中村直史

三島邦彦 10年06月13日放送



登場人物たち/パン屋さん
(レイモンド・カーヴァー『ささやかだけれど、役に立つこと』)

名前を持たない登場人物が、
世界を少し救ってくれることもある。

アメリカの作家、レイモンド・カーヴァーの小説
『ささやかだけれど、役に立つこと』。

そこに登場するパン屋さんが
子どもをなくしたばかりの夫婦にこう言った。


 こんなときには、ものを食べることです。
 それはささやかなことですが、助けになります。

パン屋さんは、作ったパンで、世界を助けている。



登場人物たち/ハムレット
(シェークスピア『ハムレット』)

生きるべきか。死ぬべきか。

悩み多き青年ハムレット。
シェークスピアが描いたこの有名な主人公は、
自分の身の振り方を悩んでいるだけではない。

劇中、ハムレットは旅芸人に演劇論を語る。
そのセリフの中には、
この『ハムレット』を演じる世界中の役者たちへの演出ともとれる言葉が
含まれている。


 動作をセリフに合わせ、セリフを動作に合わせるのだ。
 その際特に注意すべきは、自然の節度を越えないこと。
 何であれやりすぎれば、芝居の目的に反する。

自分がどう演じられるのかまで心配をする。
ハムレットの悩みは、深い。



登場人物たち/ヴラジミール
(サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』)

ドラマティックな仕事。
ドラマティックな友情。
ドラマティックな恋愛。

ドラマのような出来事なんて、そうめったには起こらない。

けれども、主人公が最初から最後まで退屈をし続けるドラマも、この世にはある。

ノーベル賞作家、サミュエル・ベケットは、最初から最後まで
暇をもてあます二人の劇を描いた。

それは、演劇の世界に、不条理劇という新しい概念をもたらす静かな革命だった。

演劇『ゴドーを待ちながら』。
主人公ヴラジミールとエストラゴンは、ただひらすら、ゴドーという人物を待ち続ける。
そして、ゴドーは結局最後まで現れない。

ヴラジミールは言う、


 運悪く人類に生まれついたからには、
 せめて一度ぐらいはりっぱにこの生き物を代表すべきだ。どうだね?

ヴラジミールとエストラゴン。
この二人の登場人物は、今日も世界のどこかで、
人類を代表して暇をつぶしている。



登場人物たち/ジュリエット
(シェークスピア『ロミオとジュリエット』)

数え切れない物語があって、
数え切れない登場人物たちがいる。
彼らは数え切れない恋をする。
けれど、恋する主人公の女性代表は、今も昔もジュリエット。


 おおロミオ!どうしてあなたはロミオなの?

 名前が一体なんだろう?
 私たちがバラと呼んでいるあの花の、名前がなんと変わろうとも、
 香りに違いはないはずよ。

恋におちると、人は哲学をはじめる。
どんなに若い二人でも。

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三國菜恵 10年06月13日放送



登場人物たち/源静雄
(藤子・F・不二雄『のび太の結婚前夜』)

夜、ひとりでいると、
さびしさがふっと訪れる。

源静雄(みなもとしずお)は、
結婚式を明日にひかえ、
自分と離れることをさみしがる娘にこう言った。


 少しぐらいさびしくても、思い出があたためてくれるさ。

娘に言っているのか、
自分に言っているのか、わからなかった。

次の日、娘は、おさななじみの、のび太くんと結婚した。



登場人物たち/安倍昌子
(いくえみ綾『私がいてもいなくても』)

人気漫画家・いくえみ綾(りょう)が描いた
「私がいてもいなくても」。
その主人公、18歳の安倍昌子(あべしょうこ)は
タイトルを体現したような女の子だ。

昌子は偶然再会した同級生・真希の仕事を手伝うことになる。
フリーターの自分。売れっ子漫画家の彼女。
サイン会でたくさんの人が押し寄せる中
昌子は思う、
真希がまぶしい。自分にはなんもない。

