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奥村広乃 15年1月17日放送

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近代地震学の父

近代地震学の父。
お雇い外国人のジョン・ミルン。
地質学・鉱山学の教授だった彼は、
日本の地震の多さに仰天し、研究を始める。

天井からつりさげた振り子。
地震が起きた時間を知らせる時計仕掛装置。
自宅はさまざまな装置にあふれた。

約1万円の私財を投じて地震計も作った。
当時の1万円は、現在の数千万円とも言われる。
ミルンの呼びかけにより、日本地震学会も創設され、
近代日本の地震研究に大きな影響を与えた。

ミルンは、学生たちにこう語っている。

「災害の厳しさが日本人の精神構造に
 どのような影響を及ぼしているか
 研究する必要があるのではないか」

まじめで、調和を大切にする日本人の心は、
地震や台風などの厳しさが生み出した。
そう考えた外国人が、かつていたのだ。

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奥村広乃 14年12月14日放送

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Enzofloyd
南極のゴミ

「南極ごみ 難問山積み」
そんな見出しが新聞に載った。
カメラマン武田剛(たけだつよし)が、
2005年1月24日
昭和基地のゴミ問題を書いた記事だ。

カメラが写したのは、
何本ものタイヤやバッテリー。
さびた大型自動車など。
基地のそばで埋められ続けたもの。

記事にする前
武田は多いに迷った。
ともに過ごした仲間や、
厳しい環境に耐えて研究、観測を続けた先人たちを
非難することにつながるからだ。
しかし新聞カメラマンとして、彼は決心する。

記事は大きな反響を呼び、
日本政府はゴミ問題解決に向けて、
積極的に動き出す。
いま昭和基地は、当時よりぐっと綺麗になっている。

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奥村広乃 14年12月14日放送

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オーロラキッチン
南極料理人

栄養を摂るだけの食事なら、
サプリメントや点滴でいい。
それでも、人が食事をつくり、
食卓を囲むのはなぜだろう。

2009年に公開された映画『南極料理人』。
その原作者、西村淳。
彼は調理担当として、南極地域観測隊に参加していた。

見渡す限りの氷の大地。
夏でも気温がゼロ度を超すことがほとんどない、南極。
食材も調理器具もブラリと買いにいけない。
そんな環境で1日3食、仲間の食事を作りつづけた。

西村はともに南極で冬を越した仲間から
こんな手紙をもらったそうだ。

『南極では、家族への思い、研究がうまく行かない、
仲間とのちょっとした気まずい関係など、
日本では考えられないイライラは、私を含めた隊員皆あったようです。
ところが、おいしいものを食べると幸福な気持ちになり、
明日もがんばるという気持ちになれました。
その節は本当にありがとうございました。
食事が、気分だけでなく、円滑な人間関係にも
大きく影響を与えると悟りました。』

おいしい料理は、
人の心をほぐす力がある。
だから人は料理をつくり、食卓を囲むのだろう。
仕事仲間やパートナーと、
うまく行かずに冷えきったときは
おいしい料理を一緒に食べるといいのかもしれない。

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奥村広乃 14年11月16日放送

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包容力

許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。

理想の恋人は?と聞かれ、
「包容力のある人」と答える女性は多い。

財津和夫の歌にこんな歌詞がある。

 誰がぬぐうの 君の涙
 誰が許すの 君のわがままを

弱い部分を受け入れて、
わがままを許せる。
包容力とは愛している証。

あばたもえくぼ。恋は盲目。

愛しい人のカワイイ欠点は、
カンタンに許せてしまうから不思議だ。

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奥村広乃 14年11月16日放送

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ガンディーの過去

許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。

非暴力、不服従によって
インド独立を成し遂げた、
マハトマ・ガンディー。

しかし小学生のころは、
掛け算を覚えられなかったり
ヒンドゥー教の教えをやぶって肉を食べたり、
タバコを買うために召使の財布から
お金を盗んだこともあった。
さまざまな過ちを犯す自分に絶望し、
自ら命を絶とうとしたこともある。

