薄組・石橋涼子

0歳10カ月の育児の話し。

4月から5月にかけて
保育園生活に慣れたすーさん(美少年でぶ)。
体調も崩さず、先生にもなついて、
問題無く通えるようになりました。
そして6月。
優秀な息子に負けじと、母は仕事に復帰したのです。

以下、ぷち日記形式でどうぞ。

6月1日(金) 復帰一日目。
みなさんにご挨拶&デスクの整理。
15時半、保育園から電話。
すーさん発熱とのこと。
早退。慌てて帰る。

6月4日(月)
週末に回復したが、再び微熱。
午前半休。

6月11日(月)
保育園に連れて行こうとしたら、発熱。
有休。

6月12日(火)
体調が良さそうなので保育園に預けたら、
会社に着いた途端に園から呼び出しが。
午後半休。

6月22日(金)
一週間がんばったものの、すーさん燃え尽きた様子。
発熱。
有休。

7月6日(金)
引っ越し。
おじいちゃんおばあちゃんの近くに住むことにする。
引っ越しのバタバタで発熱。

7月9日(月)
週末に回復したと思ったら、
再び微熱。
半休。

7月8日(火)
続・微熱。
半休。

ふむふむ。
だいたい週イチで発熱をしていますね。
特に金曜と月曜に燃え尽きることが多いのは、
大人にも通じるものがあるような。

と、いま振り返れば冷静に俯瞰できますが、
当時は毎日ドキドキしっぱなしでした。
毎朝ドキドキしながら体温測って、
仕事中は保育園から電話が来るのではとドキドキドキドキ。
人間の一生涯の心拍数は決まっているという説がありますが、
あの数カ月で相当数を稼いだと思います。

というか本音を言うと、
「ちょっと熱出し過ぎじゃね?」と思ってました。
先輩ママから、
子どもは発熱をコントロールできるのだと伺いましたが、
まったくもって真実だと思う。

(今月の写真は、東京タワーのマスコットに驚くすーさんです)

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石橋涼子 13年4月21日放送



出会いのはなし ロダンと花子

66歳のオーギュスト・ロダンは、
マルセイユの博覧会で
花子という日本人女優に出会った。
彼女の苦しみや怒りの演技に衝撃を受け、
楽屋に押し掛けてモデルになるよう頼んだという。

一方の花子はというと、
日本で二度の結婚に失敗し、頼る家もお金もなく
34歳、単身死ぬ気で海を超えた。
必死に芝居を続けたある日、
有名な芸術家が自分を求めて現れたのだった。

多くの評論家が運命の出会いと語るこの瞬間、
彼女はこう思ったという。

 なんだか汚いじいさまだな。

思い出は見る角度によって違うけれど、
どんな出会いも限りない可能性を秘めている。

花子はモデルの依頼を引きうけ、
ロダンから家族同様に愛された。
ロダンは、毎日のように花子を招き、
58点もの作品をつくりつづけた。

この春、あなたにいい出会いがありますように。

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0歳9カ月の育児の話し。

9カ月です。
3/4歳です。(わかりにくい)
いろいろと成長しております。

まず、歯がちょっぴり生えてきました。
前歯の上下セット、計4本。

すーさんはおっぱい大好き美少年(でぶ)なので
上下の歯が生え始めた頃、母は苦悩しました。
卒乳すべきか。継続すべきか。それが問題だ、と。
ていうか噛まれたら卒乳しよう。痛いもん。
母からの無言のプレッシャーを感じたのでしょうか。
特に噛まれることもなく、おっぱいはしばらく継続となりました。
そういうところは賢い美少年なのです。

そして寝相が悪くなってきました。
我が家ではベビーベッドを使っておらず
ふつうのベッドで川の字に寝ていたのですが。
まあ、予想通りというか、お約束というか。
9カ月のこの頃、初!ベッド落ち!いたしました。
いつかはこの日が来ると思っていました・・・

柵を買いましょう、というお話しです。

さらに初散髪をいたしました。
友人のこどもたちはみんな前髪パッツンで、
私は「不器用だなあ(笑)」と思っていましたごめんねみんな。
自分でやってみて、激しく反省いたしました。
赤子の髪をオシャレに切るのは、無理。
ハサミを怖がって泣いて暴れて、当然の帰結としてのパッツンです。
もはや自然の摂理なのです。赤子のパッツン。