二人は大きなケンカをした。
そして気づく。

昌子は真希の才能がうらやましかった。
真希は昌子の明るさがうらやましかった。
昌子は思う、


 私は 欲しいものだらけだったけど
 知らないうちに
 誰かに 何かを
 与えているのかもしれない

「私がいてもいなくても」
なんて思っている人は、きっと間違っています。

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三國菜恵 参戦

中村組三國菜恵、6月13日から参戦

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中村組・三島邦彦 参戦

三島邦彦くんは五島の出身です。
中村直史組長のもと、五島のイメージアップに
邁進していただきたいです(玉子)
(あ、原稿もね)
下の写真はいつの頃か知らねど三島くんの写真です。

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中村直史 10年05月23日放送



えらい人はいいこと言う/アンリ・ド・レニエ

人生のすべてにおいて、
ものを言うのは経験だ。

そう思っていたら、
遠くフランスから反対意見が聞こえてきた。

「燃え上る青春」を書いた
フランスの小説家、アンリ・ド・レニエは言う。


 恋には経験というものはない。
 なぜならその時にはもう恋していないのだから。

恋に落ちるたび初心者に戻ってしまうなんて
困ったものだ。



えらい人はいいこと言う/タヒチ人

座右の銘は何ですか?
と聞かれて
即座に答えられる人を尊敬してしまう。
それが立派な言葉だとなおさら。

でも
座右の銘が
とっても力が抜けてる
という人のほうが
友だちになれそう、とも思う。

たとえば私の友人の
座右の銘は、


 アイタ・ペアペア

タヒチ人がよく言う、
「気楽にやろうよ」。
という意味の言葉らしい。

毎日いろいろありますね。
でもまあ、アイタ・ペアペアってことで。



えらい人はいいこと言う/亀倉雄策

パソコンから目線をそらし
ふとまわりを見渡してみる。

壁、柱、CD、本、文具。

視界のすべては人工物で
人工物とはつまりすべてデザインされたものだ
と気づく。

目に映るものすべてのデザインが、
人を幸せにするほどステキならば
今日という一日も
ずいぶん変わるんじゃないか。

東京オリンピックの
ポスターをつくったことで知られる
デザイナー、亀倉雄策。

彼はそんなデザインに関する考えを
追求した人だった。


 デザインとは明るい生活の歌でなくてはならない。

同感です。
だって、人生は、
明るい生活の歌に満ちていたほうがいい。



えらい人はいいこと言う/マザー・テレサ

マザー・テレサ。

・・・いま、その名前を聞いて
どんな姿を思い浮かべましたか?

貧しい人々に手を
差し伸べている姿
ではありませんでしたか?

でも、マザー・テレサが
その人々を貧しいと思っていたかどうかは疑問。
彼女にとって貧困とは別のことだった。


 ほほえみ ふれあいを
忘れた人がいます。
 これはとても大きな貧困です。



えらい人はいいこと言う/小津安二郎

電車に乗って中づりを眺めるだけで
情報がどっと流れ込んでくる。

お金を儲けろ
生き方を変えろ
キレイになれ
そのままの自分でいろ
これを飲め
これを買え

通勤先の駅につくころには
情報が多すぎて
何をどうすべきか
よくわからなくなっている。

そんなときは、
小津安二郎の映画を思い出してみる。
落ち着きたいときには
彼の映画を思い出すようにしているのだ。

小津さんは言った。


 どうでもよいことは流行に従い、
 重大なことは道徳に従い、
 芸術のことは自分に従う

流されたってかまわないのだ。
大事なことで流されなければそれでよい。



えらい人はいいこと言う/曙太郎

彼がマットに沈む姿を何度見たことか。
どうせ、負けるだろう。
やめとけばいいのに。
と思う。

でも彼が、自身のことをそんな風に
見ていたことはないらしい。

曙太郎。
関取時代のことを振り返り、こう言った。


 全勝優勝は一度もなかった。
 いつも、序盤戦で土を付けられた。
 それでも、そこからガタガタ崩れることなく、
 気持ちを入れ直して優勝をつかんできた。
 それが、私の誇りだ。

