‘中村直史’ タグのついている投稿

中村直史 10年12月05日放送



つくる人のことば/國中均さん

2003年5月に地球を飛び立ち、
7年を経て地球に帰ってきた
惑星探査機「はやぶさ」。

60億キロメートルを旅し、
全長わずか500メートルの小惑星に降り立ち、
そのかけらを持ち帰った。

技術者たちの快挙に、
「奇跡」との声もあがったが、
開発担当者の一人、國中均さんは
奇跡とは言いたくない、と言った。


 努力です。とても「おもしろかった」ので、みんな一生懸命努力したんです。

人間の努力が成し遂げられることは、
宇宙くらい大きいのかもしれない。



つくる人のことば/はやぶさの若き技術者たち

太陽系の星たちが
どんな風に生まれたのか。

その謎を解き明かす使命の下、
地球から遠く離れた小惑星「イトカワ」に降り立ち、
そのかけらを持ち帰った惑星探査機「はやぶさ」。

7年にも及んだその旅は、
「はやぶさ」にたずさわった技術者たちにとって
立ちはだかる困難との格闘の日々だった。

内之浦(うちのうら)宇宙センター元所長の
的川泰宣(まとがわ やすのり)さんは、
「はやぶさ」を小惑星へ着地させる世界初のミッションを回想し、
次のように記している。


 5回にわたる「イトカワ」への降下オペレーションは、
 思い出しても目頭の熱くなるような感動的な光景だった。
 そこでは、繰り返し襲ってくる人生で初めての試練と難題に、
 懸命に取り組む若い技術者たちの美しい姿があった。

困難の末に手にした
その小惑星のかけらは、
10ミクロン以下という微細なものだったけれど、
宇宙の秘密を解き明かす大きな存在となりえる。
その解明は、まだ始まったばかりだ。

topへ

中村直史 10年11月14日放送



人と石/早田くん

1979年のことだった。
夏休みの自由研究のため、
熊本県御船(ミフネ)町にやってきた
小学一年生の早田くん。

目的は、貝の化石を見つけることだった。

でも、見つけた化石は
貝にしては少し大きく、
貝とは違うギザギザがあり、
貝には見られない尖り方をしていた。

長い長い時を経て、
小学一年生の小さな手にたどりついたモノ。
それは、日本初、肉食恐竜の歯の化石。

早田くんの自由研究は、
世紀の大発見になった。



人と石/メアリー・アニング

その少女は、
地球に何十億年もの歴史があることなど知らなかった。

生物が絶滅するものだ、ということも、
かつて恐竜と呼ばれる生き物が
地球上にいたことも、知らなかった。
無理もない。世界中のほぼだれも、そんなことは知らなかったのだ。

少女は、ただ家計を助けるために、
動物の姿が刻み込まれた石を探し、観光客に売っていた。

いまから150年以上も前、
イギリスの港町にいた化石掘りの少女、メアリー・アニング。

「へえ、イギリスにワニがいるんだ・・・」

そうメアリーに思わせていた、
石の中の6メートルもの長さの生き物は、
イクチオサウルス。海の恐竜だった。

学校に通ったこともなかった
一人の少女は、それからも、
数々の発見で世界を驚かすこととなる。

topへ

中村直史 10年10月09日放送


ジョン・レノンと、オノ・ヨーコ。

ジョン・レノンとオノ・ヨーコの
行動はいつも具体的だった。

戦争に反対して、
ふたりでベッドにこもりつづけたときも。
人種差別の愚かさを示すため、
袋に入ったままインタビューを受けたときも。

奇をてらいたかった訳ではなく、
具体的に、世界を変えたかったのだと思う。

ジョンが亡くなってからというもの、
ほぼ毎年、オノさんは、
ジョンの誕生日に
木を植えて過ごしているという。

今日、10月9日、世界のどこかに木がふえる。
ふたりの具体的な行動が、
今年もまた、ほんのすこし世界を変える。

topへ

中村直史 10年08月15日放送



あの人の、8月15日。/島田覚夫

1945年8月15日、戦争は終わった。
けれど「戦争が終わった」と知るすべのない人たちにとって、
戦争は終わりようがなかった。

その日、ニューギニアの山奥で、
島田覚夫さんは
仲間の兵士とともに
敵の陣地に置き去りにされたままだった。
四方八方に敵の気配を感じながら、
武器も食料も底をつく中、彼らは
ひとつの、シンプルな大方針を立てる。