実は私、切り落とした産毛で記念の筆(そういうサービスがあるんです)を
つくろうとこっそり企んでいました。
現実は、暴れる赤子を祖父母両親総出で羽交い絞めです。
近所に虐待を疑われないか心配になるくらいの惨状。
産毛で筆つくりたいのなんてメルヘンなことは
とても言えませんでした・・・。

そんなこんなで、毎日ちいさな成長を積み重ねながら
一喜一憂していましたが、
とうとうおかあさん、お仕事に復帰することになりました。
大丈夫かすーさん!?
というより私!

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0歳8ヵ月の育児の話し。

0歳8ヵ月。
と言えばちょうど一年前。
春です!入園です!
すーさん(美少年でぶ9キロ)は運よく
区立の保育園に入ることができました。

0歳クラスとはいえ、受け入れ対象は
生後8ヵ月以上の赤ちゃん。
クラスメイトは全員8ヵ月~12ヵ月です。
つまりすーさんは0歳クラスの中では
最年少の部類。

この数カ月の差が大きいのです!

なにしろデブなので(個人的な意見です)
まだハイハイもできないすーさんです。
8ヵ月にして、ほふく前進しかできません。
ずりずり。
それでも感動しましたよおかあさんは。

しかし!
12ヵ月の赤子は、歩くのです!(個人差があります)
よちよち歩くのですよ!!
もうお前ら赤ちゃんじゃないなっ!

ていうか、
うちの子、まだハイハイもできてないじゃん!!!

なんというんですかね。
比較対象が登場した途端に襲いかかる
「うちの子、もしかして・・・」
という不安の嵐。

クラスで二番目に足が遅かったという
学生時代の記憶がフラッシュバック。
リレーで5人にごぼう抜きされた苦い思い出・・・。
ハードルが無いところでなぜか転ぶ私・・・。
あー辛かったなー運動会。
あと、足が速いヤツがモテるって、埼玉はやっぱり田舎だよなー。
集団生活における仁義なき競争(?)に
早くもへこたれる母。

と思ったら、入園直後にハイハイをマスターしました。
これが集団生活における学習効果かっ!
悔しさをバネにしたの?
それとも他人の技を盗んだの?
どっちにしても天才?
すーさん天才なの?!
(引き続き、うちの子天才かも症候群です)

なにはともあれ、
親の不安をよそに、子どもは成長するんですね。
ありがたし。
そして反省。

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石橋涼子 13年3月10日放送



出発のはなし5 広岡浅子の推進力

大阪屈指の両替商、加島屋の若旦那の花嫁は、
京都の豪商三井家のお嬢さんだった。
広岡浅子、17歳。

世が世なら、坊ちゃん育ちの夫と一緒に
おかみさんとして優雅に暮らしたのかもしれない。
しかし、時は明治維新まっただなか。
幕末の混乱とともに両替商は軒並み倒産した時代だ。

数字に強く、時代を読む能力にもたけ、
なによりも負けず嫌いな浅子は、
のんびり屋の夫に代わり店を切り盛りした。
借金を踏み倒そうとする大名や武家には
武士道を説いて諭し、
事業拡大した炭鉱経営では護身用のピストル二丁を手に
荒くれ男たちと寝食をともにしたという。

歴史の中で潰れる運命にあった加島屋は、
浅子によって銀行・商社・保険業まで手がける
大企業へと成長した。

波乱の時代に臆することなく前進し続けた彼女の、
出発に対する持論。

 何でも初めから無理と思うたら、
 結果もそのようになります。
 無理でも目的を立てて、どないしたら完遂でけるか、
 焦点を絞っていくことが大切どす。

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0歳7カ月の育児の話し。

更新の間隔が空いてしまいました・・・
すみません・・・。
現在1歳7ヶ月のすーさんですが、
こちらの育児日記、まったく追いつく気配がありません。
おろおろ。

さてさて7ヶ月のこの頃、おすわりは安定していたのですが、
実は、寝返りが苦手でした。
なぜならでぶだから!(推測です)
9キロ超えてるから!(平均範囲の上限ギリギリです)
コロン!と軽やかに回転できなかったのです。
うーん、うーん、うーん、どすこい!って感じ。
90度回転したところで逆戻りして泣いたり。
美少年なのに!

