薄組・薄景子

茂木彩海 19年2月24日放送


KYR
雪のはなし かまくらの歴史

いまではそのほとんどが雪遊びとして作られるかまくらだが、
もともとは東北地方に伝わる五穀豊穣を祈る伝統行事。
四角い雪の家をつくり、そのなかに祭壇を用意して、
水神様をお祀りしていたのだという。

そんなかまくらが、
四角い屋根だと雪が積もった時に危険という理由から
丸い屋根になったのは昭和34年ころ。

ドイツ人の建築家ブルーノタウトは、この時はじめてかまくらを目にし
小さい子供たちがかまくらから出たり入ったりしながら遊ぶ様子を
まるで夢の国のようだと絶賛し、
それから世界中の観光客が、この不思議なかまくらを見に
日本を訪れたのだという。

湿気が多い日本の空気だからこそ作れるかまくら。

偶然と歴史が生んだ贅沢な遊びを
いまの子供たちも、楽しんでくれるだろうか。

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小野麻利江 19年2月24日放送


KrisNM
雪のはなし ケプラーと雪の結晶

自然の産物であるにもかかわらず、
雪の結晶は、かならず正六角形。
その形がつくる美しさに、
人は古くから魅了されてきた。

雪のスケッチとして最も古いものは、1550年ごろ。
スウェーデン人のマグヌスによる記録。
三日月のような形や、
クラゲのような形のスケッチが残っている。

マグヌスの時代にはまだ、
雪の結晶は、肉眼か虫眼鏡でしか
観察することができなかったが、
1600年代に入ると、顕微鏡が登場。
観察の精度が飛躍的に高まった。
雪の結晶が「かならず」正六角形になることを
発見したのは、
ドイツの天文学者、ヨハネス・ケプラー。
なぜ六角形になるのか。
その理由の推論を記した小冊子を、
友人やパトロンに送っている。

望遠鏡で、はるか宇宙を観測しながら。
ケプラーは、顕微鏡のレンズの先にも、
小さな宇宙を発見していた。

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薄景子 19年2月24日放送


SeanJCPhoto
雪のはなし 鳴き雪の音

雪の上を歩くときに聞こえる、かわいい踏み音。
まるで雪が鳴いているように聞こえることから
「鳴き雪」というらしい。

その音は、雪の質や、気温や湿度、靴や踏み方によって、
楽器のように変化し、気温が低いほど高音になるという。
キュッキュッ、ギュッギュッ、サクサク、ザクザク。
どの音にも親しみを感じるのは、
鳴き雪の音が、人間の声の周波数に近いからかもしれない。

