薄組・石橋涼子

0歳3カ月の育児のはなし。

~前回までのあらすじ~
美少年赤ちゃんすーさんはすくすくと成長し、生後3カ月に。
そろそろ友人知人に美少年をお披露目♪
と思った矢先、どこから見ても立派なデブになっていることが発覚!
さあどうする?

なんか、うちの子、大きいなあ・・・
とは思っていたのですが。

区が開催している3カ月検診に行ったんです。
3カ月前後の赤さんが20人くらい集まって
保健センターで開催されるんですね。
お医者さんがいて、身長体重測定係の人がいて、
それらをサポートするボランティアのおばちゃんがいて。
身長体重測定部屋から診察室の助手へ、
おばちゃんがすーさんを抱っこしてパスするんですが。
「この子、重いですよー(笑)」
と申し送りされたのです!!
え?
うちの子、注意喚起するほど重いの?

何人もの3カ月ベビーが
手渡されるのを見ていましたが、
「重いから気を付けて」って補足されてる子は
うちの美少年だけでした・・・。

・・・まあ、気づいてたけどね!

というわけで、ムッチムチのすーさんをかわいく見せるために
どうしたものか考えました。

着ぐるみ作戦です。

もふもふでくるむと、あら不思議。
マスコット的愛らしさ爆発です。
ぎゅーってしてはふはふってしたい!!
あーーーかわいい!!

こうして、ようやく、すーさんは
友人知人宅にお披露目に伺うことができたのでした。

しかし、おうちにお邪魔したら
もふもふを脱がないと暑いと気づくのに
そう時間はかからなかったという・・・。

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0歳2カ月の育児のはなし。

 ◇生後44日目のタイムテーブル

0時   おっぱい
1時
2時
3時   おっぱい オムツ(小)
4時
5時
6時
7時   おっぱい  オムツ(小)
8時
9時
10時  おっぱい  オムツ(大)
11時
12時  おっぱい  オムツ(小)
13時                 お散歩
14時
15時         オムツ(大)
16時  おっぱい  オムツ(大)
17時
18時
19時  おっぱい  オムツ(大)
20時  おっぱい  オムツ(大)  おふろ
21時
22時  おっぱい  オムツ(小)
23時

はい、ほとんどおっぱいあげてるかオムツ取り替えてるかです。
忙しいような、そうでもないような。
今(1歳2カ月)思い返しても、おっぱいあげてた記憶と
オムツを替えていた記憶しかありません。

文字にするとたった四文字の「おっぱい」ですが、
実際は、泣く→あげる→ちゅっちゅっちゅっちゅっちゅっちゅ・・・
で気づくと一時間経っています。いやホントに。

一日のうち9時間おっぱいあげてたんですね。
そりゃ記憶に「おっぱい」の四文字しか残らないわけです。

そしてオムツ!

尾籠な話で恐縮ですが。
おっぱいしか飲んでいない赤ちゃんは
うんちゆるゆるです。(臭くないよ!)

なので一日に何回もうんちが出るのですが、
ときどき、オムツを取り替えた瞬間に
「ぷりっ」てやるんです。
ああーやられた!
と思ってさらにもう一回オムツを取り替えると、
「ぷりりっっ」
おかわりかっ!!
いわゆるわんこオムツ(我が家の用語です)。

「・・・にこっ」
そういう時に限って、いい笑顔をサービスしてくれます。
こちらもオムツの替えがいがあるというものです。

というわけで、この頃までは毎日
「おっぱい」「オムツ」の日々です。
が、手際も良くなってきて、
ぼちぼちおでかけしたり友だちを家に呼んだりして
育児生活をエンジョイし始めた頃でもあります。

そう、みんなに美少年赤ちゃんすーさんを
お披露目する時がきたのだ・・・!!

と思ったら、なんか美少年がデブになってた。

◇生後2カ月の体重:6200グラム

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0歳1カ月の育児のはなし。

お酒はお好きですか?

私は大好きです。
大 好 き です!!!

