その名も「ウッカリカサゴ」。

名づけ親と言われているのが、
魚類学者である阿部宗明(あべときはる)。

うっかりすると、カサゴと区別できない。
そして、日本の学者が毎日見慣れたカサゴが
別種だったことをロシアの学者に発表され、
「いやはやうっかりしていた」と、この名前がついた。

ちなみに、カサゴは体の斑点が不明瞭なのに対して
ウッカリカサゴの斑点はくっきりしている。

このつぎ魚屋さんに行ったら
じっくり観察してみませんか?
うっかりしなければ、
きっと見分けることができるはず。

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三島邦彦 11年5月22日放送



生き物のはなし/大根常雄さん

海の命を恵みとして受け取る仕事。それが漁師。
石川県の漁師、大根常雄(おおね つねお)さんは、
無数の生き物たちを抱える能登の海について、こう語る。

 海はちゃんとうめえようになっとる。
 ここは恵まれたいい海よ。
 船を下りても、年寄りはみんな海を見に、毎日きとるわ。

人間もまた、海に育てられる生き物のひとつのようです。

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三國菜恵 11年5月22日放送



生き物のはなし/野毛山動物園の飼育員たち

横浜市にある野毛山動物園には
いっぷう変わった場所がある。
その名も、「しろくまの家」。

名前のとおり
しろくまが暮らしているのか、と思いきや
そこには何の姿もない。

そして入口には、こんな文字。

みなさんもホッキョクグマになったつもりで、
また飼育係になったつもりで探検してみましょう。

そう、ここはかつてしろくまが暮らしていた家。

飼育員さんたちはそこをお客さんに開放して、
自由に見てもらえるようにしたのだ。

しろくまがいたのと同じ場所に立って
景色を眺める人もいれば、写真を撮り合う人もいる。
それはとっても明るい光景。

飼育員さんたちのはからいで
「しろくまの家」は、今も変わらず
お客さんのいい顔であふれている。

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三國菜恵 11年4月16日放送


チャップリンとあの人/チャップリンのこどもたち

こどもにとって、
父親の仕事は気になるもの。

チャップリンのこどもたちも、
パパの映画に興味があった。

そんなことを知ってか、
チャップリンは自分の映画の上映会を
よく開いてくれたという。
それも、本人による解説つきで。

「さあきました。ちっぽけ放浪者です」
「さてまいりましたが、足に包帯をしたでっかい野郎といっしょです」

それは、映画の説明と言うより、独演会。
こどもたちはみんな、声をあげて笑った。

上映会が終わると、チャップリンはこうたずねる。

ほんとうにおもしろかったかい?
子供たちを喜ばすことが世界中で一番むずかしいんだよ。

チャップリンにとって我が子は、
いちばん反応が気になるお客さんだった。


チャップリンとあの人/高野虎市

チャップリンが
いちばん信頼していたといわれる付き人は、実は日本人。
名前は、高野虎市(こうの・とらいち)さん。

彼の気遣いは、とてもきめこまやか。

たとえば、チャップリンのポケットに
いつも50ドルを入れておく。

それは、
ボーイさんにチップをあげ忘れることがないように
という配慮から。

気まぐれなチャップリンは、
お金を持たないまま
つい外出してしまう癖があった。

なので、
チャップリンがけちだといわれているのは
まったくの誤解なのですと、高野さんは語る。

いいところも、だめなところも。
ちゃんと「わかって」くれてる人だったから
チャップリンは秘書に選んだのかもしれない。

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三島邦彦 11年4月16日放送


チャップリンとあの人/放浪紳士チャーリー

「チャップリン」と聞いた時に浮かぶあの顔。

真っ白な顔に口ひげを生やし、だぶだぶズボンに小さな上着、
大きな靴をはいてステッキを持つあの姿。
その名も、放浪紳士チャーリー。
自らが映画の中につくりあげた
このキャラクターをチャップリンはこう説明する。

 小さな口ひげは虚栄心。
だぶだぶなズボンは、人間の不器用さ。
大きなドタ靴は貧困の象徴。
 窮屈な上着は貧しくても、品よく見せたいという
必死のプライドを表してるんです。

人がいちばん笑うものは、人間らしさ。
いちばん泣くのも、人間らしさ。
チャップリンはそのことを誰よりも知っていた。


チャップリンとあの人/ ヒトラー

同じ年の同じ月に生まれた二人は、どこか顔も似ていた。
チャップリンとヒトラー。
誰よりも人間を愛し、映画を通じて世界にその愛を伝えていたチャップリンと、
誰よりも人間を憎み、暴力を通じて世界にその力を誇示したヒトラー。
チャップリンにとってヒトラーは、どうしても無視ができない存在だった。

1939年、ヒトラーのポーランド侵攻のニュースを聞いたチャップリンは、
妻であり女優のポーレット・ゴダードを主人公にした映画を撮る計画を中止し、
『独裁者』という作品を制作する。
ヒトラーを批判し、馬鹿にするには言葉が必要だと考えたチャップリンは、
かたくなに守り続けてきたサイレントを捨て、
初めて台詞を映画に取り入れた。
そうして、暴力を否定し人間の愛を訴える、
映画史に残る6分間のスピーチが生まれた。
  
他人の幸福を念願としてこそ生きるべきである。
 お互いににくみあったりしてはならない。
世界には全人類を養う富がある。人生は自由で楽しいはずである。 


チャップリンとあの人/ジャン=リュック・ゴダール

その作品の難解さでいつも世界を戸惑わせるフランスの映画監督、
ジャン=リュック・ゴダール。
映画研究家でもある彼は、チャップリンをこう評した。

 彼はあらゆる賛辞を超えたところにいる。それは、最も偉大な映画作家だからだ。

子どもにも、大人にも、ゴダールにも。
チャップリンは、笑われ、愛され、尊敬された。

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三國菜恵 11年4月16日放送


チャップリンとあの人/スイスの新聞社の人

チャップリン80歳の誕生日のとき、
彼の家には報道陣があふれた。
けど、チャップリンは沈黙をつらぬくばかり。

そんなようすを見た、スイスの新聞社は
こんな文章を掲載した。

チャップリンが沈黙を守るのは仕方がない。
八十一本の彼の映画のうち
七十六本はサイレントなのだから。

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