わび、さびを理解しようとしたジョン・レノン
仏教の修業もこころみたジョン・レノン
日本との結びつきはそれだけではなかった。
俳句は僕が今まで読んだ詩の形式のなかでいちばん美しいものだと思う。
自然、且つ簡潔な言葉で
自分も詞を書こうとしたジョン・レノン。
1969年に発表された「ラヴ」という曲には、
俳句の美意識が生きている。
愛とは感じること
感じることが愛
わび、さびを理解しようとしたジョン・レノン
仏教の修業もこころみたジョン・レノン
日本との結びつきはそれだけではなかった。
俳句は僕が今まで読んだ詩の形式のなかでいちばん美しいものだと思う。
自然、且つ簡潔な言葉で
自分も詞を書こうとしたジョン・レノン。
1969年に発表された「ラヴ」という曲には、
俳句の美意識が生きている。
愛とは感じること
感じることが愛
ジョン・レノンは、自分たちの音楽について厳しく語った。
ビートルズがいままでにつくったレコードすべてに不満でもあります。
つくり直したくないと思うレコードなんて、ひとつもないのです。
ジョン・レノンは、平和について厳しく語った。
暴力は暴力しか生みません。それは不変の法則です。
しかし国によって状況はまちまちだし、
ときには状況が暴力の行使を正当化することだってあるのだよ、
と言う人がいるかもしれません。妥協とは、そういうことをいうのです。
平和に妥協はない、と私ははっきり言っておきます。
ジョン・レノンは、自分に厳しく働き続けた。
働いている限り、自分が何者なのかなんてことは問題じゃない。
それがぼくの学んだことだ。
亡くなる数時間前のインタビューでジョンが言った言葉は
「死ぬまでこの仕事をつづけたい」だった。
歴史的な発見のきっかけは、
犬が穴に落ちたことだった。
1940年9月12日。
フランスのある田舎町の森の中で、
少年たちが犬と遊んでいた。
森には数年前の落雷で空いた穴があり、
そこに犬が落ちてしまったのだ。
犬を助けようと穴に降りると、
穴は、洞窟につながっており
少年たちはその壁に牛や馬、鹿の絵を見つける。
ラスコーの洞窟壁画発見の瞬間だった。
一万五千年の時を経て、洞窟の壁が、
少年とクロマニヨン人を結びつけた。
1マイル、約1609メートル。
半世紀前、この距離を4分以内で走ることは、
人類が決して越えられない壁だと言われていた。
あるスポーツ記者は、
「人類が南極点と北極点に到達し、
ナイル川の源流を発見し、海の最深部に達し、
未開のジャングルを踏破した現在も、
1マイル4分という領域はいまだ未踏のまま、
多くの者たちの努力を拒み続けている。」という記事を書いた。
ある医者は、1マイル4分は人体の限界であり、
その挑戦は生命に危機を及ぼすこともあると警告を発した。
しかし、その壁は破られた。
1954年、イギリスの大学生ロジャー・バニスターが、
1マイルを3分59秒4で走り抜けたのだ。
この2ヶ月後、
ジョン・ランディという選手が3分58秒0の世界新記録を出し、
つづく1年の間に23人ものランナーが1マイル4分の壁を破った。
誰かが壁を超えたとき、そこにもう壁はなくなる。
ロジャー・バニスターは、
1マイル4分の壁から人類を自由にしたのだ。
ニューヨーク、ウォール街。
壁の街という名前は、この街を作ったオランダ人が
外敵の侵入を防ぐために
材木で壁を築いたことに由来する。
2008年にはビル・ゲイツを抜いて
世界の長者番付第1位に躍り出た天才投資家、
ウォーレン・バフェットは
ウォール街から1万キロ離れたところに住んでいる。
そして、こんなことを言う。
みんなが貪欲になっている時は警戒しろ。
みんなが警戒している時は貪欲になれ。
ウォール街の逆をいって富を築くのも
また壁を味方にしたといえるだろうか。
山を見ると、登りたくなる。
壁を見ると、越えたくなる。
そんな登山家の聖地は飛騨山脈、通称北アルプス。
その厳しく切り立つ岩肌は、山と言うよりもはや壁。
どんなベテランの登山者でも
思わぬ事故に遭遇することもある。
しかし、そこには富山県警山岳警備隊がいる。
富山県警山岳救助隊は1965年に結成され
隊員数27人。救助した人は3,000人。
日本一の山岳警備隊と呼ばれ、
「落ちるなら、富山側へ」と言われるほど登山者の信頼は厚い。
想像を絶するような過酷な状況での人命救助の場で
人体の限界という壁に直面した時、彼らを支える言葉がある。
苦しくても、苦しくない。
彼らもまた、壁を越えているのだ。
倒れている時、地面は壁になる。
壁をなくすには、立ちあがればいい。
立ちあがった時、地面は壁ではなく、道になるから。
南アフリカ共和国の元大統領、ネルソン・マンデラ。
人種の壁と闘い続けた彼は、こんな言葉を残している。
転ばないことより、
転ぶたびに立ちあがること。
そこに人生の輝きがある。
倒れることを、恐れない心。
それが、壁を道に変える極意のようです。
坂口弘は
死刑を言い渡されて7年が過ぎようとしている。
彼は、拘留所のなかでペンを執り