ですが、妊娠中の飲酒は禁物。
すこしくらいならOKという
お医者さまもいらっしゃるようですが、
私は飲み出すと止まらないタイプです。
0か100!という飲み方しかできません。
ですので、当然ですが、完全禁酒をしました。
胸を張って言うことではありませんが。

会社の先輩で、やはりお酒大好きで
妊娠中ガマンにガマンを重ね、
産んだ数時間後に聖路加から銀座へ繰り出したという
傑女がおります。
是非とも見習いたい!と思っていましたが
私はベッドから立ち上がることもできませんでした。
無理。出産直後は、無理!!

というわけで産後の初!お酒!は
お七夜で一杯だけ。

その後、お酒入りの母乳は絞って捨てます。

母乳って、赤ちゃんに吸ってもらうのと
自分で絞るのとではやっぱり違うんですね。
前者はしあわせ~な気分になるんですが、
後者は、痛い。痛いんだよ。

というわけで、しばらくは禁酒が続いたのでした。

◇生後1ヶ月の体重:4400グラム

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0歳0カ月3日目の育児のはなし。

赤ちゃんが生まれる前の心配で多いのが、
「おっぱい、ちゃんと出るかな?」
だそうです(個人調べ)。
しかし私は母乳に関して、
まったく心配していませんでした。

 なぜなら・・・ 

私、巨乳になっていたから!

この世に生を受けて30年、
ずっと平らだった胸に、
な、なんと、谷間が出現したのです!わお。
こんなにでかいのだから、
母乳が出ないワケがない!
と、根拠の無い自信に充ち溢れていたのです。

 そして産後です。

 ぜんっぜん、出ないんだな。これが。

 あまりに出ないものだから、
すーさん(うちの息子の仮名です。釣りバカではない)も
おっぱいくわえさせると息苦しくて大泣きです。
赤ちゃんは産後数日で体重が少し減るのですが、
すーさんはちょっとやばいぞ、というギリギリまで
体重が落ちてしまいました。
生まれて最初にやったのが断食です。申し訳ない。

みかねた助産師さんが
「おっぱいマッサージしますねー」
とかわるがわる来てくださるのですが、
こ れ が 痛 い !!
マッサージではなく、乳搾りです。
お笑い芸人さんがよくやる「乳首に洗濯バサミ」より
過酷かもしれません。比べてませんが。

というわけで産後の入院生活5日間は、
ほぼ不眠不休で乳搾りでした。
手加減無用の助産師さんたちのおかげで、
退院までには少なめですが母乳が出るようになりました。

あの時の助産師さんたち、ありがとうございました。
みなさんの笑顔、忘れません!!
ホントにホントに痛かったです!!!

これから出産を迎える方がいらっしゃったら、
是非とも、早めのおっぱいマッサージをおススメします。
胸の谷間に浮かれてる場合じゃありませんよ!

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0歳0ヶ月の育児の話し

みなさんこんにちは。
薄組の石橋涼子です。

いきなり何の記事?
と驚かれていることと思います。

実は私、1歳1ヶ月の子ども(美少年)を
育てております。
美少年です。かわいいです。毎日はぐはぐしてます。

という話しを厚焼玉子さんに延々としていたところ、
なんと、Visionに連載の枠を設けて頂けたのです。
光栄です!
玉子さんが、親バカ話しを聞くのが
めんどくなっただけかもしれませんが。

いや、とにかくですね。
せっかく連載枠を頂いたのだから、
すでに親になった人にも、これから親になる人にも、
ちょっとだけ「あるある」「なるほど」「へえー」と
感じて頂けるお話しができたらいいなと思っています。

赤ちゃんの生態は日に日に変化するので、
記事タイトルは月齢にしようと思います。
この頃の赤ちゃんって、こうなのね、と。

ゆるやかに連載する親バカコラムになると思いますが、
何卒よろしくお願いいたします。

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石橋涼子 12年9月2日放送


Fernando Stankuns
果物のはなし 古賀稔と渥美清のバナナ

独特の節回しと愉快な口上で人々を楽しませる
バナナのたたき売りにプロがいることは、あまり知られていない。
そのひとり、古賀稔は、50年以上前から
九州・中国地方を渡り歩いてバナナのたたき売りをしている。