これから彼を応援するときは、
きっと自分を応援するような気持ちで応援すると思う。

がんばれ、曙。



えらい人はいいこと言う/アインシュタイン

いやなニュースを聞いた。
いやなニュースを何種類も聞いた。
そんな日は人間が嫌いになりそうになる。

「でも」とアインシュタインは言う。


 人間性について絶望してはいけません。
 なぜなら、私たちは人間なのですから。

アインシュタインは
人生の定理も
見つけたのかもしれない。


えらい人はいいこと言う/モニカ・ボールドウィン

まいにちのことが
ちょっと憂鬱になる、
そんなとき
言葉に出会い、
何かがパッと変わることがある。

だれかが、
私の状況を見越して
わざわざ言葉を用意していたかのように。

たとえば、こんな言葉。


 朝目覚めるときが二十四時間のうち最も素晴らしい、
 といつも思います。
 どんなに疲れ切って、やるせなくても、
 きっと何かが起こるに違いないと思えるからです。
 絶対といってもいいくらい何も起こらないんですが、
 それでも、ちっとも構いません。
 絶対に起こらないとは言えませんから。

イギリスの作家
モニカ・ボールドウィンが残した言葉です。

それでは、おやすみなさい。
そして、よい目覚めを。

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中村直史 10年03月18日放送

1マーク・エイブラハムズ

イグノーベル賞/マーク・エイブラハムズ

ノーベル賞と同じノーベルの
名を持ちながら
全く権威のない賞がある。

その名を「イグノーベル賞」。
創設者、マーク・エイブラハムズ。

「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して贈られる賞だ。

権威がないといっても
あなどれない。
だって
世界で最も人を笑わせ、
考えさせてくれる研究って
気になるでしょう?

2アイヴァン・シュワブとフィリップ・メイ

イグノーベル賞/アイヴァン・シュワブとフィリップ・メイ

なぜリンゴは地上に落ちるのか?

万有引力を発見した
ニュートンのように
科学における発見は
「よくよく考えてみると不思議」
を解明することでなされてきた。

そう考えれば、
人々を笑わせ、考えさせてくれる研究
に与えられる「イグノーベル賞」も
すばらしい発見を後押ししている、と言える。

2006年、イグノーベル鳥類学賞。
受賞者はカリフォルニア大学の
アイヴァン・シュワブとフィリップ・メイ。

研究内容は
「なぜキツツキは頭痛を起こさないのか」
だった。

3井上大祐

イグノーベル賞/井上大祐

人々を笑わせ、
そして考えさせてくれる研究に
贈られる偉大な賞
イグノーベル賞。

2004年には
日本人が「イグノーベル平和賞」を受賞した。

その人は、
カラオケの発明者
井上大祐(いのうえ だいすけ)さん。

授賞理由は、
「他人の上手くもない歌を聞かなければならないことで養われる寛容な気持ち」
を世界中に根づかせたこと。

受賞会場の観客はスタンディングオベーションで
井上さんを称えたが、本人はいたって謙虚で。


 僕へのスタンディングオベーションじゃなくて、カラオケに対してやと思いますよ。

井上さん、
受賞スピーチの後には
ちゃっかり歌も披露した。

4ジャック・シラク

イグノーベル賞/ジャック・シラク

人々を笑わせ、
考えさせてくれる研究に
与えられる「イグノーベル賞」。

1996年、その平和賞は
フランスのジャック・シラク元大統領に
贈られた。

受賞理由は、
広島への原爆投下から
50周年にあたる年に、
半年で6回もの核実験を行ったこと。

ときに強烈な皮肉を込めるのも
イグノーベル賞のやり方。

5アストルフォ・ゴメス・デ・メロ・アラウージョ<br /> ジョゼ・カルロス・マルセリーノ

イグノーベル賞/アストルフォ・ゴメス・デ・メロ・アラウージョ
ジョゼ・カルロス・マルセリーノ


世界の歴史は
アルマジロによって
書きかえられている。

そんなバカな、
とも言えない話らしい。

ブラジルはサンパウロ大学の
アストルフォ・ゴメス・デ・メロ・アラウージョと
ジョゼ・カルロス・マルセリーノのふたりは
アルマジロの活動が遺跡発掘現場において
いかに遺物の順序を滅茶苦茶にするか、
またそのことで
どのように人類の歴史が書き変えられてしまうか
を調査した。

