あの人の師/竹本住大夫
伝統芸能、文楽。
物語の語り手を「太夫」と呼ぶ。
人間国宝、七代目竹本住大夫(たけもと すみたゆう)は、
父も人間国宝という文楽の家に育ったが
父の勧めにより進学した。
しかし徴兵され、戦地におもむく送別会で
義太夫を語る住太夫を見て父は言った。
お前そないに好きやったら、帰ってきて太夫になれ
これはしめた、生きて帰ろう、と
住太夫は決心したそうだ。
あの人の師/竹本住大夫
伝統芸能、文楽。
物語の語り手を「太夫」と呼ぶ。
人間国宝、七代目竹本住大夫(たけもと すみたゆう)は、
父も人間国宝という文楽の家に育ったが
父の勧めにより進学した。
しかし徴兵され、戦地におもむく送別会で
義太夫を語る住太夫を見て父は言った。
お前そないに好きやったら、帰ってきて太夫になれ
これはしめた、生きて帰ろう、と
住太夫は決心したそうだ。
あの人の師/戸田奈津子
職業のなかにはいくつか、
「どうやったらなれるのかわからないもの」がある。
戸田奈津子(とだ・なつこ)さんも悩んでいた。
映画字幕の翻訳家になりたいけれど、なり方がわからなかった。
そこで彼女は、映画のエンドロールの中に、師匠をさがすことにした。
字幕翻訳家、清水俊二(しみず・しゅんじ)。
生涯で2000本もの映画を翻訳した、重鎮だった。
清水さんは戸田さんに、簡単には仕事をくれなかった。
それどころか、いつもこう聞いた。
まだ、あきらめないの?
そのたびに戸田さんは言った。「あきらめません」。
いま、映画のエンドロールに、彼女の名前を見ない日はない。
それは、師匠が鍛えてくれたねばり強さの証かもしれない。
生き物のはなし/いとうせいこう
ベランダで、花を育てている。
けれども、うまくいかず
ときには、枯らしてしまうこともある。
クリエイター・いとうせいこうは
そんな失敗を繰り返すひとり。
けれども彼はその失敗を、とても大事に考えている。
園芸は植物を支配することではないのだ。
むしろそれが出来ないことを教えてくれるのである。
生き物のはなし/高村光太郎
作家としてはもちろん、
彫刻家としても数多くの作品を残した
高村光太郎。
彼は、ある生き物のことが
特別好きだった。
それは、セミ。
彫刻のモチーフとして
すばらしい姿をしている
と考えていたようで、
セミを見つけにいくことを
「モデル漁り」、なんて言い方をしていた。
加えて、やかましく聞こえがちなあの声も
高村にとっては愛らしく聞こえていたらしい。
あの一心不乱な恋のよびかけには
同情せずにいられない。
まっすぐなセミの声は、
まっすぐな心をもつ高村に、心地よく聞こえていたようだ。
生き物のはなし/コンラート・ローレンツ
卵からかえったひなは、
最初に見た生き物を母親だと思いこむ。
この、「刷り込み」理論の研究などで、
動物行動学をうちたてたノーベル賞学者、コンラート・ローレンツ。
従来の動物学の主流であった解剖による研究とは一線を画し、
生きた動物とともに暮らし、
徹底的に観察することによって、
その行動に隠された法則を発見した。
幼いころから家に様々な動物を引っ張り込んでは
熱心に観察していた彼。
一緒に暮らす両親や妻の忍耐が、
彼の生き生きとした発見を支えていた。
彼はそんな自らの研究生活への
家族の理解に深く感謝し、こう語った。
ネズミを家の中で放し飼いにして、そいつが家じゅう勝手に走りまわり、
敷物からきれいなまるい切れはしをくわえだして巣をつくっても
我慢してくれ、といえる夫は、私のほかにはいそうもない。
生き物のはなし/ファーブル
「哲学者のように思索し、芸術家のように観察し、
詩人のように感覚し表現する偉大なる学者。」
と称えられた昆虫学者、ファーブル。
彼が人生をかけて何度も追加や修正を繰り返した『昆虫記』は、
単なる観察記録に終わらず、世界への発見に満ちている。
晩年、その『昆虫記』の決定版を完成させるにあたり、彼はこう語った。
昆虫の世界は実にあらゆる種類の思索の糧に富んでいる。
もしも私が生まれ変わり、また幾度か長い生涯を再び生き得るものとしても、
私はその興味を汲みつくすことはないであろう。
生き物のはなし/ルドルフ・シェーンハイマー
「私」という存在は何者なのか。
その難題に答えを出そうとしてきたのは
哲学者だけではない。
科学者もまた、
「私」が何者かを探し続けてきた。
その中でも
1930年代に活躍した生物化学者
ルドルフ・シェーンハイマーの研究は
「私」のとらえかたに大きな変革をもたらすものだった。
シェーンハイマーは体の中にとりこまれた食物が、
どのように体の一部となり、
どれくらいの期間とどまり続けるのかを解明した。
その結果、驚くべきことに、
動物の細胞はほんのわずかの期間に
どんどんいれかわっていることがわかった。
つまり、物質的な意味で言えば、
今日の「私」は、数ヵ月後にはもうまったく違う「私」になっている。
シェーンハイマーはこういった。
生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが、生命の真の姿である。
私という存在は
言ってみれば、移りゆく粒子のよどみ。
そう聞くと、少し世界が変わってみえませんか。
生き物のはなし/阿部宗明
その魚は、自分につけられた名前に
少しがっかりしているかもしれない。
その名も「ウッカリカサゴ」。
名づけ親と言われているのが、
魚類学者である阿部宗明(あべときはる)。
うっかりすると、カサゴと区別できない。
そして、日本の学者が毎日見慣れたカサゴが
別種だったことをロシアの学者に発表され、
「いやはやうっかりしていた」と、この名前がついた。
ちなみに、カサゴは体の斑点が不明瞭なのに対して
ウッカリカサゴの斑点はくっきりしている。
このつぎ魚屋さんに行ったら
じっくり観察してみませんか?