 生きられる限り、生き抜こう。

最初は、わずかに残された乾パンを、
それがつきると、蛙、蛇、鼠、とかげ、いもむし、あらゆるものを食べた。
飢えをしのぎなら、今度はジャングルを開拓し、畑をつくった。
無我夢中で毎日を生き、気がつけば10年が経っていた。
本人が、原始時代、石器時代、鉄器時代と呼ぶように、
工夫を重ね、生き延びた10年。

その回顧録を読むと、
不謹慎かもしれないが、
生き抜こうとする人間の力と知恵にわくわくさえしてしまう。

ようやく終戦を知ったのは、昭和30年3月のこと。
「実家に帰ったら、自分の遺影があったんですよ」
彼はそう言って、笑った。

topへ

ついに夏になってしまい

ついに夏になってしまった。
毎日クソ暑い上にお盆も近い。
直史は五島に帰国してしまって
本土に残してきた仕事や仲間たちを忘れ果てて
釣りボケ三昧にちがいない。
ベベンコビッチも毎週「公開練習ライブ」をやるようだ。
練習しながら本番を見せるという驚異のライブだ。
さすが五島のバンドだ。

お盆が過ぎて帰国したとき
直史は日本語がしゃべれるだろうか。
日本語が書けるだろうか。

なんだか心配だ(玉子)

topへ

中村直史 10年06月13日放送



登場人物たち/ホールデン・コールフィールド
(JDサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』)

この小説の主人公は、自分なのではないか。
生きた時代も、場所も違う。
へりくつの多い困ったヤツなのに、
やっぱり自分と同じような気がしてしまう。

60年以上もの間、
世界中の人をそんな気分にさせてきた少年、
ホールデン・コールフィールド。
小説「ライ麦畑でつかまえて」の主人公だ。

ホールデン少年は、やりたい仕事について夢想する。
それはお医者さんとか、パイロットとか
そういったたぐいのものではない。

たくさんの子どもたちが駆け回る
広いライ麦畑で、ただただ、子どもたちを守る仕事。

僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、
その子をつかまえることなんだ。

2010年1月、「ライ麦畑でつかまえて」の作者
サリンジャーは、91歳でこの世を去った。
けれど、ホールデン少年は年をとることもなく、
世界中の人の心の中で生きつづけている。



登場人物たち/混沌
(中国に伝わる神話)

中国に伝わる神話に、
こんなお話がある。

地球がまだ赤ん坊だったころのこと。
「混沌」という名前の神さまがいた。

混沌の顔は
のっぺらぼうだったため、
これはいけない、と思ったほかの神さまたちが
目、鼻、口となる
5つの穴を、その顔に開けた。
すると、そのとたん、混沌は死んでしまった。

自然に手を加えてはいけない
と読み取るか。
自然に手を加える誘惑から逃れることはできない
と読み取るか。

混沌は、私たちに、
何を伝えようとしているのだろう。

topへ

中村直史のリレーコラム

つづきはこちらから
http://www.tcc.gr.jp/index_main.html
右サイドバーのリレーコラムをクリック
2010年5月18日から21日まで中村直史が書いてます。

