うたのはなし 口ずさむうた
いいうたって、なんだろう。
歌詞もメロディもうろ覚えのうたは、
いいうただろうか。
ひとりで運転しているとき、
料理をつくっているとき、
誰かを待っているとき、
口ずさむ、うた。
うまくもない、正しくもない
けれど、100%自分のためのうた。
心理学者であり哲学者でもある
ウィリアム・ジェームズはこんな言葉を残した。
人は幸せだから歌うのではない。
歌うから幸せなのだ。
今日、あなたはどんなうたを口ずさみましたか。
うたのはなし 口ずさむうた
いいうたって、なんだろう。
歌詞もメロディもうろ覚えのうたは、
いいうただろうか。
ひとりで運転しているとき、
料理をつくっているとき、
誰かを待っているとき、
口ずさむ、うた。
うまくもない、正しくもない
けれど、100%自分のためのうた。
心理学者であり哲学者でもある
ウィリアム・ジェームズはこんな言葉を残した。
人は幸せだから歌うのではない。
歌うから幸せなのだ。
今日、あなたはどんなうたを口ずさみましたか。
わたしのはなし ヘルマン・ヘッセと内面性
わたしとは、なんだろう。
詩人でありノーベル文学賞作家でもある
ヘルマン・ヘッセ。
苦悩の多い人生からか、
わたしとは何か、を問いかけるような
文学作品を多く残している。
ヘッセは繊細で静かな文章で、
青春の悩みや人間らしい弱さを描いたが、
それはときに、悩める読者の希望となった。
書物というタイトルの詩で、ヘッセはこう語る。
君自身の中に、
君が必要とするすべてはある。
「太陽」も「星」も「月」もある。
君の求める光は、
君自身の内にあるのだ。
ヘッセの元には、世界中の悩める読者から
何千通もの手紙が届いた。
彼は、仕事の時間を割いて、
ひとつひとつに返事を書き続けたという。
nhojjohn58
わたしのはなし リトル・ミイの顔
わたしとは、なんだろう。
ムーミン谷に住む小さな女の子、ミイ。
怒りっぽくて口が悪いけれど、
彼女は、自分というものを知っている。
あるとき、自分に自信が持てなくて、
とうとう姿が消えてしまった仲間に
ミイはぴしゃりとこう言った。
それがあんたのわるいとこよ。
たたかうってことをおぼえないうちは、
あんたには自分の顔はもてません。
小さなミイは、
まったくもって彼女らしい顔で、よく笑う。
呼吸のはなし 勝海舟と呼吸
勝海舟。
ご存知の通り、江戸無血開城の立役者のひとりだ。
官軍の江戸総攻撃が目前に迫るなかで
最後の将軍徳川慶喜に幕府の幕引きをまかされた。
様々なプレッシャーのもと、
時代の空気を読み、気迫を持って、
和平交渉を成立させた勝海舟の気苦労はいかばかりだったろうか。
勝海舟の晩年の談話を集めた
氷川清話(ひかわせいわ)には、
こんな言葉が収録されている。
ところで気合いとか呼吸とかいっても、
口ではいわれないが、
およそ世間の事には自ら(おのずから)
順潮(じゅんちょう)と逆潮(ぎゃくちょう)とがある。
しかしこの呼吸が、いわゆる活学問(いきがくもん)で、
とても書物や口先の理屈ではわからない
呼吸のはなし 岡本太郎の深呼吸
0年代、岡本太郎が、とある青年誌で
まことに岡本太郎らしい人生相談を
していたのはご存知だろうか。
健康について聞かれた回では、こんな言葉を残している。
健康法なんか考えないことがいちばんの健康法だと思っている
もちろん、逆説をとなえるだけでは終わらないのが、岡本太郎だ。
続きは、こう。
思いっきり新鮮な朝の空気を吸い込むと、
青空が体に染み込んで、
一日のエネルギーが沸いてくる喜びを感じる。
これが僕の生きがいだね。
Querfeld GesmbH
喫茶の話 ツヴァイクとウィーンのカフェ
2011年に、ユネスコの無形文化遺産に登録された
ウィーンのカフェ文化が花開いたのは、19世紀後半だ。
その頃のカフェには、政治家から、音楽家、
