中村直史

中村直史 11年4月16日放送


チャップリンとあの人/淀川長治

13歳ではじめて「キッド」という映画を見た。
泣けて泣けてしかたがなかった。
笑いを求めて映画館にやってきた観客が皆泣いていた。

映画評論家 淀川長治は
大正10年のある日のことを思いだしてこう話した。

生涯、たくさんの映画に魅了されつづけ
そして、その素晴らしさを
伝えつづけた淀川長治。

けれどその中でも、チャップリンの映画は別格だった。
とあるインタビューで
淀川さんにとって映画と言ったら?と聞かれ、
迷わず「チャップリンですよ」と答えた。

 チャップリンは私にとって生きた映画の神様です。
 映画の神様で人生の神様です。
 生きること、愛すること、
私は人生のすべてをチャップリンの映画から学びました。

今日4月16日はチャップリンの誕生日。
あの淀川長治にここまで言わしめた
チャップリン映画を見返してみる、
いい機会かもしれませんね。

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三國菜恵 11年03月27日放送


あの人の師/山本かね子

弟子だった人も、
ひとり歩きをしなければならない時がくる。

現代短歌の歌人・山本かね子は心細かった。
師匠、植松壽樹(うえまつ・ひさき)がこの世を去ってから
アドバイスしてくれる人が
いなくなってしまったから。

でも、彼女は思いだすことができた。
困ったときに先生から言われる、いつものことばを。

自分の歌は見えにくいものです。
毎日眺めていてもなかなか良くならない。
そこで、四、五日見ずに置くこと。

師匠のことばを一生の宝に
弟子は今日も、確かな一歩を踏み出していく。


あの人の師/斎藤宗次郎

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の
モデルになったといわれる人物がいる。
彼の名前は、斎藤宗次郎。
『非戦論』をとなえた内村鑑三の愛弟子にあたる青年だ。

雨にも負けず、風にも負けず
毎日新聞配達をつづける彼のポケットには
いつもすこしの小銭とお菓子が用意されていて
それを、行く先々でこどもたちに与えていた。

師匠が晩年、床に伏した時も
必要な薬を駆けまわって探し、
最後まで看病の手を休めることはなかった。

そんな斎藤を弟子に持った内村は、
彼の人柄について、こんな言葉をのこしている。

彼の澄める眼眸(ひとみ)に我等は無量の平和を読めり

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中村直史 11年03月26日放送


あの人の師/新藤兼人

「裸の島」「午後の遺言状」など、
世界に誇る作品を送り出してきた
映画監督、新藤兼人(しんどうかねと)。

彼には、師と仰ぐひとりの映画監督がいた。
その名は溝口健二。
巨匠と呼ばれるその映画監督の人となりを描きだそうと、
新藤は関係者にインタビューを重ね、それを一本の映画にする。
映画に入りきらない分は、一冊の本となった。
タイトルは「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」。

女優やカメラマンなど
親交の深かった36人の証言から
浮かび上がる溝口健二像は、一言では言い表せない。
崇拝され、恐れられ、親しまれ、嫌われ、喜ばれた。

そんな、一言では言い表せない人だったからこそ、
型にはまった、安易な人間の描き方を決してよしとはしなかった。
溝口はこんな言葉を残している。

悲しくて滑稽で、それでほほえましくて、しかもそれでいて
どこか腹だたしい話を、その人間を通してまるごと描くんだ。

そうして撮られた溝口のフィルムに、
若き日の新藤兼人が見たものは、
「映画」ではなく
「真実としかいえないもの」だった。

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三島邦彦 11年03月26日放送


あの人の師/吉川英治

天下をとる人は、誰を師とするのだろう。
作家、吉川英治の答えは、
豊臣秀吉の一生を描いた『新書太閤記』に書かれている。

どんな凡下な者でも、つまらなそうな人間からでも、
彼は、その者から、自分より勝る何事かを見出して、
そしてそれをわがものとして来た。

小学校を中退して以来、職を転々とし、
独学で己の小説を磨いた吉川英治もまた、
出会うすべての人が師であった。
我以外皆我師(われいがいみなわがし)、
吉川が好んで色紙に書いた言葉である。