topへ

中村直史 10年05月23日放送



えらい人はいいこと言う/アンリ・ド・レニエ

人生のすべてにおいて、
ものを言うのは経験だ。

そう思っていたら、
遠くフランスから反対意見が聞こえてきた。

「燃え上る青春」を書いた
フランスの小説家、アンリ・ド・レニエは言う。


 恋には経験というものはない。
 なぜならその時にはもう恋していないのだから。

恋に落ちるたび初心者に戻ってしまうなんて
困ったものだ。



えらい人はいいこと言う/タヒチ人

座右の銘は何ですか?
と聞かれて
即座に答えられる人を尊敬してしまう。
それが立派な言葉だとなおさら。

でも
座右の銘が
とっても力が抜けてる
という人のほうが
友だちになれそう、とも思う。

たとえば私の友人の
座右の銘は、


 アイタ・ペアペア

タヒチ人がよく言う、
「気楽にやろうよ」。
という意味の言葉らしい。

毎日いろいろありますね。
でもまあ、アイタ・ペアペアってことで。



えらい人はいいこと言う/亀倉雄策

パソコンから目線をそらし
ふとまわりを見渡してみる。

壁、柱、CD、本、文具。

視界のすべては人工物で
人工物とはつまりすべてデザインされたものだ
と気づく。

目に映るものすべてのデザインが、
人を幸せにするほどステキならば
今日という一日も
ずいぶん変わるんじゃないか。

東京オリンピックの
ポスターをつくったことで知られる
デザイナー、亀倉雄策。

彼はそんなデザインに関する考えを
追求した人だった。


 デザインとは明るい生活の歌でなくてはならない。

同感です。
だって、人生は、
明るい生活の歌に満ちていたほうがいい。



えらい人はいいこと言う/マザー・テレサ

マザー・テレサ。

・・・いま、その名前を聞いて
どんな姿を思い浮かべましたか?

貧しい人々に手を
差し伸べている姿
ではありませんでしたか?

でも、マザー・テレサが
その人々を貧しいと思っていたかどうかは疑問。
彼女にとって貧困とは別のことだった。


 ほほえみ ふれあいを
忘れた人がいます。
 これはとても大きな貧困です。



えらい人はいいこと言う/小津安二郎

電車に乗って中づりを眺めるだけで
情報がどっと流れ込んでくる。

お金を儲けろ
生き方を変えろ
キレイになれ
そのままの自分でいろ
これを飲め
これを買え

通勤先の駅につくころには
情報が多すぎて
何をどうすべきか
よくわからなくなっている。

そんなときは、
小津安二郎の映画を思い出してみる。
落ち着きたいときには
彼の映画を思い出すようにしているのだ。

小津さんは言った。


 どうでもよいことは流行に従い、
 重大なことは道徳に従い、
 芸術のことは自分に従う

流されたってかまわないのだ。
大事なことで流されなければそれでよい。



えらい人はいいこと言う/曙太郎

彼がマットに沈む姿を何度見たことか。
どうせ、負けるだろう。
やめとけばいいのに。
と思う。

でも彼が、自身のことをそんな風に
見ていたことはないらしい。

曙太郎。
関取時代のことを振り返り、こう言った。


 全勝優勝は一度もなかった。
 いつも、序盤戦で土を付けられた。
 それでも、そこからガタガタ崩れることなく、
 気持ちを入れ直して優勝をつかんできた。
 それが、私の誇りだ。

これから彼を応援するときは、
きっと自分を応援するような気持ちで応援すると思う。

がんばれ、曙。



えらい人はいいこと言う/アインシュタイン

いやなニュースを聞いた。
いやなニュースを何種類も聞いた。
そんな日は人間が嫌いになりそうになる。

「でも」とアインシュタインは言う。


 人間性について絶望してはいけません。
 なぜなら、私たちは人間なのですから。

アインシュタインは
人生の定理も
見つけたのかもしれない。


えらい人はいいこと言う/モニカ・ボールドウィン

まいにちのことが
ちょっと憂鬱になる、
そんなとき
言葉に出会い、
何かがパッと変わることがある。

だれかが、
私の状況を見越して
わざわざ言葉を用意していたかのように。

たとえば、こんな言葉。


 朝目覚めるときが二十四時間のうち最も素晴らしい、
 といつも思います。
 どんなに疲れ切って、やるせなくても、
 きっと何かが起こるに違いないと思えるからです。
 絶対といってもいいくらい何も起こらないんですが、
 それでも、ちっとも構いません。
 絶対に起こらないとは言えませんから。

イギリスの作家
モニカ・ボールドウィンが残した言葉です。

それでは、おやすみなさい。
そして、よい目覚めを。

topへ

中村直史 10年03月18日放送

1マーク・エイブラハムズ

イグノーベル賞/マーク・エイブラハムズ

ノーベル賞と同じノーベルの
名を持ちながら
全く権威のない賞がある。

その名を「イグノーベル賞」。
創設者、マーク・エイブラハムズ。

「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して贈られる賞だ。

権威がないといっても
あなどれない。
だって
世界で最も人を笑わせ、
考えさせてくれる研究って
気になるでしょう?

