中村直史

中村直史 09年8月15日放送

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寺島尚彦 「さとうきび畑」

人の声は聞こえず
ただただおだやかに、
風が吹き抜ける
沖縄のさとうきび畑。

その下にはいまも
勝ち目のない地上戦を戦い、
自決していった方たちが眠っているという。

寺島尚彦は、畑を吹き抜ける風に
死んでいった者たちへの
思いを乗せて
「さとうきび畑」という曲をつくった。

風の音は66回繰り返される。
それは、終わることのない
祈りのようでもある。

hiroshima

美空ひばり 「一本の鉛筆」

その歌が初めて歌われたのは、
1974年8月のことだった。
第1回広島平和音楽祭のために
つくられた歌の名は「一本の鉛筆」。

出番を待つ美空ひばりは、
太陽が照りつけるステージのかたわらにいた。
冷房のある控室へ行くようすすめられても、
そこを動かない。

「広島の人たちはもっと暑かったはずよね」
静かにつぶやいた。


一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く

戦争を憎み
みんなを励まし続けた
ひばりさんらしい歌だった。



hara

ビクトル・ハラ 「平和に生きる権利」

1973年.
チリのサンティアゴにあるスタジアムで、
軍事政権に反対する
多くの若者が殺されたとき、
最後まで歌を歌い続けていた
といわれる男がいる。

ビクトル・ハラ。
「歌は弾圧に対する武器になる」
そう信じていた。

事実、どんな権力者にも
彼の歌まで殺すことはできず。

何十年にもわたって、
戦争や権力に屈しない人たちの間で
歌い継がれた曲の名は
「平和に生きる権利」。

いま、 彼が殺されたスタジアムは
「ビクトル・ハラ・スタジアム」と
名前を変えている。


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K&J Kids 「アイアイ」

日韓ワールドカップ開催に
盛り上がっていた2002年のこと。
韓国のとある先生が
素敵な提案をした。

「いっしょに歌を歌いませんか」

韓国の子どもたちは、日本の童謡を。
日本の子どもたちは、韓国の童謡を歌うんです。

そうして集まった
子どもらは「K&J Kids」という名のもと、
ともに歌い、それはCDにもなった。

両国の小さな歌手たちはどんな気持ちで歌ったのか。
子どもらの感想をちょっとだけ紹介します。

「日本の歌も韓国語で歌うと韓国の歌のように思った」
「意味はよくわからないけれど、心温かくなる」

ね、歌っていいんですよ、やっぱり。


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RCサクセション 「明日なき世界」

RCサクセションが
その曲を日本に送り出したのは、
戦争が終わって43年目、
1988年の8月15日だった。

アルバム「カバーズ」に収められた
「明日なき世界」。

戦争を知らない若者たちにも、
どストレートな反戦の歌はずしりと響いた。

あれから20年がたつ。
近頃は、反戦の歌なんて時代遅れなのだろうか。
戦争こそ時代遅れだと
世界中が思う日はまだ遠いのだろうか。


peace

エルビス・コステロ 「(What’s So Funny Bout) Peace, Love & Understanding 」

ありえないシーンを
想像してみる。

世界中の国のトップが、
国連ビルの地下室につくられた
秘密のカラオケボックスで歌っている。

曲はエルビス・コステロの
(What’s So Funny Bout) Peace, Love & Understanding 
「平和と愛と理解し合うことの、何がおかしいっていうんだ?」

ネクタイやスカーフを頭に巻き
肩を組み合い熱唱する各国首脳たち。

バカみたいな想像だろうか。
でも、
平和と愛を歌い、理解し合う世界を
想像することの、
何がおかしいっていうんだ?


shirayuri

新垣勉 「白百合の花が咲く頃」

新垣勉という歌手がいる。
盲目の歌手である。

目が見えないことが理由なのかはわからないが、
彼の歌は、目には見えないものを伝えてくれる。

「白百合の花が咲く頃」という曲も、
そんな歌のひとつだ。


戦争は確かに巨大な現象です。
しかし、私たちにとって今必要なことは、
その時その場所で、泣き笑い愛し合い暮らしていた一人ひとりの人間が、
戦争について何を想い何を感じ生きていたか、
その心の内を知ること、想像することではないでしょうか。

