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奥村広乃 14年1月12日放送


sifone
大人にならない少年

永遠に大人にならない少年、ピーターパン。
彼が、人間界の少女ウェンディと、
ネバーランドで繰り広げた冒険物語は
今も世界中の子どもたちを惹きつける。

ピーターパンの作者、
ジェームス・マシュー・バリーは
こんな言葉を残している。

 幸福の秘訣は、
 自分がやりたいことをするのではなく、
 自分がやるべきことを好きになることだ。

人はいつか成長し、大人になってしまう。
子どものままでいたかったと嘆くのではなく、
大人になった自分を好きになる。
それが、ジェームス・マシュー・バリーの考える
幸せの姿なのかもしれない。

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奥村広乃 14年1月12日放送


Ame Otoko
大人の階段のぼったら

デジタルカメラはたしかに便利だ。
撮った写真をその場で見たり、
世界中に送ることができる。

でも、
写真をたくさん貼った
ずっしりと重みのあるアルバムがなくなるのは
すこし寂しい。

阿木燿子が作詞した
「想い出がいっぱい」には
こんな歌詞がある。

古いアルバムの中に 隠れて
想い出が いっぱい
無邪気な笑顔の 下の
日付は 遥かなメモリー

記憶はやがて薄れるが、
記録は残る。

人生を
振り返る年齢になった日の自分のために、
アルバムを一冊
つくってみてはいかがだろうか。

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奥村広乃 13年12月15日放送



流星群と電話

毎年この時期になると、
双子座流星群が話題にのぼる。

三大流星群のひとつに数えられ、
多い時では、1時間に100個ほどの流星が見える。

天文ショーが世間をにぎわすたび、
せわしなく鳴る電話がある。
国立天文台、広報普及室の電話だ。

天文学者、長沢工(ながさわ こう)の『天文台の電話番』によれば、
流星群出現の時は、問い合わせ電話が特に増え
トイレに立つ暇もないという。

このエッセイが書かれたのは、2001年。
10年以上たち、インターネットが普及したいま。
天文台の電話はどれくらい鳴っているのだろうか。

ただ。
簡単にたくさんの情報が
手に入ってしまうからこそ、
専門家に深い話を聴きたくなる。
そんな人も多そうだ。


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奥村広乃 13年12月15日放送



電話と不自由

ピンク・レディ『UFO』、
都はるみ『北の宿から』など
名曲の数々を手掛けた作詞家、阿久悠。

愛する人に会えない切なさ、
新しい愛に気が付いた胸のときめき、
愛を失った悲しみなど、
さまざまな愛の形を、言葉で紡いだ彼は
こんなエッセーを残している。

「若者よ、自由を欲するなら、まず電話を手放せ!

僕らは、逢って、語って、別れてから、
その次に逢うまでの時間は、完全な祈りであった。
心変わりの心配も、祈るしかない。それが恋愛であろう。

24時間電話を掛けつづけ、
完全に相手の行動を把握しようとする心に、
恋愛はたぶん芽生えない。

電話を悪役にするつもりはないが、
人間はもっと人間らしさを恋しがり、
人間を主張する必要はあるだろう。」

24時間つながれる。
この安心と便利さは、
自由を犠牲にしているのかもしれない。

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奥村広乃 13年11月23日放送



OLという言葉

モダンガールに、サラリーガール。
ゴルフ場で働けば、ゴルフガール。
ガソリンスタンドなら、ガソリンガール。
大正から昭和にかけて、
働く女性は「ガール」と呼ばれていた。

OLという言葉がこの世に登場したのは、
東京オリンピックの前年、1963年11月25日。

当時、働く女性はBG‐ビジネスガールと呼ばれていた。
これは和製英語で、直訳すると商売女となってしまう。
このままでは、オリンピックで訪れる欧米人の誤解を招く。
そこで、櫻井秀勲(さくらい ひでのり)が編集長を勤める婦人画報で
新しい呼び方が募集された。

