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三島邦彦 12年7月15日放送



遊びの話  ホイジンガ

人間とは、一体。
この問いに、歴史家ホイジンガは一つの答えを見つけた。

 すべて遊びなり。

人の営みは遊びから生まれ、また遊びそのものでもある。
ホイジンガは、人類を意味する「ホモ・サピエンス」という言葉にならい、
人間を、遊ぶ存在「ホモ・ルーデンス」と呼んだ。

人類のみなさん。遊び心をお忘れなく。



遊びの話  後白河天皇

平安時代の末期。
後白河天皇は、
庶民の流行歌を後世に残そうと
「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」という書物を作った。
たとえば、こんな歌。

 遊びをせんとや生まれけん
 戯(たわぶ)れせんとや 生まれけん
 遊ぶ子供の声聞けば 
わが身さへこそ動(ゆる)がるれ

遊びをしようと生まれてきたのか。
たわむれをしようと生まれてきたのか。
遊ぶ子どもの声を聞いていると、
私はどうにも感動してしまう。

天皇の心を惹いたのは、貴族の文芸にはない、素朴なリアリティ。
庶民の流行歌を楽しむこころを持った天皇は、
その遊び心を胸に、動乱の世へ立ち向かった。



遊びの話 横井軍平

人々を楽しませるアイデアは、
退屈している時間に考えるのがいいのかもしれない。

横井軍平という青年がいた。
地元京都の企業に就職したが、
任された設備機器の点検は
とても退屈な仕事だったので、自分でおもちゃを作り、暇をつぶした。

その様子を社長に見つかり、社長室へと呼び出される。
社長は言った。「それを商品化しろ。」

手元を閉じると伸びてものをつかみ、
開くと縮んでものを離すそのシンプルなおもちゃは、予想を超えるヒットとなった。

横井はその後、出張の新幹線で退屈している時、電卓で時間をつぶすサラリーマンを見て、
ゲーム&ウォッチという、電卓を利用した小型電子ゲーム機を思いつき、これも大ヒット。

 枯れた技術の水平思考

既にある技術に、新しい光を当てるだけで、ヒット商品は作れる。
そう確信した横井は、おもちゃやゲームを作り続けた。
横井が勤める会社、任天堂が世界のゲーム市場を席巻するのは、
そう遠くない未来だった。

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三島邦彦 12年6月24日放送


afagen
美空ひばりという存在

美空ひばりが亡くなった時、
多くの人々が、ひばりのことを天才だったと語った。

指揮者の岩城宏之は言う。

音楽史上唯一の『天才』は、
モーツァルトだけというのが、常識である。
しかしぼくはこの言葉を、ためらいなく
美空ひばりさんにも使いたい。

天才は空に昇った。
しかし、日本のどこかで
今日も彼女の歌は響いている。

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三島邦彦 12年6月24日放送



美空ひばりと母

あなたがいちばん尊敬する人は誰ですか。
昭和の大歌手、美空ひばりはその質問に対して、
デビューしたての9歳の頃からその生涯に渡り、
「母です。」と答え続けた。

美空ひばりの母、加藤喜美枝。

戦時中、夫が戦地へ向かったため、
夫が帰って来るまで、残された魚屋をつぶしてはいけないと
ゴムの長靴をはいて市場に仕入れに出かけ、
女手一つで切り盛りをした。

戦時中は自ら庭に防空壕を掘り、
戦後は娘の地方巡業や海外公演に必ず同行し、
娘の和枝を守り、
大歌手、美空ひばりへと育て上げた。

これは、美空ひばりの言葉。

 お母さん。私がこうして一人前になれたのは、あなたのおかげです。
 お母さんと和枝と二人で美空ひばりという歌い手をつくったのです。
 お母さん、あなたが美空ひばりなのよ。

喜美枝と和枝。
どこへ行くにも一緒の親子。
今は、美しい空の上で一緒にくらしている。

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三島邦彦 12年6月24日放送



美空ひばりの歌

自分の歌を歌いたい。
幼い日の美空ひばりはずっとそう思っていた。

大人顔負けの歌声を珍しがられて、
ずっと意味もわからない大人の歌を歌わされてきたひばり。

人のまねではなく、自分の歌を歌わなければ、
大人たちが本当には認めてくれないということが、わかってきた。

そんな中、子役として出演した映画の中で、
ひばりのために歌が作られることになった。

もう、ものまねではない、だれにも気がねする必要はないんだ。

美空ひばりは、その名前のように、
とても晴れやかな心もちになったという。

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三島邦彦 12年5月13日放送


miyappp
カクテル・ストーリーズ/今 日出海(こん ひでみ)