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苦しいのがほんのちょっとでもまぎれれば。

今回の地震で物理的な被害にあわなかったけれど、
映像を見すぎてダメージを受けてしまったり、
地震以降、どうも気分が落ち着かない、不安が襲ってくる、と感じ続けている人に
ぼくが昔、人から教えてもらって、今回も役立っていることを少し書きます。
恐怖を煽る情報は多いのに
恐怖に対処するための情報がないと感じているので書きます。

(被災地の方たちの物心両面のケアが今いちばん大事と
 思っているのですが、そのことに関しては今ぼくに語れることがないので、
 ひとまず話をつづけます)

●おなかで呼吸をする。
仕事をしていたり、ぼーっと家にいたり、電車にのっているときなどに
妙に不安に襲われたら、「数を数えながら呼吸をする」というのを
やってみてください。
お腹をふくらませながら、4つ数えながら、息を吸う。
→お腹をふくらませたまま、息をとめて、7つ数える
→お腹をひっこめながら、8つ数えながら、息をはく。
1,2,3,4(吸う) 1,2,3,4,5,6,7(止める)1,2,3,4,5,6,7,8(はく)
これを5回くらい繰り返します。
腹式呼吸と、数を数えることに集中してみてください。
ちょっと落ち着いてきます。

●気持ちを書きだしてみる。
何を不安と感じているか、
何がこわいのか、何が心の中でもやもやしているのか、
とにかく紙に書いてみます。
もし、たとえば電車の中などで紙に書けない場合は
ケータイに打ち込んでもよいです。
とにかく、疲れるくらい書きだしてみるとよいと思います。
書くと客観的になれます。
不安なことを書いた後に、じゃあ、自分がどうなりたいか、何をしたいか、
たとえば、
楽しく生きていきたい!もうこんな気分はいやなんだ!あの人に会いたい!
そういうのも書くとよいと思います。

●泣く。
自分が不安だとか苦しいんだ、と気づいてない人も多いんじゃないかと
思います。あるときふと涙が出てきて、それで、ああ、
自分は辛かったんだ、と気づく人もいると思います。
たぶん、今回の地震で辛くない人はいないと思います。
えたいのしれない罪悪感もあるように感じます。
泣けと言われて泣けるものではないと思いますが
ふと泣けてきたときは、我慢せず、とにかく泣くとよいと思います。
思い切り泣いた方がいいと思います。

●仕事する。
自分がいままでやってきた仕事に集中してみる。
家事でも、なんでも、日常としてやらなきゃいけないことを
リストアップして、それをひとつひとつこなしていく。
ちなみに、被災していない人が自分の仕事をちゃんとやることは
たとえそれがどんな仕事であれ、最後には、
被災地とそこにいる方たちが立ち直るために必要なことだと思います。

●祈る。
苦しさの大きな要因は、被災された方たちへの
健全な想像力のせいだと思います。
まっとうに思いをはせられる人だから、苦しい。
いま、苦しいのが健全なんだと思います。
募金する、物資を提供する、できる人はそれをやるといいと思います。
でもきっと苦しさからは逃れられないと思います。
個人でできるどんな貢献より、被災者の辛さがはるかに大きいことが
簡単に想像できるからです。
あとは祈ることだと思います。
どうかがんばってください。どうかへこたれないでください。
声に出しても、心の中でつぶやきつづけてもよいと思います。
祈ることは無意味じゃないと思います。