この功績により、
2008年、イグノーベル考古学賞を受賞。

あなたが知っている
世界の歴史にも
あのノソノソした生き物が
関与している。

そう考えたらワクワクしませんか。



6渡辺茂・坂本淳子・脇田真清

イグノーベル賞/渡辺茂・坂本淳子・脇田真清

人々を笑わせ、
考えさせてくれる研究に
与えられる「イグノーベル賞」。

受賞した研究の数々を
「バカバカしい」と一蹴する人もいるけれど・・・

1995年のイグノーベル心理学賞を
受賞した渡辺茂・坂本淳子・脇田真清さんの授賞理由は

「ピカソとモネの絵画を見分けられるようにハトを訓練し、成功したことについて」

もしかすると
人間の、鳥に対する見方さえ
変えてしまうような
すごい話。

7中松義郎

イグノーベル賞/中松義郎

突拍子もない研究に
エールを送りつづける
イグノーベル賞。

突拍子もないといえば、
代名詞みたいな日本人がいます。
ドクター中松こと、中松義郎。

と思ったら
やっぱり受賞していました。

2005年、イグノーベル栄養学賞。

「34年間、自分の食事を欠かさず撮影し、
食べたものが脳の働きや体調に与える影響を
分析し続けたこと」に対して。

・・・恐れ入ります。

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中村直史 10年02月14日放送

ロマン・ロラン

恋について/ロマン・ロラン

好きな人に
好きということを、
ためらっている人へ。

ノーベル文学賞作家
ロマン・ロランから、
激励のメッセージが届いています。


 恋は決闘です。右を見たり、左を見たりしていたら敗北です。

右も左も見ないとなると、
真正面から
ぶつかるしかない。

勝利を祈ります。

白洲正子

恋について/白洲正子

いい男にめぐりあえない、
と言う人がいた。

それは残念。

でももし、
いい男がいるのに
気づいていないのだとしたら、
もっと残念。

では、いい男の見極め方とは?

骨董の目利きとしても一流だった
随筆家、白洲正子はこう言っています。


 モノも、人も、「本物」は物欲しそうな顔をしていない。

どうです?
あなたの知っている
だれかの顔、
思い浮かびましたか?