季節の音に耳を澄ませ、その微細な変化で
新しい季節の訪れを知る。
雪の音、風の音、せせらぎの音。
耳を澄ませば、少しずつ、春は近づいている。

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小野麻利江 19年2月24日放送


nyanchew
雪のはなし 雪と花

平安時代の歌人、
素性法師(そせいほうし)が詠んだ、雪の和歌。

 春たてば 花とや見らむ 白雪の
 かかれる枝に うぐひすぞなく

白雪が降りかかった枝で、うぐいすが鳴いている。
立春も過ぎたので、
白い雪が、花に見えているのだろうか。

雪を散る花に例えるのは、和歌の通例だが、
春を待ちわびる気持ちを、
素性法師が、せっかちなウグイスに
託したように思える、そんな和歌。

今日は2月24日。春はきっと、遠くない。

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茂木彩海 19年1月27日放送



お茶のはなし イギリスのお茶文化

お茶文化を代表する国、イギリス。

ヴィクトリア朝時代の元首相、
ウィリアム・グラッドストンはかつて、紅茶にまつわるこんな言葉を残した。

 紅茶は、
 寒いときには、温めてくれるでしょう。

 気分が落ち込んでいる時には、元気づけてくれるでしょう。

 気分が高ぶっている時には、落ち着かせてくれるでしょう。

1日7回ものティータイムを過ごすと言われるイギリス人。

回数こそ敵わないが、
お茶が欲しくなる瞬間は、案外どこの国でも変わりないようだ。

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熊埜御堂由香 19年1月27日放送


Teddy Song
お茶のはなし 茶柱の奇跡

縁起がいい茶柱が立った。
お茶の時間に稀に起こる奇跡だ。
実際、ここ最近、茶柱に出会った
経験をしたひとは少ないのではないだろうか。

それもそのはず、
まず、茶葉に入っているお茶の茎が
急須の網の目をかいくぐり、湯飲みに入ること
自体が珍しい。

さらに最近の急須は、その手前で
茎をストップさせる網の目の細かい茶こしがセット
されていることも多い。

さらに、背伸びしてちょっと高いお茶に手を
伸ばしても、茶柱は遠ざかる。

茶柱の縁起担ぎは、
駿河の茶商人が、質が劣る茎茶を売るための
セールストークだったという説がある。

贅沢なお茶ではなく、番茶や茎茶を家で飲む。
そんなありふれた日常に、茶柱が小さな幸せを呼び込む。
とても温かなジンクスだ。

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石橋涼子 19年1月27日放送



お茶のはなし 源実朝の二日酔いとお茶

鎌倉幕府第3代将軍、源実朝。
北条家の庇護のもと若干12歳で征夷大将軍に任ぜられた。
と言うと華々しいが、実際は、
北条家による執権政治の始まりであった。

政治への関与は許されない一方で、
周囲には暗殺やクーデターの気配ばかり。
若いころから好きだった文学趣味と、
お酒に救いを求めたのも無理からぬことかもしれない。

『吾妻鏡』には、
連日の深酒による二日酔いに苦しむ
実朝のエピソードが記されている。
臨済宗の僧・栄西が二日酔いの将軍を見かねて、
お茶を献じたのだという。
さらに、栄西自らお茶の効能を説いた『喫茶養生記』を
将軍に献上したことで、
武家社会にも喫茶文化が広まった。
当時すでに、お茶に含まれる
ビタミンCやカフェインなどの効能は
知識階級に知られていたのだ。

鎌倉幕府成立から北条政権への過渡期に翻弄された将軍は
お茶の効能だけでは救われなかった。
歌詠みとしても知られる源実朝だが、
28歳の若さで身内に暗殺され
今でもその才能を惜しまれている。

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石橋涼子 19年1月27日放送



お茶のはなし 参勤交代とお茶菓子の発展

ホッと一息つける、お茶の時間。
温かいお茶の隣に欠かせないのが、お茶菓子。

日本各地には、銘菓と呼ばれる
地元ならではのお茶菓子があるものだ。
この発展に、江戸時代の参勤交代が
関係しているのをご存知だろうか。

一年おきに、各地の大名が
江戸と領地を行き来する参勤交代。
将軍への献上品に始まり、
江戸での贈答品や茶会用にと、
土地にちなんだお茶菓子づくりが奨励された。

名物に旨いものあり。
たまには地元の銘菓とホッと一息、
お茶の時間をどうぞ。

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小野麻利江 19年1月27日放送


Patrick Vierthaler
お茶のはなし 千利休のコミュニケーション論

茶人・千利休。
茶道の祖として日本の伝統に
大きな影響を及ぼした彼は
戦国武将をはじめ、
数多くの弟子を抱えていた。
そんな利休の言葉は、
今もなお含蓄に富んでいる。

 何にても 道具扱ふたびごとに
 取る手は軽く 置く手重かれ

茶道具を持つ時は、軽やかに。
置く時は、丁寧に。
道具を大事に扱いながら
優美な所作を心がけることが、
ともに茶を嗜む人への、
もてなしにも通じる。
茶席におけるコミュニケーション論の、
核心をつく一言だ。

もしも利休が、現代に生きていて。
ビジネス書を出版したとしたら、
きっとベストセラー間違いなしだろう。

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熊埜御堂由香 19年1月27日放送



お茶のはなし ボストン茶会事件

アメリカ独立戦争のきっかけは、
お茶が起こした争いだった。

1773年の「ボストン茶会事件」だ。
当時、イギリスの植民地だった北アメリカで、大流行の紅茶に
一方的な通告で税金がかかることになった。

植民地政策へ不満が募る中、
ボストン港に茶葉を積んだ東インド会社の貿易船が停泊した。
その船を「ボストン港をティー・ポットにする」と叫びながら、
急進派市民が襲撃し、茶箱を海へ投げ捨てた。

この事件は、紅茶の不買運動も引き起こした。
アメリカに、紅茶派よりもコーヒー派が
多いのはそのためだと言われる。
どちら派であっても、お茶には平和が似合う。
お茶を穏やかに味わえる幸せを、今日も感じよう。

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