遠い昔のある日、古賀の前にひとりの男がふらりと現れた。
ちょいと教えてくれよ。
と声をかけてきたので、ちょいと教えてやったのだと言う。

その男は、フーテンの寅さんこと、若き日の渥美清だった。


new-york-city
果物のはなし 世界一有名なリンゴ

1700年代後半、
ひとりの若者がカナダの開拓地に移住した。
彼は、森で見つけた野性のリンゴの木を
庭に植えかえて育てることにした。

若者はやがて父になり祖父になり、
たった一本だったリンゴの木もていねいな接ぎ木によって
一族を増やしていった。
いつしかそのリンゴはアメリカでもっともポピュラーな品種になった。

そして1980年、
ひとりのエンジニアが開発中のマシンに
好物のリンゴの名前をつけた。

リンゴの名前は
最初の一本を育てた若者にちなんで
マッキントッシュという。
2012年の今、世界でもっとも有名なリンゴだ。

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石橋涼子 12年8月19日放送



部活の話 山口良治の涙

無名の工業高校ラグビー部を
全国屈指の強豪校へと育て上げた
ラグビー部顧問、山口良治(よしはる)。
ドラマ「スクールウォーズ」のモデルと言ったほうがわかりやすい。

彼のモットーは
 99%信じても、1%の不安があったらその通りになる。
 100%信じきる事が大切。

信じることが力になる。そんな熱血先生の
もうひとつのあだなは、泣き虫先生だった。



部活の話 千田(ちだ)健一の五輪

千田(ちだ)健一は、
1980年モスクワオリンピックで
フェンシング代表に内定していたが、
日本が五輪をボイコットしたため、
幻の代表となってしまった。
その後、高校でフェンシング部顧問となり
何度も全国制覇を成し遂げたが、
五輪には複雑な感情を抱き続けた。

そんな千田(ちだ)の前にひとりの選手が現れた。
長男の健太だった。
部活の顧問と選手として、徹底的に鍛えた。
そして2008年、健太が北京五輪に出場したとき、
ようやくこう思えたという。

 来られて良かった。

千田の自宅には、今でも幻となった
五輪代表認定証が飾られている。

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石橋涼子 12年7月8日放送



2. 冒険の話 柳田國男

本を読むということは、大抵の場合において冒険である。
だから又、冒険の魅力がある。

こう語ったのは、
日本民俗学の祖として知られる柳田國男。
彼は子どもの頃から
膨大な量の書物に囲まれて育ち、
読書とともに大人になった。

そして、大人になるにつれて痛感するようになったのは、
書物だけで学ぼうとしたら一生かかっても足りない、
という事実だった。

柳田國男は、若干44歳でエリート官僚の道を退いた。
日本中の民間伝承を自分の足で探す冒険に出るためだった。

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石橋涼子 12年7月8日放送



6. 冒険の話 ソーントン・ワイルダー

冒険をしたいなあと思っているのは、
家にいて何事もないときである。
いざ冒険している時には、家にいたいなあと思う

こう語ったのは、アメリカの劇作家ソーントン・ワイルダー。
派手で社会的な演劇が流行した1930年代のアメリカで、
彼は、平凡な人々の平凡な日常を描き続けた。

しかし、そこでワイルダーが描いているのは、
私たちが平凡だと思っている日常が
いつもそばにあるものではなくて、
今ここにしかないものである、という事実だ。

今ラジオを聴いているあなたの日常も
今ここにしかないのと同様に。

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石橋涼子 12年6月17日放送


Saperaud
夫婦のはなし 辻邦生と辻佐保子

辻邦生(つじくにお)は学生時代に恋をして、

後の佐保子(さほこ)夫人と結婚した。



夫婦でパリに留学したのち、

夫は文学賞を受賞して小説家となった。

妻は美術史を研究し、学者になった。



辻邦生の小説が、独自の世界観を持ちながらも

歴史的背景がしっかりしているのは

妻・佐保子の存在あってこそだった。

ふたりで作り上げた小説は、夫婦にとって

子どものようなものだったのかもしれない。



なにしろ、辻邦生の代表作「反教者ユリアヌス」などは

夫婦の間で「ユリちゃん」と呼ばれ
愛されていたというのだから。

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