エカテリーナ2世

恋について/エカテリーナ2世

気に入った異性は
いくらでも
手に入れることができる。

もしそんな立場にいたとしたら、幸せだろうか。

ロマノフ朝の第8代ロシア皇帝
エカテリーナ2世。

生涯に数百人の愛人を持った、
と言われている。

ただ、その中で本当に愛した男はただひとり。
映画のタイトルにもなった、陸軍主席大将ポチョムキンである。

生涯で1000通を超える
ラブレターを交換しながら、
ポチョムキンは、
いつしかエカテリーナ2世に対し
彼女好みの若い男を見つくろう役となる。

愛する男を愛するだけでは
足りないなんて
ちょっと悲しい気もする。

若山喜志子

恋について/若山喜志子

若山牧水は
旅する歌人だった。

だから、
牧水の妻、若山喜志子は、
旅人を待つ歌人になった。

彼女がこの世でいちばん
好きだったのは夫の足の音(あのと)、
つまり足音。


 いそいそと大地踏みならし来る君の足の音(あのと)より世に恋しきものはなし

あなたのオフィスや
教室にもいませんか。
足音だけで気づいてしまう人。

元良親王

恋について/元良親王

いつの時代も面倒である。

好きになってはいけない人を
好きになってしまうのは。

その人は、こともあろうか
天皇が愛する女性に恋してしまった。

元良親王という悩める男の
究極の面倒な恋。

だが、そんな面倒な恋心が、
1000年以上も歌い継がれることになった。
百人一首に出てくるあの歌だ。


 わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢わむとぞ思ふ

逢ってしまえば、
罰を受け生きてはいけぬだろう。
しかし逢わなければ、
恋しさで生きていけぬだろう。
どうせ身を滅ぼすのなら、
あなたに逢おうと思う。

こんな話が、
子どもの遊びにも
使われているなんて、
ずいぶん粋な国だ。

フランソワーズ・ジロー

恋について/フランソワーズ・ジロー

ピカソが絵を描き続けた原動力は、
恋愛だった。

精力的に作品を送り出しつづけ、
精力的に女性を手に入れた。

そしてそのすべての女性が
ピカソから逃れられなくなった。

ただ一人を除いて。

フランソワーズ・ジロー。
ピカソを捨てた唯一の女性。


 私は愛の奴隷にはなっても、あなたの奴隷にはならない。

屈辱もまた
ピカソにとって
創作意欲となりえたのだろうか。

恋愛部長

恋について/恋愛部長

今日、意中のあの人に
思いを告げ、
そして叶わなかった
すべての女性へ。

多くの迷える女性を叱咤してきた
カリスマブロガー、
「恋愛部長」はこう言っています。


 一度脈なし、と思ってても、その後の出方次第では、逆転は可能。

なぜなら、
人の気持ちなんて5分で変わるから。

今日はまだスタートです。
信じてみませんか。

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中村直史 10年01月03日放送

1

「綾戸智絵」

プロのジャズシンガーとして
やっていくには
音域が狭すぎた。

だから・・・

後につづく言葉として
ありがちなのは「あきらめた」。

でも綾戸智絵の場合。

だから・・・
その分パワフルに魂をこめて歌った。


 難儀があると、それをプラスにしようと努力するから、チャンスなんです。

さ、2010年。
きっと今こそが、チャンスの時。



「キュリー夫人」 

文字通り、
命がけの仕事だった。

未知の放射性物質であった
ラジウムとポロニウムを
発見したキュリー夫人。

生涯浴び続けた放射線のために、
体はやせこけ、
手の指は焼けただれていた。

享年66歳。
死因は白血病。

未知なる放射性物質を世界に知らしめた
女性科学者は、
放射線の恐ろしさを世界に知らしめた
最初の人でもあった。



「森田勝」

意識が戻ったときには
4時間がたっていた。

世界でも最難関の山、
グランド・ジョラス北壁。
岩に打ち込んだフックが外れ、
50メートル落下。
たった1本のロープで宙釣りになった。

左足は折れ、胸を打撲、左手も麻痺していた。

幻聴と幻覚に苦しみながら
陽が昇るのを待ち、
男は決死のアタックを開始。
右手、右足、そして歯で
ロープをつかみ
6時間かけて登りきった。

孤高の登山家、森田勝(もりた まさる)。

限りなく死に近い場所でしか
生きていることを確かめられなかった男。

伝説のアタックから約1年後。
同じグランド・ジョラスで800メートル転落。
2度目の奇跡の生還は、
果たせなかった。



「ガルシア・マルケス」

冬休み、どこへも行けず
じまいだったあなたに、

寝転がったまま
行ける旅行のご案内です。


 長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、
 恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、
 父親のお供をして初めて氷というものを見た、
 あの遠い日の午後を思いだしたに違いない。