目を閉じて
誰かの気持ちに思いをはせる。

それは、人間にできることの中で
最も大切なことのひとつだと、
彼の歌は教えてくれる。

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中村直史 09年7月18日放送

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©Naoko Hoshino

星野道夫、旅の始まり

1970年ごろ、
ひとりの男子学生が、
神田の洋書専門店で一冊の本を手にしていた。

一枚の航空写真に目を奪われる。
写っていたのは、アラスカ、シシュマレフ村。

行ってみたい。
いてもたってもいられず、
その村の村長に手紙を書いた。

半年後返事が返ってきた。
「あなたの訪問を歓迎する」。

写真家、星野道夫。
運命のような旅の始まり。

彼はアラスカを見つけ、
アラスカもまた、星野道夫を見つけた。

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©Naoko Hoshino

星野道夫の写真

アラスカの自然を撮り続けた
写真家、星野道夫。

彼の写真はすごいのだけれど、
どうすごいかを言葉にするのは難しい。

「動物って美しい」でも、
「自然ってたくましい」でも、
「地球は生命に満ちあふれてる」でも、
核心からは遠く。

そう思っていたら、
ある風景を前にしたときの
彼の感想が残っていた。


 ただ、「ああ、そうなのか」という、ひれ伏すような感慨があった。

星野さん、
これは、あなたの写真を前にした
僕らの気持も的確に言い表しています。

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©Naoko Hoshino

星野道夫の友

「類は友を呼ぶ」
は本当なんだと思う。

星野道夫には、素敵な写真家の友人がいた。

「類」は、写真家の意味ではない。
素敵な、の方だ。

英語も話せず、
はじめてのアラスカ暮らしに
とまどっていた星野道夫夫人に、
その友人は短いアドバイスを贈った。


 寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。 
 離れていることが、人と人とを近づけるんだ。

アラスカで
生きていく者に、
これ以上の言葉があるだろうか。

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©Naoko Hoshino

星野道夫の視線


自然はいつも、強さの裏に脆さを秘めています。
そしてぼくが魅かれるのは、
自然や生命のもつその脆さの方です。

星野道夫は、かつてそう語ったことがある。

大自然を切り取った
圧倒的な彼の写真に、
切なさを感じてしまうのは
その視線のせいかもしれない。

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©Naoko Hoshino

星野道夫の言葉

星野道夫の写真を見ていると、
詩人、萩原朔太郎の言葉を思い出す。


 詩の表現は素朴なれ、詩のにおいは芳純でありたい。

星野道夫の写真は、その一枚一枚が詩だ。

動物、山、湖、草、花。
要素は素朴、だが、そこから立ち上ぼる感情が濃い。
写真だけではない。


 原野の秋色は日ごとに深みを増し、
 さまざまな植物が織りなすツンドラのモザイクは、えも言われぬ美しさです。
 快晴の日が続き、ある冷え込んだ夜の翌日、
 あたりの風景が少し変わっていることに気付くでしょう。
 一夜のうちに、秋色がずっと進んでしまったのです。
 北風が絵筆のように通り過ぎて行ったのです。