2アイヴァン・シュワブとフィリップ・メイ

イグノーベル賞/アイヴァン・シュワブとフィリップ・メイ

なぜリンゴは地上に落ちるのか?

万有引力を発見した
ニュートンのように
科学における発見は
「よくよく考えてみると不思議」
を解明することでなされてきた。

そう考えれば、
人々を笑わせ、考えさせてくれる研究
に与えられる「イグノーベル賞」も
すばらしい発見を後押ししている、と言える。

2006年、イグノーベル鳥類学賞。
受賞者はカリフォルニア大学の
アイヴァン・シュワブとフィリップ・メイ。

研究内容は
「なぜキツツキは頭痛を起こさないのか」
だった。

3井上大祐

イグノーベル賞/井上大祐

人々を笑わせ、
そして考えさせてくれる研究に
贈られる偉大な賞
イグノーベル賞。

2004年には
日本人が「イグノーベル平和賞」を受賞した。

その人は、
カラオケの発明者
井上大祐(いのうえ だいすけ)さん。

授賞理由は、
「他人の上手くもない歌を聞かなければならないことで養われる寛容な気持ち」
を世界中に根づかせたこと。

受賞会場の観客はスタンディングオベーションで
井上さんを称えたが、本人はいたって謙虚で。


 僕へのスタンディングオベーションじゃなくて、カラオケに対してやと思いますよ。

井上さん、
受賞スピーチの後には
ちゃっかり歌も披露した。

4ジャック・シラク

イグノーベル賞/ジャック・シラク

人々を笑わせ、
考えさせてくれる研究に
与えられる「イグノーベル賞」。

1996年、その平和賞は
フランスのジャック・シラク元大統領に
贈られた。

受賞理由は、
広島への原爆投下から
50周年にあたる年に、
半年で6回もの核実験を行ったこと。

ときに強烈な皮肉を込めるのも
イグノーベル賞のやり方。

5アストルフォ・ゴメス・デ・メロ・アラウージョ<br /> ジョゼ・カルロス・マルセリーノ

イグノーベル賞/アストルフォ・ゴメス・デ・メロ・アラウージョ
ジョゼ・カルロス・マルセリーノ


世界の歴史は
アルマジロによって
書きかえられている。

そんなバカな、
とも言えない話らしい。

ブラジルはサンパウロ大学の
アストルフォ・ゴメス・デ・メロ・アラウージョと
ジョゼ・カルロス・マルセリーノのふたりは
アルマジロの活動が遺跡発掘現場において
いかに遺物の順序を滅茶苦茶にするか、
またそのことで
どのように人類の歴史が書き変えられてしまうか
を調査した。