ガルシア・マルケス、「百年の孤独」。

一行目から
遠い世界へと
連れて行ってくれます。



「アントン・ブルックナー」

「自分に自信を持とう」

そんな言葉で、
人生が変わるなら
苦労はしない。

アントン・ブルックナーは、
自信のない作曲家だった。
批判されるたび、曲を書き直した。
ただ、何と言われても、
作曲を「やめる」ことはしなかった。

そんな自信のなかった人の音楽は
いま、人々からこんな風に言われている。


 ある日突然、わかるのです。ブルックナーの音楽は宇宙そのものだと。

自分に自信が持てるまで
待っていたら、
人生が終わってしまう。

動こう、書こう、つくろう。
才能があるかどうか、
悩んでいるヒマはない。



「チャールズ・チャップリン」

アメリカで、
チャールズ・チャップリンの
そっくりさん大会があった。

こっそり出場していたのが
チャップリンご本人。

優勝し、「本人です」
と驚かすつもりが結果は2位。

だれにも気づかれず
トホホとうなだれていた。

そんなジョークが、
いまも人々の間で語られている。

この世を去ってからも
笑いをとりつづけようだなんて。

どこまで笑いに貪欲なんですか、チャーリー。



「ジェリー・ロペス」

彼のサーフィンを見ていると、
波が荒れ狂っている
という事実を忘れてしまう。

「生きる伝説」
プロサーファー、ジェリー・ロペス。

モットーは、


 Flow with it, be part of it.
 身をゆだねろ、波の一部であれ。

人生の荒波も
立ち向かうだけが
正解じゃない。

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中村直史 09年12月06日放送

01-Verne

ジュール・ヴェルヌ

未来ニュースです。
世界のCO2排出量が産業革命以前のレベルに戻りました。

未来ニュースです。
貧困のために命を落とす子どもの数がゼロになりました。

未来ニュースです。
世界で最後のひとつとなっていた戦争がついに終わりました。

・・・そんな都合のいい未来なんて来るはずがないでしょ。
そう思った方に。

19世紀のSF作家、
ジュール・ヴェルヌが残した言葉を送ります。

  人間が想像できることは、必ず人間が実現できる。

02-hikoroku

「林家彦六」

「笑いとは視点のずれである」
と言った人がいた。

なるほど
うまいことを言う。

そしてあの人のことを思い出した。

落語家、林家彦六(はやしや ひころく)。

生涯現役をモットーに
80を超えても
精力的に高座に上がった。
こころもとない語り口に
客も楽屋の仲間たちも引き込まれた。

ある日の彦六師匠。
「なんでモチはくさるんですかね」
という何気ない弟子の質問に
ボソリと答えた。

 ばかやろお、早く食わねえからだ。

ほんとだ。
笑いとは視点のズレである。

03-wilhelm

「フルトヴェングラー」

ひとりひとり違う人の出す音が
重なって、
ひとつになって、
それってすごいと思わない?

オーケストラの素晴らしさを
わかってほしくて
熱く語ったら、
その相手はポカンとしていた。

 感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ。

20世紀の偉大なる指揮者
フルトヴェングラーの言葉を引き合いに出しても
その人はまだポカンとしていた。

しょうがないからオーケストラを
見に連れて行ったら、演奏後

きみの言ってたことはまだわからないけど、音楽が素敵なことはわかった。

とその人は言った。

あなたもコンサートホールに出かけてみませんか。
うまく言えないのが残念ですが、いいものですよ。

04-tabasco

「アントニオ猪木」

燃える闘魂。
そんな形容詞をもつ
男のこと。

ビジネスで取り扱うものにも
アントニオ猪木らしさが貫かれている。

刺激的な辛さの調味料「タバスコ」。
じつは、猪木の会社が
輸入代理店を務めたことで
日本中に知れ渡った。

  私をミスタータバスコと呼んでください。

そう言われてみれば。
頬に張り手をされながら
「ゲンキデスカー」
と問われているような味覚。
・・・と言えなくもない。

05-hundertwasser

「フンデルトヴァッサー」

        なにかを きらうことは
  なにかを あいすることの
うらがえし

     日本語で「百の水」  という  意味の名をもつ
  オーストリアの芸術家   
        フンデルトヴァッサー

「ちょくせん」が だいきらいだった
  なぜなら  彼が あいする自然
    のなかに けっして存在しないものだから
  
  直線は神への冒涜であり 不道徳である

じじつ
    かれの描いた絵も  つくった建物も

こどもがひいたような線に あふれ
  いろんな いろたちが 
          おどっている

  死ぬまで ずっと しぜんのいちぶで ありつづけた
フンデルトヴァッサーに 

       ありったけの敬意を表して
 直線的ではない読み方
  
      で 
           お送りしてみました。

06-encho

「三遊亭圓朝」

ある時、
落語の国に住まわれる、
落語の神様がこう言った。

「このままでは落語が絶滅だ、
 ちょっくら地上に行ってなんとかしてくるか」

そうして
明治の日本に降り立った一人の男。

落語家、三遊亭圓朝(さんゆうてい えんちょう)のことを思うと
そんな想像をしてしまう。

「芝浜」「死神」「牡丹燈籠」「四谷怪談」・・・

100年以上も
人をとりこにする
名作中の名作たち。

その多くを、即興でつくったなんて。
やはり人間わざとは思えない。

07-hayashi

「林房雄」

もし、あなたのご主人が
あなたをほっぽらかしにして
魚釣りばかり行ってるとしたら。

そして、そんなご主人のことを
理解できずにいるとしたら。

小説家、林房雄(はやし ふさお)が残した
言葉をぜひ知ってほしいと思います。

 釣り師は 心に傷があるから釣りに行く。
 しかし、彼はそれを知らないでいる。

妻よ、
聞こえましたか。

来週末も行かせてください。

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中村直史 09年11月7日放送



「草花になった人/藤原定家」

死ぬほど好きだ。
という言葉はよく耳にするが
死んでも好きだ。
という人はあまりいない。

歌人、藤原定家(ふじわらのていか)。
長く仕えた式子内親王(のりこないしんのう)への恋心は
死してなお収まることなく
式子の墓に「かずら」となって巻きついた…
こんな物語が元になって
木や岩にしがみつき這い登る植物に
「定家葛(ていかかずら)」という名前がついた。

