薄組・茂木彩海

茂木彩海 13年2月3日放送



ユーモアの話 長新太のユーモア

たくさんのユーモアを描いた絵本作家、長新太。
彼の死後に出版された絵本「プアー」は、
息を吸うとしっぽと耳と鼻が膨らんで、「スー」と息を吐くと元に戻る犬の物語。

 プアー
 スー
 もとに もどったよ ワン

深呼吸するみたいに、たまには力の抜けたユーモアを。

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茂木彩海  13年1月20日放送



夢のはなし 黒澤明の理想

こんな夢を見た。
“私”は、美術館に飾られたゴッホの絵に魅せられている。
ふと気付くとそこは絵の中。
歩いていくうち、やがてゴッホと出会う。
「鴉のいる麦畑」の中を歩く彼の前を沢山の鴉が飛び立つ、その瞬間。
“私”はまた、何事も無かったかのように
展示会場のゴッホの絵の前に立っているのだった。

黒澤明が自分の見た夢をモチーフにつくった映画、『夢』。
第五話の「鴉(からす)」では、黒澤が尊敬するゴッホが現れる
幻想的な夢が描かれている。

現実には出会えない、誰かと出会う。
それも夢の醍醐味。
もし大好きな人と夢の中で出会えたら、あなたならどんな言葉を交わすだろう。

ちなみに黒澤は、夢の中のゴッホにこんな台詞を言わせている。

「絵になる風景を探すな
 よく見るとどんな自然でも美しい
 僕はその中で自分を意識しなくなる
 すると自然は夢のように絵になっていく」

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茂木彩海 12年12月23日放送


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愛のはなし 向田邦子と向田和子

たとえ家族でも、この世で出会えたことは奇跡だ。

昭和の時代、心の機微を描いた作家。向田邦子。
そんな彼女だからこそ、
身近な人に掛ける言葉は、その視線は、
とてもあたたかく、家族からも愛されていたという。

特に妹の和子は、邦子の一番のファン。

仲のよかった2人は、昭和53年、一念発起し
東京都港区赤坂で小料理屋「ままや」を開店した。

コンセプトは、「女性が一人でも気軽に寄れるお店」。

「鯵の干物とポテトのサラダ」や、「さつま芋のレモン煮」など
他のお店にはちょっとないような、
料理好きだった二人が楽しみながら試行錯誤してつくったお惣菜の数々が並んだ。

家族という一番身近な存在だったからこそ
なかなか伝えられないありがとう。

この2人だって、例外ではないけれど、
ある日、一緒に食事をした帰り道。
交差点で信号待ちをしている時に邦子は、和子にこう言った。

あなた本当にいいやつだねって、
私、ずっと思ってるんだよ。

照れながら、何気なく。
この冬こそ、身近な人に愛の言葉を。

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茂木彩海 12年12月23日放送


geminicollisionworks
愛のはなし イングリッド・バーグマン

最も偉大な女優50人に選ばれた
イングリッド・バーグマン。

21歳で結婚するも、映画監督
ロベルト・ロッセリーニの作品を見て
その才能に惚れこみ、仕事と家庭を捨てて愛に生きた。

そんな彼女の代表作。
「誰がために鐘は鳴る」の中にこんな台詞がある。

 私はまだキスした事がないのよ。鼻をどうするの?