演劇家、芸術家、文学者など、様々な種類の人が集った。
逆に言えば、集う客の種類によって、
その店の個性が育まれたとも考えられる。
例えば、
建築家アドルフ・ロースが設計したカフェ・ムゼウムは
画家のクリムトを始めとする芸術家や建築家たちが集まり、
新しい時代のデザインについて語り合った。
ブルク劇場のそばにあるカフェ・ラントマンは、
役者や政治家が多く集い、
エレガントな雰囲気を売りにした。
当時のウィーンで裕福なユダヤ人家庭に生まれ、
後に亡命せざるを得なくなった作家のツヴァイクは
後年、若かりし頃のウィーンの文化を回想して、こう語る。
あらゆる新しいものに対する最良の教養の場は、
常にカフェであった。
コーヒーと共に、多くを学べる場でもあった
19世紀末のウィーンのカフェからは、
ウィーン分離派や合理主義、青春ウィーン派など
多くの文化が巣立った。
nicocarver
喫茶の話 トルコ・コーヒーの価値
水から煮たてたコーヒーの、上澄みだけを飲む
トルコ・コーヒーを、ご存知だろうか。
トルコで一般的な飲み物と言えばチャイだが、
おもてなしの際にふるまわれるのは、トルコ・コーヒーだ。
美味しいトルコ・コーヒーは、
つくるのに手間と時間がかかるのだ。
トルコには、こんな古いことわざがある。
一杯のコーヒーには40年の思い出がある。
それだけの想いを込めて淹れているとも、
その味はずっと記憶に残るとも、解釈できる。
ayumew
鍋の話 大人のためのどぜう鍋
江戸時代から庶民に親しまれてきた鍋といえば、
どじょう鍋がある。
うなぎ一匹、どじょう一匹
という古い言葉があるように、どじょうの小さなあの体には
うなぎ一匹に匹敵する栄養が詰まっているらしい。
鍋料理として確立したのは、1800年代、
11代将軍徳川家斉のころだ。
どじょうを捌いて煮込み、卵でとじたものが柳川鍋。
どじょうを酒に漬けて酔わせてからまるごと煮込むのが、
どじょう鍋。
どじょう鍋を考案したのは、浅草にある
駒形どぜう(読みはどじょう)の店主・越後屋助七で、
彼は「ど、じ、よ、う」の4文字が正しい仮名遣いのところ
「ど、ぜ、う」の3文字にしたことでも知られている。
4文字は縁起が悪いから、というのが理由だ。
そのおかげか店は繁盛し、他の店ものれんや看板に
「どぜう」と書くようになったという。
作家の池波正太郎は、どぜう鍋を食べに
数えきれないほど通ったと言うが、
初めて食べたときのことはこう振り返っている。
何か一人前の大人になったようで、いい気分だったのである
初めてだと戸惑う人も多い見た目のどぜう鍋だが、
大人の料理だと考えると、一層魅力的に見える。
cyclonebill
鍋の話 小津安二郎のカレーすき焼き
名監督小津安二郎は、食べることが大好きで、
自ら料理もした。時折、撮影後のスタッフに
「カレーすき焼き」なるものを振る舞ったという。
とある女優は
こんなにおいしいものはない
と言ったといい、
とある俳優は
誰がカレーをいれたんだ
と言って怒ったという。
美味しさの真偽のほどは定かではないが、
ぜひ味見させて頂きたい鍋ではないだろうか。
大晦日の話し 正岡子規の大晦日の一句
明治28年の今日、
正岡子規は根岸の家で療養中だった。
この年の春、日清戦争に従軍記者として赴くも、
帰りの船で喀血し、一時重体に陥った身だ。
しかし大晦日のこの日は、かねての約束通り
松山から夏目漱石が訪れ、高浜虚子もやってきたのだった。
まだ確たる地位も名声もない20代の若者が集まり
温かいこたつを囲んだ賑やかな年の瀬。
子規は、健康や将来への不安を一時忘れたに違いない。
この日に詠んだのは、飾らない歓びそのままの一句だ。
漱石が来て 虚子が来て 大三十日(おおみそか)
今日は大晦日。
2017年最後の日。
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