うっかりしなければ、
きっと見分けることができるはず。
生き物のはなし/大根常雄さん
海の命を恵みとして受け取る仕事。それが漁師。
石川県の漁師、大根常雄(おおね つねお)さんは、
無数の生き物たちを抱える能登の海について、こう語る。
海はちゃんとうめえようになっとる。
ここは恵まれたいい海よ。
船を下りても、年寄りはみんな海を見に、毎日きとるわ。
人間もまた、海に育てられる生き物のひとつのようです。
生き物のはなし/野毛山動物園の飼育員たち
横浜市にある野毛山動物園には
いっぷう変わった場所がある。
その名も、「しろくまの家」。
名前のとおり
しろくまが暮らしているのか、と思いきや
そこには何の姿もない。
そして入口には、こんな文字。
みなさんもホッキョクグマになったつもりで、
また飼育係になったつもりで探検してみましょう。
そう、ここはかつてしろくまが暮らしていた家。
飼育員さんたちはそこをお客さんに開放して、
自由に見てもらえるようにしたのだ。
しろくまがいたのと同じ場所に立って
景色を眺める人もいれば、写真を撮り合う人もいる。
それはとっても明るい光景。
飼育員さんたちのはからいで
「しろくまの家」は、今も変わらず
お客さんのいい顔であふれている。
こどもにとって、
父親の仕事は気になるもの。
チャップリンのこどもたちも、
パパの映画に興味があった。
そんなことを知ってか、
チャップリンは自分の映画の上映会を
よく開いてくれたという。
それも、本人による解説つきで。
「さあきました。ちっぽけ放浪者です」
「さてまいりましたが、足に包帯をしたでっかい野郎といっしょです」
それは、映画の説明と言うより、独演会。
こどもたちはみんな、声をあげて笑った。
上映会が終わると、チャップリンはこうたずねる。
ほんとうにおもしろかったかい?
子供たちを喜ばすことが世界中で一番むずかしいんだよ。
チャップリンにとって我が子は、
いちばん反応が気になるお客さんだった。
チャップリンが
いちばん信頼していたといわれる付き人は、実は日本人。
名前は、高野虎市(こうの・とらいち)さん。
彼の気遣いは、とてもきめこまやか。
たとえば、チャップリンのポケットに
いつも50ドルを入れておく。
それは、
ボーイさんにチップをあげ忘れることがないように
という配慮から。
気まぐれなチャップリンは、
お金を持たないまま
つい外出してしまう癖があった。
なので、
チャップリンがけちだといわれているのは
まったくの誤解なのですと、高野さんは語る。
いいところも、だめなところも。
ちゃんと「わかって」くれてる人だったから
チャップリンは秘書に選んだのかもしれない。
「チャップリン」と聞いた時に浮かぶあの顔。
真っ白な顔に口ひげを生やし、だぶだぶズボンに小さな上着、
大きな靴をはいてステッキを持つあの姿。
その名も、放浪紳士チャーリー。
自らが映画の中につくりあげた
このキャラクターをチャップリンはこう説明する。
小さな口ひげは虚栄心。
だぶだぶなズボンは、人間の不器用さ。
大きなドタ靴は貧困の象徴。
窮屈な上着は貧しくても、品よく見せたいという
必死のプライドを表してるんです。
人がいちばん笑うものは、人間らしさ。
いちばん泣くのも、人間らしさ。
チャップリンはそのことを誰よりも知っていた。
同じ年の同じ月に生まれた二人は、どこか顔も似ていた。
チャップリンとヒトラー。
誰よりも人間を愛し、映画を通じて世界にその愛を伝えていたチャップリンと、
誰よりも人間を憎み、暴力を通じて世界にその力を誇示したヒトラー。
チャップリンにとってヒトラーは、どうしても無視ができない存在だった。
1939年、ヒトラーのポーランド侵攻のニュースを聞いたチャップリンは、
妻であり女優のポーレット・ゴダードを主人公にした映画を撮る計画を中止し、
『独裁者』という作品を制作する。
ヒトラーを批判し、馬鹿にするには言葉が必要だと考えたチャップリンは、
かたくなに守り続けてきたサイレントを捨て、
初めて台詞を映画に取り入れた。
そうして、暴力を否定し人間の愛を訴える、
映画史に残る6分間のスピーチが生まれた。
他人の幸福を念願としてこそ生きるべきである。
お互いににくみあったりしてはならない。
世界には全人類を養う富がある。人生は自由で楽しいはずである。
その作品の難解さでいつも世界を戸惑わせるフランスの映画監督、
ジャン=リュック・ゴダール。
映画研究家でもある彼は、チャップリンをこう評した。
彼はあらゆる賛辞を超えたところにいる。それは、最も偉大な映画作家だからだ。
子どもにも、大人にも、ゴダールにも。
チャップリンは、笑われ、愛され、尊敬された。
チャップリン80歳の誕生日のとき、
彼の家には報道陣があふれた。
けど、チャップリンは沈黙をつらぬくばかり。
そんなようすを見た、スイスの新聞社は
こんな文章を掲載した。
チャップリンが沈黙を守るのは仕方がない。
八十一本の彼の映画のうち
七十六本はサイレントなのだから。
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