写真の解説文というより、
遠くに住む詩人から届いた
手紙のようだ。

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©Naoko Hoshino

星野道夫と人々

写真に写った人間の表情は、
写すものと、写されるものの
気持ちの距離を伝える。

ネイティブアメリカンの古老。
カムチャッカの子ども。
チンパンジーと戯れるジェーン・グドール。

星野道夫の撮った人々の顔はやさしい。


 人と出会い、その人間を好きになればなるほど、
 風景は広がりと深さをもってきます。
 やはり世界は無限の広がりを内包していると思いたいです。

人とも世界とも
親密な距離をとれる
稀有な人だったと思う。

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©Naoko Hoshino

星野道夫の最後

1996年、夏、カムチャッカ。

川を上る鮭の大群。
待ちうけるヒグマ。
何万年も繰り返されてきたであろう自然の営み。
その中で。
星野道夫は、逝ってしまった。

「それは、そういうことなのだ」と、彼の声が聞こえる気がする。

そう、悲しむべきことではない。
ただ、たまらなく切ないだけで。

その感情は、
彼の写真が呼び起こすものと、
似ている気がする。

撮影:星野道夫
協力:星野道夫事務所

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中村直史 09年6月21日放送

1

武満徹・段ボールの鍵盤

いつしか大河となり
海へ出ることを夢見る
一滴の湧水のように、
その段ボール紙は、夢を見ていたのかもしれない。

戦争が終わり、
焼け野原からようやく
人々が立ち上がろうとしていたころ。

男は段ボール紙でつくった鍵盤を
ピアノ代わりに作曲していた。

食べるものも着るものも
限られていたけれど、
想像力には限りがなかった。

 私の物言わぬ鍵盤からは、ずっと沢山の音がなり響いていたように思います。

作曲家、武満徹。
ピアノも持たず
音楽学校にも通ったことのない
小さな作曲家が世界を驚かす、
その始まりのこと。

2

武満徹・作曲の作法

表現をする人は
幸せになっちゃいけない、
とある人が言った。

名だたる芸術家たちが
自らの苦しみをもとに
名作を生み出した事実も数多くある。

が、武満徹は違った。

 幸せでないと、作曲なんかできません。

だから、武満の作曲は、
妻に「ごめんね」というところから始まる。

前の日の夫婦げんかさえ、
心にひっかかったままでは
仕事にとりかかれなかったのだ。

3

武満徹・突然のピアノ

豊かさは、お金ではなく、
気持ちで決まると僕らは知っている。
ときどきそれを忘れてしまうのが、残念だけれど。

段ボール紙でつくった鍵盤を手に、
作曲家を夢見た若き武満徹。 
彼のもとに、ある日突然
本物のピアノが送られてきた。

送り主は、作曲家、黛敏郎。
武満の噂を聞き、自分の苦労と重なった。
ピアノは、武満を奮い立たせた。

それから何十年もたった1991年のサントリーホール。
音楽賞受賞のステージで
そのピアノの話になったとき、
武満は突然下を向き、泣きだしてしまった。

苦しい時代を、
豊かに過ごした人たちがいた。
忘れたくない。

4

黒田三郎

 紙風船

 落ちて来たら
 今度は
 もっと高く
 もっともっと高く
 何度でも
 打ち上げよう

 美しい
 願いごとのように

詩人、黒田三郎さんは
言葉を喜ばせるのが上手な人でした。

喜んだ言葉たちは、
お返しに、とばかり
人を喜ばせてくれます。

5

コナン・ドイル   

1893年、事件が起きた。
イギリスで最も有名な男が殺されたのだ。
被害者の名は、シャーロック・ホームズ。

彼の死は、
ロンドン中に衝撃を与えた。
抗議行動が起こり、
プリンス・オブ・ウェールズが、
出版社に手紙を送った。

死に追いやったのは、作者コナン・ドイル。

自ら生み出した世紀のヒーローに
すべての時間を奪われ、
いつしか、殺しの計画を立てていた。

小説には描かれなかった、
もうひとつのストーリー。






音楽=ツネオムービープロジェクトhttp://tsuneo.cart.fc2.com/




6

南方熊楠

履歴書を前にすると、
あの人のことを思い出す。
そして、敵わないと思う。
あまりの敵わなさに、うれしくもなる。

趣味の欄。
彼ならどう書くだろう。
草花、キノコ、コケ、土、星、化石、人間、
動物、宗教、エトセトラ、エトセトラ。

ミスター森羅万象、南方熊楠。

実際に彼が書いた履歴書は、
長さにして、7メートル70センチ。

ああ、敵わない。

子どものころ
山の草花に夢中になり、
2,3日帰らなかった。
村人たちは神隠しだと言ったが、平気な顔で帰ってきた。
ついたあだ名は「天狗ちゃん」。

やっぱり、敵わない。

おーい、ニッポンのみなさん。
ぼくらにはすごい先輩がいるぞ。

「なんだかこのごろつまらない」
なんて言ってると、はずかしいぞ。

7

永井荷風

何を恥ずかしいと思うかが、
その人の才能なのだという。

彼は、歯の欠けた
その顔を恥ずかしいと思わなかった。

家庭を顧みないことも、
ケチと呼ばれることも、
ノゾキ趣味さえも、
恥ずかしいとは思わなかった。

奇人、永井荷風。

ただ、
誰かが書いた様なものを書くのは、
恥ずかしかった。

8

アーネスト・ヘミングウェイ

「草食系男子」なんて言葉を聞いたら、
ヘミングウェイは笑うだろう。

彼は「男」であろうとした。
生きざまも。小説のテーマも。そして文体も。

 なすべきことは、一文たりと疎かにせず正確な文章を書くこと。
 たがわず顎に一撃くらわす文章を。

男どもよ。
ヘミングウェイという名の、肉を喰らえ。
余分な脂肪はなく、
噛みごたえがあり、
血の滴る肉を。

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中村直史 09年5月17日放送

1  

ブータン国王

王様は考えた。

みんなが
ただお金持ちになれば
幸せなのだろうかと。

そして言った。

我が国は、お金持ちになるためでなく
人として幸せに暮らしていくための
場所になろう。

そして人々は
自然を守り、家族を大切にし、
楽しく暮らしましたとさ。

昔話?
いえいえ、いまの話です。

第4代ブータン国王
ジグメ・シンゲ・ワンチュクは
国民総生産に代わる国家の指標として、
「国民総幸福度」を提唱。

彼が国民に投げかけた言葉は
世界への問いかけでもある。

あなたは、いま、幸せですか?