作家でフランス文学者の
今日出海(こん ひでみ)が
考案したカクテルがある。

その名は、「東京のたそがれ」。

音と光り、人と自動車、
甘さと辛さ、歓楽とほのかな哀愁
そういった東京の横顔を、
ジンの鋭さやベルモットのやわらかさで表現したかった。

カクテルは、想像力を刺激する。
カクテル・ストーリーズ#1
「東京のたそがれ」

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三島邦彦 12年5月13日放送


Jeremy Brooks
カクテル・ストーリーズ/開高健のマティーニ

作家、開高健にとってカクテルは、
空想を楽しむ飲み物だった。

たとえば、マティーニのグラスの中のオリーブの実。

丸いオリーブの中に四角いパプリカトマトが入っている。

種を抜いたオリーブの丸い穴に、
どうやって四角いパプリカトマトをすき間なく詰めるのか。

一粒一粒手作業をしていたら大変。

大量生産をする方法があるのだろうか。

マティーニのグラスを傾けながら、ああでもないこうでもないと、
思いを広げ、妄想を楽しんだ。

そのことをエッセイにして発表すると、
正解を教えましょうと、とある会社から小豆島の工場へ招待された。

しかし、開高健はこれを断る。

 せっかくおれは、ああでもあろうか、こうでもあろうかと、突飛なことを考えて
 遊んでいるんだから、これは壊さないでくれ。

カクテルグラスの中には、愛すべき謎がある。
正解は、さほど重要なことではない。

カクテル・ストーリーズ#3
「開高健のマティーニ」

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三島邦彦 12年5月13日放送



カクテル・ストーリーズ/フランクリン・ルーズベルト

1920年から1934年まで、
アメリカには禁酒法という法律があり、
酒好きは密造酒を飲むか
海外に行くしかなかった。

禁酒法を終わらせたのは、
合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト。

ホワイトハウスでは
仕事を終えた大統領が自らシェーカーを握り、
スタッフにドライ・マティーニを振る舞う習慣ができた。

 さあ、夜のとばりが降りた。ドライ・マティーニを飲んで童心に帰ろう。

マティーニを前にすると、人は正直になる。
その後、ソ連のスターリンにもマティーニを振る舞い、交渉を円滑に進めたという。

カクテル・ストーリーズ#6
「ドライ・マティーニ」

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三島邦彦 12年4月15日放送



いつまでも素敵な女性/小篠綾子

ヒロコ、ジュンコ、ミチコ。
世界的ファッションデザイナー、
コシノ三姉妹の母、小篠綾子さん。

自らもデザイナーとして
大阪の岸和田市で
洋服屋を生涯営んだ。

これは綾子さん88歳の時の言葉。

今や私も良きライバルとして、
また良き友として、娘たちの仲間入りをして、
四姉妹のつもりで歩いていこうと思っています。

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三島邦彦  12年4月15日放送



いつまでも素敵な女性/ 幸田文

明治の文豪、幸田露伴はある日、
子どもたちにそれぞれ木を与え
庭で育てるよう命じた。

次女の幸田文はその庭で、
草木に強く心をよせた。

時が流れ、孫も生まれた文は、
北海道のえぞ松から
屋久島の縄文杉まで、
珍しい木が見られるとあれば
人に背負われてでも森へ山へと
分け入るようになっていた。

松やイチョウ、ヒノキにポプラ。
木の皮が織りなす模様を
美しい着物のように愛でる彼女。

今そこに生きる命として、
木の立ち姿を味わった。

これは、そんな幸田文の言葉。

いのちの詩をうたって山野にいる姿と、
いのち終えてなお美しく力ある材となった姿と、
どちらをもともにいとおしむ心情を、
若い人にもってもらいたい、と切におもう。

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三島邦彦 12年4月15日放送



いつまでも素敵な女性/ターシャ・テューダ

アメリカの絵本作家、ターシャ・テューダは、
57歳から92歳で亡くなるまでの35年間を
バーモント州の田舎町で自給自足の一人暮らしをしていた。

小さな町がすっぽり入りそうな広大な庭と
家具職人の息子が作った小さな家。

天気がいい日は裸足で外に駆けだして、
夢中になって庭いじり。
午後は紅茶でひとやすみ。

いくつになっても
毎日幸せそうな彼女に、
だれかが幸せの秘訣をきいてみた。

返ってきたのは、こんな答え。

 人生は短いから、不幸になってる暇なんてないのよ。

幸せな人は素敵な人。

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