ガンディーはこんな言葉を残している。

 自分自身の誤りは凸レンズをつけて見、
 他人のそれは凹レンズをつけて見よ。

自分に厳しく、他人にやさしく。
それを実践するためには、
自分の弱さや過ちを認める
強い心が必要なのかもしれない。

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奥村広乃 14年9月21日放送

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Rob Ireton
ベジタリアン賢治

今日9月21日は、
宮沢賢治の命日である。

「私は春から生物のからだを食うのをやめました。」

1918年5月19日。
賢治は、学友への手紙で「ベジタリアン宣言」をした。
食べるために殺される命を、
かわいそうだと感じたことがきっかけであった。

賢治は自らの手で、竹藪を開き畑をつくった。
栽培したのはアスパラガス、トマト、カリフラワーなど
当時は珍しいものばかり。
しかし彼が育てる野菜は、
どれも立派で味がしっかりしていたという。

命を奪うことを悲しみ、
命をはぐくむ農民の暮らしを実践した宮沢賢治。
その思いは彼の童話に色濃くにじみ出ている。

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奥村広乃 14年9月21日放送

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石っ子けんちゃん

今日9月21日は、
宮沢賢治の命日である。

「石っ子けんちゃん。」

それが賢治の小・中学校時代のあだ名だった。
彼の作品には、たくさんの鉱物が登場し、
物語に輝きをそえている。

童話「貝の火」に登場する宝石は、
オパールであると言われる。
その妖艶な美しさを賢治はこう描写している。

『それはまるで赤や緑や種々の火が烈しく戦争をして、
 光の血が流れたり、ひなげしの花や、ばらやほたるかづらなどが、
 一面風にゆらいだりしているように見えるのです。』

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奥村広乃 14年8月16日放送

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京都の窯

今日8月16日は、京都五山送り火の日。
京都という街と炎は、とても、縁が深い。

京都五条坂。
東大路と交差するあたりに
レンガ造りの四角い煙突がある。
その煙突の下には、登り窯が眠っている。

この京都の地で、色絵陶器を完成させたのは
野々村仁清(ののむら にんせい)だといわれる。

仁清は、仁和寺の門前に御室窯(おむろがま)を開き、
自ら作った焼き物に「仁清」の印を捺した。
中世以前の陶芸家は、職人であり、芸術家ではなかった。
しかし、仁清は作品に印を捺すことで、
自身のブランドを確固たるものにした。

藤花文茶壺は、彼の最高傑作として名高い。
温かみのある白い茶壺。
その上に咲き盛る藤の花。
一枚一枚葉脈を施した緑の葉。
赤、紫、金、銀で彩られた花弁は、
風がふけばゆらりとそよぎそうだ。

かつての五条坂にはいくつもの登り窯が並び、
もうもうと黒い煙を吐きながら、
多くの焼き物を生みだしてきた。
しかし、いま、登り窯から煙が立ち上ることはなく、
静かに文化の営みを伝えている。

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奥村広乃 14年7月27日放送

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政治家の髭

11歳の少女からの手紙には、
「ひげをはやせば、あなたがきっと大統領になる」と書かれていた。

ひげをはやせば立派に見え、
ひげ好きの女性たちに応援してもらえるから、とのこと。

こんなことを書いたのは、グレイス・ベデル。
ニューヨークに住む女の子。

手紙を受け取ったのは、エイブラハム・リンカーン。
グレイスのアドバイスにしたがった彼は
16代大統領に、みごと当選。

彼はアメリカ史上初の
ひげを生やした大統領になったのだ。

今日7月27日は、政治を考える日。

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奥村広乃 14年7月27日放送

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未来の見方

今日7月27日は、政治を考える日。

神はわずか6日で世界を作ったというが、
アメリカ独立宣言の原案も、
たったの17日で書き上げられた。

1776年6月のことである。

その起案者は、
33歳の若き政治家、
トーマス・ジェファーソン。
仲間の中で一番筆がたつという理由で、
独立宣言の起草委員に任命された。

「すべての人間は平等に造られている」と
高らかにうたった前文は、
日本国憲法にも影響を与えている。

ジェファーソンはこんな言葉をのこしている。

 過去をふり返るより、未来を夢見る。

いつの時代も、
世界を変えるのは、
明日へと夢見る希望なのだろう。

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