4

古今亭志ん生

貧乏を語らせれば、
右に出るものはいなかった。
それもそのはず、
なめくじの這うような
貧乏暮らしをした。

酔っぱらいを描かせれば天下一品。
それもそのはず、
大の酒のみ。
いや、のまれた方か。

稀代の落語家、
5代目古今亭志ん生(ここんてい しんしょう)。

ある日の志ん生、
酔っぱらったまま高座に上がり
噺の途中で寝てしまった。

ざわつく客席から声が飛ぶ。

まあ、寝かしといてやろうじゃねえか。

そこにいるだけで芸になる。
そんな落語家だった。

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マハトマ・ガンジー

この世を去る時には、
親しい者たちへ
お別れの言葉を残したい。

けれど死は、
そんな余裕を与えてはくれない。

生涯暴力を否定しつづけた
マハトマ・ガンジー。

彼は死の瞬間、
目の前の暗殺者に対し、
自らの額に手をあてて
見せるのがやっとだった。

その意味は、
あなたを許す。

許されたほうの男に
その後どんな
気持ちの変化があったのか。

その記録は見当たらない。

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エリック・サティ

とあるサロンでの演奏会。
聴衆に向かって、その作曲家は言った。

これから演奏する音楽を、どうかお聴きにならないでください。

フランスの作曲家、エリック・サティ。

威張ったり
自慢をすることが大嫌い。
目指した音楽は「気づかれない音楽」だった。

ヘンな人だ、と人々は言った。
けれど彼は、
やさしすぎるあまり、
ヘンに見えたのかもしれない。

その証拠にほら・・・
やさしい音でしょう?