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ごめんね、ほうさい。

咳をしたら あったかくして寝なさいと 卵酒

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三國菜恵 11年01月09日放送


二十歳のあなたへ/茨木のり子

「わたしがいちばんきれいだったとき」で知られる、
詩人・茨木(いばらぎ)のり子。

彼女はこんなふうに二十歳を実感したという。

鏡見たら、目が真っ黒に光っててねえ。
今が一番きれいなときかもしれないっていうふうに思ったのね。

毎日見てる自分が、
ある日ちょっと違って見えたなら
大人になれてるサインなのかもしれません。


二十歳のあなたへ/金原ひとみ

がんばりすぎるとカッコ悪い。
適当なくらいがちょうどいい。

作家・金原(かねはら)ひとみは
そんな価値観で育った若い世代のひとり。

「蛇にピアス」で芥川賞を獲った二十歳のとき、
彼女はこんな受賞のことばを残した。

がんばって生きてる人って何か見てて笑っちゃうし、
何でも流せる人っていいなあ、と思う。
私はそんな適当な人間だから、小説にだけは誠実になろうと思う。

適当でいいや。
そう思えなかった、ただひとつのものが
彼女の人生を支えるものになった。

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三島邦彦 11年01月09日放送


二十歳のあなたへ/坂口安吾

『堕落論』などを残し、太宰治と並ぶ無頼派作家として知られる坂口安吾。
彼は二十歳の一年間を、中学校の分校の教師として過ごした。

教師が全部で5人しかいないその小さな学校で、
安吾は優等生にも落第生にも慕われていた。
後に小説でその頃のことを、
自身が人生で最も人間的に成熟していた時期だとし、こう語っている。

あの頃の私はまったく自然というものの感触に溺れ、
太陽の讃歌のようなものが常に魂から唄われ流れでていた。

青年期を過ぎ年を経るにつれ、体は弱り、利害にまみれて
人は青年の時の成熟を失っていく。
安吾はその後も、大人の利害にまみれる前の、
青年という時期を賛美し続けた。
これは、そんな安吾が青年たちへ贈った言葉。

大人はずるく、青年は純潔です。君自身の純潔を愛したまへ。

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中村直史 11年01月09日放送


二十歳のあなたへ/赤川次郎

人気作家、赤川次郎は
二十歳のころ、自分の時間を守るのに必死だった。

実家の家族を支えるために、
高校を出てすぐに勤めに出たけれど、
小説を書く時間まで奪われたくない。

飲み会をはじめとする
会社の行事を断るのは
今よりずっとタブー視された時代だった。

 つきあいが悪いと幹事やらされるんですよ。
 その時だけやって、次からまた行かないんです。

自分を守り抜いた先には、500にも及ぶ作品と
新作を心待ちにするたくさんの読者が生まれた。


二十歳のあなたへ/松本零士

それは、宇宙戦艦ヤマトが
宇宙へと飛び立つずっと前のこと。

九州から700円を握りしめ上京してきた若き漫画家、松本零士は、
二十歳のころ、貧乏アパートの一室で
自分の個性を探していた。

個性は、ふつう、自分の中にあるもの。
けれど松本さんの場合、
彼の下宿に集まるゆかいな仲間たちが運んできてくれた。
喧嘩っぱやいやつ、
寡黙なやつ、
一年お風呂に入らないやつ、
いろんな仲間がいたけれど
わかったのは、「結局みんな同じ」ということ。
さまざまな個性の奥にある「同じもの」の発見が、自分の個性になると思った。

 友人がいっぱいいたから、友人抜きの自分って存在しないんです。

だから松本さんの漫画には、みんなで旅をする話が多い。
ヤマトの乗組員たちも
得意、不得意を補いながら旅をしている。

明日、大人の社会へと旅立つみなさんも、
ぜひ、素敵な旅を。

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三島邦彦 11年01月09日放送


二十歳のあなたへ/夏目漱石

夏目漱石は大学を卒業した後、
東京、松山、熊本で教師をしていました。

これは、愛媛県の松山中学に赴任していた頃の漱石が
学生たちに向けて書いた一節です。
 
教師に叱られたとて、己れの値打ちが下がれりと思う事なかれ。
また褒められたとて、値打ちが上がったと、得意になるなかれ。

教師からの評価を気にするより、
自分自身の本当の値打ちを考えることが大事だと、
漱石先生は言います。

明日は成人の日。
さあ、新成人のみなさん、
これからますます、自分を磨く人生を。


二十歳のあなたへ/川端康成

ノーベル賞作家、川端康成が作家志望の若者に向けて書いた文章があります。
そこで川端は、素質や才能をいかに伸ばすかという質問に対して、こう答えています。

それは結局、いかに生くべきかという問題に他ならない。
文学修業は所詮人間修業である。

書くものをよくするためには、人間をよくするしかない。
新成人のみなさま、何を目指していても、
生きるすべてが修業のようです。

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