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奥村広乃 14年7月27日放送

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LexnGer
政治家の料理人

今日7月27日は、政治を考える日。

ホワイトハウスの料理を、
アメリカ独自の食材をつかったアメリカらしいものに。
それが、ファーストレディ、
ヒラリー・クリントンの願いだった。
いままで出されていたフランス料理を
一新しようとしたのである。

その改革に当たったのが、ウォルター・シャイブ。
4000人に1人という関門をくぐり抜け、
ホワイトハウスのエグゼクティブ・シェフを11年間務めた。

南アフリカ共和国の
ネルソン・マンデラ大統領を迎えた時には、
夏野菜にレモングラスを添えたレッドカレー。
ロシアのエリツィン大統領には、
ウォッカでマリネしたサーモン。
平成天皇には、
北太平洋産イワナのロブスターソーセージ添えを。
彼は、国賓に提供する料理には、
アメリカの食材だけではなく
その会食相手にふさわしい食材を、
必ずつかうことにきめたのだ。

その作戦は大成功。
ホワイトハウスを訪れた
多くの人々によろこばれた。

彼はいう。
シェフの仕事は、
人々に楽しみを与える事である、と。

和食がユネスコ無形文化遺産に登録された。
世界に認められた日本の食事は、
日本の政治に新しい風をふかせるだろうか。

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奥村広乃 14年6月15日放送

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作詞家のとまどい

1963年6月15 日。今日は『上を向いて歩こう』が
アメリカのビルボートチャートで1位を獲得した日。

「上を向いて歩こう」は、励ましの歌ではない。

と、作詞を手がけた永六輔は、言う。

この歌の歌詞は、1960年に起きた安保闘争で
感じた大きな挫折感を、表現したものであった。

この泣き虫の気持ちを歌った曲が、
たくさんの人に愛され、歌われることに
永六輔は作詞者としてとまどいを感じることもあった。
なぜ、ヒットソングになったのだろうと考えたとき、
こんな仮定にたどり着いた。

日本人は泣くのが好きなんです。
「上を向いて歩こう」はもともとが泣き虫の歌ですから、
いちばん素直に泣ける歌なんじゃないかなと思います。

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奥村広乃 14年6月15日放送

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josemanuelerre
冒険のBGM

太平洋を単独横断。
大阪の青年、ヨットでシスコ湾着。

1962年8月12日、新聞にそんな記事が載った。

海洋冒険家、堀江謙一。
兵庫県西宮市を出港して94日目。
1万キロにおよぶ航海をへて、
彼の乗ったマーメイド号はサンフランシスコに着いた。

パスポートは持っていなかった。
密出国であり、密入国であった。
だが当時のサンフランシスコ市長は、
日本から来た青年を寛大な心で出迎え、
1か月の滞在を許可した。

日本人初の太平洋単独横断の様子は、
手記にまとめられ、
のちに映画化もされ大ヒットとなった。
そのタイトルは『太平洋ひとりぼっち』。

堀江氏は、海の上で心細かったとき
「上を向いて歩こう」をうたったという。

歌は人を勇気づける。
これからの冒険家は、
どんな歌を歌うのだろうか。

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奥村広乃 14年5月11日放送

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Doha Stadium Plus
リーダーの目標

本名アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。
愛称は、ジーコ。
彼はこんなリーダー論を持っていた。

もっともたいせつなのは、チャレンジする気持ちだ。
とくに、これから組織を作り上げ、
部下を育てていかなければならないリーダーには、
なくてはならない素質だ。
大きな目標に向かっていこうとしないリーダーに、
誰がついていくだろうか。