寝返りはできませんがうつぶせは得意でした。
しかしハイハイは一向にできません。
なぜなら腹が重いから!(推測です)
9キロ超えてるから!(ホント言うと平均範囲からはみ出てました)

しかし、じたばたもがきながら
後ろに進むことはできたのです。
本人はまったく意図していなかったと思いますが。
よくソファの下に嵌って泣いていました。
(写真は泣きだす5秒前)

泣いてばっかりだな・・・。

とはいえ感情も発達し始めていて、
ちゃんと「楽しい!」と感じて笑顔になることも。
ああ、人間だなあーと、感動してしまいます。

そんなある日、私がお風呂に入る間
オットに遊んでもらっていたところ
「げひゃひゃひゃひゃひゃ」
なんとも下品な爆笑が聞こえてきました。
なにごとかと慌ててお風呂から出ましたよ。

オット曰く、
ぬいぐるみをテーブルの端(崖っぷち)から
コロリンと落とすと、爆笑するのだそうです。

「げひゃひゃひゃひゃひゃ」

何度でも爆笑。
エンドレス爆笑。
下卑た爆笑。

すーさんの笑いのツボはここなのか。
よくわからん・・・。

ところが次の日にはウソのように無反応。
何をコロリンしても、ふーんって感じです。
なんだったんだろう、
あの夜の爆笑(しかも下品な)。

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石橋涼子 13年2月3日放送



ユーモアの話 ニーチェの笑い

人間だけが涙を流す生き物である。
とはよく言われるが、
他にも人間だけが持つ特徴があるらしい。

ドイツの哲学者、ニーチェ曰く、

 人間のみが、この世で苦しんでいるので
 笑いを発明せざるを得なかった。

なるほど。
秀逸なユーモアに触れて、涙が出るまで笑って。
それが人間の特権。

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石橋涼子 13年2月3日放送



ユーモアの話 ガンジーとユーモア

 もし、私にユーモアがなければ、
 これほど長く苦しい戦いには
 耐えられなかったでしょう。

これは、インド独立の父と呼ばれている
ガンジーの言葉だ。

生涯、暴力を否定し続けたガンジーは、
厳格で真面目な印象を抱かれがちだ。

しかし、弟子たちによると
ガンジーはにこにことよく笑い、よくしゃべる、
人懐こい人物だったと言う。

思想も目標も大事。
だがやはり、
人は、楽しそうな人のもとに集まる。

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石橋涼子  13年1月20日放送



夢のはなし ウィンザー・マッケイの夢の国

100年以上昔のアメリカの新聞に、
毎回、夢オチで終わるマンガが連載されていた。
ウィンザー・マッケイによる、
「夢の国のリトル・ニモ」という
新聞1ページのマンガだ。

ストーリーは毎回同じ構成。
ニモ少年が夢を見るところから始まり、
夢の国を冒険し、
最後にベッドから落ちて目が覚める。
それにも関わらず連載は10年以上続いたし、
今も根強いファンがいる。

それは、リトル・ニモが毎回冒険する
夢の世界のビジュアルが素晴らしかったからだ。
大きな鳥にくわえられて見下ろす夜の街。
ニューヨークの摩天楼、真夜中の海、巨大なキノコ。
リトル・ニモの夢の世界は、
誰もが見覚えのある、僕の、私の、夢の世界だった。

夢の世界で困ったときに思わず叫ぶ
「おうちに帰りたいよ、おかあさん」
というセリフは、
100年以上経った今も変わらず、
大人の胸をくすぐっている。

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石橋涼子  13年1月20日放送



夢のはなし つげ義春の描いた夢

作家の描く夢物語は面白い。
もしくは、変だ。

つげ義春は、エッセイでもマンガでも
自分が見た夢を題材にしたものが多い。
それらは、こんな変な夢を見てみたいと思える、
不思議な説得力がある。

出世作となった「ねじ式」は本人によると
ラーメン屋の屋根の上で見た夢
らしい。

どれ、私たちもちょっぴりヘンテコな場所で
昼寝をしてみようか。

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