薄組・茂木彩海

茂木彩海 18年5月27日放送

180527-04
Christopher.Michel
うたのはなし くじらのうた

いいうたって、なんだろう。

ザトウクジラはラブソングを歌うことで知られているが、
決まった時期にみんなが口ずさむ流行のうたがあったり、
その曲にアレンジを加えてみたり、
歌い終わるのに1日かかるうたもあるのだという。

どんなラブソングも、自分らしく歌い上げること。
いいうたの極意を、くじらのうたから学んでみる。

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茂木彩海 18年5月27日放送

180527-05
しらたきあおい
うたのはなし 小沢健二のうた

いいうたって、なんだろう。

「渋谷系」の言葉に代表されるアーティスト、小沢健二。
1995年、人気絶頂の中リリースされたうた「さよならなんて云えないよ」。

タイトル通り、この曲には「さよなら」という言葉は一度も登場しない。

それでも、別れが近いことをお互いが感じ取っている
その切ない様子が、つとめて明るく描写される。

別れは美しくもある。
彼なりの美学が、このうたには込められている。

♪”オッケーよ”なんて強がりばかりをみんな言いながら
 本当は分かってる2度と戻らない美しい日にいると
 そして静かに心は離れてゆくと

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茂木彩海 18年4月29日放送

180429-07

わたしのはなし 吉田松陰の答え

わたしとは、なんだろう。

この難しい問いに、武士でありながら
思想家であり教育者でもある吉田松陰は、こう答えている。

 体は私なり。
 心は公なり。

目に見えている物体としての体がわたしなのであり
こころは、わたしのものではなく、
誰かのため、公のためにつかうものだと。

心と体、2つの視点から自分を見るとき、
わたしとは何者か、深く理解できるのかもしれない。

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茂木彩海 18年4月29日放送

180429-08

わたしのはなし フェリーニのわたしらしさ

わたしとは、なんだろう。

もう終わりだと思うのも、
さあ始まりだと思うのも、
どちらも自分だ。

 「映像の魔術師」の異名を持つ映画監督、
 フェデリコ・フェリーニの言葉である。

流行りに流されることなく
次々と新しい映画作りに挑戦することで
独自のスタイルを築いたフェリーニ。

わたしがどう感じるか、
その感覚を一番大切にして生きてみれば
もっとシンプルに、わたしらしさが見えてくる。

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茂木彩海 18年3月25日放送

180325-07

呼吸のはなし 書道家の呼吸

 吐く息がすーっと溶け込み、吸う息が自然に体に流れ込んできて、
 溶け合うことを入我我入と言うんです。
 自然に息を吸って、その息が自然に出て行くように毎日を過ごしていれば、
 どこかに行き着くのだと信じているのです。

御年97歳の書家、関頑亭(せきがんてい)の言葉である。

生きることは呼吸をすること。
流れる筆のようなしなやかな呼吸が、健やかな心と体の糧となる。

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茂木彩海 18年3月25日放送

180325-08

呼吸のはなし ぜいたくな呼吸

いい役者には空気を変える力があるとはよく聞くが、
その場の空気を一緒につくりあげる、それが舞台役者なのかもしれない。

歌舞伎役者、中村勘九郎は「四谷怪談」でお岩さんを
演じたときのことを、こう振り返る。

 舞台の上でお客さんの呼吸が聞こえるくらい集中してくれた。
 私はぜいたくにも舞台と客席がいまひとつになった瞬間を感じ取った。

一緒に息をのんで、一緒にホっとため息をつく。
その一体感こそが舞台を楽しむ醍醐味なのだろう。

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茂木彩海 18年2月25日放送

180225-07
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喫茶の話 中上健次と喫茶店

喫茶店とは不思議なもので、
職場では一切手につかなかった仕事や、まとまらなかった考えが
ここへ来るときれいに片付いたりする。

作家、中上健次も喫茶店に助けられた小説家のひとり。

特に通ったのは新宿中央公園近くにある「ブラジル館」。
新宿で夜通し飲んだ中上は、夜が明けるとブラジル館に現れ、原稿を書いたという。

 『コーヒーひとつ』とウェイトレスに頼む。
 その時から、区切りをつけて店を出るまで、私は一種の催眠状態にいる。

誰にも邪魔をされない自分だけのサンクチュアリを求め、
今日も誰かが喫茶店の扉をひらく。

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茂木彩海 18年2月25日放送

180225-08

喫茶の話 カフェの4つの自由

16世紀に生まれた「カフェ」はもともと
お茶を飲む場所というより、人々が自由に交流する
社交場の意味合いが強かったと言われている。

 居続けられる自由
 思想の自由
 時間的束縛からの自由
 そして振る舞いの自由

カフェ研究家、飯田美樹が定義するカフェの4つの自由。

友人と普段できない真面目な話をするもよし。
恋人と見つめ合うもよし。
時間を忘れて好きな本を読むのもいい。

おいしいお茶と居心地の良い空間。
それさえあれば人はいつでも自由になれる。

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茂木彩海 18年1月28日放送

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yoppy
鍋の話 宵から食べる宵夜鍋

ホウレンソウと豚肉を鍋に入れて
醤油かポン酢でいただく。

あまりに簡単すぎて料理店では出ることの無い
「宵夜鍋(じょうやなべ)」。

「宵夜鍋」の「じょう」には毎日食べられるという意味で「常(つね)」
という漢字を当てるのが一般的だが、
かの食通、魯山人の著書では、宵のうちから食べ始めても夜じゅう
食べ続けてしまうことから、「宵(よい)」の漢字を当てている。

いいかね、料理は悟ることだよ、拵(こしら)えることではないんだ。

魯山人が言うように、
丁寧に作られたものよりも、シンプルで素朴な味付けが、
時に究極のレシピとなるのだろう。

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茂木彩海 18年1月28日放送

180128-08
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鍋の話 韋駄天コタツの豆乳鍋

森見登美彦の小説の中には
常軌を逸したモノが入った闇鍋や、
とてつもなく辛いのに綿入れを着ながら食べなければならない火鍋など
個性的な鍋が数多く登場する。

ベストセラーとなった小説
「夜は短し歩けよ乙女」の作中には
屋外で通りがかる人を炬燵に誘い、豆乳鍋を無許可でふるまう
「韋駄天コタツ」と呼ばれる神出鬼没な集団が描かれる。

この韋駄天コタツ、実はその昔
京都大学に実在したと言われている。

寒空の下こたつに入って食べる豆乳鍋とは、どんなものか。
そのやさしい味を、いつか味わってみたいものだ。

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