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奥村広乃 15年8月16日放送

150816-01
HAMACHI!
東京音頭

屋台の香り。
提灯の明かり。
太鼓の音と、歌声。
輪になって踊る人々。
 
日本の夏に、
盆踊りは欠かせない。
 
有名な盆踊り曲のひとつ、「東京音頭」。
作詞者の西條八十はこんな言葉を残している。
 
 人を動かすことに詩の価値がある。

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奥村広乃 15年8月16日放送

150816-06
Yuki Yaginuma
盆踊りの偶然短歌

念仏で 救済される 喜びに 衣服もはだけ 激しく踊り
 
盆踊りのことを詠んだ、この短歌。
ご存知だろうか。
 
読み手はコンピュータープログラム。
ツイッターの「偶然短歌bot」が詠んだ短歌だ。
 
言葉のネタ物は、インターネット上の百科辞典Wikipedia。
その盆踊りのページから、
偶然短歌のリズムになったフレーズを
抜き出して詠まれている。
 
膨大な言葉の海から掬い上げられた
5・7・5・7・7に並んだ言葉。
偶然生まれたにしては美しすぎる。

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奥村広乃 15年6月20日放送

150620-02

佐藤垢石と釣り

釣りジャーナリストの佐藤垢石(こうせき)。
釣りを中心とした随筆を多く執筆し、
戦後は雑誌「つり人」の初代編集人にもなった。

彼は、こんなことを書いている。

「釣には、嫉妬心を最も禁物とする。」

「釣の道は、人生の道と相通ふところがある。
釣に嫉妬は禁物であるやうに、人生にも嫉妬心は魔物である。」

誰かの釣った魚が大きくても、嫉んではならない。
誰かが見つけた良い釣り場を、横取りするのは美しくない。

多くのスポーツが人生に教訓を与えてくれるように、
自然と向き合う釣りも
生きていくうえで大切なことを
教えてくれるようだ。

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奥村広乃 15年5月31日放送

150531-06
sorarium
写真の世界

明日6月1日は、写真の日。

日本の近代写真を確立させた、野島康三(のじまやすぞう)。
ロマンティックで絵画的な写真から、
モデルの個性を引き出す人物写真。
それまでタブーとされてきた
ヌード写真にも積極的にとりくんだ。

1920年に発刊された「写真月報」に
彼は、こう記している。

「絵のやうな写真などゝ云はれて嬉しがってゐては駄目です。
 写真には写真の世界があります。
 写真の世界に作家が生きていなければ駄目です。」

今から100年近く前、
写真を絵画から切り離し
芸術へと昇華させた野島康三。
彼の写真は、いまも、力強くうったえるものがある。

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奥村広乃 15年5月31日放送

150531-07
Amelien (Fr)
写真家のいろは歌

明日6月1日は、写真の日。

アマチュア写真家 安井仲治(やすいなかじ)。
彼が考えた
「写真家四十八宜(しゃしんをうつすひとよんじゅうはちよろし)」。
そこには、48もの写真家への言葉がある。

い、「いつそスラムプは大なるがよろし」
ろ、「ろくでもないものは感心せぬがよろし」
は、「ハツと感じたら写すがよろし」
など。
1940年に発表されたものだが、
現在に通じるものも多い。

ざまざまな技巧に、精力的に取り組みながら
常に被写体の人間らしさを見失わなかった安井仲治。
この「写真家四十八宜」からも、
写真の向こう側にいる人間への思慮がうかがえる。

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奥村広乃 15年4月19日放送

150419-06

日本のめだか

4月19日、今日は飼育の日。

5,000余りの呼び名があるという、メダカ。
それほど日本人にとってなじみの深いメダカが
環境省の絶滅危惧種リストに加わったのは1999年。
もう15年以上もまえのことになる。

 『身近な生き物が姿を消してしまうということは異常なことだ。
 それは環境の悪化を教えてくれていると考えることができる。』

姫路市立水族館や島根県立宍道湖自然館の館長などを歴任した
栃本武良(とちもと たけよし)氏はそう語る。

小さな生き物からの緊急シグナルを感じてか、
いま「東京めだか」「藤沢めだか」など、
地域のメダカを大切にするうごきが広まっている。

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奥村広乃 15年4月19日放送

150419-07
photokai
暮らしと自然

その昔、自然は暮らしのすぐそばにあった。

 『ヒトも、動物の一種として生理的な欲求に基づき、
 自然豊かな海山川へわざわざ休日に出掛けていくことになった。』

そう語るのは
姫路市立水族館や島根県立宍道湖自然館の館長などを
歴任した栃本武良(とちもと たけよし)氏。

私たちが自然のある場所に行きたくなるのは、
自然が失われた証拠なのかもしれない。

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奥村広乃 15年3月8日放送

150308-06

水木の高校受験

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

ゲゲゲの鬼太郎、河童の三平、悪魔くん。
数々のヒット作を生み出した水木しげるも
若い頃は様々な失敗をしてきた。

小学生の頃から勉強よりも睡眠を優先。
成績は芳しくなかった。
そこで、受験先に選んだのは、大阪府立園芸高校。
定員50名に対し、受験者は51名。
このうえなく低い競争率だった。

これは間違っても入るだろう。
そうおもった水木しげる。
校長先生との面談で、
将来の夢を画家だと正直に語ってしまう。

しかし、そこは園芸学校。
農業で身を立てる学生が欲しかった。

水木は、その年のたった一人の
不合格者となったのだった。

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奥村広乃 15年3月8日放送

150308-07

水木と弟

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

水木しげるは幼い頃、
弟を海に突き落とそうとしたことがあると言う。
そこは船着き場。
水の流れは速く、海の底は深かった。

人が死んだらどうなるのか。
その興味をおさえきれなかったのだ。

幸い彼は踏みとどまり、弟は命を落とすことはなかった。

水木しげるは当時5歳。
死後の世界への興味が、
後の作風に大きく影響を与えている。

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奥村広乃 15年2月14日放送

150214-01
Mullenkedheim
凍る涙

禁断の恋。
許されぬ逢引。
そして、駆け落ち。

伊勢物語に書かれた、
男が二条の后を盗み出すエピソード。
モデルは、平安時代を代表する歌人、在原業平。
そして、藤原高子(ふじわらのたかいこ)といわれている。
高子は才色兼備な女性で、
彼女の舞をみた男性は、
あまりの美しさに熱を出したという。

しかし、藤原一族の政略結婚に巻きこまれ
愛する人と結ばれることはなかった。

高子は、こんな歌をのこしている。

 雪のうちに春はきにけり 鶯のこほれる涙いまやとくらむ

雪がすべてを閉じ込めているうちに春が来た。
鶯の涙は、かなしみで凍っているけれど、
あたたかい春が来たのだから、
これから溶けてゆくのでしょうか。

辛い冬を越えて、春が来るように。
恋のかなしみも、いつか終わる。
平安の悲恋の姫君も、そう願ったのであろうか。

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