高い目標を掲げ、
日本代表を数多くの勝利に導いたジーコ。
優れた監督には、学ぶことも多い。

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奥村広乃 14年5月11日放送

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michibanban
約束 ホルヘ・カンポス

派手なユニフォーム。
小柄な体格に大きなグローブ。
瞬発力、ジャンプ力を武器にゴールを守った。
元メキシコ代表のゴールキーパー、
ホルヘ・カンポス。

彼がメキシコの少年少女たちに、
サッカーの特別授業を行ったときのこと。
授業の最後は、
カンボスのこんな言葉で締めくくられた。

さあ、これで僕のサッカー教室はおしまいだ。
最後にもうひとつだけ憶えておいてほしいことがある。
勝ったチームは、負けたチームにも幸あれ、と祈ること。
プロでもアマチュアでも、
これはキミたちがサッカーを続けていく限り、
絶対に忘れちゃいけない。約束だよ。

サッカーは一人ではできない。
自分のチームがいて、
相手のチームがいてはじめてゲームができる。
そのことに気がついた、
すべてのサッカー少年・少女たちが
身体だけではなく心も
たくましく育っていきますように。

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奥村広乃 14年4月27日放送

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早起きが苦手な哲学者

今日、4月27日は哲学の日。

「我思う、ゆえに我あり。」で知られる
哲学者ルネ・デカルトは早起きが苦手だった。

10歳で名門ラ・フレーシュ学院に入学したが、
生まれつき身体が弱く朝寝坊を許されていた彼は、
ベッドの中でさまざまな事を考えるようになる。

精神を向上させるためには、
学ぶことよりもより多く熟考していくべきである。

デカルトにとっては、
自分自身で考え抜くことが、
人間として生きることなのだ。

晩年、デカルトは
スウェーデンの女王のために授業を行うが、
毎朝5時からの授業は早起きが苦手なデカルトの身体に堪え、
たちまち体調をくずし、肺炎で亡くなった。

デカルトはこんな言葉も残している。

 精神を思う存分働かせたいと願うなら、
 体の健康に留意することだ。

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奥村広乃 14年4月27日放送

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お酒と哲学者

今日、4月27日は哲学の日。

ドイツの哲学者イマヌエル・カント。
批判哲学を提唱し、
ドイツ古典主義哲学の父と言われている。

彼の書いた哲学書が難しいせいか、
気難しい孤独な老人を想像する人も多い。
しかし実際は、話題が豊富でおもしろく、
貴族の食事会によく招かれる人物であった。

カントはこんな言葉を残している。

 酒は口を軽快にする。
 だが、酒はさらに心を打ち明けさせる。
 こうして酒は道徳的性質、
 つまり心の素直さを運ぶ物質である。

お酒を飲むと素直になれる。
哲学者も我々も、それは変わらないようだ。

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奥村広乃 14年3月2日放送



大きな喜び

イギリスのジャーナリスト、ウォルター・バジョット。
雑誌『エコノミスト』の編集長も務めた彼は、
こんな言葉を残している。

人生における大きな喜びは、
君にはできないと世間がいうことをやることである。

 無理だよ。
 絶対、出来ないよ。

そんなネガティブな言葉をかけられた時。
それは、大きな幸せのタネかもしれない。

 悔しがって、
 努力して、
 達成する。

かんたんじゃないことこそ、
やる価値があるのだ。

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奥村広乃 14年3月2日放送



努力論

『五重塔』『運命』などの作品で知られる
明治の小説家、幸田露伴。
彼には『努力論』という随筆がある。

努力は即ち生活の充実である。
努力は即ち各人自己の発展である。
努力は即ち生の意義である。

努力は、
楽しいものでも、
すぐに報われるものでもない。

それでも、
幸せに生きたいと思ったときは、
理想にむけて地道な努力を続けることが
一番の近道なのだ。

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奥村広乃 14年2月9日放送



東京駅

いまから100年前。
東京駅の開業式典の冒頭で
ときの首相大隈重信は
招待客1,500人余りを前にこう述べた。

「物はすべて中心を欠くべからず。
あたかも太陽が八方に光を放つがごとく、
鉄道も光線のごとく四通八達せざるべからず」

東京駅を太陽に。
そしてそこから延びる線路を
太陽の光に例えたこの言葉。

100年もむかしに大隈は
いまの東京を
思い描いていたのだろうか。

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