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礒部建多 13年7月21日放送



沖縄と野球

沖縄野球の父と呼ばれた、
栽弘義(さい ひろよし)の姿である。
栽は、豊見城高校や
沖縄水産高校の監督を歴任し
沖縄高校野球のレベルアップに
大きく貢献した。

1990年、沖縄水産時代には
夏の甲子園で沖縄県勢として初の準優勝を成し遂げた。
翌年にも準優勝し、栽は名将の座を
ゆるぎないものにした。

春夏合わせて17回、
甲子園に出場した栽だが
念願の全国制覇を達成することなく
65歳で世を去った。
病床で、死の直前まで
こうつぶやいていたと言う。

もう一度甲子園に行きたい。優勝したい。

沖縄県勢はその後、
2008年に沖縄尚学が選抜優勝。
2010年には春の優勝校、興南が初めて夏を制した。

沖縄の強い野球を日本中に見せたい。
栽の熱い闘志は、球児たちに確かに受け継がれている。

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礒部建多 13年6月16日放送


Amakuha
テクノポップの父

1978年、「人間解体」のアルバムと共に
日本に強い衝撃を残した、クラフトワーク。
後に、テクノポップという新しいジャンルを確立させた。

シンセサイザーなどの電子楽器で作り上げられる
単一的なメロディーで、無機質な世界観。
彼らが、その音楽に込めたこだわりは
徹底的にシンプルに。無駄を削ぎ落し、
音楽から人間らしさをなくす事。

ボーカルをロボット声に変換するなど、
今までの音楽の常識を逸脱した実験的な音楽は
大きな反響を呼んだ。

今や、
多くの人に愛されるテクノポップは
当時とは、印象も大きく変わっている。
しかしいつまでも実験的であってほしい。
テクノポップの本質はそこにあるのだから。

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礒部建多 13年6月16日放送



ヘアヌードの父

和製英語「ヘアヌード」
それは、編集者・元木昌彦が生んだ言葉。

元木は早稲田大学を卒業後、講談社に入社。
やがて、週刊現代の編集長となる。
挑戦的な姿勢から
様々な業界のタブーを記事にしていった。

裸体を紙面に掲載することも、
当時は絶対的なタブーとされていた。
しかし、元木にとってそれは好都合だった。

新聞記者がとりあげない領域を
とりあげることにこそ
僕らの存在理由がある。

今も編集に携わっている元木。
次はどんなタブーを狙っているのか。

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礒部建多 13年5月12日放送


Sinsong
母の秘密

どんな幸せな家庭にも
秘密はきっとある。

パルム•ドール最高賞
マイク•リー監督の「秘密と嘘」。
ブレンダ•ブレッシン扮する、
母のシンシアもまた、秘密を抱えていた。

一緒に住む娘、ロクサンヌとは別に
生まれてすぐ、養子にだしてしまった黒人の娘、ホーテンスの存在。
偶然の再会から、2人は母娘としての絆を取り戻していく。

真実をロクサンヌに打ち明け、三人での生活を願うシンシア。
しかし、周りがそれを止める。
彼女は泣き崩れ、肩を震わせながらこう言う。

「いつになったら打ち明けられるの」

それは脚本のない、即興の台詞だからこそ表現出来た
これ以上ないほど生々しく、切ない母の愛。

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