恋愛だって受け身にならない。
いつの時代もいい女の定義は、きっといっしょ。

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茂木彩海 12年11月04日放送


Wasfi Akab
空のはなし 福島の空

今年の夏に行われた福島ビエンナーレ。
震災復興祈念事業として行われたこの芸術の祭典のテーマは、「SOLA」。

世界から集まった芸術家の中には、
オノ・ヨーコの名前もあった。
彼女は呼びかけた。

 布などに空の絵を描いて
 全部の空をつなげて
 ひとつの大きな空にしましょう。

 それは、育ち続けます。
 それは、広がり続けて
 高みに届くでしょう。

 空は遥か遠くにあるのではありません。
 空は私たちのところに降りてくるのです。

彼女が書いた「福島のための空の曲」。
それは空ほどの大きなものだって
手に届かないものなどないと、教えてくれた。

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茂木彩海 12年11月04日放送



空のはなし オウムの空

空を飛ぶ鳥を見ると、つい思い出す。
ライト兄弟の兄、ウィルバー・ライトの言葉。

 言葉をしゃべる鳥はオウムしか知らない。
 オウムはあまり高く飛べない。


言葉を忘れて、頭をからっぽにして、ただ風に身を任せてみる。
そんな時、わたしたちはいちばん空に近いのかもしれない。

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茂木彩海 12年10月7日放送



色のはなし  黒澤明の椿

巨匠、黒澤明は色にもこだわる監督だった。
昭和37年公開、モノクロ映画『椿三十郎』。

撮影中、黒澤はふと思う。
椿の花だけ、赤くできないだろうか

そこで、赤い椿をすべて墨で黒く塗り、
白い椿とのコントラストを強めることで白黒の世界に、
赤い椿を咲かせてみせた。

色だって型にはめない。それが黒澤流。

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茂木彩海 12年10月7日放送



色のはなし 色の住人ポロック

床に広げた紙に、筆につけたペンキを上から垂らしたり、
飛ばしたりしながら
その色を重ねて、絵画にしていく。
今だからこそよく見られる、ポーリングという技法。
この技法を一番最初に使用し、世界を驚かせた画家がいる。

ジャクソン・ポロック。
44歳でこの世を去った、アメリカを代表する画家。

画家としての活動をはじめてから間もないころ、
ある仕事で、尊敬していたメキシコ壁画運動を行う作家の助手を務め
巨大な壁にスプレーやエアブラシで描くその姿に唖然とした。

直接筆を持ってキャンバスに向かえば、
どうしたって意識的に線を描いてしまう。
筆を地面に着けずに色だけを落とすことで
無意識の世界が描けるのではないか。

そうしてポーリングという技法にたどり着いたポロックは、
ついにアメリカ抽象絵画の頂点に立つ。

このころ描かれた伝説の最高傑作
「インディアンレッドの地の壁画」には、
現在200億円の値が付けられている。

ポロックは言う。

 絵のまわりを歩き、四方から制作し、
 文字通り絵のなかにいることができるのだから、
 わたしは絵をより身近に、絵の一部のように感じられる。

色の中に住む画家ほど、
画家に嫉妬される者はいないだろう。

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茂木彩海 12年9月2日放送



果物のはなし 角田光代と梨

忙しくなると、めっきり果物を食べなくなる。
バナナのように簡単に皮がむけるものはさておき、
りんごや梨など秋の果物は、冷やしたり、切ったり面倒だ。

梨好きの作家、角田光代は、果物は娯楽であると言いきる。
ごはんや野菜と違って食べなくともなんの支障もない。
だからこそ、果物には、毎日の余裕があらわれる。

角田は言う。
「そんなに駆けまわらず、あくせくせず、優雅に梨の皮を剥きたいものです。」


rocky
果物のなはし 吉本ばななとバナナ

新人文学賞選考委員の中村真一郎は、
なによりもその「途方もない筆名」に驚いたという。

吉本ばなな。

学生のころアルバイトをしていた喫茶店でバナナの花を見かけた彼女は、
その姿、形に一目ぼれ。
「あんなに大きくて変なものがこの世にあるなんて、それだけで嬉しい」

ばななのそんな感性に出会いたくて、
今日も誰かが、彼女の本を手に取るのだろう。

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茂木彩海 12年8月19日放送



部活の話 川越高校の水泳部

埼玉県、川越高校。

明治32年に創立され、105年の歴史を誇る、
埼玉県有数の進学校にして、硬派な男子校。

ここに、映画「ウォーターボーイズ」のモデルとなった
水泳部男子シンクロチームがある。

チーム誕生の理由は、ただ、女の子にモテたかったから。

とはいえ本業は、あくまでも『競泳』の彼ら。
1、2年生は、夏休みの午前中は競泳に、
午後は夜8時までシンクロの猛練習。
3年生は、進学校だけに、「受験勉強」との両立に悩まされる。

シンクロだって遊びでやってるわけではなかったが
本人たちはそろって「シンクロ部じゃなくて水泳部」と口をとがらせた。

そんな彼らについて、映画監督の矢口史靖はこう語る。

 たった一度変わるだけで、その先に大きな広がりがあったりする。

水泳部がシンクロをやる。その変化こそが、
彼らの青春を、とんでもなくキラキラと輝かせたのだろう。



部活の話 阿木 燿子の合唱団

作詞家、阿木 燿子。

8年前、思い立ってアマチュア合唱団をつくった。
今では下は16歳から、上は84歳まで
約80人のメンバーが活動している。

作詞家の自分が書いた歌を歌う。

今までと違うことをやるのは面倒でも、
心にしたがって、やってみる。
そんな彼女の決意の言葉。

 ひらめきを、信じる。

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