短歌を書きつづけた。
そしてそれを、新聞の寄稿欄に投稿していた。
定期的に届く歌に
多くの人がハッと心を動かされ、
気づけば、彼は歌壇の「常連」になっていた。
紙を滑る筆ペンの音の心地よさよ 房(ぼう)にも秋はひそやかに来ぬ
彼の短歌は一冊の本になって
壁の外で、ささやかな脚光を浴びている。
イギリスの舞台演出家、ピーター・ブルック。
彼は、なにもない空間に可能性を見出すことによって
伝統の壁を軽々と超えた。
どこでもいい、なにもない空間―
それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。
ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、
もうひとりの人間がそれを見つめる―演劇行為が成り立つためには、
これだけで足りるはずだ。
いままで誰も見たことがなかったピーター・ブルックの演劇を
言い表す言葉はどこにもなかった、
それはいま、ふたつの言葉で表現されている。
「古典的、かつ、前衛的」
自らつくった心の壁が、
自らを閉じ込めてしまうこともある。
ミュージシャン・中村一義にもそんな時期があった。
自分の部屋をスタジオにして閉じこもり
壁のように閉ざしたドアの向こうで
ひとり聴きつづけた心の声。
自分の心に光をあてたその歌に救われた若者は多い。
あの人の、8月15日。/島田覚夫
1945年8月15日、戦争は終わった。
けれど「戦争が終わった」と知るすべのない人たちにとって、
戦争は終わりようがなかった。
その日、ニューギニアの山奥で、
島田覚夫さんは
仲間の兵士とともに
敵の陣地に置き去りにされたままだった。
四方八方に敵の気配を感じながら、
武器も食料も底をつく中、彼らは
ひとつの、シンプルな大方針を立てる。
生きられる限り、生き抜こう。
最初は、わずかに残された乾パンを、
それがつきると、蛙、蛇、鼠、とかげ、いもむし、あらゆるものを食べた。
飢えをしのぎなら、今度はジャングルを開拓し、畑をつくった。
無我夢中で毎日を生き、気がつけば10年が経っていた。
本人が、原始時代、石器時代、鉄器時代と呼ぶように、
工夫を重ね、生き延びた10年。
その回顧録を読むと、
不謹慎かもしれないが、
生き抜こうとする人間の力と知恵にわくわくさえしてしまう。
ようやく終戦を知ったのは、昭和30年3月のこと。
「実家に帰ったら、自分の遺影があったんですよ」
彼はそう言って、笑った。
あの人の8月15日。/高見順
1945年8月15日
プロレタリア作家、高見順は
電車に乗っていた。
彼はそこで、
終戦を信じない日本兵たちの声を聞く。
今は休戦のような声をしているが、敵をひきつけてガンと叩くに違いない。
高見は、ひそかやな溜息をついた。
すべてだまし合いだ。
政府は国民をだまし、国民はまた政府をだます。
軍は政府をだまし、政府はまた軍をだます。
戦争がはぐくんだ
だましあいの心に気づき、彼はじっと眼を閉じた。
あの人の8月15日。/野坂昭如
1945年8月15日
あの「火垂るの墓」を書いた
野坂昭如は、14歳の少年だった。
玉音放送を聴いたとき、彼はこう思ったという。
死ななくていい、生きて行ける、
本当にホッとした。
この軽い言葉がいちばんふさわしい。
誰もがみんな、
敗けたかなしみに打ちひしがれている訳ではなかったのだ。
あの人の8月15日。/永井荷風
昭和を代表する小説家、永井荷風は
1945年8月15日
玉音放送の直前まで、
谷崎潤一郎と過ごしていた。
二人は戦時中も
絶やすことなく日記を書き、
新たな原稿を書いては、互いに読み合っていた。
そんな荷風の8月15日の日記。
終戦の記録は、たった一行
枠の外にしるされているだけだった。
正午戦争停止
その言葉のほかには
天気と、食べ物と、友人の話があるばかり。
普通の幸せがいちばんなんだ。
彼は戦火の中で、
そう思い続けていたのかもしれない。
あの人の、8月15日。/吉田秀雄
1945年8月15日、正午。
とある広告会社のオフィスビル。
ラジオで終戦の報せを聞き、
落胆する社員の中で、一人の男が叫んだ。
これからだ。
男の名前は吉田秀雄。
当時、その会社の常務だった。
後にラジオの民営化に尽力することとなる。
戦争のための宣伝から、経済のためのコマーシャルへ。
新しい時代に向け、
彼はまず、オフィスの掃除を始めた。
あの人の、8月15日。/下村宏
終わりを告げたのは、ラジオだった。
65年前の今日、
1945年8月15日正午
ラジオから流れる昭和天皇の声が、
日本国民に終戦を告げた。
いわゆる「玉音放送」。
この放送を実現させたひとりの男がいる。
当時の内閣国務大臣、下村宏。
新聞社に勤めていた頃から
講演のためラジオに度々出演していた下村は、
当時最大のマスメディアであった
ラジオの力を実感していた。
戦争が終わった。
その結末を国民に伝えるには、ラジオしかない。
そう思った下村は、天皇に進言し、許可を得る。