サティの誕生日を記念して、
今日をやさしい一日にしませんか。

6

草野心平

るるり。
りりり。

あなたはわたしどもの生きざまを
ポエムという形で表現してくださいました。

るるり。
りりり。

その表現は、なかなかどうして
わたしども蛙の気持ちをするどくとらえており、
あなたのご先祖はもしや
わたしどもの一族では、と思うほどでした。

るるり。

わたしども蛙の偉大なる詩人、
草野心平さま。

ときおり田んぼで
話しかけてくる子どもは、
きっとあなたの影響でしょう。

あ、青大将が舌を出しながら
こちらを睨んでおりますので、
この辺で失礼します。

親愛なる、草野心平さまへ。
蛙より。

tuki

尾崎放哉

さみしあったかい。
そういう感情も、
人間にはあるらしい。

犬よちぎれるほど尾をふつてくれる

こんなよい月をひとりで見ている

夫婦でくしゃみして笑った

尾崎放哉(おざき ほうさい)。

五七五の枠に
収まりきらない孤独を
見つめつづけた。

小豆島に行くと彼のお墓がある。

手書きで「放哉さんのお墓」と書いてある。

さみしあったかい
たたずまいで立っている。

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リンドバーグ

夢を実現する
第一のルールは、
「そんなのできっこない」
と言わないことだ。

いまから82年前の5月。
人類初の大西洋無着陸横断に成功した、
チャールズ・リンドバーグ。

命をかけた冒険で
知られる彼が
命を救う発明を
行っていたことは
あまり知られていない。

重篤な病気を持つ親類を
助けるために考え出された
世界初の人工心臓。

真っ暗な暗闇の中を飛び続けるような、
厳しく、苦しいプロセスを乗り越えての
発明だった。

あなたが思い描く夢は何だ。

「そんなのできっこない」
なんて言ってる暇はないぞと
リンドバーグが
空の上から言っている。






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ジョージ・ガーシュウィン

天才といえども、
進むべき道が見えなかったのだろう。

あなたのもとで作曲を学ばせてください。

若きジョージ・ガーシュウィンは、
オーケストレーションの魔術師と言われた
モーリス・ラヴェルに教えを乞うた。

ラヴェルは断った。
いじわる、ではない。

ガーシュウィンの才能を見抜いていた。


私のもとで二流のラヴェルとなるより、
あなたは一流のガーシュウィンでありつづけなさい。

その教えを、
ガーシュウィンは守りつづけた。

こんな風に。

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中村直史 09年4月12日放送



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マーク・トウェイン




100年以上も前、
ミシシッピ川に
ひとりの水先案内人がいた。


船の扱いに長けていた彼は、
言葉の扱いにも長けていた。


やがて作家へと転身。
多くの名言を残すこととなる。


 もやい綱をほどき、安全な港から船を出し、
 その帆に貿易風を受けよ
 探検し、夢を見、発見するのだ



文豪マーク・トウェイン。
彼はいまでも
人々を目的地へと
導いている。










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島崎藤村




 まだあげ初めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛(はなぐし)の
 花ある君と思ひけり



島崎藤村の「初恋」は、
人を恋することを知った少年の
はかない気持ちに満ちている。


恋は、人に人生の喜びを教えるが
同時に癒えることのない悲しみも刻みつける。


気がついたら、春になっていました。
恋をしましょう。










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柳家小さん




落語は不思議だ。
何百年も受け継がれた話を繰り返し聞いて、
何がおもしろいのだろう。


5代目柳家小さん(やなぎや こさん)の落語は、
間違いなくおもしろかった。
「間」がたまらないのだ。


小さんの「間」には、語られない言葉がつまっていた。
生きるということの滑稽さや温かさに満ちていた。


いま寄席に出かければ、
小さんの弟子たちを見ることができる。
名人、小三治(こさんじ)、
柳亭市馬(りゅうてい いちば)
かの天才、立川談志。


それぞれの個性で
観客を魅了する彼らであるが
その声、そのしぐさの中に
小さんは生きている。


落語家はただ
落語を受け継ぐのではない。
人間を受け継いでいるのだ。





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マーラー




その曲のラストには死が待ち受けている。


グスタフ・マーラーが亡くなる1年前に書いた
交響曲第9番。
死と向き合い、闘い、最後には受け入れる。
静かに、壮絶に、死へと突き進む曲。


最終章の長いピアニシモは、
生と死のはざまを思わせる。


そして演奏が終わっても
しばらく続く無音。


それは死んだ者たちが
消え失せてしまったのではなく、
ちゃんと自分のそばにいることを
確信できるやさしい無音だ。


指揮者ブルーノ・ワルターは
この曲の終わりを
「青空に溶け込む白い雲のように」と表現した。


その曲のラストには死が待ち受けていて
恐れることはないのだと言っている。





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ハービー・ハンコック


 何がかっこいいのかを知りたければ、ハービーを聴くといい


ジャズをつくり、
ジャズを壊し、
世界を驚かし続けてきた音楽の冒険家、
ハービー・ハンコック。


彼の挑戦は、
いつも「受け入れること」からはじまった。
違ったジャンルの音を。
違った考えの人々を。


彼はこんなコメントを残している。


 私は演奏するとき、一生懸命にならないよう努力しています。
 ただ、心を開こうと思うだけです。
 そうすれば、何が起きてもオープンに受け入れられ、
 進んでその瞬間に起きていることの
 自然な流れの一部になりたいと思うようになります



ハッピー・バースデー、ハービー。
今日は、ハービー・ハンコック69回目の誕生日。





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ガガーリン




48年前の今日。
「ボストーク1号」で
世界初の有人宇宙旅行に成功したパイロット
ユーリイ・ガガーリンは
こんな言葉を残していた。


 地球はみずみずしい色調にあふれて美しく、
  薄青色のまるい光にかこまれていた



要約すると
「地球は青かった」という有名な言葉になりますね。


今日は人がはじめて宇宙を旅した日です。





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川崎宗則




先日閉幕を迎えたWBC、
ワールドベースボールクラシック。


前回につづきメンバーに選ばれるも、
出番の少なかった選手がいた。


ソフトバンクホークス、川崎宗則(かわさき むねのり)。


ようやくスタメン起用された大会終盤の試合後、
「久々の試合でしたが?」という問いに、こう答えた。


 僕は、ベンチの中ですべての試合に出ていました


おめでとう、
WBC日本代表。
チームワークという言葉が
古臭くも恥ずかしくもないことを
あなたたちは教えてくれた。





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与謝野晶子




それは明治30年代のこと。


たった31個の言葉が
押さえつけられていた
女性の感情を
大胆に解き放った。


 やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君


詠み人、与謝野晶子。


彼女の歌には
女性として生きる喜びがあり、
そして覚悟があった。


「そぞろごと」という詩は、
こんな叫びで終わっている。


 人よ、ああ、唯(ただ)これを信ぜよ
 すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる



4月10日から16日は、女性週間です。




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中村直史





大塚製薬ラジオCM「前世の妻」

ナレーター:岡本マミ・マギー

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