冬になっても葉は緑のままで
からみつく相手がいないと
地面さえ覆いつくす定家葛。

面倒なのに逃れられない。
そんな恋心を見るようで、
少し、恐い。



「草花になった人/武蔵坊弁慶」

何十本もの矢を体に受けても
決して倒れなかった男。
死ぬときも仁王立ちのままだったという武蔵坊弁慶。

その弁慶が、
じつはいまも生きつづけているという。
野山やご近所の庭で。

不死身の弁慶にあやかった「弁慶草(べんけいそう)」
分厚い葉を持ち、
切られてもなかなか枯れず
土にさせばぐんぐん新しい根を生やす。

勇ましく。たくましく。
弁慶は、野原のかたすみや、鉢植えの中から、
「負けるなよ、日本人」
と語りかけているのかもしれない。



「草花になった人/平敦盛」

北国の、夏でも涼しい高原に
赤い頬をした
美しい少年がうつむきぎみに立っていた。

薄紅色の袋のような花を背負ったその花の名前は
「アツモリソウ」という。

16歳の初陣で、
潔く敵方の武士に
首を差し出した笛の名手、平敦盛(たいらのあつもり)。

何百年もの時をへた今も、
毅然とした姿で
逃げも隠れもせず
高原の風に吹かれている。



「草花になった人/熊谷直実」

城を捨て、船で逃げようとする平家の軍勢を追う
ひとりの武将がいた。

「敵に背を向けるつもりか、我の名は熊谷直実(くまがいなおざね)」

その声を聞いて引き返したのはまだ16歳の少年、
名だたる平家の武将のなかでも
とりわけ血筋正しい貴公子で笛の名手、平敦盛。
まだあどけなさの残るその顔を見て
熊谷直実は同じ年の息子を思い出す。

助けたいと申し出る熊谷に、
少年はただ「切れ」と言った。

何百年もの間、
人々の涙を誘った平家物語の一場面。
熊谷直実と平敦盛は、
「クマガイソウ」と「アツモリソウ」という野草の名前になった。

茶会ではこの2つの花が
一緒に活けられるという。
戦のない世界で、
ふたり静かに語り合っているのだろうか。



「草花になった人/静御前」

静御前(しずかごぜん)が囚われの身となり、
義経の兄、
頼朝の前で舞を舞わねばならなくなったとき。
彼女は、義経への一途な想いを歌った。

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

早春に咲く
「一人静(ひとりしずか)」という植物は
静御前がそのときかぶっていた烏帽子(えぼし)に似ている。

実は生きながらえたという
伝説の多い義経。
どこか隠れた里山で、
彼のために舞う
この花を見ただろうか。



「草花になった人/紫式部」

花は白みを帯びているのだけれど
実を結ぶとなんとも艶っぽい紫色になる。
そんなわけでつけられた名前が「紫式部」。

秋を代表する植物のように思われているのも
きっとその名前のおかげだ。

ところで、紫式部を小さくしたような植物に
小式部(こしきぶ)がある。
誰が名付けたのだろう。
小式部は紫式部ではなく和泉式部の娘なのに。



「草花になった人/千利休」

「利休草(りきゅうそう)」という植物がある。

なにげない草だけれど、
茶室に活けたとたん、
すっと存在感を出す。

利休が見出したわけでも、
利休が名づけたわけでもない。
なにしろ利休草が中国から渡来したのは江戸時代。
利休はその存在も知らずに亡くなっている。

でも、その繊細な姿が気に入られ
どうしても茶室に活けたいと思う人があらわれて
茶花にふさわしい名前をつけてもらった。

利休草。
茶道の世界でこれ以上いい名前はない。
遅れてスタートしたくせに
トップを走っているランナーのようだ。

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