ポツダム宣言受諾後、すぐさま天皇の声を録音、
放送までの実務を取り仕切った。
史上最も国民に衝撃を与えたラジオ放送は、
こうして実現した。
あの人の、8月15日。/清川妙
作家の清川妙は、
山口市にある実家で、
終戦を告げるラジオを聞いた。
その日のことを、こう語っている。
ああ戦争が終ったんだという気持ちだけでした。
でもその晩はうれしかったですね。電気をあかあかと点けてもいいし、
カーテンも開けてよくなりましたから。
戦争は、比喩ではなく、人々から光を奪っていた。
とても安堵できる状況ではなかったけれど、
ひとまず、明るい夜が戻って来た。
あの人の、8月15日。/羽田澄子
その日、中国の大連市にも玉音放送は流れた。
満州鉄道の中央試験所のラジオの前には、
後に映画監督になる、羽田澄子がいた。
初めて戦争ってやめることができるのだ、
やめるという選択肢があったのだと知りました。
だって生まれたときから戦争していて、
平和のためには戦わなくてはいけない、
結論がでるまでずっと戦争をしているのだと思い込んでいたのです。
人間がはじめることは、人間が終わらせることができる。
そのことに、やっとみんなが、気がついた。
哲学者からひと言/大森荘蔵
見るもの、聴くもの、感じるもの。
世界のすべてを疑うところから、哲学は始まる。
戦後の日本哲学界の巨人、大森荘蔵(おおもり・しょうぞう)は、
ある日の対談で、哲学者の素質について聞かれた時、こう語った。
哲学をやるというのは極端に言えば一種の病気で、
健康な人間がちょっと気にするだけのことがどうしてもとことん
気になる因果な病気だとお取りくださっていいんじゃないかと思うんです。
哲学の巨人が世界を疑う姿勢は、とても謙虚だった。
哲学者からひと言/マルクス・アウレリウス
その男を、
劇作家オスカー・ワイルドは「完璧な男」と呼び、
哲学者ヴォルテールは「もっとも偉大な男」と呼んだ。
皇帝にして哲学者。
第16代ローマ皇帝 マルクス・アウレリウス。
昼は皇帝として、巨大なローマ帝国を治め、
夜は哲学者として、自らの思考を書き記した。
読書と瞑想を好んだアウレリウス。
政治を行い、軍を率いるよりも
純粋な哲学者として生きたかった。
けれど、多くの難題を抱えたローマ帝国の皇帝として、
責任を放棄するような人間でもなかった。
圧倒的な権力を持ちながら、
暴君にならなかったアウレリウス。
そこには、徹底した自分への厳しさがあった。
例えば、こんな一文を残している。
善い人間とはどういうものかを論ずるのはもういい加減で切り上げて、
そろそろ善い人間になったらどうだ。
2000年ちかく経った現在でも、
思わず背筋が伸びるような言葉です。
哲学者からひと言/シモーヌ・ヴエイユ
あるときは、教室で
あるときは、工場で
そして、内戦下のスペインで
世界のどこかで起きている不幸と
向き合いつづけた哲学者、
シモーヌ・ヴエイユ。
彼女は、人間について
こう綴った。
人間が存在する唯一の目的は、
生きるという闇夜に火をつけることである。
彼女の言葉もまた、
灯りとなって誰かの心を
照らしつづけているにちがいない。
登場人物たち/ホールデン・コールフィールド
(JDサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』)
この小説の主人公は、自分なのではないか。
生きた時代も、場所も違う。
へりくつの多い困ったヤツなのに、
やっぱり自分と同じような気がしてしまう。
60年以上もの間、
世界中の人をそんな気分にさせてきた少年、
ホールデン・コールフィールド。
小説「ライ麦畑でつかまえて」の主人公だ。
ホールデン少年は、やりたい仕事について夢想する。
それはお医者さんとか、パイロットとか
そういったたぐいのものではない。
たくさんの子どもたちが駆け回る
広いライ麦畑で、ただただ、子どもたちを守る仕事。
僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、
その子をつかまえることなんだ。
2010年1月、「ライ麦畑でつかまえて」の作者
サリンジャーは、91歳でこの世を去った。
けれど、ホールデン少年は年をとることもなく、
世界中の人の心の中で生きつづけている。
登場人物たち/混沌
(中国に伝わる神話)
中国に伝わる神話に、
こんなお話がある。
地球がまだ赤ん坊だったころのこと。
「混沌」という名前の神さまがいた。
混沌の顔は
のっぺらぼうだったため、
これはいけない、と思ったほかの神さまたちが
目、鼻、口となる
5つの穴を、その顔に開けた。
すると、そのとたん、混沌は死んでしまった。
自然に手を加えてはいけない
と読み取るか。
自然に手を加える誘惑から逃れることはできない
と読み取るか。
混沌は、私たちに、
何を伝えようとしているのだろう。
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