この功績により、
2008年、イグノーベル考古学賞を受賞。

あなたが知っている
世界の歴史にも
あのノソノソした生き物が
関与している。

そう考えたらワクワクしませんか。



6渡辺茂・坂本淳子・脇田真清

イグノーベル賞/渡辺茂・坂本淳子・脇田真清

人々を笑わせ、
考えさせてくれる研究に
与えられる「イグノーベル賞」。

受賞した研究の数々を
「バカバカしい」と一蹴する人もいるけれど・・・

1995年のイグノーベル心理学賞を
受賞した渡辺茂・坂本淳子・脇田真清さんの授賞理由は

「ピカソとモネの絵画を見分けられるようにハトを訓練し、成功したことについて」

もしかすると
人間の、鳥に対する見方さえ
変えてしまうような
すごい話。

7中松義郎

イグノーベル賞/中松義郎

突拍子もない研究に
エールを送りつづける
イグノーベル賞。

突拍子もないといえば、
代名詞みたいな日本人がいます。
ドクター中松こと、中松義郎。

と思ったら
やっぱり受賞していました。

2005年、イグノーベル栄養学賞。

「34年間、自分の食事を欠かさず撮影し、
食べたものが脳の働きや体調に与える影響を
分析し続けたこと」に対して。

・・・恐れ入ります。

topへ

中村直史 10年02月14日放送

ロマン・ロラン

恋について/ロマン・ロラン

好きな人に
好きということを、
ためらっている人へ。

ノーベル文学賞作家
ロマン・ロランから、
激励のメッセージが届いています。


 恋は決闘です。右を見たり、左を見たりしていたら敗北です。

右も左も見ないとなると、
真正面から
ぶつかるしかない。

勝利を祈ります。

白洲正子

恋について/白洲正子

いい男にめぐりあえない、
と言う人がいた。

それは残念。

でももし、
いい男がいるのに
気づいていないのだとしたら、
もっと残念。

では、いい男の見極め方とは?

骨董の目利きとしても一流だった
随筆家、白洲正子はこう言っています。


 モノも、人も、「本物」は物欲しそうな顔をしていない。

どうです?
あなたの知っている
だれかの顔、
思い浮かびましたか?

エカテリーナ2世

恋について/エカテリーナ2世

気に入った異性は
いくらでも
手に入れることができる。

もしそんな立場にいたとしたら、幸せだろうか。

ロマノフ朝の第8代ロシア皇帝
エカテリーナ2世。

生涯に数百人の愛人を持った、
と言われている。

ただ、その中で本当に愛した男はただひとり。
映画のタイトルにもなった、陸軍主席大将ポチョムキンである。

生涯で1000通を超える
ラブレターを交換しながら、
ポチョムキンは、
いつしかエカテリーナ2世に対し
彼女好みの若い男を見つくろう役となる。

愛する男を愛するだけでは
足りないなんて
ちょっと悲しい気もする。

若山喜志子

恋について/若山喜志子

若山牧水は
旅する歌人だった。

だから、
牧水の妻、若山喜志子は、
旅人を待つ歌人になった。

彼女がこの世でいちばん
好きだったのは夫の足の音(あのと)、
つまり足音。


 いそいそと大地踏みならし来る君の足の音(あのと)より世に恋しきものはなし

あなたのオフィスや
教室にもいませんか。
足音だけで気づいてしまう人。

元良親王

恋について/元良親王

いつの時代も面倒である。

好きになってはいけない人を
好きになってしまうのは。

その人は、こともあろうか
天皇が愛する女性に恋してしまった。

元良親王という悩める男の
究極の面倒な恋。

だが、そんな面倒な恋心が、
1000年以上も歌い継がれることになった。
百人一首に出てくるあの歌だ。


 わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢わむとぞ思ふ

逢ってしまえば、
罰を受け生きてはいけぬだろう。
しかし逢わなければ、
恋しさで生きていけぬだろう。
どうせ身を滅ぼすのなら、
あなたに逢おうと思う。

こんな話が、
子どもの遊びにも
使われているなんて、
ずいぶん粋な国だ。

フランソワーズ・ジロー

恋について/フランソワーズ・ジロー

ピカソが絵を描き続けた原動力は、
恋愛だった。

精力的に作品を送り出しつづけ、
精力的に女性を手に入れた。

そしてそのすべての女性が
ピカソから逃れられなくなった。

ただ一人を除いて。

フランソワーズ・ジロー。
ピカソを捨てた唯一の女性。


 私は愛の奴隷にはなっても、あなたの奴隷にはならない。

屈辱もまた
ピカソにとって
創作意欲となりえたのだろうか。

恋愛部長

恋について/恋愛部長

今日、意中のあの人に
思いを告げ、
そして叶わなかった
すべての女性へ。

多くの迷える女性を叱咤してきた
カリスマブロガー、
「恋愛部長」はこう言っています。


 一度脈なし、と思ってても、その後の出方次第では、逆転は可能。

なぜなら、
人の気持ちなんて5分で変わるから。

今日はまだスタートです。
信じてみませんか。

topへ


login