そこから選ばれたのが、
オフィスレディ―、OLだった。

OLという言葉が登場して半世紀。
働く女性たちの姿は大きく変化している。
次の東京オリンピックが開催される頃、
彼女たちはなんと呼ばれているのだろう。

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奥村広乃 13年11月24日放送



OLの恋

1929年、昭和4年のヒット曲。
西條八十作詞の『東京行進曲』にこんな一節がある。

恋の丸ビル あの窓あたり
泣いて文(ふみ)かく 人もある

当時の丸ビルは、地下一階、地上八階建て。
その大きさや、モダンな外観から「東洋一のビル」と称された。

働く女性が、モダンガールと呼ばれ、
ひざ下スカートにショートカットのファッションで
生き生きと活躍し始めた時代。

職場で出会い、
恋心を燃やした男女も多かっただろう。

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奥村広乃 13年10月13日放送



わが子のための引越し

中国の故事に、
孟母三遷(もうぼさんせん)という話がある。

孟子が幼い頃、彼の家は墓地のすぐ側にあった。
そのためいつも、葬式のまねごとばかりしていた。
それを見た孟子の母は引越しを決意する。

次に住んだのは市場の近く。
孟子は商人の駆け引きのまねをして遊ぶようになる。
母は、2度目の引越しを決意する。

次に選んだ住まいは、学校のそば。
孟子は、学生たちの祭礼の儀式や、
礼儀作法の真似事をして遊ぶようになった。
母は安心し、学校のそばに腰を落着ける。

そして孟子は勉学にはげみ、
孔子とならぶ、代表的な儒学者となる。

少年老いやすく学なりがたし。

母の想いがひしと伝わる故事だが、
今の日本で子供のために3度も引越すのは
簡単ではなさそうだ。

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奥村広乃 13年10月13日放送



引越しに欠かせない物

引っ越しにかかせない段ボール。
その歴史は100年以上さかのぼることができる。

1904年。
当時の日本には、「電球包み紙」とよばれる
ジグザグと折り目をつけたボール紙が使われていた。
電球やガラス瓶など割れやすいものを包むために用いられていたが、
弾力性がなく品質的には不十分だった。

日本ではじめて段ボールが作られたのは1909年。
井上貞治郎によって機械化、量産化された。
厚紙を貼り合わせ、弾力性のある段ボールは
日本の産業化の波にのり、またたく間に広まっていった。

「きんとま」。

井上は、これを経営哲学としている。

「きん」はお金と、鉄のように硬い意志。
「ま」は真心の真と、あいだの間を意味している。

硬い意志、お金、真心、間。
この4つを握ったら死んでも離すな。

そんな井上が生み出した段ボールは、
今も大切なものを包み、守り、運んでいる。

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奥村広乃 13年9月15日放送



老いらくの恋

人は、何歳まで恋ができるのだろう。

昭和23年の12月。
戦後間もない日本で、ある男が自殺を図った。
歌人、川田順。
恋に思い悩み、苦しみ、死をえらぼうとした時、
彼は68歳だった。

若き日の恋は、はにかみて
おもて赤らめ、壮士時(おさかり)の
四十路(よそじ)の恋は、世の中に
かれこれ心配れども
墓場に近き老いらくの
恋は、怖るる何ものもなし。

「老いらくの恋」という言葉は、
川田の詠んだこの歌からうまれた。

いくつになっても男と女。
これほどまでの大恋愛を、
うらやましく思う人も
少なくないのでは無いだろうか。

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奥村広乃 13年9月15日放送


さちどん
老いることの物語

「死んだら、どうなるんだろ」

幼いときの、素朴な疑問。

湯本香樹実の小説『夏の庭The Friends』は、
町外れに暮らす老人の死を、
目撃しようとする少年たちの物語。
海外でも高く評価されている。

最初は、老人が息をひきとる瞬間を
心待ちにしていた少年たち。
しかし、交流をかさね、
心をかよわすごとに気持ちが変化してゆく。

もしかすると、歳をとるのは楽しいことなのかもしれない。
歳をとればとるほど、思い出は増えるのだから。

若いと楽しい事が多い。
老いると楽しい事は減る。
つい、そう思うときもある。
だが、自分自身の人生に「楽しさ」を
積み重ねていくことが出来れば、
歳をとることは楽しいと思えるのかもしれない。

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